第二話 疎開
西暦1627年 神聖ローマ帝国 ブランデンブルク選帝侯領 ベルリン
さて、皆さんおはよう。いや、Guten Morgenと言った方が良いかな。
まあ、そんな事はどうでも良い。
前回から結構時間が経ったが気にするな。
まあ、精々あった出来事は俺が気を失った日の翌日の朝に目が覚めたらフリードリヒ・ヴィルヘルムの記憶が頭の中に入っていた事くらいだ。
え?大きな出来事じゃないかって?
それ以外何も無かったんだよ。
しかし、転生先がまだフリードリヒ・ヴィルヘルム選帝侯と言う権力者で良かった。
前回も言った様に十七世紀のドイツでは庶民の命は埃よりも軽いからね。しかし、権力者ならば道端の小石くらいの重さはある。
え?大して変わらないだって?
そりゃそうだろう。
諸君らは"死の舞踏"をご存知かな?
知らない方の為にざっくり説明すると、"死の舞踏"とはパリの聖イノサン墓地に書かれた壁画の事だ。
内容としては死神(ペストなどの病気)の前では、例え名声を欲しいがままにした皇帝や権力を極めた教皇だろうと訪れる死は身分や貧富の差に関係なく避けられないと言う事と、現世に置いて得た権力や名誉などの無意味さを表している。
何が言いたいかと言うと、この様な話が簡単に受け入れられる程、当時は死が高貴な身分だろうと低い身分であろうと身近にあるという事だ。
そんな事を考えていると、いい加減聞き飽きて来た声が聞こえて来た。
「フリードリヒ様!此処におられましたか!…勉学の時間を抜け出さないと約束したではありませんか!」
この怒っている男は俺の傅育係(日本風に言うと傅役)であるヨハン・フリードリヒ・フォン・カルクムだ。
そして、ヨハンが俺の父親に呼び出された隙に俺が勉学の時間から抜け出していた事に対して怒っている様だ。
「ゲッ…ヨハン、ほらあれだよ…えーと、旧約聖書のコヘレトの言葉にある"時の詩"でも"天の下では全てに時機があり、全ての出来事に時がある"と言うじゃないか。そして、俺は今癒す時なんだよ。」
「…フリードリヒ様、"癒す時"は確かに時の詩に出てきます。そして、それには様々な解釈が御座います。ですが、癒す時の対となる言葉は"殺す時"ですので、少なくともフリードリヒ様の勉学をサボると言う解釈は間違っています。…しかし、まだ教えていない筈なのによくご存知でしたね。」
ヨハンは少しの呆れと感心が混ざった曖昧な表情をしながらそう言った。
「まあな、いつだったか忘れたが一度本で読んだよ。」
まあ、嘘だけど。
前世でアメリカ大統領が就任演説"時の詩"を引用していたから知っていただけなんだけどね。
「流石はフリードリヒ様です。…やはりフリードリヒ様は算術や文学などの才能がお有りのようですね。…逆に音楽や美術といった芸術面はてんでダメですが…。」
そう、俺は致命的な程に芸術系のセンスがないのだ。解せん。
「まあ、そう言うな。…天は二物を与えずと言うだろう。」
「ええ、その通りです。」
ヨハンは頷きながらそう言った。
「そう言えば、ヨハンは何故父上に呼び出されていたのだ?」
俺がそう言うとヨハンはハッとした顔で話し始めた。
「申し訳ございません。…本題である選帝侯閣下からフリードリヒ様に頼まれていた伝言を伝え忘れておりました。」
「ふむ、父上はなんと言っていたんだ?」
ヨハンは少し深刻な顔をしながら言った。
「はい、デンマーク戦争(三十年戦争を構成する戦争の一つ)が激化し始めたそうでフリードリヒ様には近々オランダへ疎開するようにとの事です。」
「…そうか。」
確か俺が次にベルリンに帰って来るのは父親が死んで跡を継いだ時だ。
と言うことは、父親とはこれで今生の別れになるということだ。
今世の父親と大した思い出は無いが、少し寂しい気持ちだ。
「はい、ですのでフリードリヒ様にはオランダへ立つ為の荷物を纏めて頂きます。」
「…分かった。ヨハン、お前も手伝え。」
「勿論で御座います。」
こうして、弱冠7歳でフリードリヒ少年は父親と今生の別れとなる。
だが、別れもあれば出会いもある。
フリードリヒには疎開先のオランダで多くの出会いが待っているのであった。
主人公は気づいていませんが、史実ではフリードリヒは最初にキュストリンと言うベルリンから比較的近い町に疎開する筈でした。
少しずつ歴史の歯車がズレて行く。