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ダイアリーズ -daily is die early-  作者: ヨシオカ タツキ
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3ー7 百万喰らい…ワニ

 引っ越しの日、それはおうちとおばあちゃんとのお別れでした。おかあさんは嗚咽を堪えながら、それでも目を真っ赤にして涙を垂らしおばあちゃんの手を握り、「ありがとうございました」と何度も口にしていました。当時、またここに戻ってくると聞かされていたため、おうちを離れることに寂しさはほとんどなく、しかしおかあさんと二人きりの旅路こそ不安に思っていました。当然おばちゃんともすぐに再会できると思っていたのですから。

 占い師が居るのは、東北福島のキビという村です。まずはおうちから広島中央に移動して新幹線で大阪へ、駅内で五日間寝泊まりをして東京へ向かいます。その後今度は十日間駅内で過ごし、定期列車に乗って目的地へ行くのです。

 今でこそ廃線が増え、走行頻度も落ちた新幹線も昔は信じられないくらい短い間隔でやってきていたそうですが、現状わたしたちは目的地まで一ヶ月ほどの時間を要します。しかも大荷物です。ほとんどわたしのための食糧でしたが。しかし、おかあさんもおばあちゃんも利口でした。村に着くまでにわたしが餓死しない適度な量の食べ物、運賃、占い師へのお布施代を引っ越しの日までにほとんどの無駄なく帳尻を合わせたのです。

 それでもおばあちゃんの渡航費だけが工面できませんでした。

 「どうかこれを…」おかあさんはふところから薄い封筒を取り出し、おばあちゃんに手渡そうとしていました。おばあちゃんはあの日みたいに怒り出しました。

「あなた、母親失格ではなくて?」

「そんな、私は、」

「あなた、あの子の母親なら」

「…いいえ、私はおなかを痛めては」

「黙りなさい」

「だってあの子はあなたが!」

 言いかけて、おかあさんは咄嗟に口をつむりました。そのときのおばあちゃんの目はまるで自分の死期を悟ったみたいに冷静で悲しげに見えました。

「若者が古い価値観にとらわれるものではありません、あれはあなたの子なのよ」

 樹海のようにやさしい声音でした。

「あなたが守るのよ」

 おかあさんはその場に泣き崩れ、幼児みたいにわめいています。母親を不安そうに眺めるわたしの側におばあちゃんは寄り添ってくれました。

「…おちびちゃん、少しお散歩しましょうか」

「うんっ」

 わたしたちは家の周りを手をつないで歩いていました。広い庭でしたがあっけなく終えそうになって、焦ったわたしは家の中に入りたいとせがみました。おばあちゃんは困ったふうに「本当はいけないんだけどねぇ」と独りごちて迷っていましたが、やがてひとさし指を口元にもってゆき、わたしに向かってにぃっとほほえみました。それがあまりにもおかしくて吹き出してしまいそうになるのを我慢するのに必死でした。一方的に励ましてもらうことが幼心ながら忍びなく思えて、わたしはおばあちゃんがこれ以上心配しないように「あのね」と切り出しました。

「わたしね、向こうで友だちがいっぱいできるんだ」

「あら、それはいいわね」

「おばあちゃんもそうおもう?」

「もちろんよ。だってあなたはこんなに可愛いんだもの」

「そうかな」

「そうよ、あと賢いわね」

「うふふっ、それだけじゃないよ」

 わたしはめいいっぱいもったいぶって叫びました。

「わたしはすっごくつよいもん!だからおかあさんもまもれるんだ!」

 おばあちゃんはわたしが急に大きな声を出したものだから、体を後ろにずらすほど驚いていました。しかしすぐに心底嬉しそうに「そうね、あなたはつよいものね」とわたしの頭を撫でてくれました。

 そう言ってもらえると、ぐんぐん元気が沸いてきます。なんだかすてきな旅立ちになる予感しました。

 そんなときから、おばあちゃんの雰囲気がじわじわと変わり出しましていたのです。最後には死に神みたいに静かになって、足音も聞こえなくなりました。わたしは本当に着いてきているのか不安になってしきりに後ろをきにしていましたが、遂にじれったくなってぷんぷん怒って勢いよく振り返りました。

 おばあちゃんも怒っていました。いえ、よくわかりません。わたしが怖いと思ったことは確かです。急におまたの力が抜けてひどく凍えました。どうしていいのかわからずおまたをちからいっぱいにぎると少し落ち着きましたが、それでも普通じゃないおばあちゃんを直視できず、きょろきょろと目を泳がせます。わたしがこんなに戸惑っているのにいっこうに意をくみ取ってくれようとせず、静かに立っているだけでした。

 無限の時間そのように向き合ったあと、突如宇宙がはじまるみたいに途方もなくゆっくりとおばあちゃんは動きだし、やがてわたしを抱き締めました。小さな肩が震えていた。すりつけられたおばあちゃんのほっぺたは腐った果実みたいな感触で気持ちが悪く、着物や頭皮からは汗の土っぽい臭いがして臭かった。けれど「はなれて」なんて、言えなかったのです。

 突き飛ばして逃げようと思っても逃げれなかったし、あきらめて笑おう思っても笑えなかった。わたしの内の何かに突き動かされるようにして動けなかった。この気持ちを恐怖だと勘違いして、恐怖で動けないのだと勘違いしていました。

 いいえ、これは思いやりだったのです。ぬいぐるみみたいにされるがままになること。年端もいかない幼いわたしの無意識で条件反射の思いやり…。

「モガミちゃん、モガミ…」

 あんなにもあこがれたおばあちゃんが今はとても弱虫に感じます。相手を弱いと哀れむことが、悲しいという感情なのでしょうか?

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