愛(かな)しい人 空玩具月光譚
神里藍緒様主催「お月見企画」参加作品です。
拙作『空玩具』の登場人物たちの月夜。
初見の方にもお読みいただけるよう配慮致しましたが、設定上、外せない表現などの都合で、解りにくい箇所もおありかと思います。ご容赦ください。
愛しい人
にいさまと並んでベッドに腰掛け、わたくしたちは皓々と照る月を見上げておりました。
わたくしは身体のあちらこちらが気怠くて、にいさまに甘えるように寄り掛かっております。
咎められることなど有り得ません。
にいさまの艶のある黒髪がわたくしのすぐ目の横にあり、にいさまはわたくしの髪の毛の先を弄んでいます。しなやかに長い指に絡みつけたりして。
言葉も無く、月を眺めるのも好きですけれど。
にいさまの端整な双眸がわたくしに向かないのは切なくてなりません。
月の女神に嫉妬致します。
わたくし、悪戯心でわたくしの髪にあるにいさまの指を甘く噛んでしまいました。
するとにいさまはくすくす笑って、わたくしの頭を頑是ない子供にするよう撫でるのです。
わたくしは、指どころでなくにいさまの皓歯と赤い舌と唇に滑り、歩まれたのですから、少しばかりのお返しをする権利くらいある筈です。
月でなく、わたくしを見てください。
けれどにいさまの色づいた唇から出た言葉は。
「月みれば ちぢに物こそ 悲しけれ」
月に始まる和歌でした。にいさまが上の句を詠んだので。
「わが身ひとつの 秋にはあらねど」
焼き餅を抑えて、わたくしも下の句を詠みます。百人一首でございます。
月を見ていると物悲しくなる。
自分一人に訪れる秋ではないのに。
そんな意味です。
「悲しくていらっしゃるの?」
にいさまがわたくしの顎を右手人差し指で撫でます。
「僕だって、時にはね。異国人のヴェルレーヌでさえ、秋をうら悲し、と嘆じている。上田敏が『落葉』と訳したこの抒情溢れる詩が、無粋にも戦争の作戦決行合図に利用されたことさえまた、嘆かわしいことなんだよ…」
「…難しいお話をなさらないでくださいまし」
「ああ、済まないね。鈴子さんは知る必要の無い、世の醜悪だ」
そんな言い方。
寂しくなってしまいます。
「にいさまお一人の秋ではないでしょう?」
わたくしがいるでしょう?
すると心の声まで聴こえたように、にいさまが微笑されるのです。
「時々、思うんだよ、鈴子さん。月光を浴びる貴女があんまり綺麗なものだから、月世界に飛び立って行かれてしまうのではないか、と。かぐや姫みたいにさ。そうして僕は、地上に一人、残される」
――――――なぜそのようなことを仰るの。
秋の月光がにいさまを気弱にさせているのですか?
わたくしこそがいつも、にいさまに置き去られるのではないかと、危惧しておりますのに。
いつもいつも。
貴方は羽をお持ちだから。
葡萄酒の芳香がきつく漂うベッドは冷たくて。
裸身に纏ったローブだけでは震えてしまう。
震えはにいさまに伝わって、魂をくるみ込むように抱き寄せられます。
「泣かないで」
「…にいさま、にいさま、」
零れる涙が熱い舌に舐め取られます。こくりとにいさまの白い喉が上下し、涙が嚥下されたことが判ります。
わたくしの雫がまた、にいさまに溶けました。
ああ、何か言わなくては。にいさまが困ってらっしゃいます。
そう、『落葉』の、『落葉』の話題でしたわ。確かあれは。
「にいさま、…秋の日の、秋の日のヴィオロンの」
ためいきの、と続けることは叶いませんでした。
にいさまの唇が被さり、わたくしの息をすっかり奪ってしまわれましたから。
月光の眩いこと。