56話 仁と羅黒
兄に言われた通り、すぐさま風呂に入ったがあまり気ノリはしなかった。というのも琴音は暑いのが嫌いだったから。それに風呂は疲れる。そんな思いをするぐらいなら一週間ぐらい風呂に入らなくてもいい琴音だったがそんなことすれば兄に叱られる。
というわけで風呂には入ったが耐えきれずすぐに出てきた琴音だった。
すぐさま火照った体を冷まそうと思い、ジュースを飲もうとキッチンにある冷蔵庫に向かうも琴音の耳にやけに真剣な声が入ってくる。
「あにーじゃとだでぃ?」
父は琴音が風呂に入っている間にいつの間にか帰ってきたようだ。が、夕食も食べずに兄となにか話し合っている。
「『デット・ライ・コフィン』の下部組織を壊滅させてる人間がいるらしくてな。ほぼ全員殺されてるよ。そういえば、最近帰りが遅いらしいな、なにか知ってるんじゃないか羅黒?」
デット・ライ・コフィン?
父の口からそんな単語が聞こえる。ずいぶんと中二くさい名前だ。
(私は好きだけど)
琴音の考えをよそに話は進められていくも、羅黒は口出しせず父が黙々としゃべっていく。
「デット・ライ・コフィン。いわゆる犯罪組織だ。それも裏の世界では三本指に入るほどの大組織。明美は生前その組織を追っていたんだ」
(!?)
唐突に母の話が出てきて、琴音は困惑するもなぜか耳をふさぐ気にはならなかった。
「明美は俺と同じガーディアンだったが、俺よりはるかに優秀だった。だから、デット・ライ・コフィンの件もどうにかなるんだと思ってた。けど……」
父はそこで口を閉ざす。が、その先のことは琴音にも分かっていた。
母はそのあと死ぬ。それも犯罪者として。
詳細は不明だが、母はどうやら違法な薬物を売買しているとみなされたらしい。
訳が分からなかった。
昨日まで一緒にいた肉親が突然二度と会えないと告げられ、あろうことか犯罪者呼ばわりされていることに。幼かった自分にはその驚愕の情報を処理できるわけもなかった。
が、そんなこと関係なく世間の眼は厳しいモノだった。
周りからは徹底的に避けられた、だけでなく次第に非難へと変わっていった。学校の先生までも自分のことを冷たい目で見るようになり、だんだんと学校に自分の居場所がなくなっていくような感覚を覚えていった
父も大変だっただろう。どれほどバッシングされたか想像もつかない。いまだにガーディアンをやれているだけ奇跡であろう。
結局、自分は学校に行かなくなってしまった。つらかった。周りから拒絶されているというのもあった。けど、それ以上に母のことを侮辱する声を聴くことに耐えられなくなってしまった。
いまだに信じられなかった。母が犯罪に関わっていたなんて。だが、どれだけ自分が声を上げようと周りは否定する。だから、母のことに関してはもうあきらめていたのだが……
「デット・ライ・コフィンはどうやら最近神秘をもった子供を攫っている。被害はどんどん広がっていくばかりだ。けどある意味チャンスだ。また活動を再開したってことは事件の痕跡を残すってことだからな。だから―――」
父はゆっくりと息を吸う。それはまるで決意を現す覚悟をしているように見えた。
「奴らを捉える。そして明美の無罪を証明する」
シンッと静まり返る。が、その静寂に反して琴音の心臓は高鳴っていたのが自分でも分かった。
信じていたのだ。母のことを。どれだけ周りから犯罪者の夫だと侮蔑されようとも。そのことが無性にうれしかった。
けど、同時に底知れぬ不安も覚えた。母と同じようにまた父もいなくなってしまうのではないか、と。
どれほど時間がたっただろうか。しばらく静寂が辺りを包み込んでいると、兄がゆっくりと口を開く
「そのこと自体は立派に思うよ。明美さんの無罪を証明しようとしていることは。けど、なんでわざわざそれを俺に言う?」
「お前は関わるなってことだ」
兄が関わる?どうしてそこで兄のことが出てくるのだろうか?
