ストロベリー (ケーキバース注意)
ケーキバースの設定を使わせてもらってます
軽いカニバリズム表現がありますので苦手な方はリターンして下さい。
泣いている男の涙を何故か舐めたくなった。白く柔らかな頬を伝い光を受けてキラキラと輝く雫が、無意味にコンクリートに叩きつけられるのが勿体無いと思ったんだ。
子供と言えるほど無邪気ではなく、大人と言えるほど打算的にもなれない、思春期。親しくもない同級生の涙を舐めるなんて酷く恥ずかしい事だと分かっているのに抗い難い誘惑に負けて彼の頬に唇を寄せてその涙を吸い取った。
その瞬間、俺の世界が色付いた。
口に広がる瑞々しくて甘い香り、味覚のない俺が初めて美味しいという感情を知った。
「いきなり何するんだよ!なんの冗談……っん!?」
彼の頬が怒りで赤く染まる、それが熟れた果実のようで美味しそうだとその唇に齧りつき唾液を舌に絡めて飲み込んだ。くぐもった声すら甘く響いて、理性は呆気なく崩壊し剥き出しの本能が牙を剥く。
そのまま抵抗する彼を押さえつけ体の隅々まで味わった。
一通り口にして心が満たされると我に返ってとんでもない事をしたと体中が冷えていく。
「……っごめん!ごめん!!俺っ……フォークみたいなんだ」
地べたに頭を擦り付け涙ながらに謝罪した。
彼の体には無数の歯形が残っていてそこから薄ら血が滲んでいた、興奮から立ち上がった凶器が彼を貫いた跡もある。謝って許されることではない。
人の味を知ったフォークはもう戻れない、人の味を覚えた熊のようにまた人を襲う。通報されれば殺人予備軍として身柄を拘束され一生刑務所から出て来れないだろう。
「顔を上げなよ、怯えなくていい君がフォークだと誰にも言わないから」
恐る恐る顔を上げれば薄く色づいた肌が目に入りゴクリと喉が鳴る。
「さっきは驚いただけ、君が食べたいと言うのならいいよ……僕をお食べ」
まるで子供向けアニメの主人公のような台詞を彼は笑って言った。
それがフォークの俺と風変わりなケーキの彼との出会いだった。
ケーキとフォーク、時折起こる猟奇殺人のプロファイルによって浮かび上がった特異体質を持つ人間をこう呼んだ。味覚を持たずに生まれてくるフォークと普通の人間と何ら変わりはないのにフォークが口にすると極上の味がするケーキ。
フォークにとってケーキの涙も唾液も血も肉も甘美なご馳走、一度味を覚えてしまえばどうしてもケーキが食べたいという衝動に駆られ何度も彼らを襲うようになる、そして最後は食人行為に走った。
俺は親に幼い頃誤って飲んだ薬の副作用で味覚を失ったと言われていたけれど、それは俺を守る嘘だったようだ。フォークとバレれば未成年であっても親元から引き離し隔離される、フォークがケーキの味を知るのは大体性行為の時なので親が彼女はいるのかと煩く干渉してきた理由もそれだろう。
それからケーキの彼は俺が食人衝動に襲われる度に自分を差し出した。
口にするのは彼の血までだけど紫色に内出血した歯形を見る度に何故ここまでしてくれるのか不思議だった。
「お前は見返りが欲しくならないのか?」
「じゃあ僕と付き合ってよ、君と恋人になりたい」
言われるままに彼と付き合うことにした。でも嫌ではなかった俺は彼のことが好きだった。それはスイーツを前に微笑むクラスの女子と同じだ、美味しいものは幸せな感情をくれる眺めているだけでも心が弾んだ。だけどケーキの彼は?傷つけるだけのフォークの俺が怖くないのだろうか?
