1話 ゴブリンに転生【シリウス視点】
洞窟内に広がる池の水面に映る自分の姿は、これまで散々殺してきたゴブリンそのものだった。
荒れ果てた黒ずんだ肌に、血走った目、不揃いに尖った歯。不器用にしか動かせない指。
俺は水面に手をつける。
波紋が広がり、ゴブリンの姿が消える。
手を水から出して、しばらくすると、波紋はおさまり、また姿が映る。
そこにはやはりゴブリンの顔があった。
俺は顔の筋肉を動かして、いくつかの表情を作ってみる。
笑顔だったり、驚いてみたり、真剣な眼差しを向けてみたり。
しかし、そのどれもが不快だった。
そんな顔を向けられた人間は、嫌悪と恐怖しか抱かないだろう。
ゴブリンに転生してしまうとは、想定外だった。
転生先は人間だと勝手に思いこんでいた。
しばらく俺は、人類の敵になってしまった自分の身体をただただ眺める。
転生後のスタート地点は、最悪だ。
「ギギャァアアア」と、洞窟内に叫び声がこだまする。
それはゴブリンの声だった。
ゴブリンになった自分には、同族の声色がよくわかる。
その叫び声は、悲鳴だった。
恐怖と苦痛に叫んでいた。
ゴブリンの叫びは、一度では終わらなかった。
立てつづけに、悲鳴が聞こえてくる。
それは一匹はなく、何匹もの声だった。
ひとつの悲鳴がおわる前に、それに重なるように、新たな悲鳴が洞窟内に響く。
俺は叫び声のした方へ走って向かう。叫び声はいつまでもつづいている。
響き渡る悲鳴の声に、洞窟全体が揺れているようにさえ感じられた。
俺がたどり着いたとき、そこには両手両足を切り取られたゴブリンが30体以上転がっていた。
3人の人間がゴブリンを切り刻んでいる。
手足を切り落とし、耳や鼻をそぎとっている。
ゴブリンは全員、死んではいない。まだ、意識がある。
欠落していく体の痛みに、苦痛の表情を浮かべている。
人間はその姿を見て、愉悦の表情を浮かべている。
虐待を楽しんでいた。
新たにかけつけたゴブリンが仲間を助けようと飛びかかるが、手足の無いゴブリンが増えるだけだった。
その人間たちはモンスターを狩ることに慣れている。おそらく中級クラスの冒険者だろう。
生物を痛めつける行為は非人道的だが、モンスター相手なら問題ない。
ゴブリンを痛めつけて憂さ晴らしでもしている。
こうして、ゴブリンとなって人間を見ると、人間とモンスターに違いなんてないことがよくわかる。
人間も害虫でしかない。
3人の浮かべる笑みが実に気持ち悪い。
俺は先ほど、このゴブリンに転生したばかりだ。
しかしこれまで、このゴブリンが暮らしてきた記憶は引き継いでいる。
今、目の前で切り刻まれているのは、俺の家族や仲間だった。
人間の足もとで、手足を切られて、うつ伏せに、地面に顔を押しつけて痛みに耐えているのは、弟だった。
壁に横たわり、顔のほとんどを削ぎ取られて泣いているのは、幼馴染だった。
彼らはそれほど悪い奴らではなかった。
俺を慕ってくれていたし、優しかった。
人間に悪さもしなかった。
俺は自分がゴブリンだとはまだ思っていない。
どちらかというと意識は人間だ。
しかし、目の前の光景にだんだんと怒りがこみあげてきた。
怒りの感情にまかせて、俺はゆっくりと彼らの前に歩を進めていた。
人間たちが、俺の姿に気がついた。
新たな獲物がきたと、嬉しそうに笑っている。
ゴブリンは最弱のモンスターである。
武器があれば村人でも倒すことができる。
ましてや冒険者にとっては、脅威はない。
剣を持った一人の男が、近づいてくる。
ナンパの成功を夢想している、街角にいる男のような笑顔を浮かべている。
汚い笑顔だ。それではナンパは成功しない。
俺は男に向けて軽く手を持ちあげて、「風切り」とつぶやく。
男の剣を持った腕が、ちぎれ、後ろに吹き飛ぶ。
剣と腕が地面に転がる。
失われて腕を見て、遅ればせながら男が叫び声をあげる。
その声は耳障りで、ゴブリンよりもずっと汚らしい声だった。
隣にいた男が、急いでちぎれた腕を拾って、切断面に腕にくっつける。
添えた手から、白い光があふれでている。
それは回復魔法だった。
切断した部位でも、1分以内に処置をすれば、もとに戻る可能性が高い。
それに、この回復魔術師の腕もさほど悪くないようだ。
回復魔法が完了する前に、俺はまた、「風切り」とつぶやく。
回復魔術師の腕が吹き飛ぶ。
今度は片腕ではなく、両腕を失わせる。
これで回復魔法は使用できなくなった。
人間は腕がないと魔法を使えない。
回復手段を失った人間ふたりの顔色が、真っ青になる。
「なんでゴブリンが魔法を使えるんだよ」と唯一腕を失っていない男が叫ぶ。
そんなことを叫んだからといって、なんの解決にもならないというのに。
ゴブリンは魔法を使えない。ゴブリンソーサラーという魔法を使える魔物もいるが、ただのゴブリンとは種が違う。
俺が魔法を使うのは異常なことだった。
「君たちがおこなったことを、そのままお返しする」と俺は言った。
この時、ようやく男たちはゴブリンがしゃべっていることに気がついた。
人間の言葉を話している。
「風切り」と俺は一言、発する。
今度は複数の風の刃が生まれる。
そして3人の手足をすべて断ち落とす。
胴体がボトリと地面に落下する。
自分の状態を理解した人間たちは、硬直した顔で、言葉にならない声をもらすのみだった。
次に俺は、胸の前で掌を合わせる。
そして、その手をゆっくりと広げ、離していく。
「身体再生」と俺は唱える。
倒れこんでいたゴブリンたちの手足が、次々と生えていく。
負傷したゴブリンたちの傷は、すっかりともとどおりになる。
ゴブリンたちは、飛び跳ねて、喜び踊る。
どうやら死者はでなかったようだ。
弟も元気に飛び跳ねている。
良かった。
いや、3人の死亡者が出てしまったようだ。
人間の3人だ。
復活したゴブリンたちが、殴り殺してしまったのだ。
俺は殺すまでしなくていいかと思っていたのだけど、痛めつけられたゴブリンたちにとっては、許せるような対象ではなかったかもしれない。
やられたら、やり返す。
復讐というわけだ。
復讐ならしかたない。
俺が転生した理由も復讐だ。
ふたりの人物を、殺害するためだ。
俺は勇者と魔王を殺すために生き返った。
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