ふと頭をよぎったのが、昨晩の会話。最近兄の帰りが遅いのは勉強のせいだと言っていたが、はたして本当にそうだろうか?琴音にはそれがうそのように聞こえた。
「関わるな……ってどういうことだよ?」
「昨日と似たような件が今日もあった。『面倒矢佐会』。構成員百にも及ぶヤクザ集団が全員殺されてた。刃物、神秘を使われた形跡もない。おそらく全員素手で殺されている。死亡時刻からもそれほど時間もかかっていない。素手、短時間。そんな条件で百人を鏖殺できる人間なんて俺は一人しか知らない」
それはお前だとでも言うように兄を見つめる。叱るわけでもかといって貶すわけでもない。ただ、しっかりと兄を視界に捉えていた。
「お前のやっていることが正しいかどうかは分からない。殺しこそしているが救われている命もあるのも事実だ。子供が無事に親元に帰れてるしな…………けど、お前はまだ子供だ。この件に関わるにはお前は幼すぎる」
子を諭すように落ち着いた声で兄に伝える。
琴音には事態に置き去りにされていたように思えた。自身が知らぬ間に兄は事件に踏み入れていた。父の言うように兄は人を殺しているのだろう。そのことを少し悲しく思う自分もいた。同時に子供を助けるため仕方ない部分もあったのだろう。少なくとも自分にどうこう言う筋合いはない。
「死体を見た。俺より小さい子供の」
今まであまり口を開かなかった兄がぽつりとつぶやく。その表情は暗鬱としていた。
「体中拷問されてたのか傷だらけだったし、死体は全裸で明らかに弄ばれてたよ」
兄は椅子からゆっくりと立ち上がり、父を一瞥する
「俺のやってることが正しいなんて傲慢なことは言わないし、言えない。けど、やらなきゃ。やらないとどんどん死人が増えていく」
「羅黒―――」
「親父の言っていることは正しいよ。だからと言って止まる気もない」
そのまま兄は部屋の外へと向かっていた。部屋にただ一人残された父はコップに残ったビールを飲み干し、そのまま何かを考えているのか終始無言だった。
「まみぃ……」
気づけば、母の名前をつぶやいていた。幸か不幸か自分は知りたがっていた真実の核心の情報を得たらしい。少なくとも兄は事件にかなり深く入り込んでいるらしい。
知りたい。本当に母が犯罪者だったのか?いや、そうじゃないに決まっている。
けど、どうする?だからと言って自分が事件の調査をすることを兄は絶対に反対する。
考えだけが頭に募っていくが、ひとまずこの場を離れなければ。というかまずい。自分が今いる場所はちょうど兄が向かっているドアの裏側。盗み聞きしていたのがばれたらどうなるかわかったもんじゃない。
すぐさま浴槽に戻ろうとするがここにきて日ごろの運動不足がたたる。鈍い自分の脚よりもはるかに兄が来る方が早かった。
兄がドアを開けたとき、琴音はちょうど洗面所に入りきれないところだった。
「琴音……!」
兄が自分の姿を見て、瞠目する。
まずい、盗み聞きしているのがばれたのか?
「お前…………………………………………………なんで素っ裸なんだ?」
どうやら盗み聞きの疑いは持たれていないようだ。だがこれで一安心、っていうわけではなかった。
兄は自分の姿を見るやたちまちお叱りモードへと突入する
「琴音、風呂から出たらまずタオルで水分を落として、服を着ろって前にも言っただろ。おかげで廊下びちゃびちゃになってんだろうが」
「ぐっ……」
兄の言う通り、床は水でびしゃびしゃだ。
「というかお前、えらく出てくるの早いな。まだ五分も経ってないぞ……ちゃんと風呂入ったのか?」
「う、うん!もちろん!」
兄がこちらを疑うように顔を覗き込んでくる。まずい、なんとかごまかさなくては……
「嘘ついてないもん!神様に誓ってもいいもん!」
「ふ~ん。その割にはお前の頭からシャンプーの匂いが全くしないんだが」
「え!?うそ⁉」
「うん、うそ。けどこれで誰が本当の嘘つきかわかったな」
な、なんてやつだ。妹に嘘をつくなんて。
いいじゃないか、風呂ぐらい適当で。そう言おうとしたがじりじりと詰め寄ってくる兄の前にしては言えなかった。言ったら絶対怒られる。
「な~にが神に誓ってだ!?思いっきりうそついてんじゃねえか!俺が洗ってやるからもう一回風呂入るぞ!あ、ちょ、逃げるな!」
「んにゃああああああああああああああああああああああああ!」
抵抗するも兄に引きずられながらもう一度風呂に入らされた琴音だった。




