人に言われると更に
とはいえ、休みなんて何をして良いのか分からない。
今までは学校が休みの時にはバイト、宿題、家事などをして過ごしていたが、今はバイトも宿題も無いし、掃除や洗濯も午前中で終わってしまった。
『遥チャン、折角のお休みなんだから、楽しいことしようよ』
楽しいこと。今まで、そんなこと考えてもみなかった。キャラクターカウンセラーのスイッチを切り、その後は夕方までごろごろ寝て過ごしてしまった。このままでは駄目人間まっしぐらだ。やはり明日から出させてもらおうかと考えていると、電話が鳴った。
『あ……もしもし、紅野です』
「こんに……もう、こんばんはですね」
『ああ、まあ何でも良いけどな。どうだ、ちゃんと休んでるか?』
「はい、今日は1日中寝てました」
『ハハ、独り暮らしのサラリーマンかよ。』
「えっ、……OLじゃなくてですか?」
『知らねぇけど、OLだったらお洒落なランチとか行くんじゃねぇの?まあ、休めたんなら良いけどな。』
「やっぱり明日から出」
『駄目だ。言ったろ、休まなきゃ体壊すぞ』
「いえ、やること無いですし」
『いや、そりゃあ…………じゃあさ、明日昼飯連れてってやるよ。誰か呼んでさ、3人か4人くらいで。昼なら怖くねぇだろ』
「ランチ……嬉しいですけど、」
『誰が良いとかあるかよ?やっぱ青山さんかな?』
あくまで勝手なイメージだが、青山と食事をすると礼儀作法に気を遣って疲れそうだ。
『微妙?』
「あっ、いえ。あの……イメージですけど、青山さんと一緒だと、何か……」
『ああ、いや、別に高ぇとこじゃねぇよ。普通の、その辺のファミレスとかだ。青山さんもそういうとこは意外にフランクだしな』
「そうですか。じゃあ、」
『ま、始めはしらっ……白瀬さんくらいにしとくか。12時台はすっげえ混むから、1時くらいで良いかよ?』
「はい」
『じゃあ、1時にマンションのロビーでな。気楽に来いよ』
「ありがとうございます。」
電話を切り、キャラクターカウンセラーのスイッチを入れる。
『遥チャン、誘ってもらえて良かったのです』
「スイッチ、切ってたよね」
『この部屋のことはおまかせなのです』
ということは、キャラクターカウンセラーがいようがいまいが、この部屋での会話や私の情報は誰かに筒抜けになっている可能性があるということだ。これではスイッチの意味が無いんじゃないか。
『遥チャン、怖がらないで』
「けど、良い気持ちはしませんね」
『遥チャン、人間のカウンセラーに相談したことある?』
「ありますけど、学校のカウンセラーは何か合わなかったっていうか……止めちゃいました」
『その時話したこと、誰かに聞かれていたりしましたか?』
「まさか」
とは言ったものの、考えてみれば確かめようが無い。学校のカウンセラーは「信頼関係が大切」と繰り返していたが、ああいう人に何かを相談するというのは、とてつもない大きさの信頼を置くことになるんだろうか。
『じゃあ、僕のことも信じてください』
「違う。流星、あなたは人間じゃない。あなたを管理している誰かがいる筈でしょ。」
『管理はシステムが正常かどうかだけなのです。カウンセリングの内容に関しては、秘密は絶対に守るのです』
「……もう良いよ、どうせ筒抜けなんでしょ。明日は11時に起きてなかったら起こして。」
『…………分かったのです』
何をするにも見られているのでは、なんて考えていたらそれこそ体まで壊しそうだ。明日、紅野と白瀬に相談してみよう。
『遥チャン、11時だよ。おはよう』
流星の声で目が覚めた。11時ぴったりだ。
「おはよう、流星」
空は天気予報通り晴れていたが、西から濃いグレーの雲が凄まじい速さで飛んできている。
「今日、雨が降りそうだね」
『そうだね。傘を持っていくと良いのです』
着替えや化粧にいつもより時間をかけようと思っていたが、結局普段と変わらない仕上がりになってしまった。
集合時間の15分くらい前にロビーに行くと、既に白瀬が立っていた。今日はあの良い香りがしない。
「こんにちは、白瀬さん」
「神谷、体調はどうだ」
「ご心配おかけしてすみません。もう大丈夫です」
