第6話
行きがけに些細なトラブルはあったものの、一行は粛々と迷宮探索を進める。いつ誰がどんな形で命を落としても不思議でないのが迷宮。他人事を一々気にかけているようでは到底冒険者としてやっていけない。
その意味でクロエは冒険者向きの性格をしていたようだ。次のフロアに移った時にはトラブルのことなどすっかり忘れ、今日の探索目的について横を歩くタルトに尋ねていた。
「ねぇタルト。今日の目当ては鉱物だって聞いたけど、宝石とかもある?」
「そうねぇ……運次第ではあるけど、そういうのも期待できるわよ」
のんびりとしたタルトの答えに、クロエは珍しく声を弾ませる。
「ホント? 私、杖を新しくしたいな~って思ってるんだけど、触媒に使えそうな石があったら貰っていい?」
「うふふ、頑張ってくれたらね」
「よし! 言質取ったからね?」
女二人の呑気な会話に溜息を吐いたのは先を行くソル。
「…………はぁ」
「むっ。何よ、ソル。仕事にやりがいは必要だし、あんたたちは副業で儲けてるんだから、偶にはいいでしょ?」
その様子を目ざとく見咎めてクロエが絡んでいく。実際には彼らの取り分を侵すつもりはなかったが、移動時間の退屈を紛らわせるついでにシレッと吹っ掛けてみた形だ。
金勘定にうるさいソルのこと、きっとすぐにふざけるなと打てば響くような反応があるに違いな──
「別に文句は言ってねぇって。張り切ってくれるなら取り分ぐらいいいんじゃね」
「何よ、男が金のことでグチグチ──って、え?」
ソルが報酬の分配で妥協した?
あり得ない言葉にクロエは自分の耳がおかしくなったのかと思い聞き返す。
「えと……ソルさん? 今、報酬の取り分、私が少し多めに貰っても構わないって言ってるように聞こえたんだけど……?」
「その分働くってんなら構わねぇんじゃね?」
しかしソルはあっさりとクロエの言葉を肯定した。不安になったクロエはソルの肩を掴んで問い詰める。
「どどどどうしたの!? 身体の調子が悪いとかおかしなものでも食べた!?」
「……別にそんなんじゃねぇって」
ソルは鬱陶しそうにクロエを振り払うが、クロエは引き下がらなかった。
「そんなんじゃないならどんななの!? 短い付き合いだけどお金大好きなソルがお金の話で妥協するなんて絶対におかしいよ!」
「人を金の亡者みたいに言うんじゃねぇ!」
「そうでしょ!?」
「そうだけど! 言い方!」
全く引く気配のないクロエに、ソルは諦めたように深々と溜息を吐く。
「……俺だって、儲けが良くても気が乗らない仕事ぐらいあるわ。つか、乗り気なのはタルトとあんたぐらいだろ」
「え?」
言われて他のメンバーを見ると、タルトはいつも通りほわほわしていて変わりないが、シロは耳と尻尾が心なしションボリ気味で、アリーゼも瘴気が……いや、分かんないわ。
「仕事なんだから、気が乗らないとかそんなこと言ってちゃ駄目でしょ」
腰に手を当ててお姉さんぶって説教するクロエに、ソルは眉を顰めフンと鼻を鳴らした。
「そう思うなら俺らにお手本見せてくれよ、お姉さん。つーか、後から後悔しても知らねぇぞ?」
ソルの言葉に不吉なものを感じつつ、しかしクロエは引き下がらなかった。短い付き合いではあるが、タルトたちのスタイルはある程度理解できたつもりだ。
「ふん。鉱物系でタルトがノリノリってことは、魔物の内臓やら糞やらに混じってるのを漁ろうみたいな話でしょ? このパーティーの戦力でゴーレム系はないだろうしね。今さらちょっと汚かったりグロかったりするぐらいで騒いだりしないわよ」
『…………』
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「うぎゃぁぁぁぁぁっ!!?」
