無極流兵法―雷蔵の決意―
無極流兵法 ―雷蔵の決意―
享保八年(1723)、六月。
土子泥之助は、上野の不忍池への道を歩いていた。先月、鍛治屋の『但馬』に預けた刀の修理が出来上がった、という連絡を貰ったのだ。
梅雨に入りかけた空は意外に晴れて、雲の切れ間から青い天井が見えている。
今、泥之助の腰には竹光が差してある。預けた刀の替わりに『但馬』から借りた物だ。この一ヶ月で腰の軽さにも随分と慣れて来た。竹光ながら返すのが少々心寂しい心持ちさえする。
寛永寺の五重塔を眺めながら歩いていると、前を歩く二人の男達に気が付いた。一人は侍のようだが、もう一人は小作人のようである。
「あれ、へキさんじゃないですか」
泥之助は声を掛けた。二人はゆっくりと振り向いた。
「何だ、誰かと思ったら泥じゃないか」
侍が朗らかな口調で言った。真壁雷蔵である。連れは、以前も一緒にいたウーさんである。
「ヘキさんどうしたんです?今日は」
「いや、三木さんに呼び出されてね。剣の研ぎが終わったって」
「私もそうでござるよ」泥之助は笑って言った。「さては三木さん、私達を会わせようとして、同じ日程を伝えて来たのでござるか?」
「そうかもな」雷蔵も笑った。「あいつ、気を使ってんだろうが、余計なお節介なんだがなあ」
「まあ、いい人なのでござるよ」
泥之助は笑って言った。
「コンニチハ、土子サマ」
ウーさんが立ち止まって丁寧に頭を下げた。
「こんにちは」泥之助も頭を下げる。「久し振り。元気にしていたでござるか?」
「はい。ワタシいつでも元気です」
「何よりでござる」
話しつつ歩いている三人の後ろから、数人の足音が聞こえて来た。走って三人に追い付くと、行く手を阻むように広がった。八人いる。
『呉よ、我らと共に来てもらおう』
一人が口を開いた。唐土の言葉である。
『何者だ、お前ら?』
雷蔵が唐土の言葉で返した。
『判るのか?』男は少し驚いたようだ。『それなら話しは早い。邪魔をしないでもらおうか』
『そうは行かん。呉先生は大事な朋友でな』
雷蔵は挑戦的に笑った。
「すまん。何を言ってるのかさっぱり判らんのだが」
泥之助は一人取り残されて、首をかしげる。
「ワ夕シを連れ帰る、と言ってます」
ウーさんが泥之助に通訳をした。
「こいつらは何者でござるか?」
「安清の者です。青幣と言う方が判り易いか」
「反清復明の秘密結社が何用でござるか?」
「ワタシが離反したので、追って来たです」
「刺客って訳か」
雷蔵は唇の端を歪ませた。
『邪魔をするなら排除する』
そう言うと、青幣達は一勢に構えた。四人はウーさんと同じような構えだが、残りの四人は姿勢が低く、かぎ爪のように指を曲げている。
「おいウーさん、あの低い構えは何だ?」
雷蔵が楽しそうに尋ねた。
「あれは洪拳。福建少林寺の技」
ウーさんは答えつつ、やはり構えを取る。
「問答無用でござるな」
泥之助はそう言って、腰の竹光を道端に置いた。雷蔵も大小を地面に置いた。
「一羽流剣術 無手類 無極流兵法、参る!」
雷蔵は声高に名乗りを上げて構えた。雷蔵の構えは、泥之助のそれより前手を短く置き、前手の拳は鼻の前にある。
泥之助も雷蔵もウーさんも、構えたまま動かない。
「どうした?来い!」
青幣の一人が言ったが、泥之助は肩をすくめて答えた。
「我々はケンカを売られた立場だ。こちらから仕掛ける義理は無いでござるよ」
それを聞いて、青幣達は一勢に動き出した。ウーさんに四人が殺到する。
泥之助は、自分に向かって来た二人を無視してウーさんの方へ向かうと、最後尾の男に不意打ちに近い形で平槌を撃ち込んだ。男は馬にはねられた程の勢いで吹っ飛んだ。
それに動揺した先頭の男は、ウーさんの突きを食らって昏倒した。
雷蔵に向かっていた二人は、思わずウーさんの方に気を向けてしまった。雷蔵はその期を逃さず、一気に間合いを詰めると一人目の人中を中楔で撃ち抜いた。膝が砕けたところを両手で突き飛ばし、もう一人にぶつけた。二人がもつれて倒れるのを横目に、泥之助に向かった男達に顔を向けた。その内の一人は逆に雷蔵の隙をつき、顔面に右拳(※1)を放って来た。雷蔵は右手でその拳を払いつつ、左肘で自分の頭を抱えるようにして相手の懐に飛び込んだ。左肘を相手の腋下に突き込み、そのまま左掌と右勾手で右肘を極める(※2)。乾いた音がして肘が折れた。男が悲鳴を上げるのを右勾手を滑らせ首の後ろを押さえて、膝を腹に入れつつ左手で右肘を上げ、右手で頭を下へ押し込んだ(※3)。男は雷蔵の膝を支点に一回転して背中から落ちた。