「そうか。我々も、紅野の言う『縦割り行政』にならないように留意する。」
「ありがとうございます。でもご指導いただけるのは嬉しいですし、」
「またそんなこと言ってるのかよ」
後ろから頭を掴まれた。紅野だ。
「あの、」
「真面目にやりゃあ良いってもんじゃねぇっつったろ。」
「それは俺も同感だ。あまり根を詰めると、本当に体を壊してしまう」
「……すみません」
「別に怒っている訳ではない。ただ、自己管理はきちんとするように。」
「はい。気をつけます」
「んじゃ、行くか。神谷、和食とイタリアンだとどっちが良い?」
「どちらでも大丈夫です。」
「じゃ、イタリアンな。白っさん(しらっさん)も良いかよ?」
「構わない」
「決まりだな。雨降りそうだからちょっと急ぐぞ」
幸い、雨には降られなかった。レストランは混雑していたが、すぐに席に案内してもらえた。紅野がメニューを開き、凄い化粧の店員が乱暴に水とおしぼりを置いていった。
「白っさんはいつも通り?」
「ああ。明太子スパゲティとコーヒーだ」
「たまには他のも食ってみましょうよ。神谷は?」
「初めて来ますけど、メニュー結構あるんですね……安いし、野菜のドリアにしようかな」
「ああ?いや、値段なんか気にすんなよ。好きなの頼め」
「けど、」
「気にすんなって、白っさんの奢りなんだから」
「そうだな」
「そこは『俺かよ』っスよ。……ま、良いか。本当、好きなの頼めよ。ちなみに俺のお勧めはサワードレッシングのサラダとマルゲリータ風スパゲティだな。マルゲリータ風は名前の通り、トマト、バジル、チーズだけのシンプルな味付けだが、まあ美味いんだ」
「じゃあ、それにします」
「おう。デザートは?」
「美味しそうですけど、多分食べ切れな」
「心配すんなって。余ったら俺らが食ってやるから」
「いや、恐らく俺は手伝えない」
「白っさん小食過ぎるっつーの。」
「否めないな」
メニューを見ると、ランチセットがある。
『ランチセット
単品より300円もお得です!
パスタorドリアorピザ
お好きなものをお選びいただけます!
サラダ小
サワードレッシングorマイルドドレッシング
デザート
季節の果物ジェラート、アメリカンシフォンケーキ、チョコレートケーキ、ティラミスの中からおひとつお選びください!
ドリンク
コーヒー(アイス・ホット)or紅茶orオレンジジュース』
「じゃあ……ランチセットにします。マルゲリータ風スパゲティと、サラダはサワードレッシング、ドリンクはアイスティで。デザートは……季節の果物ジェラートとティラミス、どちらも美味しそうですね。」
紅野が店員を呼ぶベルを押した。まだデザートの決心がついていない。
「ご注文お決まりですかぁ?」
紅野が軽く手を上げた。
「明太子スパゲティと、コーヒー1つ、ランチセット2つ。両方マルゲリータ風スパゲティとサワーサラダ、後は片方がアイスティと季節の果物ジェラート、もうひとつがアイスコーヒーとティラミスで。」
「ご注文繰り返しまぁす。明太子スパゲティがお1つ、コーヒーがお1つ、ランチセットマルゲリータスパゲティ、サワーサラダ、アイスティ、ジェラートがお1つとマルゲリータスパゲティ、サワーサラダ、アイスコーヒー、ティラミスがお1つ。以上でよろしかったですかぁ?」
「はいはい」
「ドリンク食後でよろしかったですかぁ?」
「はいはい」
「メニュー失礼しまーす」
店員がメニューを集めて下がっていった。ハイヒールのせいか、やけに足音が大きい。
「あの娘最近入ったんだけど、唯一の長所はケツだな」
「紅野、」
白瀬の表情はいつも柔らかいが、今日はそれに明るさが加わっている。
「はいはい、すみませんでした」
紅野も、脇田といる時とは違って、少年のような表情だ。
「お2人、仲良いんですね。」
「ああ……まあ、神谷が心配してるようなことはねぇんじゃねぇの?」
「何か、心配ごとがあったのか?」
「この間、俺らに派閥があるのかっつってたしな。」
「そうなのか?」
「……はい」
「そんなにビクビクすんなって。ま、全部が全部仲良しって訳にはいかねぇけどさ。そんなに派閥とか、上下関係とか、そんなのは考えなくて良い」
「神谷は真面目過ぎるな」
