第2話
「し、失礼します……」
「はい、いらっしゃい」
タルトたちのパーティーに参加することになったクロエは、元の雇用主名義で借りていた宿を引き払い、タルトとアリーゼが拠点として借りている郊外の一軒家に移ることになった。
彼女たちの拠点はギルドやダンジョン、商業地区からは離れているが庭付きで十分な広さがあり、何より格安。スポンサーを失い財布事情が厳しいクロエには願ってもない提案だった。
「うわぁ……すごい。ちゃんとした一軒家だ……」
拠点の中に入ったクロエは想像以上きちんと手入れされた屋内の様子に感嘆する。外目にはやや寂れて見えたが、内部はしっかりリフォームされていて、狭くはあるが立派な住居だ。
「──あ、すいません。その変な意味じゃなくて、聞いてた家賃でこんな家を住めるとは思ってなくて」
「うふふ。いいのよ、褒めてくれたんでしょう」
弁解するクロエを気にした様子もなく、おっとりとほほ笑むタルト。その間にアリーゼは荷物を持ってノシノシ家の奥へと消えて行った。
拠点は入ってすぐがリビングダイニングになっていて、その奥にいくつか扉が見える。アリーゼがその一番手前の扉に入っていったので、そこが寝室か物置なのだろう。
クロエはタルトに促されてリビングのテーブルに付き、タルトは湯を沸かしてお茶の準備を始めた。
「後で部屋に案内するけど、急なことだったからベッドが準備できてないの。寝袋を出してあるから今日のところはそれでお願いできる?」
「もちろんです。というか、色々お手数おかけしてすいません」
「いいのよ~。明日一緒にお買い物に行って、色々必要なものを揃えましょう」
押しかけてきたのは自分の方なのでクロエとしては恐縮しきりだが、タルトはむしろ新しい同居人の準備にウキウキしている様子だ。
「はい、どうぞ」
タルトは沸騰した湯を茶葉の入ったポットに注ぎテーブルに運んでくると、お茶をカップに注いでクロエの前に差し出す。茶葉の種類は分からないが、柔らかなお茶の香りが湯気と混じってクロエの鼻腔を刺激した。
「ありがとうございます」
「い~え~。それよりも、これから一緒にパーティーを組むわけだし、そんな固い言葉遣いじゃなくていいのよ?」
タルトたちに命を救われたことで負い目を感じていたクロエは、彼女の言葉を道理だとは思いつつも、一瞬ためらう。
「あ、いえ……」
「冒険者としては私たちが先輩かもしれないけど、きっと呪文遣いとしてはクロエの方が上だろうし、年齢だって私の方が下なんじゃないかしら。あ、ちなみに私は六十二ね。アリーゼは幾つだったからしら?」
「八十六」
小屋の奥から現れた銀髪のエルフがそっけなく答える。タンクトップのシャツにハーフパンツのラフな格好だが、同じエルフのクロエから見ても凛として美麗な面立ちをしていた。
「クロエはお幾つ?」
「え? えと百三十二歳です」
「あら、やっぱり年上だったのね。じゃあもう、敬語はなしよ。じゃないと私が敬語使っちゃうから」
うふふ、といたずらっぽく笑うタルトに押し切られる形で、クロエがおずおずと頷く。
「はい……じゃなくて、うん」
「うん。改めて、これからよろしくね」
ほんわかとした空気を漂わせるタルトに釣られて、クロエも思わず表情が緩む。しばし温かく穏やかな空気が流れ──
「──って、誰っ!?」
かなり遅まきながら、突然現れたエルフの美女にクロエは驚きの声を上げた。
銀髪のエルフはクロエの叫びに一瞬眉をひそめて視線を向けたものの、すぐに興味をなくしカップに注がれたお茶を口に含んだ。
「…………っ!?」
困惑し助けを求めるように銀髪のエルフとタルトに交互に視線をやるクロエ。タルトは最初、何故クロエが驚いているのか分からない様子で首を傾げていたが、やがて得心がいったようすでポンと手を叩いた。
「ああ。そう言えば鎧を脱いだところを見るのは初めてかしら? 彼女がアリーゼよ」
「あ、え……へ……?」
クロエは頭の中でタルトの言葉を反芻する。アリーゼ。あの濃密な瘴気を纏った鎧騎士の名前。クロエが初見でアンデッド──『亡霊騎士』と勘違いしたパーティーの前衛。鎧の名前はジーク。もともと鎧を報酬にタルトに雇われたとかなんとか。ダンジョン内からここまで一言も言葉を発しておらず、彼女に関する情報は全てタルトたち他のメンバーからの伝聞だ。
その中身が──この華奢で美麗なエルフの美女!?
「はぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
クロエの絶叫が拠点の内外に響き渡り、タルトとアリーゼは鼓膜を貫くその音に目を瞬かせて硬直した。
「……ごめんなさい」
「いいのよ。知らなかったら驚くわよね~」
「…………耳がキーンてする」
数分後。
驚きと混乱から回復したクロエが二人に平身低頭する。タルトは大らかに謝罪を受け入れるが、アリーゼはまだ耳の調子がおかしいのか顔を顰めていた。
そのことに申し訳なさはあったものの、クロエは頭を下げ続けることより疑問の解消を優先し、おずおずと口を開いた。
「えっと……改めて確認なんだけど、あのどう見ても呪われてそうでクソ重そうな全身甲冑の中身が、このアリーゼ、さん?」
「……ちゃんでいい」
「へ?」
「…………冗談」
色白な肌を赤く染めてアリーゼがそっぽを向く。どうやら場を和ませようとしてくれたらしい。
「えっと……」
「うふふ。そうよ。いつも鎧姿で無口だけど、アリーゼちゃんはこんなかわいい女の子なの」
微笑みながら頭を撫でてくるクロエの手を、アリーゼが恥ずかしそうに払いのける。
「……ちゃんって言うな」
「あら? クロエはいいのに私は駄目なの?」
「……私の方がお姉さん」
「あら残念」
ほんわかとした二人のやり取りに、クロエは混乱していた頭が落ち着いていくのを感じた。そして冷えた頭で疑問点を整理し、口を開く。
「えっと……疑うわけじゃないんだけど、ホントにアリーゼがあの全身甲冑を着てたの?──いや、ごめん。正直疑ってるって言うか信じられないわ。とてもその細身であの鎧を着て動き回れるとは思えないんだけど……」
全身甲冑は一セットで概ね三〇~四〇kg程度の重量がある。加重が全身に分散するため同重量の荷物を手で運ぶより負担は小さいが、それでも甲冑を着て活動を行うには体格や筋力だけでなく専門の訓練が必要とされている。
またクロエは知らなかったが、平地での活動を主とする軍人や騎士はまだしも、地下迷宮奥深くを探索する冒険者では前衛であっても重量のある全身甲冑を纏う者は珍しく、力自慢のドワーフや鬼族が稀に装備するのみとなっていた。
翻ってエルフのアリーゼは長身ではあるもののとても華奢。その腕はヒューマンの男性の平均より明らかに細く、あの鎧を着こんで戦うどころか、まともに剣を振るえるかも怪しかった。
「まあそうよね〜」
「…………」
クロエの疑問に二人は気を悪くした様子もなく、分かる分かると頷いた。そしてどちらが説明するか顔を見合わせ、タルトが口を開く。
「どこから説明したらいいかしら……う~ん。クロエが気になってるのは、アリーゼが重い鎧を着て動けてることと、あの鎧の“瘴気”なんじゃない?」
「あ、うん。そう」
順番にと思ってそちらの質問は後回しにしていたが、どうやら一纏めにした方が答えやすい質問だったらしい。
「えっとね。初めて会った時、クロエはアリーゼをアンデッドと間違えたけど、実はあれ、半分正しかったの」
「………?」
「あの鎧──アリーゼはジークって呼んでるけど──あれはね、普通の鎧じゃなくて『さまよう鎧』っていうアンデッドなのよね」
「……………………ほう」
衝撃の告白に、アリーゼは辛うじてそう言葉を絞り出した。
「……意外と反応が薄い」
「ホントねぇ。また大声出すのかと思って身構えてたんだけど」
「いやいや、驚きすぎて上手く反応できないだけだから!」
拍子抜けした様子の二人にアリーゼが意味不明な弁解をする。
