4.草原の祠
大海原で漂流……ならぬ大草原で迷子。
そうは言っても地に足がついている分だけ不安定な海の上よりは何倍もマシなのだが、10㎞は先に見えたという建物ですら単なる小屋かもしれなくて……人が住んでいる確証は全くない。
そもそも方角さえ分からないようなこーんなだだっ広い場所に突然置き去りにされたところで一体どうすればいいのさ………
こういうフワフワとした状況の時って、死んだことを認めれば昇華できるんじゃなかったっけ?とっくに「自分は死んだ」と思っているし両親にゴメンナサイもしたんだけど何も起きないのは何が足りないんだろう?
49日は現世側にいる……とある慣習の考え方では言われるくらいだし、それなりの日数をかけて悟る何かが必要になるってことなのか?
とりあえず死んだ後のことなんて後者に伝える手段もなく前例を知ることもできないことで何がどうなってるのかよく分からないな………
見つけてきた建物にとりあえず向かってみる、という短絡的な決断も下せないままに取り留めもなくそんなことをつらつら考えていると
「そういえば気が付いてから一時間くらいは経つのに、陽の位置が全く変わらないわ……」
と、モレイが空を見上げて不思議そうに呟いた。
「ばばさま、それは……どういう意味?」
レピが柘榴石の眼をくるくるさせてたずねたので、私も小さな生き物の声に意識を集中させようとして……そういえば草が一面に茂っているというのに、樹木どころか私達の他には小さな虫の一匹さえも居ないことに気が付いた。
草原を風が渡っていくさざ波のような音はするのだが、鳥のさえずりどころか虫の声、羽音すらしないのはよく考えれば不自然だ。
「ここには木や山みたいな目印が見当たらないから思い過ごしなのかもしれないけど……お陽様がちっとも動いてないのよ」
「へぇー、それじゃボクたちの今までの常識や知識が役に立たない場所に居るってことだねぇ」
事も無げにユターノは言うけれど、太陽の位置が変わらないってのは時間の経過がない・もしくは少なくとも地球上とは言えない場所だということじゃないのか……?精神を鍛えるつもりはないので、ただ漠然と時の部屋に幽閉されるような状況はイヤですよ……トホホ。
とりあえず、今の状況に変化を求めて行動を起こさなくては何も進まない気配が漂い出した……ダメモトで鳥達が10㎞圏内に唯一見付けたという「小さな建物」に行ってみるしかなさそうだ。
建物の形状や材質だけでも多少の情報源にはなるだろうし、運が良ければ人のの気配があるかもしれない。
そうと決まれば、と私は衣服についた草を払いながら立ち上がり建物があると教えられた方向に足を進めた……10㎞なら2時間も歩けば辿り着けるはずだ。
「主、どうした?我の背に乗れば良かろう」
歩き出した私の隣にブルームが並ぶ。鼻先に引っ掛かけたカバンには小さな物達が収まっている。
あ……
立ち上がった瞬間からこのコ達の存在を綺麗に忘れていた。辻褄が合わないのも気がつかないままに超展開を繰り広げる夢の中に居るような感覚で、思考回路がかなり混線しているようだ。
これ、夢なんじゃないかな…………
早く覚めればいいのに。
「背に乗れ」と言うけれど、馬なんて観光地的な高原での引き馬くらいしか乗ったことがないし、跨がるにしても台を使うかブルームが屈んでくれないと高さが無理じゃない?
それに鞍無しの裸馬はかなり難易度が高いって聞いたことがあるんだけど……とカバンを受け取ったまま躊躇っているとブルームに襟を咥えられ、まるで母猫が仔猫を運ぶかのように持ち上げられた。馬力もあるのだろうが、ぶらんと投げ出されたときの身体にかかる重力の感覚があり得ない程に軽いことに目を白黒させている間にひょいっと背に乗せられていた。
た……高い!
いくらバイクの化身とは言っても、二輪車は停車時に足で支えるために跨がったときに地に足が着くことが前提の乗り物なのだ。馬の背の高さとは根本的に違うし、裸馬なのだから足場もなく、掴まるものもないから座っていても安定感が一切無い。歩き出されたら速攻で転げ落ちそうだ……いや、これはさすがに無理だって!!
大人げなくアタフタしていると、ブルームに不思議そうにじっと見られていたので「落ちそうで無理だよ」と訴えてみると鬣がシュルルンと伸びた。もうそのくらいの不思議現象にはもう一々驚いていていられない……と思いながら長くなった鬣の適当な部分を掴もうとしていたらレピが身体を櫛のようにして使いながら三つ編みのロープを作り手綱にしてくれた……小さいのに器用なコ。
駆けるブルームの動きにも何とか慣れタグの指示する方向にしばらく進んでいても本当に何も無く、ただ小麦色の草原が続いている。北海道の大自然の中、ひたすら牧草原と一本道……なんて光景を走ったこともあるけどそれでも風景の中には遠くに見える山があり、移動距離に伴って変化があったのだからやはり違和感を覚える。
その者、蒼き馬を率いて
金色の野に降り立ちたる――――
あ、何か似てるけど違う違う。
某有名レクイエムが脳内を流れそうな感じさえあるな……。ふと思ってしまった一節にやっぱりココ死後の世界なんじゃないのか、なんて微妙な笑いさえ漏れてしまったり。
「10km先の建物」なんて何かの見間違いだったんじゃないのかな?と思い始めた頃、唐突に建造物が視界に入った。何故こんなところに?と不思議になるくらいに草原の真ん中にポツンと一つ。
小さな祠のようなもので人の住んでそうな気配はなく、入り口は石で塞がれて入れない……
ここまで来たけど意味無しかぁ……
ブルームから降り、ペタペタと触りながら石積みで作られた円柱形の小さな古い建造物の周りを一周してみた。自然石を積んだのではなく、切り出されたような石を使ってるからそれなりの技術発展をしてからの時代に作られたのだろうということくらいは分かるけど……それだけで。
「……せめて中に入れたら、とりあえず風雨が防げる寝床が確保できそうなのに」
ここが何処なのか、何時なのかってことの手掛かりにもならなくてガックリ肩を落としながらため息をついた時、カバンから顔を出したレピがボソッと「開錠」と呟いた。
入り口を塞いでいた石が崩れた――
ん?
このコが今「開け」って言ったから開いたの?
鍵だから?
まさか……ね。
入り口から中に入ってみると祠の天井の中央から光が射し込んでいるために明るかった。年を経て劣化して落ちたのかな……と思ったのだが良く見るとガラスのような透明感のある部品が嵌め込まれていて、空が見えた。
室内……のはずなのに射し込む光を受ける場所に低い木が一本生えていて、床面には木を中心とした円陣模様にタイルが敷き詰められている。
この何も無い草原のなかでポツンと一本生えている木を、誰かが何かしらの理由をもって護ろうと祠を作ったのだろう。
何故かその木に触れてみたい、触れなくてはならないと感じたのでそっと幹に手を伸ばした――――