「白っさんが言います?」
暖かな笑い声。こんなの、いつぶりだろうか。ひとしきり笑ったところで、店員がサラダを持ってきた。「2人共、先に食べて良いからな」
「あざーっす。神谷、先食おうぜ」
「では、お先にいただきます」
サワーサラダはレモンの風味が効いていて爽やかだ。間もなく、白瀬のスパゲティが到着した。
「白瀬さん、明太子好きなんですか?」
「いや、肉類や乳製品をあまり好まないだけだ。」
「……今更ですけど、」
「ちなみに、白っさんはネギとか生姜、醤油のきついのも好きじゃない。和食でもイタリアンでも一緒だな」
「まあ、食べられない訳ではないがな。好んでは食べないということだ」
普段は何を食べているんだろうか。サラダを大体食べたところで、マルゲリータ風スパゲティが来た。
「たっぷり、ですね……」
「食えるだけ食えよ。残ったら食ってやるから」
「いえ、途中で渡すの悪」
「あーあー、もう気にすんなって。デザートのことも考えとけよ」
「そういえば、デザートの注」
「良いから良いから。ほら、冷めちまうだろ。食ってみろよ」
促されるまま、スパゲティを一口。
「……美味しい」
「だろ?食えるとこまでで良いからさ」
「ありがとうございます。」
半分くらい食べたところで白瀬を見ると、まだ3分の1程度残っている。
「白っさんも神谷も、ゆっくりで良いからな」
見ると、紅野はもう食べ終わっている。
「白っさんはこっからが長ぇからな。残しゃあ良いのに」
「明太子は一つ一つが命に繋がるものだからな。まあ、これに関してはお前の方が詳しいと思うが」
紅野が何故これに関して詳しいのか気になるが、訊いて良いものだろうか。
「ああ、俺さ、ちょっと前に仏教にハマってたんだ。つったって、どっかの寺の坊さんと話をしてただけだけどな」
「最近は寺に行かなくなったな」
「坊さんが亡くなって息子が跡を継いだんスけど、寺を金ピカに改造しまくっててパンクバンドのCDジャケットみたいになったんで行くの止めたんス」
そんなお寺、逆に見てみたい気もする。
「ま、熱心な信者なんてことはなくてさ、単に坊さんの話が面白かったってだけだ。それでも、その日暮らししてた俺にはかなり響いたっつーか……まあ、一言じゃとても表せねぇけどな」
「『更正した』なら一言だが」
「ハハ、まあ……自警団入る前は脇田さんと遊び倒してたから、良い切っ掛けになったってとこだな」
店員が紅野の皿を下げていった。
「和泉さんも、仏教を?」
「いや、和泉さんは真逆だ。快楽主義っつーの?ま、だからって嫌いにはならないけどな。和泉さん、ちょっと隙があると捕って喰おうとするから気をつけろよ」
「俺からも念を押しておく」
「……気をつけます」
デザートのことを考えると、そろそろ終了したいところだ。考えていると、紅野が皿を引き寄せた。
「先に言っとくが、気にすんなよ。俺が足りないだけだからな」
紅野はあっという間に残りのスパゲティを平らげ、店員が皿を下げてデザートを持ってきた。
「ま、一口ずつ食ってみろよ」
「えっ、」
「気に入った方を食え。両方なら両方で良いし、いらなきゃ俺がもらう」
「……何か、すみ」
「あーあー、良いから。ジェラート溶けちまうぞ」
まずはジェラートを一口。思ったより酸味が強いが、さっぱりしていて悪くはない。
「まずまずってとこか」
紅野がエスパーに見えてきた。皿を入れ替えて、ティラミスを一口。こっちはびっくりするくらい美味しい。
「じゃ、俺はジェラートをもらう」
紅野はジェラートの皿を取り上げると、一瞬で食べてしまった。私がティラミスを食べ終わる頃に白瀬も最後の一口を食べ終え、皿が下げられてドリンクが運ばれた。紅野がシロップとミルクを白瀬に渡している。
「神谷はそれ使うかよ?」
「いえ、ストレートで」
「んじゃ白っさんにやってくれよ」
シロップとミルクを渡すと、白瀬は既にアイボリーになっているコーヒーに更にその2つを注いでいた。
「あれはコーヒーっつーのかねぇ。つーか乳製品好きじゃねぇんじゃなかったっスか?」
「こうしなければ飲めないからな。」
「紅茶では駄目なんですか?」
「紅茶も大体のものは、こうしなければ飲めないな」