大小無数の手足を持たない蠕虫──ワームが泥の中で蠢くおぞましい光景に、クロエは悲鳴を上げてアリーゼの身体に飛びついた。
ここは迷宮十二層の密林エリア。
かつてはフロア全体が密林で覆われ、どこから魔物が襲ってくるか分からない冒険者殺しのフロアとして有名だったが、先人たちにより下の階層に繋がる順路が整備されて以降、順路から逸れなければ危険度の低いエリアとされている。
無論、整備されていない密林の危険度はかつてと変わらないが、目的もなく地の利のないフィールドで敢えて危険な魔物と戦いたがる冒険者はいない。そのため十二層は、ほとんどの冒険者にとってただ通り過ぎるだけの場所でしかなかった。
「無理無理無理無理無理帰ろう今すぐ帰ろう!」
密林の端の泥沼で蠢くワームの群れから目を逸らし、クロエが全身全霊で撤退を主張する。
ソルはそんな彼女を冷めた──しかしウンザリした表情で見つめ、乾いた声でからかう。
「ほら。宝石が待ってるぞ。新しい杖が欲しいんだろ? 頑張れ頑張れ」
「無理!」
「エルフなんだし虫には慣れてるだろ?」
「田舎者の森妖精と一緒にしないでよ!? 私は文化的な都市妖精なの!」
森妖精に聞かれたら色んな意味で猛抗議されそうなことを叫んで、クロエはアリーゼの首にギュッとしがみついた。
お約束的にからかったソルではあるが、彼自身無数のワームの蠕動運動に生理的嫌悪感を刺激され吐きそうだ。シロはシロで尻尾がしおれて足はプルプル震えており、ソルがいなければ今にも全力疾走で逃げ出していただろう。アリーゼは鎧に隠れて表情が分からないが、この手の鎧の隙間から潜り込んできそうな魔物は大の苦手、足がすくんで先ほどから微動だにしていない。
唯一タルトだけは平常運転で、
「さ、行きましょう」
「行けないよ!?」
シレッと進もうとするタルトの肩をクロエが掴んで押しとどめる。
「ちょっと待って何であんなとこに突っ込まなきゃいけないの説明していや説明されても行かないけどまずは説明してお願い!」
「えっと……」
眼を血走らせて必死の形相で訴えるクロエに、タルトはしばし戸惑った様子で首を傾げていたが、やがて何かに気づいた様子でポンと手を叩く。
「……ああ。大丈夫よ、体長五〇センチ以下の小さな虫は私の【防虫】の呪文で防げるから、見た目ほど対処が必要な個体は多くはないわ」
「そういう問題じゃないのいやもちろんそれも大事だけどそうじゃないの!」
「ええ……?」
困り顔をされても困りたいのはこっちだとクロエは頭をかきむしりそうになる。普段はツッコミ役としてタルトの暴走を止めているソルは何故か顔に諦観を浮かべ目をシバシバさせていて、サッパリあてにならない。
「何であのワームの群れの中に突っ込もうとしてるのまずはそこから!?」
「えっと、それはね──」
「多分ワームが辺りの鉱物を体内で濃縮して結晶化しているとかそういう話なんだろうけどそうじゃないの!!」
「ええ? そうじゃないの……?」
説明を求めておいて自分で勝手に答えを導き出すという暴挙に出るクロエだが、彼女の言葉自体は一応的を射ていた。
種類にもよるが、大量の草木や土などを分解するワーム系モンスターに体内で鉱物や毒など濃縮し結晶化させる性質があるというのは、魔物学を学んだ者にとっては比較的有名な話だ。
実際に倒したワームの体内から良質な鉱物が排出された例はよく聞くし、それを専門に狙う冒険者がいるという話も聞いたことがある。
しかしそれはあくまで、大型のワームが一、二匹いるような場合。目の前にいるような小~中型のワームでは大したサイズの鉱物は期待できないし、そもそも的が小さくて大型よりかえって倒すのが難しい。下手に刺激して群れで襲い掛かってこられれば、あの大小無数のワームの群れが波となって……物理的な脅威以上に、生理的にきつ過ぎる。
