召喚聖女のお父様~俺の娘が聖女として召喚されたらしいが、うちの子まだ五歳なんですけど?~
悩めるおとんのぐだぐだ。
娘自慢をさせてくれ。
と、その前にまず、自己紹介からだな。俺の名前は岩林蓮。蓮と書いて『はすみ』と読ませる。俺が付けたんじゃない。いちゃもんなら俺の親父につけてくれ。
なんてそんな事はどうでもよくてだな。
俺の娘、岩林果音ちゃん五歳についてだ。果実の音と書いて『かのん』。この名前を考えたのは今は亡き、俺の妻だ。
妻は二年ほど前に風邪を拗らせてちまってな。信じられるか? たかが風邪で人が死んじまうなんて思わなかった俺は、当時三歳だった娘を寝込む妻に任せて仕事に行ったよ。
あー……。うん。
それから娘と二人、何とかやってきたんだけどよ。
妻の両親が俺には任せられないって、娘を養子にさせてくれって頼み込んできたりしてさ。あの時は本当に大変だったよ。寝言は寝て言えっつーの。大事な娘だぞ? もちろん俺はそんな事、許さなかったけども。
お袋も、最初は家まで通って来てくれてさ。娘の面倒をみてくれたんだが、シングルで子育てが無理なら実家に戻ったらどうかって言われて、そん時もビシッと言ってやったのさ。
大丈夫。俺なら上手くやれるから。
てな。
それで、それでな。どこぞの世界の女神様とやら。
俺の娘は本当にイイ子なんだ。
延長保育ギリギリで、いつも最後まで独りで待たされてて。たまに目元が赤く腫れさせてる日もあったけど、俺の前では泣かないし何も言わない。
ワガママ言って困らせたりしないし、休みの日に相手をするシッターの言う事だってちゃんと聞く。何せ俺がそう躾けたからな。物分かりのいい、利口な娘だ。
まだ、五歳なのにな。
保育園の送迎も、妻が生きてた時には一度も行ったことが無くて。だから、いつぶりだったんかな。手を繋いでさ。ちっちゃいのに、いつの間に立っている俺の手まで届くようになったん!? て、驚いちまったよ。ほんの少し前まで地べたを這ってたハズなのに、ビックリだろ!
ボタンのないパジャマは自分で着られるが、朝起きてからの着替えはまだまだだ。見かねて掛け違えたボタンをなおしてやったら、でっかい目ン玉をさらに丸くさせてよ。驚いたのかは知らないが、ただでさえ赤い頬が真っ赤になってたよ。
「□□□□■□? ■■□?」
「な、何だお前たちは! ここは、いったい、何がっ……?!」
灰色のレンガか、石を削って作ったタイルか。気づいたら薄暗い、壁のある広場の様な場所にいた。俺と娘が放り出された地面には、円形の落書きが光り輝いていて――て、いったいここはどこだ?
その光る図形の中心に尻をついている俺と、その後ろで気を失っているのか、目を閉じて横たわっている娘。娘を見た瞬間、俺は血の気が引いて娘に飛びついた。暖かく、小さな鼓動に安堵する。
先程尻をついていた時に見た、見知らぬ複数の外国人。奇妙な仮装姿で俺たちを見下ろしていた。
「何だこれ! 何だよこれは!」
「■■□■□□□□□」
英語じゃない。外国人どもが何語を喋っているのか、全く分からない。
確か俺は仕事帰りで、保育園から延長超過のお叱りの電話がかかってきて――。疲れた頭でひたすら中身のない謝罪を繰り返し、娘と二人、無言で横断歩道を渡っていたんだ。
「■■■□」
「うるさいうるさい。何言ってるか分かんねーよ。そうか、ネットの……迷惑配信者とかのアレか? なあ? どうなってるんだよ!」
横断歩道で、暗い道だったから。余計にライトが眩しくて。思わず目を庇って立ち止まったんだ。ヤバいと脳が認識する前に握っていたものを、さらに強く握り込んでしまって後悔した。
普通はさ。突き飛ばしたり、咄嗟に身体が動くもんだろ。無理だったよ。
なのに気づいたらここにいた。送られる途中、知らない女の人と話した気がするけれど、思い出そうとする度に意識がハッキリしてくる。
ハッキリした分その事実が消えていって、あれ? 俺は今、何を考えていたっけ?