雷蔵は気絶した男に絡まってもがいている男を、顎を蹴り込んで失神させる。
「さて、これで三対三の尋常の勝負だな」
雷蔵はそう言って笑った。
数を頼んで油断があったとは言え、五人があっさりとやられてしまい、青幣達もさすがにひるんだが、すぐに自分の使命を思い出した。
『抵抗するなら殺しても良いとの指示だ』
青幣の長らしい男がウーさんに向かって構えた。それぞれ一対一で対峙したが、雷蔵の相手は構えが低い。
「お前は洪拳の使い手だな。一手ご指南頂こう」
雷蔵は楽しそうに言った。
それを見て、泥之助は肩をすくめた。
「本当に楽しそうでござるな」
そう言いつつも、相手から目は離さない。どさくさで五人を片付けたが、三人は残っただけに実力はある。
「お主は査拳を使うのでござるか?」
泥之助は尋ねたが、答えは無い。
答える代わりに仕掛けて来た。間合いを詰めて右順突きを放つ。泥之助は右掌で外へ払い、内に入ろうとしたが、続けて来た左逆突きを同じ右手刀で弾いた。続く左の蹴り(※4)を退がりつつ右勾手で払い受ける。
男は払われた足を踏み込み、体を回転させて飛び上がりながらの右回し蹴りを頭に放つ(※5)。首をすくめてかわした泥之助の顔に横蹴りが投んで来た(※6)。
「わあっ!」
泥之助は咄嗟に十字受けで止めた。そのまま大きく後ろに飛ばされ、後ろ向きに小走りして転倒をこらえた。
「すげえな、査拳。俺、わくわくして来たぞ!」
泥之助は笑いながら言った。素早く向き直った男に大股で歩いて近付くと、男が右掌で喉を突いて来る(※7)のを左掌で払い上げ、膝を落として男の内腿の筋を中楔で突いた(※8)。激痛で男の腰が砕けた所に、返す右勾手で喉元を突き上げた。男は息がつまって昏倒した。
雷蔵の相手は、大声を上げながら突進して来ると、突きの連打を放って来た。唐手のような力強い突きだ。雷蔵は払って返そうとするが、鉄の棒のような腕の力に押され、数歩退がった。雷蔵を追うように男が低い蹴りを放つ(※9)。それを払い落とした雷蔵に男の両掌が上下同時に操り出された(※10)。
雷蔵は「頂」の要領で相手の懐に飛び込むと、右掌で首をとらえた。男の両掌は腕が伸び切らず、技は不発に終わる。雷蔵は、素早く体を回転させ、右足で相手の前足を刈り上げた。首に腕を掛けたまま地面に叩きつける(※11)。男はそのまま動かなくなった。
雷蔵が立ち上がると、丁度ウーさんが青幣の長の突きを払い上げ、顔面に突きを決めた所だった(※12)。長はゆっくりと倒れた。
「さすがはウーさんだ。狙われるのも判る気がするな」
雷蔵はそう言って笑った。
「私は掟を破って青幣から抜けた。それで…」
「なーに、いいって事よ」雷蔵はウーさんの言葉を止めた。「あんたはうちの小作人、それで良いじゃねえか。なあ泥よ」
「私には異存はないでござるよ」
泥之助は朗らかに答えた。
「…ありがとうございます」
ウーさんは深々と頭を下げた。
「それより、こいつらはどうします?」
泥之助は、地面の死屍累々を見ながら言った。
「放っとけよ。いづれ町方が来て何とかするだろうさ」雷蔵はさばさばしたものだ。「それより、三木さんの所へ行かなちゃならねえんだ。厄介事はもう十分だ」
三人は、何事も無かったように歩き出した。
「なあ、泥よ。凄かっただろ?」
雷蔵は泥之助に言った。
「えっ?」
「唐土のウーシューだよ」
「確かに」
「俺は、今決めたぞ」
「えっ?」
雷蔵の言葉に、泥之助は目を丸くした。
「俺は、ウーシューを見に、唐土に行く!」
雷蔵は晴れ晴れとした表情で言い放った。
終
20190308
註 :
※1 査拳「衝拳」
※2 無極流兵法「小枝」
※3 無極流兵法「奈落」
※4 査拳「弾腿」
※5 査拳「施風脚」
※6 査拳「踹脚」
※7 査拳「穿掌」
※8 無極流兵法「葦留」
※9 洪家拳「點步踢腳」
※10 洪家拳「蝴蝶掌」
※11 無極流兵法「地固」の応用。
※12 査拳「馬歩架打」
この作品は、スピンオフへの導入です。