起動
「姫様!!」
護衛の一人が音に反応してすぐさま姫の体に覆いかぶさるようにして机の下に潜り込む。
はずだったが、小さな机の下にはすでに先客がいた。
そうビランだ。
ビランは左手でひざを抱え込みブルブルと小刻みに震えながら右手で頭をかばっていた。
護衛の騎士はその姿を見ると歯軋りをした後、ビランを片手で突き飛ばした。
突き飛ばされたビランは後頭部を椅子にぶつけながらもなお転がり続けて扉の外に放り出される。
そこでようやく回転をやめるとビランは上半身を起こして部屋の中をのぞく。
そこには、何が起こったのかよく理解していないレイチェルとレイチェルに覆いかぶさった騎士がこちらを見ていた。
一人は何が起こったのかを把握するためにもう一人は怒りをあらわにした瞳でこちらを見ていた。
しかし、ビランには怒りをあらわにした騎士の顔しか目に入らなかった。
その瞳はこう告げていた。「クズめ!!」と・・・
姫よりも自分を優先したビランは兵士として最低の存在。
それは護衛騎士がビランに持った感情だった。
そのことを悟ったビランの心は恐怖と絶望と後悔によって支配された。
そこでビランの思考と感情は停止する。
そこからビランはただただ奇声を上げて走り出した。
支配する感情があふれ出したことで起きた奇行なのか、それともただ単純にその場から離れたかっただけなのかはわからないが、とにかくビランは声にならない声を叫びながら走り出した。
それを見たレイチェルは咄嗟にビランを追おうとした。
が、すぐに護衛の兵に引き止められる。
「なりません姫様! ここはもう戦場です。一刻も早く退避せねばなりません。」
「しかし・・!」
レイチェルは頭ではわかっていた周りの騎士たちの制止は正しく、今は一刻も早くここを離れなければならないことを・・・
しかし、今のレイチェルの頭には彼女の最大の親友であるララベル=ドルキスの笑顔が浮かんでいた。
それはここに来る前のこと。
その日は久しぶりにララベルが自分から会いに来てくれたのだ。
「レイ、弟のいる廃監獄に行くと聞いたのだが。それは本当?」
どうやらララベルは弟のところに自分が行くと聞いて訪ねてきたようだ。
相変わらず弟のことを気にかけているらしい。
「ふふ、ええ。久しぶりに会ってくるわ。まぁ、他にも色々とあそこを調べたいから当分、一緒に行動することになると思うわ。」
レイチェルは微笑みながら言葉を返す。
「そ、そうなのか? な、なら私も護衛として一緒に・・・」
うらやましそうな目で見てくるララベルにレイチェルはいたずら交じりにこういった。
「ダメよ。あなたには他に仕事があるでしょう?それに一刻の姫である私を弟に会う口実にしようだなんて許さないわよ?」
「うう・・・」その言葉にグウの音も出ない。
ララベルは少し悲しそうな顔をする。
「フフフ、そんな顔しないの。この任務が終わったらあの廃監獄は取り壊しが行われるわ。だからその前に何人か先に警護の任を解くの。ビランは真っ先に任を解いてあげるから帰って来る時は彼も一緒よ。」
そう言った後の彼女の顔は先ほどまでの悲しそうな顔とは一変してとても喜びに満ち溢れていた。
「ほ、本当に?! ぜ、絶対に約束だからね!」
レイチェルの両手を握り、顔を鼻先近くまで近づけて、キラキラと瞳を輝かせながらララベルはそういった。
「ええ、約束よ。」
レイチェルは硬く握りしめられた両手をしっかりと返しながらにっこりと微笑む。
「それじゃ、気をつけていってらっしゃい」
「ええ、いってきます」
こうして、二人は微笑みながら別れの挨拶を交わしたのだった。
この時のララベルの笑顔がレイチェルの頭にはこびりついていた。
もし、今ここでビランを一人にしたら、もうララベルのあんな笑顔を見ることはないのかもしれない・・・
そんな考えが頭をよぎってしまい、レイチェルは護衛の手を振り払う。
「ビランをこのまま一人には出来ません。それにこの場所の放棄は私たちの「目的の物」が見つかる可能性がある以上。ここは死守しなければなりません。もちろん、万が一には逃げねばなりませんが・・・」
そう言い放ち、力強い目で護衛の騎士たちを見るレイチェルに騎士たちはやれやれといった感じで頭をかいた。
「姫様の護衛と敵の排除と突破口の確保のため部隊を三つに分ける!四人一組で一小隊とする!第一小隊は私と共に姫様の護衛及びビラン=ドルキスの確保。残り二つの小隊は二手に分かれて敵陣形の確認と敵の排除。味方は発見しだい救護しろ。以上解散!!」