「──って、そうじゃなく! あれが『さまよう鎧』ってどういうこと!? それに何でそんなヤバイものをアリーゼは着てるの!?」
『さまよう鎧』とは死者の怨念が甲冑に宿った不死生物。生前の妄執や生気を求めて徘徊するれっきとした魔物であり、【除霊】が使える僧侶がいればまだしも、生前と違って急所が存在しないため、とてつもなくタフで厄介な敵として冒険者たちから忌み嫌われている。
クロエの疑問に、タルトは唇に指をあてて視線を天井に向け考えながら丁寧に答えた。
「う~ん。それについてはまず『さまよう鎧』ついて説明しないといけないんだけど……そもそも『さまよう鎧』っていうのは死者の怨念を核として、鎧に残った念や周囲の人間の生気や魔力を燃料にして動いてる魔物なのね。だけど核となった怨念に意識や魂は残ってなくて、鎧に生前の残留思念が焼き付いて指向性を持っている状態。自然発生した魔法生物に近い存在なのよ」
『さまよう鎧』を魔法生物に近いものとするタルトの説明は一般的な魔物の解釈からは外れているがクロエにも納得できるものだった。クロエはタルトの説明に頷きを返し、先を促す。
「それで私、ふと思ったの。『さまよう鎧』に厳密な意味での自我がなく指向性だけの存在なら、その指向性さえ合致すれば人間とも共存できるんじゃないかって」
「……………………ほう」
おっとりした顔でいきなりヤベー方向に話を持ってったな、このノーム。
クロエは大きく息を吐き、すぐさま大声でツッコミたい気持ちを抑えて、続きを促す。
「…………共存って?」
「『さまよう鎧』自体は死者の念にその指向性が引きずられているものの、決して邪悪な魔物じゃないわ。生者を襲うのも、自分が存在し続けるための燃料を求めてのことで、一般的な生物の捕食活動と何の違いもない」
その結果人を襲うのであれば世間一般的に十分邪悪な魔物だと思うが、話を進めるために一先ずそのツッコミを呑み込む。
「つまり、使用者と念の指向性が合致している『さまよう鎧』と、鎧に十分な燃料を提供できる使用者がいれば、『さまよう鎧』はパワーアシスト機能付きの強力な鎧として機能するんじゃかって閃いたの」
「……………………」
そっかー、閃いちゃったか。
またツッコミどころの多い発言だったが、クロエはどこからツッコんでいいのか分からず、ひとまずタルトに説明を全て吐き出させようと残る不明点を口にする。
「えと、つまり……その『さまよう鎧』はアリーゼと指向性が合致していて、瘴気を放ってはいてもアリーゼには害がない。それで、アリーゼは鎧にエネルギーを供給することで、重い鎧を着て自在に動き回ることができる。そういう共生関係にある……っていう理解で良い?」
「そう! そうなの!」
自分のうんちくや説明を理解してくれている相手に飢えていたのだろう。タルトは嬉しそうに手を叩いて肯定する。
「……アリーゼが供給しているエネルギーって、魔力?」
「ええ。色々試してみたんだけど、『さまよう鎧』には生気より魔力の方が相性がいいみたいなのよね。エルフの内包魔力は人類の中では群を抜いているから、その意味でもアリーゼとジークはベストコンビだったの!」
ベストコンビと言われてアリーゼの耳が無表情のままピクピク動く。どうやら喜んでいるらしい。
ここまでのタルトの説明を整理すると、
タルトが『さまよう鎧』の活用法を思いつく → ちょうどいい『さまよう鎧』とエルフの組み合わせを発見 → エルフを唆してアンデッドの鎧を着せて研究欲を満たしつつ自分の護衛としてそばに置く
みたいな感じだろうか?
