詩と礼 最後に
いくつも過去詩(所詮自作のそれ)を振り返って、……常に思うのは、私は、(人を)(そして詩そのものを)舐めているということで、結局は、それを確認する作業に過ぎないような気もして
……なんのことはない、私は、過去詩を見つめようとする建前で、
その時の後悔を見つめようとしているに過ぎないのだと思う
””
どんなことも積み重ねで、結局は、行ったことによる結果がそこにあるのみで
そういったことを思うのなら、いくら振り返ったところで、なにも本質など変わらないじゃないか、
というなら、それはその通りで
……結局は無駄をしているのかもしれず、
結局は、私は、ただただ、後悔をしたいだけに過ぎないのかもしれず
””
自分の中の箱庭で、ただただ自分を遊び道具にして、弄り倒して喜んでいる幼児のように
ただただそれを娯楽として
そんな一人遊びを永遠と続けているだけなのかもしれず
……そうだとするなら、そんなもの、そんな遊びには未来が見えていて
おそかれはやかれ、私は、孤独になろうとするのだろうな といえて
それが恐怖を連れてくるのなら、私は、やめるのでしょうけれど
いやなはなし、私は、それを望んでいるようなのです
孤独になっても平気になれる為に
後悔をする練習をしているみたい
それはひとり遊びの延長で
それは孤独遊びの延長
ばかみたい
ばかみたいなことばかり
してしまって
やめることが出来ない
やめることが出来ないのでしょう