「■□□□□□□□□□」
仮装姿の外国人が右手にでかい光る石を持ち、俺へと向ける。
一気に覚醒した俺は、鈍い、疲れ切った動きで身構える。外国人のもつ石が光りを放ち、何かされると思ったがなにも起きなかった。
「どうだ? 我々の言葉は通じているか?」
「な、どうして急に『ニホン』語を!?」
「違う。君たちが我々の言葉を理解し、話せるようになったのだ」
言われて、外国人が持っていたでかい石が、どこにも無いことに気がついた。
なんだそれ。
息を呑み外国人を睨む。それなりに強い力で抱いてしまっていた娘は、なぜか目を覚さない。
病院? いや、それよりも目の前のふざけた連中からなんとか逃げないと。配信者だかなんだかの、クソ企画に付き合っている暇はない。
なのにどうしてだ。
「俺たちを……どうするつもりだ」
声は掠れて、足が震えて立ち上がれそうにない。
外国人――先程石を俺に向けた、金髪の長い髪の男。男は西洋の甲冑のようなものを身に着けているし、男の後ろにも同じような格好の者たちが複数いる。あとは黒っぽい光沢のある、レインコートみたいな服装の奴らが多数。
その黒のレインコート集団から、一人装束が派手めな人物が出てきて、長髪男の隣に立った。
「貴方に用はありません。我々がお呼びしたのは、女神の代行者となられる聖女様でございます」
「女神? 代行って」
黒レインコートの中身は爺さんなのか、しわがれた男の声がした。
無意識に強く娘を抱き込む。
「アルタリュール様。まずは聖女様のご容態を優先したほうがよろしいのでは?」
「……そうだな。これも女神様の思し召しか……繋がっておる」
「繋がる――とは?」
「ワシは召喚の儀の成功を伝えに参る」
「かしこまりました。聖女様のご案内は我らに任せて頂いても?」
「好きにせい」
目の前で勝手に話が進んでいく。せいじょって、聖なる女性って書くあれだろ。つまりは女性。見る限り広いホールのようなこの場所で、性別が女でありそうなのは、腕の中の娘くらいだ。
逃げなければと思う反面、事情を説明すれば助けてもらえるかもしないと、謎の楽観的思考も浮かぶ。
いったい何から、どう助けてもらうんだよ。
金髪長髪野郎が振り返る。見下ろす灰色の目と視線が交わり、男が一歩こちらに足を浮かせて、俺は腰を浮かせた。
立ち上がれなかった。娘は左腕に抱いたまま、震える右手で胸ポケットに刺していたボールペンを突きつける。
相手は剣らしきものを持っている。銃刀法違反じゃないの!? いや、作りものであれば所有は可能だったか? 分からない。
「く、来るな」
歯が痛いほどかち合い、舌を噛まなかったのが不思議なくらいだ。
「くるな! くるなよっ!」
男は踏み出しかけた足を戻す。対して俺はガクガクに震え、まともに息が出来ているか怪しい。
立ち止まったはずの男が、一歩進んだ。
「くるなって言ってるだろ! くそ! くそお」
中腰だったが、よろけて後ろに倒れ込み、床石にぶつけないよう果音の頭を抱える。
「俺の娘に、手を出すなぁ」
仰向けに倒れ込んだまま、ボールペンの頭――ノック部分――を男に突きつけ逸らさない。男が右手の平を俺に向け、ゆっくりと近づいてくる。
音源はどこか。何かの装置でも起動したのか、させたのか。カチリとなった音に、俺はショックのあまり気を失ってしまった。
だって気が付かなかったんだ。あの音の正体が、男の手の平がボールペンの頭を押し込んだだけの音だったなんて。
――暗転――
「うわぁぁぁぁぁっ!」
叫び声を上げ、俺はベッドの上で飛び起きた。
どくどくと早鐘を打つ心臓がうるさくて、血液が急速に巡ったからか耳鳴りもする。無意識に辺りを見回し、見知らぬ部屋だと認識する前に、今度は急速に血の気が引いていく。
果音がいない。
ベッドから飛び降りようとし、右手に触れた柔らかい感触に、果音が俺の隣で寝ていたことに気づいた。先程触れたのは果音の長い黒髪で、不器用な俺は髪を結んでやることも出来ず、代わりにリボンの飾りがついたピンを買ってやった。
果音はそれを自分でつける。
「少しは落ち」
「うわっひょぉおおい! へ? なに、誰か居たの!?」
見知らぬ部屋。先程見渡した時は誰も居なかった、はず。いや、なにか甲冑の置物が扉の近くにあった気もするが、分からないしどうでもいい。
「話をしようじゃないか、聖女様のお父上殿。立てるようなら、どうぞそちらの椅子へ」
警戒を顕に、少し迷ったあと俺は中央にある椅子へと座る。テーブルを間に挟み、向かいの席に金髪で長髪の甲冑男も座った。
「まずは簡単に自己紹介を。――私はこのイクセール王国、王国騎士団第二隊隊長を務めるアレン・ノーヴァ・ヴィクサドートと申す」
「は、はあ……?」
