4 当面の村へピクニックがてら探索へ。
十も年下のあたしと、馬鹿みたいな口聞いてるが、そういう立場なのだ。
出会ってからもう一年ほどたっている。まあだいたい何らかの事件がらみだ。
さすがに二度顔を合わせたら、あたしのことは記憶に焼き付いたらしい。
さらにそれから三度ほど出会ってしまい、そのたびに、がっくりと肩を落とす彼の姿があった。
まあこの髪じゃあ覚えない方がおかしいと思うけど。
赤茶の髪は、風にふわふわとたなびく。腰も張りもない、柔らかな猫毛。若葉や生田とは全然違う。
今の世の中で、髪の色を抜いたり染めたり、はたまた人工的に波打たせるなんてことはまずない。まっすぐな緑の黒髪が一番美しい、という考え方が当然ってことになってる。
さすがにそう言われると、あまのじゃくのあたしとしては、てこでもふわふわの赤茶のままでいましょうか、と思ってしまったりして。
特警は、管区を越えた事件や、現在の鎖国政策に反する者を取り締まる組織だ、とあたしは聞いている。
似た様な組織が、二百五十年だか三百年だか昔にもあったらしい。思想弾圧のための、悪名高い特高、というのがその同じ名前の集団だったと言う。
現在のものはそんなものではない。
確かに政策に反する者を取り締まるという点では変わらないが、事件の件数も、深刻さも決して当時の比ではない。
だいたい通称を変えているあたりでも判る。違うものだ、という意識が、当の組織の人々にもあるのだろう。
それに何と言っても、その時代のような影響力がない。
管区の中に閉じこめられ、周辺情報しか耳に入ってこないで過ごしている人々にとって、彼らの行動には現実味がないだろう。
そもそも、地方分権が強力に推し進められてしまっている現在、中央政府の力なんて、どの程度のものなんだろう?
先週知り合ったばかりのあの学級で、現在の内閣総理大臣の名前をちゃんと言える奴がどれだけいるだろう?
そんなこと知らなくても、生活はできる。誰が総理だろうが、その上の誰かさんであろうが、そんなこと知らなくても、日々は変わらなく続いていく。大切なのは、緑の田畑がきちんと毎日毎日育っていくこと。
そのために村は存在し、子供達も働き、あの学校へと学生は学びに来る。
実際、あの学校の彼らときたら、実によく勉強していた。あたしは「越境生」という名目のためか、教師に抜き打ちで指されるようなことはなかったが、機械工学や生物科学が中心の全教科、皆実に熱心だった。
一人だけそうでなさそうな奴もいたけど。
自分の学んだことが、そのまま、帰ってからの自分と皆の生活につながるのだ。当然と言えば、当然だろう。
あたしは。
…
…特警は、管区警察と仲が決して良くない。それは彼の話を何かと聞いても判ることだ。
どちらかと言うと、管警が特警をいじめている、という印象がある。
判らなくもない。管警にしてみれば、特警というのは、自分達に比べ、実に弱っちい組織であるくせに、自分達には絶対にない特権があるのだ。
自動車の使用と、管区を越えた行動の自由だった。
それはたかだか一介の越境生などとは比べ者にならない行動の自由と言える。
このおじさんがねー。
ちら、とあたしは相変わらず一生懸命にハンドルを握る彼の横顔を見る。
「…で、お前は何で俺にこうやって走らせてるんだ?」
へ、と考え事を中断させられた頭は、なかなかすぐには戻らない。数秒して、やっと彼の質問の意味を理解する。
「…ああ、東永村へ向かっているわけ?」
「そうだよ。いきなり呼び出して、いきなり車に乗り込んできて、さあ東永村へ行きましょう、じゃ訳わからねえよ」
それはそうだわ、とあたしも思う。それで止まりもせず、走っているこのひともこのひとなんだが。
「それともお前、今俺の追ってる仕事、感づいてるんじゃないだろうな?」
「そうだと言ったら?」
彼は数秒、黙る。
「知るわけないじゃなーい! だいたいあたしだってね、昨日よーやくあんたがこの管区にいるって知ったんだから」
「それはそうだろうが。だけど東永村ってのは、お前がいる尾張方面よりはこっちの東三河だろ」
「何、東三河で今事件追ってるの? あ、豊橋港方面で、また何か密輸か何か」
「守秘義務!」
まったく、とぶつぶつと口の中で反論をしているらしい。
「…いい加減、お前の正体教えろよ、さつき」
「今はだめ」
「今は、か?」
「そう、今は」
彼は黙る。これは本気だ、とさすがに判るらしい。
「判ったよ。で、話を元に戻そうぜ。何で俺達は東永村へ向かっている?」
「ちょっと、ね。事件らしいの」
「事件」