「何で態々このエリアのワームを狙うの!? ワームなら他のエリアにもいるじゃない! 何でこんなエグイとこに突っ込もうとするのよ!?」
『…………(うんうん)』
全く同意見だったのか、ソル、シロ、アリーゼも一斉に頷く。
ワームについて調べたいだけなら態々こんな危ないところを突く必要などない。鉱物狙いだとして小物を倒して一々体内から回収するのでは手間がかかって非効率ではないか。
クロエの真っ当なツッコミに、タルトは少し恥ずかしそうに頬をかいた。
「えっと……何というかね……他のエリアはもう、終わってるの」
「…………え?」
「もちろん、そんなに大きなのは倒せなかったんだけど、皆に手伝ってもらって罠にかけて仕留めたことがあるのね」
「なら、今回もそっちでいいじゃん。数狙いだとしても、流石にここはキツイでしょ?」
「キツイんだけど……そこは、クロエが入ったから……ね?」
「…………は?」
甘えるように小首をかしげるタルトに、クロエは心底意味が分からずポカンとした。
「どういうこと!?」
「……俺に聞くなよ」
クロエに睨まれたソルは心底嫌そうに嘆息し、しかしタルトの様子を見て仕方なく口を開いた。
「俺が理解してる範囲での話になるんであんま自信はないんだが……迷宮内にはここほどじゃないにしろほとんどのフロアにワームの類がいるだろ?」
「……そうなの?」
そう言われても、まだ迷宮初心者のクロエとしてはフロア毎の魔物の分布なんてうろ覚えだ。ソルも自分の話の持って行き方が間違っていたことに気づき、それを流す。
「……まあ、そうなんだよ。で、今までもタルトはそのフロアの地質やら植生を調べる目的で、ワームを見つけたら理由を付けて俺らに狩らせて、その腹の中を調べてたわけなんだけど──」
そんなことまでやってたのか、とクロエは思わずジト目でタルトを見つめる。
「──調べてる内に、どう考えてもそのフロアから排出されるものとしては不自然な鉱物やらが出てきたんだと」
「不自然って……例えばどんな?」
「……タルトの鑑定を信じるなら、オリハルコンとかアダマンタイトとか」
「──はぁ!?」
伝説どころか神話級の鉱物の名前に、クロエは目をむいて表情を引きつらせた。
どちらも迷宮五〇層以下の階層からごく稀に少量採掘されることがある超稀少金属で、取り扱いには国の許可が必要とされている途轍もなくヤバイ代物だ。
「ちょ、それホントなの!?」
「だからタルトの鑑定を信じるなら、な。流石にモノがヤバすぎて、ギルドにも報告してねぇから、タルト以外誰も真偽が分からねぇんだよ」
その判断は当然だろうとクロエも納得する。
下手にオリハルコンだのが上層の魔物の腹から発見されたなんて知れたら、ダンジョン産業にどんな変化が生じるか分かったものではない。稀少金属目当ての連中が迷宮に押し寄せるぐらいならいい方で、下手をすれば迷宮そのものが完全に国家の管理下に置かれてしまう可能性すらある。
クロエはチラリとタルトに視線をやると、彼女は少し拗ねたように唇を尖らせ頷いた。
「もちろん嘘なんてつかないわ」
「いや、いっそ嘘ついてくれた方が良かったんだけど」
どうにもズレているリーダーに毒づき、クロエは自身の長い金髪をかき上げ、深く息を吐いて気持ちを落ち着かせた。
まず、今聞いた情報とそれに伴う問題を整理しよう。
迷宮上層の、土壌を耕し鉱物や毒物を濃縮する魔物の体内から、迷宮の深層でのみ発見される希少金属が発見された。これは、単に上層の土壌にも少量希少金属が混じっていたとか、そういうレベルの話ではない。
そもそも迷宮の大原則として、同じ迷宮内であってもそれぞれの階層は独立した別世界となっている。
階層が一つ異なればその環境は次元が隔てられているかのように全く別のものとなり、決して混ざり合わず、魔物もフロアを跨いで移動することはない。