誕生日に欲しいものはないか?と聞くと彼はショートケーキと答えた。ケーキの彼がケーキが好きなんて皮肉に思う、柄にもなく1時間並んで人気店のケーキを買って彼の家に行った。
箱を見せるとここのケーキ好きなんだよねと満面の笑みで言われ、美味しそうにケーキを頬張る彼を見ているだけで幸せな気持ちになれた。だけど最後の苺を残して彼の手が止まる。
「苺食べねぇの?」
「これを食べたら無くなると思うと勿体なくてさ」
フォークの先で苺をつつく。
「食べなきゃいいじゃん」
「でも食べずにいるのはもっと勿体ないから」
そう言うとフォークで苺を突き刺してパクリと食べた。
彼の開いた口からちらりと赤い舌が覗く、唇に付いた生クリームが蠱惑的に見えた。
「そう言えば君の分は無いんだね?」
「俺が食べても意味ないだろ、味わかんねぇし」
それが不幸だと以前の俺なら思っていた。でも今は……
「じゃあさ、今僕を食べたらこのケーキの味がするかもよ」
「馬鹿じゃねーの」
唇が重なる、いつもより甘酸っぱい気がした。でも彼の味だ、一流パティシエが作るどんなケーキよりもきっと俺はこの味が好きだと思う。口付けは次第に深くなり床に落ちた二つの影が一つになった。
優しくしたい傷つけたくない、ぐちゃぐちゃにしたい食べてしまいたい、矛盾した感情はどちらも辿れば彼が好きだからという結論に辿り着く。
皿に残された生クリーム塗れのセロファンに彼が重なって背筋が冷たくなった。
「はぁ!?僕と別れる?なんでさ!」
大学進学を理由に、2年続いたこの不毛な関係に別れを切り出した。
「飽きた、同じ味ばっかじゃつまんねぇんだよ」
「なにそれ、君がフォークだってバラしてもいいの?」
「お前にそれが出来んの?無理だろ。俺は別のケーキも味見したいんだよね」
「最低っ!」
彼の顔が歪んで溢れた涙が地面を濡らす、話は終わったと会話を打ち切り足早に立ち去った。
限界だった、彼を好きになる度に食人衝動が強くなった。その細っそりとした指を、赤く熟れた唇を、俺を映して煌めく瞳を、全て飲み込んで味わいたい。取り返しのつかないものまで奪ってしまう前に離れたかった。
彼と別れてから何人かと付き合った。その中にはケーキもいたが、キスをしてもまずいなと失礼な感想しか浮かばなかった。極上のケーキの味に慣れてしまった俺は普通の味では満足出来ない、それは彼が特別なケーキだったというわけではなく、俺が彼以上に相手を好きになれていない証拠だった。
考え事をしている隣でうめぇと牛丼を食べる友人が気に障った。以前なら羨ましくあっても美味しいという感情を知らなかったから無視できたが、今は……彼に会いたい。実際に会っていた時よりも好きだという気持ちが強くなっている。
ふいに携帯が鳴った。
ディスプレイには懐かしい名前が表示されていてはやる気持ちを抑えて電話に出る。
「……………た、すけ……て……」
か細く今にも途切れそうな声が俺に助けを求めていた。
言われた場所に駆けつけると血まみれで倒れている彼の姿に呆然とする。
ーー俺が目を離したから別のフォークに食べられてしまった。
***
病室を訪ねるとぼんやりと外を眺めていた彼がぽつりと呟いた。
「君に初めて会ったあの日、僕は自殺しようとしてたんだ」
視線は外に向けたまま独り言のように言葉を続ける。
「母親と血が繋がってなくてね、虐待された訳じゃないんだけど一つ下の弟ばかり可愛がって僕は空気のように扱われてた。親に必要とされなかったせいか自分自身に存在意義を感じなくてさ、何をしても楽しくなくて。楽しそうにしている周りを見るたびに息苦しくなった。だから死のうと思って、だけどいざとなったら足がすくんで情けなくて泣いてたら君が来たんだ」
彼が振り返り俺を見る、その顔の半分は包帯で覆われていた。
「痛かったし怖かった、でもそれ以上に求められているということが快感だった、君になら食べられてもいいなって思ったよ。なのにいつまでも食べてくれなくて飽きたと言われた時はやっぱり僕じゃ駄目なんだと悲しかった。だけど別のフォークならと付き合った結果がこれだから本当に救いようがない……」
お見舞いに持ってきた苺を洗って皿に出してやる。
彼はその一つを指で摘むとしばらく眺めて再び話し始めた。
「子供の頃、ショートケーキの苺を残していたら弟に食べられたんだ。弟はそんなに苺好きじゃないのにいらないならちょーだいって。あのフォークの男もそんな感じだった……だけど食べられるなら苺だって好きな人に食べてもらいたい」
彼が俺の首に腕を回してじっとこちらを見つめてくる。
彼の片目は失われてしまった、別のフォークに食べられて。
「人の食べかけは……嫌っ……かな?」
ほっそりとしたその体を抱きしめる。彼の一部を奪われたのが口惜しい、俺以外の奴が彼を味わったのかと思うと相手を殺したくなるくらい憎かった。好きな物は最後に残したら駄目なんだ、好きなら真っ先に食べるのが正解だったんだ。
彼のうなじに顔を寄せると口を開けて思いっきり噛み付いた。
***
「拒食症のフォーク?……ふっは!」
「笑うなよ!」
あの後、俺は情けないことに彼の血を見て気絶した。
仕方ないだろ、助けを求められて駆けつけた先で見た血まみれの彼の姿は俺のトラウマになっていた。流れる血を美味しそうと思うより彼の命が失われていく方が怖かったんだ。
「……はやく食べないと賞味期限きれちゃうよ」
「いいさ焦らなくても、何十年かけてじっくり味わってやるから」
「ばーか」
憎まれ口を叩くその唇を塞いだ。
ーーそしていつか彼の命が尽きたなら、その亡骸を口にしよう。