「村人が、まるごとすっかりいなくなっちゃったんだって」
「へ」
きぃぃぃぃぃぃ、と音を立てて、彼はいきなり車を止めた。あまりの勢いの良さに、思わず前のめりになって、あたしは安全ベルトに胸と腹を押されて「ぐえ」。
「…あっぶないじゃないの」
「お前なー… それを、先に、言えよ!」
「何、心あたりあるの?」
「ない! だけど事件じゃないか」
「だから大変だって言ったじゃない」
「言ってねえって言うの!」
そうだっけ。思わず空をあおぐ。
先日の若葉の話した内容を、あたしはかいつまんで話した。
若葉は、と言えば、あたしの部屋に、とりあえず同居している状態だ。
一応、今日も出てくる時に誘ってはみた。だがその方法が方法だったので、怖がってしまって、結局あたし一人だ。
どうも彼女は車が怖いらしい。あんな恐ろしい速さのものの中にいるなんて、棺桶の中にいるようだ、という意味のことを言っていた。
まあそれはそうだろう。
彼女に限らず、この時代に生きてる一般人の普通の反応だ。久野さんにしても、特警に入る時、車への適性を検査されたらしい。まあ走る凶器だもんね。当然か。
車は、ガソリンが貴重なものである以上、許可されない限り乗ることができない。鉄道にしても、人間を乗せるためのものではない。あくまではそれは管区内の荷物を輸送するためのものだ。だから皆、縁が薄い。下手すると、一生乗らないで過ごす可能性もあるくらいだ。
「じゃあ事件。それでいい?」
「…お前どうしてそう緊張感ないの…」
「あってたまるものですか」
言い捨てる。所詮あたしの、あたし自身の事件じゃあないんだから。あたしはあたしにとっての「事件」以外であたふたする気はない。これっぽっちもない。
「でお前、その村の様子を確かめに行こうって言うんだな?」
「そーよ」
「だったら最初からそう言えよ…」
そんな疲れた声を出さなくとも。
「だからあ、忘れてたんだってば」
「…前もそんなこと言ってなかったか?」
「あたしもそろそろ老化かなあ…お肌の曲がり角は過ぎたしい」
ほっぺたに両手を置いて、精一杯の可愛い姿をとってみせたら、彼は「ぐえ」と吐き気をもよおしたまねをする。
失礼な奴だ。
*
東永村は、奥三河と呼ばれる方面にある。
文字通り山「奥」だ。
その昔、まだ地区が県という名前だった頃、この場所は、愛知「県」の北東よりの県境に面していたらしい。
「久野さん花祭って知ってる?」
「ああ。何か、伝統的な行事らしいな、ここいらでは有名な… まあ俺はよく知らないが」
「有名らしいね。松崎くんもそう言ってた」
若葉に言われた方面に、とりあえず足を伸ばしてみる。役場や「試験場」がある地域は、この村の中心らしい。
「…しかし、よくこの地で田畑なんか作ってきたよなあ」
車から降りた久野さんは、辺りを見渡し、感心する。
「どーして?」
「どうしてって、お前… こんな山の中で田畑作るってのはすげえ大変なことだぜ?」
「そぉなの?」
「そうなんだよ! 俺の実家はまあ、平地系で、昔から農業も盛んだったから、割と早く、国の政策にそった形になったらしいけど… こういうとこでは大変だったろうなあ。林業が中心だったのかな」
「ふうん」
言われてみればそうだ。決して大きくはない、でも手入れがきっちりされている田畑には、秋には収穫ができるだろう稲や野菜が風に揺れている。
しかしそれを手入れすべき人々の姿が見えない。
「…やっぱり、人がいないのかなあ」
「やっぱり、ってそれをお前、確かめにきたんだろ」
「そーよね」
車に鍵をかけ、あたし達はとにかく役場の方へ足を伸ばしてみた。
あちこちに入った亀裂に、パテを埋め続けてきたコンクリート作りだ。
それこそ立てられた二百年以上前から、修理を繰り返して使っているのだろう。重ねられた塗料もむらだらけだ。時には修理そのものが下手で、ぼこぼこになっている壁もある。
「…あ」
門を入って、あたしは思わず声を上げた。入り口のガラスが叩き割られていた。
「ひでえな」
久野さんはズボンのポケットに手を突っ込みながら、そのカケラを一つ足で踏みつぶした。夏だと言うのに、さすが公務員さんは靴だ。きっと底も分厚いのだろう。あたしは素足にサンダルだったので、とりあえずやめておく。
何があったんだろ。周囲にあたし達以外の音がしないことを確かめて、建物の中へと足を踏み入れた。
「…何か嫌だねえ、こういう感じ」
ガラスが細かく散らばった廊下や、掛けられていた地図が破られているのを見て久野さんは言う。
「若葉のお父さんは村長だ、って言うんだけど」