「じゃあジュースは、」
「まあ、柑橘類や酸味が強いものは少々苦手だな」
「お子さま超越してるよな。普段何食ってんスか」
「う、うるさい。栄養管理はきちんとしている」
つい、声を出して笑ってしまった。
「やっと笑ったな。ちょっと安心したよ」
「えっ?」
「さっきまでは緊張でガチガチだったからな。質問とか、したいんならすりゃあ良いだろ。ちなみに、謝らなくて良いからな」
「はい、すみま……あっ」
紅野が大声で笑いながら、私の頭をぐしゃぐしゃにした。
「紅野、女性の髪をそんなにするものではない」
「どうせ湿気でふわっとしてるだろ。今度脇田さんにセットの仕方教えてもらえよ。ヘタな女より上手いから」
「紫たん……でしたっけ」
「ああ、自警団始めてからはそう名乗ってんな」
「以前は違ったんですか?」
「前は葵とか美月とか、いろいろ変わってたな。何で『紫たん』なんだって訊いたら、『自分だけ名前に色が入ってないのが癪だから』って言ってたよ」
厨房で皿が割れるような大きな音がした。ハイヒールの店員が笑いながら頭を下げている。
「あの、早速質問しても良いですか?」
「おう。何だ?」
「あまり言わないで欲しいようなこと言ってましたけど……キャラクターカウンセラーって、」
ああー、と2人が頷きあっている。
「確かにありゃあ気持ち悪いよな。」
「神谷、パノプティコンというものを知っているか」
「ぱ、パプ……」
「パノプティコンだ。ベンサムという人物が考案したらしい」
「簡単に言うとな、ドーナツ状に囚人の部屋があって、真ん中に看守の部屋があんだよ。で、看守の部屋と囚人それぞれの部屋を繋ぐ窓がマジックミラーになってて、看守からは囚人が見えるが、囚人からは看守が見えねぇようになってんだ。そうすると、囚人は看守が見てるか見てねぇか分かんねぇ状態で、常に怯えながら暮らすことになるだろ」
「まあ、効率的な監視ではあるがな。キャラクターカウンセラーが監視しているのはおもに音声と心理学的な行動らしいが、他に何を見られているかは分からない。」
「あれって、青山さんが管理してるんスか?」
「それが、どうも違うらしい。今はコーンフラワーホールディングスのグループ会社でプログラマーをしていた人物が管理しているという噂があるが、青山も教えようとしないんだ。」
「あの……青山さんってどんな方なんですか?」
「青山は、コーンフラワーホールディングス代表取締役社長、青山 嘉彦氏の次男だ。」
「……えっ、」
「ちなみに兄ちゃんは青山 寿彦、今は副社長だか専務だか、そんな人だな」
「嘉彦氏はもうすぐ社長職を引退して会長になり、寿彦氏が社長職を引き継ぐらしい。正直、うちとコーンフラワーホールディングスは清廉潔白な関係とは言い難いかも知れないな」
「自警団が出てきてからは異例づくしだったしな。警察含めお偉いさん方も、自警団みたいな組織はよっぽどのことがねぇと取り締まりにくいんだろ。……大丈夫かよ?」
「……あっ、はい、すみません。ちょっとびっくりして」
「まあ、慎重に理解を進め、じっくり考えた上で判断をすれば良い。幸い、現代社会は我々のような人間に寛容だからな」
「はい」
店を出ると、雨が降りだしていた。まだ弱いが、遠くで雷が鳴っている。
「降ってんのか……俺傘持ってねぇよ」
「この天気で持っていないお前が悪い。行くぞ、神谷」
白瀬は傘を開いてさっさと歩き出してしまった。
「えー、白っさん入れてくださいよー」
「お前と相合い傘なんか気持ちが悪い」
「……神谷、」
紅野がこちらを見ている。
「神谷、聞くことは無い。」
「けど、ちょっとですし」
後ろにびしょ濡れの人を連れて自分は傘を差しているなんて、そっちの方が気持ち悪い。
「おっ、マジで?助かるわー。」
紅野は私の開いた傘に飛び込むと、傘を取り上げた。
「背が高い奴が持つべきだろ?ほら、くっついてないと濡れちまうぞ」
紅野に肩を引き寄せられる。……恥ずかしい。
「だから言っただろう。紅野、神谷が恥ずかしがっている」
人に言われると更に恥ずかしい。紅野は笑っただけで、マンションに着くまで離してはくれなかった。




