第6話 人質交渉
カッターナイフを逆手に持ち、次郎の太ももに近づける真の王。そして、今にも次郎の太ももを刺すぞと脅してきている。
冷静に考えれば、ただのハッタリだ。無理に決まっている。だが……、この状況において……それを決めつけるには、あまりに圭の精神が弱すぎる。何より……次郎が死を直観した瞬間に……。
狂っているし、冗談だと鼻で笑い飛ばしたい。普通であればそう対応できるはずなのに……それができない。それがコントラクトというアプリが生み出す力……。影響力……。
真の王は自らを狂っていると評価しつつも、冷静な顔をしてカッターナイフを少し上に振り上げ始める。
「西田次郎はわたしとの契約により無表情を貫くようにしてある。だが、死を予感したときはその契約も切れる。
すなわち、こいつがあからさまに苦痛の表情を見せたとき、それはコントラクトの影響から抜けた瞬間。そう、お前たちが描いた解放の瞬間だ。
さぁ最後だ。ここで断るのならば、わたしはこのカッターナイフを振り下ろそう」
気づけば手汗がとんでもないことになってきていた。ただただこぶしを握り締めるその手は必要以上に力が入ってしまう。
どう考えても……次郎にけがを負わせるのは避けたい……。でなければ、圭の目的の意味もなくなる……。であれば……、
「おいボブ! 少しは冷静になれ」
ふとさっきまで黙っていた森が後ろから声を荒げた。顔を向けると、仮面をかぶった森が腕を組みつつ、一歩ずつ前に出てきた。
「こいつはお前の友人を刺すことなど出来ない。絶対だ」
そして強く言い放つと、次郎に顔を合わせた。
「待て! それ以上近づくな。問答無用でこいつを刺すぞ」
真の王の声と共に、前に歩む足を止める森。だが、口は止めない。
「粋がっている割には、ナイフを持つその右手、震えているようにみえるが? そんなので本当に刺せるはずがないだろう」
右手が震えている? むろん、観察すべき最重要項目であったため見ていたが、そんな様子はまるで見られなかった。というか、もしそうだったら先に圭が問い詰めていた。
案の定、真の王は森の問いを鼻で笑い飛ばす。
「震えている? お前の目は節穴らしいな。残念だが、しっかりと握り締めているが? それこそ、ハッタリというほかない」
「強がりを言うな。お前は本物のキツネじゃない、自分を騙すことすらできていないぞ? 真の王、お前は無理だ」
森は真の王を明らかに煽る形でそう言い切ると、今度は圭のほうに近寄ってきた。
「ボブ。そういうことだ。こいつは絶対にお前の友人を刺すことなどできやしない。交渉を有利に進めるための行き過ぎた脅しにすぎない。
わたしたちは黙って真の王のピエロ姿を見ていればいいんだよ」
森は圭の肩に軽く手を置いたあと、じっと次郎のほうに目を向ける。
……森……、お前……そうか……これは別に圭に対して言っている言葉ではないのか……。いや、少しはあるだろうが、大半は違う。反応できない無表情の次郎に向けて言っているんだ。
次郎が心配しないように、万が一にでも死を覚悟しないように……。
問題ない……大丈夫だ、こいつは絶対に刺せない。なら、あとは次郎を安心させるだけだ。
「真の王、お前は絶対に人を刺すことなど出来ない。お前は一人の女子生徒。人の心を持っていると信じよう。だから……次郎……」
圭は自分の顔につけられた仮面ファイターの仮面に手をかける。そのまま一つ息を吐いて、そっと仮面を外した。
「……お、お前……」
真の王が少なからず驚きの表情を見せる。
森は仮面を外した圭の顔を見て一瞬、肩を揺らしたが、それ以上の反応は見せることなく次郎を見続ける。
むろん、圭は誰よりも力強く次郎を見た。
「次郎……お前は俺を信じてほしい。この交渉は俺たちの勝ちだ」
次郎は表情一つ変えることない。だけど問題ない。伝わっているはず、一方的だが、圭もまた次郎を信じる。
「と、言うわけだ。真の王よ、やるならやれ。俺たち解放者はお前の交渉には応じない」
「その選択がお前を後悔させることになるぞ? しかし、自分の痛みでなく友人の痛みをもってだ」
「御託はいい。これ以上しゃべるというのならば、お前に刺せる勇気はそもそもなかったと言うことだ」
真の王は交渉の決裂をはっきりと理解したのだろう。それ以上の追求はなくなり、真の王の視線が少しだけカッターナイフに移った。
「西田次郎、どうやらお前は友人にとって自らの立場を売れるだけの価値がなかったらしい、可哀想にな。
では、お前には苦しんでもらうとしよう」
そのあとの真の王の行動は一息だった。思いっきりカッターナイフを持つ手を振り上げる。
そして次郎の太もも目掛けてカッターナイフが一直線に下りていった。