「こっちだな」
彼は迷わず村長室へと進んでいく。学校の教室の入り口を思わせる、引き戸の上の黒い木の板。その上に「村長室」と白いペンキで筆書きされている。
すりガラスのはまった戸を開けてみると、やっぱりそこもひどかった。
村長室と言っても、格別立派なものがあるという訳ではない。
応対用のソファには、細かい刺繍のカバーが掛けられている。ていねいな、手作業らしいそれだけは小ぎれいな感じもしたが、古くなってしまった家具を隠す方法でもある。
裏返して言えば、ここの村長は、自分の執務室に無駄な金をかけない、ということになる。
実際、机の上や棚にも、飾りめいたものは一切なく、書類入れや本、記念の写真と言ったものぐらいしかない。
その質素さを裏付けるように、椅子はひっくり返って、中のすり切れた生地をあらわにしている。
椅子だけではない。応対の机もひっくり返され、その上にあっただろう灰皿が床に落ちて割れ、灰と吸い殻を散らばらせていた。
そしてこれはたった一つ、この部屋を色のあるものにしていた、うすもも色のほたるぶくろの花までも、すでに床の上で残骸と化していた。
ここの職員が生けたのだろうか。それとも娘の若葉が毎日やってきて、野の花を選んでいたのだろうか。
つまみあげると、指に乾いた感触があった。仕方ないな、と思いながら、あたしは花を元の場所に置く。
「あれ」
そのそばに、白い石があった。石に… 見える。何でこんなところに。
「ねえ、外から石が投げ込まれたってことはあり?」
「外から? や、この部屋の窓は…石というよりは、何かで叩き割ったという感じだなあ。そう、そこのほうきとか、そんな棒状のもので」
それもちょうど、人の身長に似合う程度に。上の明かり取りの窓には、傷一つなかった。
「何かあったのか?」
「んー、これ」
あたしはその石を彼に見せる。
「もしも投げ込んだとしても、そうゆう石としては、ずいぶん綺麗じゃない? 白いし、何か軽いし…」
「軽いといえば軽いけど… 宝石って感じじゃないぜ」
「久野さん宝石見たことあるの? 本当の」
「そりゃあ当然だろ。俺はこれでも、特警だぜ」
国内の宝石を密輸させようとする船を取り締まったこともあるのだという。
「その時には結構原石も見たけど… 何かそういうのとは違うよな…お」
彼の手の中で、その石はぽろぽろと崩れる。
「ちょっとぉ! 壊さないでよ」
「馬鹿やろ、もともとこいつはもろいんだよ、これ。ほれ」
そう言って、あたしに割れた方のカケラの一つをよこす。粉っぽいカケラは、手にぴた、とつく。
「…ファウンデーションみたい…」
「ふぁん… 何だって?」
「え? あ、何でもない」
ははは、と笑ってごまかす。軽く冷や汗。ふう、危ない危ない。
その白い粉は、ずいぶんとぴったりとして、あたしの手の甲に少し輝きのある膜を作った。そう、化粧品のファウンデーションのように。
気になった。
*
太陽が真上に上がった頃、お弁当にした。
遠足かよ、と久野さんは言ったが、そうだよ、とあたしは答えた。
「いいじゃない。あたしの持ってきたものなんだから。久野さんも食べようよ。お腹空いてない?」
「そりゃ空いてるが…」
「だったらこっち来てよ」
ひらひら、とあたしは手を振る。ちょうどいい、大きな木陰があったのだ。
「それにしてもずいぶんでかい桜の木だなあ」
その木を見上げ、彼は感心したように言う。
「桜?」
「しだれ桜だぜ、これ。…うーん、毛虫が落ちてこねえか?」
「落ちてきたらその時よ」
そのままそこに座るあたしに、やれやれ、という顔で彼はつきあう。
でも実際、その回りにちょうどいい木陰がなかったというのも確か。こんな夏の炎天下で、お弁当というのは。
竹製のかごのふたを開くと、そこにはもう一回り小さいかごが二つ入っていて、片方にはおにぎりが、もう片方には冷やした煮物が入っていた。
「食べてよ。せっかく持ってきたんだから」
「お前が作ったの?」
「まさか。あたし料理下手だもん」
「よくそれで、高等まで来れたよなあ。中等の家政の授業は結構ちゃんとしたもの作ったぜ。俺でもやったぞ」
「…人には向き不向きってのがあるの! あたしは料理は別に才能なくても良かったもん。それに、おにぎりは何っか苦手なのよね…」
「俺でもにぎれるぞ。こう、三角の」
手つきを器用にやってみせる。
「じゃあ今度作ってよ」
「…それとこれとは」
「同じだよ。約束だからねー」
守られるとは、期待してはいないけど。
「あ、このかぼちゃの煮物美味しい」
「どれどれ」