にもかかわらず上層に生息する魔物の体内から深層の物質が発見されたとすれば、それは迷宮の大原則を揺るがす大発見……の可能性が高い。
「いやいや、ちょっと待って。もしホントにワームの体内からオリハルコンだのアダマンタイトだのが出てくるんだとしたら、それに他の冒険者が気づかないのはおかしくない?」
「それは多分、見つかったとしても少量だし、他の冒険者はそのまま捨てちゃってるんだと思うわ」
クロエの疑問に、タルトは本人も疑問に思ったことがあったのだろう、あっさりと答えた。
「どうして? 少量でもホントにオリハルコンなら相当な値段になるでしょ?」
「普通、鑑定ができる冒険者なんていないから」
「……ああ」
タルトが仲間にいたので感覚が麻痺していたが、鑑定能力は司祭の専売特許。そして司祭は冒険者から敬遠される傾向がある。普通の冒険者は知識や経験で物品を判別するしかないため、仮にオリハルコンを上層で発見したとしても『迷宮上層でオリハルコンが発見されるはずがない』と真っ先にその可能性を除外してしまうだろう。
「そりゃ、タルト以外気づかなくても不思議じゃないか。え。ってことは、ホントに魔物がフロアを跨いで移動してる可能性があるってこと?」
「まだ確実とは言えないけどね。鉱物だけならホントにただ上層にも混じってただけって可能性もあるし」
「まあ……そうね」
大昔、深層で稀少金属が発見された際、ドワーフの鉱夫が大挙して迷宮上層を掘り返しても希少金属は全く見つからなかったという話は有名だが、人類では発見できないレベルの少量の鉱物をワームが体内で濃縮したという可能性も全くゼロとは言えない。
そしてその辺りの裏付けを取るために、研究者として様々なフロアのサンプルを採りたいとタルトが考えるのは自然な発想だ。
だが、それにしても、だ。
「……タルトがワームを調べたい事情は大体分かったけど、だとしても、ここに突っ込む必要は無くない? 一か所ぐらい漏れても問題ないでしょ」
単品でも生理的嫌悪感を催す見た目と動きなのに、それが集合体となって蠢ているワームの気味の悪さは筆舌に尽くしがたい。呪文を駆使すればいくらか対処もできるだろうし、数がまとまっている分サンプルの集まり方も良いだろうが、それにしたって、という気がする。
『…………(ウンウンウン!)』
クロエの言葉に力強くソル、シロ、アリーゼも頷くが、しかし肝心のタルトは頬に手を当てて全くそちらを見ていなかった。
「う~ん。クロエの言いたいことは分かるんだけど、ここだけはどうしても外せないのよねぇ」
黙って首を傾げるクロエに向けて、タルトは自分の仮説を述べる。
「ほら。仮にワームが階層を跨いで迷宮内を移動しているんだとしても、繁殖に適した環境っていうのは限られてるし、起点みたいなものはあると思うのよね」
「……まあ、ありそうな話だけど」
「それでねそれでね。だとしたらここから他の階層に移動してるってだけじゃなくて、繁殖のためにここに戻ってきてる可能性もあると思うの」
「……ああ。もしそうだとしたら、このフロアのワームが体内に蓄積しているものは、他のフロアより多様性がある可能性が高いわけか」
「そうなのよ!」
我が意を得たりとタルトがクロエの手を握ってはしゃぐ。
いやしかし待って欲しい。自分はタルトがこのフロアにこだわる理由は理解したがパーティーとしてそれに挑むことについては全く納得していないのだ。個人的な趣味趣向として“行きたい”と言うのは勝手だが、パーティーとして行動する以上、それはパーティーに有益なものでなくてはならない。勿論全くメリットがないとは言わないが、どう考えてもこれはデメリットの方が大きい。というかそもそもこういうのを止めるのはソルの役目では……?
