64話 ゴブリンと軍
異常に強いゴブリンに兵士たちは混乱をきたした。
最弱モンスターであるはずのゴブリンに、自分たちは蹂躙されている。
人間の兵士は、ゴブリンの強さに絶叫し、そしてそのまま死んでいった。
弟ゴブリンが一振りすると、だいたい5人の兵士が息絶えた。
剣先はふたりの人間にしか届いていないが、そこから生まれる斬撃波でもう3人斬られる。
兵士たちは死を目の前にしてようやく、敵であるゴブリンを認識できた。
10万の人で1匹を取り囲んでいたため、前の人間が壁となり、戦況が見えなかったのだ。
前に立つものが切り倒されて、ようやく視界が開けたと思うと、すでに自分の首が飛んでいた。
まるで弟ゴブリンに斬られるために、10万人が行列を作っているようだった。
司令官が不在となった今、この状況の打開がおこなわれることはなかった。
これは練習だった。
弟ゴブリンは聖剣の切れ味を試していたのだ。
魔法を使えば、もっと時間をかけずに10万の兵士を一掃できた。
しかし、聖剣での実戦経験を積むために、あえて切っていった。
身体強化魔法をかけた肉体の動きを確認していた。
自分はどこまで素早く身体を動かすことができるのか、力加減は適切におこなえるか、人間を切りながら、それらを確かめていたのだ。
弟ゴブリンは、多くの試し切りをしながら、パワーアップした自分に慣れていく。
より最適な動き方を見つけだし、その動きを体に覚えさせる。
聖剣という剣の癖を把握して、その特性を最大限に活用できるようにしていく。
弟ゴブリンは、人を斬るたびにそのコツをつかんでいった。そしてそれは剣術の向上につながった。
練習台は10万人いる。
まだまだ、鍛錬をつづけることができた。
魔将サディはその光景を、苦々しく眺めていた。
戦場から少し離れた上空に、サディは浮かんでいる。
サディにとって大きな誤算は、総司令官のエンデグの行動だった。
まさか、剣聖と賢者を戦闘に参加させないとは思ってもみなかった。
剣聖と賢者が前衛として戦い、10万の兵を後衛として魔法でサポートすれば、あのゴブリンにも遅れをとることはなかったはずだ。
少なくともここまで一方的な展開にはならなかった。
この短期間に弟ゴブリンはまた力をつけているのには驚いた。
しかし、ここまでの惨状は、エンデグのあまりに酷い指揮によるものだった。
人類の全戦力を注ぎこんだこの一大戦線に、なぜあのような無能が、総司令官として立っているのか。
サディには、人間は知能だけは優れていると考えていたが、それが大きな間違いだったことに、このとき気がついた。
魔王様は人間を絶滅させるつもりはなかった。
それなのに、人間は自ら滅びの道を選んで進んでいる。
今の暮らしに満足して、平和に暮らせばいいのに、もっと多くを望む。
勝てもしない戦いに明け暮れ、死者だけを増やしている。
人間に知性があると考えてしまったのが、サディのミスの原因だった。
人間は魔物よりも欲望に飲まれやすく、自制のきかない生物だった。
人間のエンデグの自我をなくし、サディの操り人形として使っていれば、結果はもう少し違っていただろう。
サディは10万の兵を次々と斬り倒すゴブリンを見る。
弟ゴブリンの剣は、振るうたびに冴えわたっていく。
実戦経験がそのままゴブリンの成長へとつながっている。
これではまるで、ゴブリンを強くするために、10万の人間を用意したようなものではないか。
ゴブリンの戦闘センスに、サディは恐怖する。
このゴブリンは自分たちが思っている以上に早く、自分たちに追いついてくる。
多少無茶をしてでも、ここで殺しておかなければならない。
いや、どんな手段を使っても、絶対にここで殺しておかなければならない。
サディが戦闘中の、弟ゴブリンをにらむ。
かざした手のひらから魔力が湧きだす。七色に輝く魔法陣が浮かびあがる。
「何をやっているのかしら」
突然、かけられる女性の声に、サディは振りかえる。
そこには魔将ダダがいた。
「人間に味方するなんて、あなたも落ちたものね」
サディは弟ゴブリンに向けていた魔法陣を、ダダに向けて、攻撃魔法を発動させる。
色とりどりの剣や槍が、数千本と魔法陣から飛びだし、ダダに襲いかかる。
ダダは人差し指を立てて、くるっと小さく円を描く。
円は黒い空間を作くる。
大量の剣や槍が、そのままその黒い空間に吸いこまれていく。
「サディ、少しやりすぎたようね。
あなたのおこないは、魔王様への反逆よ」
黒い空間がすべての剣と槍を吸いこみ終わる。
ダダがその空間を軽く指で弾く。
すると吸いこんだ武器を一気に吐きだす。
吸いこまれる前よりも数段速く、数倍威力を増して、サディに飛びかかる。
サディは防御結界を張ったが、持ちこたえられず、数本の剣が体に突きささる。
回復魔法で剣を抜きとり、傷をふさぐ。
サディの青白い顔色が、いつも以上に青くなっていた。
外傷はなくなったが、内部になんらかのダメージが残っているようだった。
「魔王幹部の魔将がたてつづけに、ふたりもいなくなるのは残念ね。
地獄でラージによろしく伝えておいて」
ダダの背中に真っ黒い翼がはえる。
荒々しく羽ばたく。
羽が数枚、ゆらゆらと揺れながら落ちていく。
上空からゆっくりと降りていくその羽が、地面にふわりと着地すると、そこにあった地面が消えた。
直径100メートル以上の大穴ができる。
「サディ、あなたを殺してあげる」とダダは優しく言った。
明日も午前7時15分ごろ投稿予定です。




