3ー5 百万喰らい…ワニ
おとうさんから吉報が届いた日、わたしのおうちは売られることが決まりました。東北のある村に評判の占い師が居て、そこに引っ越すそうなのです。大人からすればわたしに比べて短い住まいのように感じたでしょうが、こどもの体感時間は長いのでしょう?世界の全てだったこの家を離れることが寂しかった。うそ、怖かった。
さようなら、わたしの世界。いつも、おかあさんがわたしの幸せそうなお口を見ては羨ましそうにほっぺのおにくを緩ませるのです。
「おいしい?」
お母さんは決まってそう話しかけてくるのです。
「おいしい!」
「そう」
そうやってほほえむだけなのです。
「ままもいっしょにたべましょう?」
「いいえ、お母さんはいいのよ」
「ままはしょくがほそいひと」わたしはおかあさんをお菓子みたいで小さなひとさしゆびで指します。
「ふふ、そうね。それにしても難しい言葉を話すようになったのね」
どこで覚えたのかしら、と着物の袖で口元を隠すおかあさん。わたしは、おかあさんにはいつも笑っていてほしいんです…。このころのおかあさんとときたら、辞めてしまったお手伝いさんの代わりの家事で大忙しで、ますますちっともわたしにかまってくれなくなったのは仕方のないことですけど。この歳まで経験したことのない仕事に慣れることが難しく、その上外からやってくる来る人たちとも難しいお話をしなければなりません。おかあさんは無知だから、その人達はいくらでもやりようがあります。知的で自分を責めるような物言いにさらされては焦ってしまって、その人達のいいように流されてしまいそうになるのを、一番の古株のお手伝いさんが支えてくれます。『ひゃくせんれんま』だという彼女はもう百歳近いおばあちゃんで、同年代と比べて少し多く刻まれた額の皺をさらに渓谷のように深くして外の人達に向かって怒鳴り声を聞かせます。おばあちゃんは強くてきれいで、わたしのあこがれの人でした。おばあちゃんが澄んだ目をして睨みをきかせたとたん、相手が目に見えて怯えてしまうのを物陰から盗み見るのが楽しくて、嬉しかった。でもおかあさんは違いました。何事も知らず、何事も処分できない自分を恥じます。そしてそれを改めようとするから、外の人が来てもおばあちゃんを呼ばず独りで対応しようとします。おかあさんはそれで一度、身を売ったことがありました。