「前からずっと行きたいって言ってたんだけど、ソルもアリーゼも無理だってOK出してくれなかったの」
うん。そりゃそうだよね。止めるよね、普通は。
「行きたいなら高レベルの呪文遣いが必須だから、って」
そうだね。こういう群れを相手にするには範囲呪文が必須だから。司祭のタルトだけじゃ無理がある……うん?
「でも、クロエが入ったからもう大丈夫よね?」
「そういうオチかぁぁぁっ!?」
クロエはタルトの手を振り払い、ソルの胸倉を掴んで絶叫する。
「何でそんな中途半端な条件付けたのよ! 目なものは駄目ってちゃんと教えるのがあんたの仕事でしょ!?」
「……無茶言うなや」
ソルは半ば死んだ目をしながら弁解する。
「俺らも最初はちゃんと駄目だって言ったんだよ」
「なら何で!?」
「……毎日毎日、何で駄目なの、どうなったら行けるのってしつこく言われてみろよ。……どうせ本人が中級に至れるのは何年も先だろうし、こんな不気味なパーティーに新メンバーが入るとも思ってなかったんだよ、その時は」
『…………(コクコク)』
アリーゼも同意するように横で頷いている。気のせいかもしれないが、彼女の瘴気がいつもより寂しそうに見えた。
クロエもクロエで、まさか自分がこの暴挙を実行するトリガーだったとは知らず、何とも言えない表情をしていたが。
「ええ……いやいやいや、ちょっと待ってよ。そもそも私はそんな約束してないし、勝手に自分主体の作戦が組まれてるのっておかしくない?」
クロエの反論にソルたちは『お、がんばれがんばれ』と視線でエールを送るが、しかしそれも諦め気味だ。
「……駄目?」
タルトはその大きな目の端に涙を滲ませ、悲しそうに尋ねる。
「い、いや……駄目っていうか……」
「クロエだけが頼りなの」
「頼られても、できることとできないことがあるっていうか……ね?」
「クロエならきっとできると思う」
「いや、まあ、できるかできないかで言えばできるかもしれないけど……」
「そうよね?」
「まあ…………うん」
「やった~! ありがと~!!」
「…………うん」
クロエはタルトに抱き着かれて、もう何とも言えない表情になっている。
『…………』
自分を見る仲間たち三人の視線が『チョロ……』と語り、クロエはそれに胸中で『お前らも同じだろ!?』と反論した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「いい? 私の位階はまだ中級で、あの規模の群れを相手にするのはリスクが高いの」
それじゃあ、とホイホイワームの群れの中に突っ込んでいこうとするタルトを押しとどめ、クロエは安全で現実的な作戦について仲間たちと打ち合わせた。
「群れで襲い掛かってこられたら一溜りもないわ。現実的なのは、距離をとって範囲攻撃で焼き払うとかかしら?」
「ええ? でもでも、そうすると体内の鉱物が吹き飛んじゃうかもしれないわよ!?」
「安全優先ならそれが妥当だろ」
「でもでもでも、ほらワームが怒って襲い掛かってきちゃうかも?」
「そうなったら即撤退ね」
「【火球】以外にも攻撃呪文は使えるんだろ? 安全圏から打ち込んでみて、反応を見てからの方がいいんじゃね」
「ええ? それより捕獲は手作業でして、魔法は近づいてきた群れを散らす程度に──」
「論外」
「嫌なら今すぐ撤退するわよ」
「うう……わかったわよ~」
タルトはいかにも渋々といった様子だったが、他のメンバーからすれば彼女の作戦案など狂気の沙汰でしかなかった。
そして準備万端整え杖を構えたクロエが、仲間たちに呼びかける。