「おお!」
護衛隊の隊長の言葉に全員がすぐに行動を開始する。
レイチェルは「ありがとう」と一言お礼を言った後、すぐに小隊を率いてビランの後を追った。
時間は少しさかのぼり廃監獄の各所では・・・
ビランが走り出したのとほぼ時を同じくして急に騒がしくなった。
砲撃で正門を破壊した部隊が中に攻め込んできたのだ。
さらに、それに呼応するかのように周りに待機していた兵たちが次々となだれ込む。
警備、給仕に当たっていた兵達も休憩に入っていた兵達もすべての兵が剣を取り敵の迎撃に当たる。
しかし、ここにいるのは年老いた老兵ばかりで、おまけに装備はぼろくあまり使い物にならない。
その上に、戦いは数で圧倒的に負けているため敗色が濃厚だった。
決定的だったのは指揮官がいないことだ。
そのため敵とまとまって戦い防戦することすらままならなかった。
各所では一方的な虐殺が行われた。
そんな光景を少年は逃げる先々で目にしてしまう。
そして、その光景を見るたびに少年は逃げ出す。
その場所から離れるために、その光景を見ないために・・・
やがて少年は道の曲がり角で何かにぶつかり後ろに倒れこんだ。
「ああ、くぅ・・・」
何にぶつかったのかを確認するために起き上がった少年の目に入ってきたのは赤い甲冑を身にまとった兵士だった。
ここの兵士たちとは違う見たこともない形の甲冑だ。
それはつまり、その者達が攻め込んできた側の人間だということだ。
恐怖でのどがかれて声が出ない。
足もすくんで動かない。
そんなことをお構いなしに、赤い甲冑の者達は手に持った剣を高々と振り上げた。
(ああ、もうだめだ・・・)
ビランがそう思ったときだった。
甲冑の男が剣を振り下ろすよりも早く銃声が鳴り響いた。
その銃弾は甲冑に穴を開け敵の肩を貫いた。
銃声のした方向にビランが振り向くとそこには銃を構えたカルキオが立っていた。
敵もその姿を視認したらしく柱の影へと身を隠す。
ビランは銃を構えたカルキオを見て安堵し、彼の元に行こうと起き上がろうとしたとき床に手を付けると、生暖かくヌルッとした感触のものを触った。
それが何なのか彼は知っていた。
その感触と暖かさは人のものであり、先ほど銃で撃たれた男から飛び出たもの・・・
そう血だ・・・。
少年はそれを確かめるかのようにゆっくりと手を上げてその手についているものを見た。
そして、それが彼の予想していた通りのモノだったのを視認したあと、彼はまた奇行を上げながら走り出した。
急に奇声を上げて走り出したビランに呆気にとられるカルキオだったが、後ろから追いついてきたジンカに声をかけられ正気に戻る。
そして、ジンカとカルキオは柱の影に隠れた敵を倒した。
幸いなことに敵は一人で居たためすぐに倒すことができた。
二人が敵を撃破したところで、ビランを追っていたレイチェルとその護衛がやってきた。
彼らは、自分たちの目的を簡潔に伝えると二人とともにビランを追うことになった。
ビラン=ドルキスはただただひたすらに走っていた。
言葉にならない奇声を上げながら、ただひたすらにまっすぐに自分でも最早どこを走ってどこに向かっているのかもわからずに、ただなぜか彼は道に迷うことなく、行き止まりに行くことなく走り続けることができた。
この廃監獄は外側の建物に取り囲まれるように中に内側の建物が存在する。
先ほどまでいた食堂は外側の建物で昔は看守たちが住み込みで働く場所だった。
そのため作りが単純で迷うことも行き止まりに会うこともない。
が、今彼が走っている内側の建物は犯罪者の収監されていた監獄の意味合いが強く、中は迷路のようになっている上に多数の罠が設置されていた。
無論、その罠のほとんどが故障して使えないわけだが、それでも、本来は一切の罠にかかることも迷うことも無く進むことなどできはしない。
なぜなら、見回りの場所にさえ内側の監獄部分は入っていないのだ。
その主な理由は、まだ作動する罠がいくつかあることと牢獄内の迷宮の全体像を把握できていないためである。
もともと、使い捨てられてから長く放置されたため、昔ここに勤めていた者達は最早居らず、脱走防止のため迷宮の全体が描かれた地図など存在しない。
(地図はあるが迷宮の一部分ずつ描かれたものが数枚に別れて存在する。)
残っている地図も迷宮の一部分しか書いておらず、それが迷宮のどこのことなのかもわからないため内部構造は誰も把握していなかった。
では、なぜビランはそんな迷宮を迷うことなく走り続けられるのか?
