32話 出会い①
あの日はタイミングの悪いことに大雪だった。おかげで電車は大幅に遅延するという事態が起こる。
念のため早めに家を出たので何とか時間には間に合いそうではあったのだが、もっと最悪だったのが電車で痴漢に遭ったことだ。
受験当日というのは痴漢が多いことは姉から教えてもらった。というのも受験生はへたに騒ぎを起こして問題になると困るため助けを求めづらく、そこを狙って痴漢が多いのだとか。
小太りした男が太ももを後ろからなめるように触り、恐怖心で心が覆われた。その後、ちょうど電車が駅に到着した際痴漢の腕を氷漬けにしてやり、何とか電車を降りる。
駅に降りた際もしばらくは動けないほど、パニックに陥っていたがカバンに紐でつるされているかなり古びたお守りを触ると不思議と落ち着く。
彼女、神室冬花の人生は生まれたときからすでに薄暗い影で覆われていた。
神室冬花の母は冬花の出産のさいに亡くなっている。そのことを彼女の父は責め、冬花と姉の育児を放棄する。
過剰適正。能力者の体が神秘に過剰に適応してしまった結果生じる、科学的にも理解の外側にある体質。神室冬花は氷の過剰適正者であり、体温が異常に低い。それこそ常人のよりはるかに。
もともと体の弱かった母は冬花の氷の体質に耐えられず、出産の際に命を落とす。人が本来持ちうる『体のぬくもり』というものを冬花は持っておらず父はそんな冬花を怪物呼ばわりした。
父だけでなく小学生の時なども周りの子供はそんな冬花の体質からか冬花のことを避け、異物呼ばわりし、冬花自身も怪物呼ばわりされることを嫌い人とのかかわりを避けるようになった。直接触られることなどなおさらだ。
今、握っているお守りはもともと今は亡き母が姉に譲ったものだが大事な受験ということで姉が冬花に譲ってくれたのだ。
「お母さんもお守りを冬花に持ってもらった方が喜ぶんじゃないのかな」
と何一つ汚れてない純粋な笑顔で言った。姉は冬花が心を許す数少ない人だ。そんな姉から渡された亡き母のお守りは絶対になくせない。
少し時間がたち、心が落ち着くと再び電車に乗り、カバンから単語帳を取り出そうとするとふと母のお守りに目が行く。時がかなり立っているせいかずいぶんとぼろが出ていて、カバンとつないでいるひもも少し頼りない。
(返す前に少し補強したほうがいいかな……)
単語帳に再び、目を移し英単語を確認していく。
栄凛高校。神室が受験する高校だ。神秘の発展を志すと同時に勉学、部活動にも力を入れている。この学校以外にもにも神秘の研究に力を入れている暑熱轟、日比谷聖女学院などもあるが、前者は騒がしく自分に合わない、後者は私立で加えて超お嬢様学校で庶民の自分は浮きそうと理由で断念した。単純に栄凛高校が電車の乗り継ぎがなく通学が簡単というのもあるが。
駅のホームから出て外を出る。道路にはこんもりと雪が積もっており、歩くのに少し苦労するといったところだ。
カバンを右肩で持ち、靴に雪が入り込むのを気にしながら歩道を歩いていく。
ドン
突然後ろから走ってくる男子に思いきりぶつかられる。幸い転びはせず、カバンが緩衝材になったからか痛くはなかった。
走り去った男は神室にぶつかったことに気づいていないのか特に謝りもせず、友人と思わしき前にいた男子に声をかけていた。
多少、腹立たしくはあったものの歩いているうちに忘れていった。
事件は栄凛高校の校門前で起こった。念のため受験票などの忘れ物がないか再度確認するためカバンを見ると、ないのだ。亡き母のお守りが。
急いでカバンの中身を確認するも見つからない。
額にじんわりと汗が広がっていく感覚がした。しばし呆然とすると、自我を取り戻したかのように急いで立ち上がり人の波に逆らって、栄凛高校から駅までの道のりを戻っていく。
覚えがあるのは、先ほど自分にぶつかった男子生徒の居場所だ。母のお守りはかなり古くひもは強い衝撃を与えられてしまったら切れてしまってもおかしくはない。
(時間はまだある…急いで探せばまだ間に合う)
だが、これはあくまで予測の範疇でしかない。自分が予測した場所にお守りが落ちているとは必ずしも限らない。
怪訝な目で見られながらも受験生の波に逆らい、なんとか先ほど男子とぶつかった場所へとたどり着く。
通り道を探すも見つからず、積もった雪の中すらかき分けていく。神室にとってはそれほど母のお守りは重要だった。
だが無情にも時間だけが過ぎていく。受験開始まで刻々と迫る中、神室は引き際を迫られる。いくら大事なものとはいえ受験を捨てるわけにもいかなかった。
瞳が徐々にうるんでいく。周りに気づかれないように下を向いて必死に隠す。受験当日ということもあってか、皆が自分のことに集中しており神室に声をかけるものはいない。自分自身もそんなことは望んでないが、なぜか心臓が締め付けられているように思えた。
時間がたつにつれ、自然と人は少なくなっていた。受験当日は誰でももしものため早めに会場に着こうと思うものだろう。
場所を変え、再び探す。
(どこにあるの?早くしないと……)
時間の経過とともに、頭の中が乱れていく。そして、また場所を変え…
気づけば、周りには誰もおらず一人きりだった。
試験開始まで残し10分、どんなにここから急いでも5分はかかる。
『お前が…お前のせいで母さんは死んだんだ! 』
唐突に幼いころに父から言われた言葉を思い出す。
(あの時初めてお姉ちゃんが私のために怒ってくれたんだっけ)
彼女は知っていた。姉が母のお守りを抱えながら人知れず泣いていたことがあったのを。自分は母のことは知らなくとも姉は実際に母のもとで育ったのだ。寂しがるのは当然である。
制服が雪で濡れようともお構いなく探していく。
(私のせいで……お姉ちゃんから預かったお守りが……)
瞳から一滴の涙がほおを流れ、重力に逆らわず地面に落ちていった。
その時
「おい、こんなところで何やってんだ?」
後ろから唐突に声がかかる。眼元を乱暴にこすりつけ、振り返ると白髪で目が鋭い小柄な少年がそこにはいた。