「それで、異世界から来られた聖女様のお父上殿。貴殿の名は?」
「………………、『イワバヤシハスミ』」
「イヴァ……?」
「…………」
「…………」
再度名乗る気にはならず黙り込む。そもそも、ここに長居するつもりなどないし、目の前の外国人が名前を理解したところで呼ばれたくもなかった。
苛立ちを隠さずアレンと名乗った男を睨む。アレンは呆れと疲れを滲ませたような、大きなため息を吐き出した。
「ざけんなよ、ため息付きたいのはこっちだっつーの……」
相手が聞き取れるかどうかの小声で呟く。俯きがちに視線を逸らせば、ベッドで眠る果音の後ろ頭が視界に入った。
そうだ。不貞腐れて、無為な時間を過ごしている場合じゃなかった。
「あの、……その。俺たち、いつになったら家に帰してもらえますかね?」
「家に帰る?」
「はい。いや、どうやって連れて来られたのか分かりませんが、これって誘拐ですよね? 犯罪行為だって分かってますか?」
「………………」
「そもそも、お宅さん俺と同年代くらいですよね。いい歳した大人が、そんな格好してごっこ遊びかなにか」
「ここは貴方たちの住んでいた世界とは違う。よって貴方たちは帰れない」
「――は、ははは。何言って」
「もう一度言おう。君たちは二度と帰れない」
「ざけんなよ!」
ガタンと椅子が蹴倒される音が響く。相手の胸倉を掴みたくても、鎧に覆われ掴む布地も無ければ、テーブルが邪魔でまず届かない。
落ち着け、と自分に言い聞かせるように呟く。が、怒りなのか、どこかで絶望を理解していたのか、目の奥が熱く爛れていく。
帰れないと言われた。異世界だと、知らない国の名前を言われ、しかも王国で騎士団だと。なんだ、意外と理解してるじゃん、俺。営業で培った記憶力舐めんな。
「百年に一度。瘴気の浄化のため、我が国は聖女召喚の儀を行っている」
「…………」
唐突に目の前の男は求めてもいない説明を始め、俺は聞く気などないと倒した椅子を戻す振りをする。
「瘴気の浄化は、異なる世界から呼び寄せた聖女様にしか行えない。女神様に選ばれた女性をこちらへ呼び寄せる際、女神様が聖女様へと御身のお力を分け与えてくださるのです」
戻した椅子を睨みつけ、仕方なく座ってやる。
「女神様が選び、我らはそれを手繰り寄せるのみ。貴方たちがどこから来たのか、どこへ帰るのか、私たちには分からない」
力任せにテーブルを殴りつける。頑丈なテーブルだ。俺の手のほうが痛い。
この部屋には窓がない。扉は、長髪男の後ろに一つあるだけ。
「どうか聖女様のお力で、我が国をお救い下さい」
甲冑が音を立て、アレンが頭を下げる。俺の目から雫が溢れた。
俯いていたから音と影が揺れたことしか分からないが、何とか声を絞り出した。
「ぉ……おねがい、しまず。あぎらめべ、くだはいっ…………、ぐにを、あなたがた、のくに、を……」
涙が溢れ、喉が焼け付いている。
「おれには、おれのぜかいのほうが、大事な、です」
ろくに残業もせずに保育園に向かって、同僚たちの陰口が増えた。
出来ない男だと思われたくなくて、差し伸べられた手は突っぱねた。
自分の事だけで精一杯で、それ以外の人間は蔑ろにしてきた。気遣う余裕も、受け取るだけの器も持ち合わせちゃいなかったんだ。
「おれのぜかいを、おれから奪わないでぐだざいっ!」
もう何も残っていないのに。
アレンが黙り込む。俺の滲んだ視界にはテーブルと、自分の身体しか見えていないので、奴がどんな表情を浮かべているか分からない。
力ずくでこられたら勝てない。
俺が見たのは薄暗い広場と、今いる窓もない部屋だけ。本当にここは日本じゃないのか。相手の意見を突っぱねた俺は、今すぐにでも殺されるんじゃないのか。
逃げたい。死にたくない。けれど子供一人抱えて、どこに逃げたら良いんだ。もしかしたら、子供相手だぞ。安全は保障されていて、危険なことをやらされるわけじゃないのか、も――――――……。
覚悟を決めろ。
鼻水をすすりながら顔を上げたら、まっすぐ俺を見ていたアレンと目が合った。
「もっと、詳しい説明をお願いします」
背広の袖でぐちゃぐちゃの顔を拭う。ハンカチは鞄の中だ。
「分かった」
アレンが頷く。
さあ、見極めろ俺! 今こそ数多の人間と腹の探り合いをしてきた、社会人スキルを発揮する時だ。
俺は、俺のために、俺の世界を守る。
「まずはショウキと、浄化っていうものの説明をお願いします」
俺は聖女様のお父様。岩林蓮様だ!
その時の俺はアレンから情報を引き出すのに必死だった。
だから俺の言葉を聞いた果音が、真っ赤な頬で寝たふりをしていたなんて、全く全然、これっぽちも気づかなかった。
レインコート爺さん曰く繋がってるので、その分おとんが頑張ります。
ご拝読ありがとうございました。