いや、もちろんこれはクロエの穿った見方だし、タルトに悪意は感じられないが、きっと彼女は悪意がないから余計にたちが悪いタイプの人間だ。
タルトへの事情聴取を終えたクロエは、そのままタルトをツッコミ倒したい衝動を一先ず抑え、新たに生まれた疑問を解消すべく、アリーゼに質問する。
「……アリーゼに聞きたいんだけど、その『さまよう鎧』と合致したアリーゼの指向って何? タルトに唆されたんだとしても、なんでそんなヤバそうな鎧を着ようと思ったの?」
横でタルトが「まあ、唆すだなんてひどいわ」と口にしていたが、クロエはその戯言を無視して真っ直ぐにアリーゼの目を見た。
アリーゼはしばしクロエと見つめ合った後、重い口を開く。
「……ジークは生前、非力で弱くて、戦場に出れない自分の身体を嘆いていた。私も同じ」
「……戦士として戦いたいってこと?」
戦士として何より重要なのは重い武器や鎧を使いこなす筋力。種族的に細身で非力なエルフに戦士となる者がいないわけではないが、他の種族と比べ圧倒的に戦士には向いていない。ましてや女性であるアリーゼなら猶更だ。
それでも、戦士として戦いたい何かが、彼女たちには有るということだろうか?
「……ちょっと違う」
しかしアリーゼはかぶりを横に振った。
「……昔、里にいた時、私は長に言われて次期族長候補の若葉と婚約させられそうになった」
“若葉”とはエルフの間で成人の儀を潜り抜けたばかりの新成人を指す言葉だ。長命ゆえに性欲が薄く、種として減少傾向にあるエルフは、近時──といってもここ千年ほどだが──族長による強制的な婚約が結ばれるケースが多かった。
自分自身、似たようなケースに覚えのあるクロエはやや同情的に表情を歪める。
「……それが嫌で、命令を拒否した?」
「……うん。族長をぶん殴った」
エルフの氏族において族長の命令は絶対。拒否すれば最低でも追放は免れない。
それほどまでにその婚約が嫌で、理不尽に抗う力を求めてタルトの提案を受け入れたということか。
「……大変だったね」
「……ううん。元々里は出ようと思ってたからそれ自体は別に」
同情めいたクロエの発言に、アリーゼは強がる風でもなく淡々と否定した。
「……ショックだったのは、思いきり殴ったのに長がピンピンしてたこと」
「そう、ピンピン…………ん?」
眉を顰めるクロエを気にした風もなく、アリーゼは続ける。
「……最低でも奥歯ガッタガタにしてやるつもりだったのに、枯れ木のクセして殴ってもピンピンしてて、逆にこっちの手が痛かった──屈辱」
「…………」
まあ、戦闘訓練を受けたわけでもない非力な素人が殴れば、そういうこともあるだろう。殴るという行為は、慣れていない人間には意外と難しい。
「……もし次誰かを殴ることがあれば、思いきりぶっ飛ばして気持ちよく暴力を振るいたいと思った。そしたら、タルトに会って、丁度いい鎧があるって」
そこでアリーゼは端正な顔をニチャァと歪めた。
「……誰かを殴るの、気持ちいい」
『────』
拠点の奥の部屋から、共鳴するような瘴気の波動が漂ってきた気がした。
「……………………」
一通りアリーゼとその鎧にまつわる事情説明を受けたクロエは、瞼を閉じ、しばし何かを堪えるようにジッと黙り込む。
「────っ!」
そして長い葛藤の末に、力尽きたようにガクリと項垂れた。
(ツッコミどころが多すぎて! 本当に! 何からツッコんでいいのか分からない……!)
この日クロエは、ツッコミ放棄という人生初めての敗北を経験した。