それは、彼の頭の中に何者かが話しかけているからだった。
いや、話しかけているというのは適切ではないのかもしれない。
正確には彼の頭の中に直接信号を送っているようなものだった。
「テレパシー」という風に考えていただければ幸いだ。
そのものは声を発さず、ビランの頭の中に微弱な信号を送った。
今のビランの頭の中は恐怖と絶望と後悔が支配している。
故に、ビランには微弱な信号に気づくことができず、逆らうことは不可能だった。
その上に、「ここじゃないどこかに逃げだしたい。」
そんなことしか思っていないビランには逃げる場所がどこであろうと関係なかった。
その奇声を頼りに姫とその一行はビランを追った。
そして、いつしかビランを視界に捉えていた。
視界に捕らえてからはレイチェルとカルキオが止まるように呼びかけるが、錯乱したビランにはその言葉は届かなかった。
迷宮内を走っていて途中から彼らはビランが迷宮に迷わないことに対して不信感を持った。
いや、希望を持ったという言い方もできるかもしれない。
もしかしたら、ビランはこのまま誰も知らない隠し通路を通って外に出るかもしれないからだ。
やがて彼は、隠し扉を開きその中に入っていく・・・
レイチェル達もそのあとを追う。
隠し扉より先の通路は人が二人ようやく行き来できるほどの狭い通路だったがほとんど一直線だった。
やがて、半開きになった隠し扉とすすり泣くビランの声が聞こえてきた。
どうやら、ここが終着点のようだ。
中に入ると小さな机とその上に木箱が置いてあり、その下で小さく丸まってビランが泣いていた。
部屋の広さは約六畳ほどだ。
ただ一つ気になるのはここに来るまでの通路とこの小部屋に小さな明かりが灯っていたことだ。
そのおかげで、彼らはここまで迷うことなく来ることができたのだ。
レイチェルは部屋に入るとまずビランに近づき彼と同じ視線になるように背をかがめた。
「大丈夫ですか?」
心配そうな顔をしながらそう告げた。
だが、ビランはレイチェルの方を一切見ることなく泣くことをやめない。
どうやら未だに錯乱状態から脱することができていないようだ。
その姿を見た護衛騎士の一人が憤慨しながらビランに近づく。
それを見たジンカはレイチェルをビランから離すため間に入ってレイチェルを後ろに下がらせる。
そうしてできたビランとジンカの間に先ほどの怒りをあらわにした騎士が割って入りビランの胸倉をつかんで怒鳴りつける。
「ええぃ!! 貴様それでも誇りあるドルキスの人間か!! 錯乱、逃走の挙句に逃げ場がなくなって泣きじゃくるとは情けない!! 貴様のようなやつは軍法会議で死刑になる前にこの手で殺してやりたいわ!!」
その言葉にビランは錯乱状態から正気に戻った。
ただし、泣きじゃくることはやめない。
「ひぃっ?!そ、そんなこといったって・・・ このままじゃ君達、全員死んじゃうじゃないか!」
泣きじゃくりながらもビランはそう反抗した。
「貴様というやつは!! 戦う前から敗北を認めるとは!! それでも栄えある教国の兵士か!!」
騎士は掴んでいた手でビランを突き飛ばし、剣を抜く。
抜かれた白刃は今にもビランの命を奪わんとする勢いがあった。
「おやめなさい!」
その光景を危機と感じたレイチェルが叫ぶ。
その一言に騎士は我に返り振り返ると、瞳に涙を溜めたレイチェルの姿があった。
騎士はその姿を見て自分の頭にだいぶ血が上っていたことを実感した。
「申し訳ございません。」
一礼した後、騎士は剣を鞘に納めて扉の方に戻った。
戻ったのを確認してからジンカはレイチェルとビラン、二人の間に入る行為をやめた。
レイチェルはすぐさまビランのそばに駆け寄り彼の右手をとった。
「大丈夫ですか?」
心配そうに顔を覗かせるレイチェル。
「だ、大丈夫ですから! し、心配しないでください・・・!」
ビランは思ったより顔を近づかせるレイチェルに赤面しながら空いている左手でお互いの顔の間に壁を作った。
その顔の間に差し出された手を見てレイチェルは驚いた。
血が出ていたのだ。
おそらく、先ほど突き飛ばされたときにできたのであろう。
「だ、誰か。包帯か何か持っていませんか?」
レイチェルはあわてて騎士達に問うた。
騎士達がその言葉に反応し何か持っていないか探すが、特に見当たらない。
レイチェルは机の上に何か無いかと思い探すと、木箱があったのであけてみた。
するとそこには、なぜか真新しい包帯が入っていた。
こんな誰も来ない古びた場所になぜ?と普通なら考えるが、レイチェルの頭の中は怪我の手当てのことでいっぱいだったので、そんなことは気にせずビランの左手に包帯を巻いた。
巻かれた包帯はビランの左手をやさしく包み込み傷口から流れ出る血を止め、流れ出て手を這う血液を吸収し赤く染まった。
それを確認してここにはいない誰かがにやりと笑った。
(「計画通り・・・ 狙い通り・・・ あの男の手の中に私は納まった・・・ そして、その流れ出る紅き鮮血をもって契約はなされた。今こそ、私は創造主の望み通りの・・・ いや、それ以上の主を得て顕現する。」)
ドクンッ!
心臓の鼓動が一際大きく反応した気配があった。
ビランにはそれが何なのかはわからない。
しかしそれと同時に頭の中に聞こえてきた言葉。
(計画? 契約? 創造主? ・・・いったいなんのことだ?)
(「フフフ♪なぁに♪簡単な話さ♪君は私に選ばれた・・・♪このファントム(怪物の所有者)にね・・・!」)
その言葉とほぼ同時にビランの目の前に真っ黒なタキシードに身を包んだ怪しげな男が現れた。
「な・・・!!!」
声を出そうとした直後。発しようとした声が途端にかき消される。