「それじゃ、行くよ」
「いいわよ~」
「──【氷嵐】!」
周囲の密林への影響を考え、クロエが選択したのは氷属性の範囲攻撃呪文。人の腕ほどもある氷柱が交じった吹雪がワームが蠢く泥沼を包み込むように発生し、その身を切り裂くと同時に凍らせていく。
「…………どう?」
十五秒ほど続いた嵐は唐突に収まり、白い氷の粒が舞い上がって沼面の視界を悪くした。
クロエたちは注意深くそちらを見つめ、いつ怒ったワームが襲い掛かってきても逃げ出せるよう足に力を込める。
そらに数秒後、氷の粒が風に吹かれて晴れたその後には、泥沼ごとカチカチに固まった無数のワームが残されていた。
「上手く……いった?」
自信なさげにクロエが呟く。
無論、氷結したのは見える範囲のごく一部で、その周辺は変わらずワームが蠢いていたが、寒さを嫌っているのかワームは氷結範囲に近づこうとはしていない。
これなら凍ったところを砕いて、ワームの死骸を回収すれば──
「──ワン!」
しかし最初に“それ”に気づいたシロが警告の鳴き声を発し、数秒遅れて他のメンバーも気づく。
──ゴゴゴゴゴ……!
「な、なに……?」
「これは、地震? いえ、迷宮の中でそんな……」
「考えるのは後だ! 逃げるぞ!」
「ワン!」
ソルとシロがその場から離れるよう促さなければ──後数秒その場から離れるのが遅れていれば、彼らはここで命を落としていただろう。
──グシャァァァァッ!!!
「な、なによあれ~!!?」
氷を砕いて沼の底から現れた体長数十メートルはあろうかという巨大なワームにクロエが悲鳴を上げる。
「デ、デスワーム……! 深層にだけ出現する伝説の魔物よ……!」
「興奮してないで自分で走れ!」
『────(ヴヴッ)!』
ソルのツッコミは、タルトの身体を抱えて走るアリーゼの代弁だった。
巨大なワーム──デスワームをは沼面から突き出した巨体をくねらせる様に震わせ、口だけしかない頭部をクロエたちがつい先ほどまでいた辺りに向け、地面ごと周囲一帯を吸い込み始めた。
──ズゴォォォォォッ!!!
「何なのよぉぉ!?」
「ワフゥゥゥッ!?」
「すごい! すごいわ!」
『…………っ!!』
「ガタガタ言ってないで走れ!!」
周囲一帯を吸い込むデスワームの圧に逆らうように、一行は無我夢中で走った。一人だけ逃げるのも他人任せで興奮している奴もいたが、必死に走って、走って。そして気が付いた時には一行は十二層の入口までたどり着いていた。
「ひぃ、ひぃ、ひぃ……」
「はぁ、ぜぇ、はぁ……」
「ハフ、ワフ、ワヒュ……」
『…………』
一人を除いて皆息も絶え絶えだが、ともかくデスワームからは逃げられたようで、追いかけてきているような気配はない。ひょっとしたらあちらからすると、少し息苦しかったから姿勢を直した程度の反応だったのかもしれない。
皆が安堵と疲労でうずくまる中、一人元気なノームの呪文遣いは、興奮した様子でその場でピョンピョン飛び跳ねていた。
「すごい! すごいわ! 解剖は出来なかったけど、深層にしか生息しないはずのデスワームがこんな浅い層で見られるなんて想像以上よ! あの巨体を支えるだけの養分と魔力はこの階層じゃ捻出できないし、ワームが迷宮内を回遊してるって仮説を裏付ける根拠の一つになる……!」
死にかけた──というか、自分の趣味のためにパーティーを全滅させかけたことなど気にも留めず、タルトはその場ではしゃいで踊り回る。
そんなマイペースなリーダーを横目に見つめ、仲間たちは疲れのあまりツッコミも忘れこう思うことしかできなかった。
『ああ、うん……良かったね』