善意に過ぎているなんてことは無いんだよ
荷物は、纏めてみると段ボール3個分くらいしか無かった。青山は「明日には」と言っていたが、実際には手続きに2日かかり、やっと今日、引っ越しが出来るという知らせが来た。手伝いはいらないと言ったが、結局青山と白瀬が来て、青山の車でマンションまで送ってもらうことになった。運転席には白瀬が座り、青山が助手席に、私は後部座席に座った。車の中には淡く爽やかな香りが満ちている。
「遥さん、随分荷物少ないんだね。」
青山がこちらに顔を向けた。今日も白い手袋をしている。
「ええ、まあ……正直、恵まれた生活ではなかったので」
本当はもう少し恵まれた生活も出来たのかも知れないが、自分で選んだことだから仕方がない。
「それでも自分の幸せより社会の幸せを志すなんて、立派だね。嬉しいよ」
「いえ、そんなんじゃ……私、大学に行くお金も無いし、就職も出来なくて、今まで何かの役に立ったことが無かったので……だから、今度こそ絶対に役に立ちたいって思ったんです。」
「あまり気合いを入れ過ぎない方が良い」
白瀬の声に心が泡立つ。もっと華やかな仕事も出来るんじゃないだろうか。
「我々はあくまで自警団だ」
「だとして、何かを志すって素晴らしいことだよ。遥さん、一緒に頑張ろうね。」
マンションは1階に店が入っている、いわゆる下駄履きマンションだった。1階が何の店かは分からないが、マンションはかなり大きく、新しそうだ。
「気に入ってくれた?」
「はい、勿論……けど、私には」
「善意に過ぎているなんてことは無いんだよ。受け取ってくれればそれで良いんだ」
「……ありがとうございます」
私の部屋は4階の角部屋で、日当たりも良く、綺麗で良い部屋だった。家具が備え付けなのが驚きだ。段ボールを1人1個運んで、引っ越しはあっさり終わった。運び終わった所で青山に電話がかかってきて、切った後青山が白瀬に何かを耳打ちしていた。
「今、お茶淹れますね。」
「ううん、お構いなく。まだ引っ越したばかりで大変だと思うから。」
「けど、」
「本当ならここでの過ごし方について話しておきたい所なんだけど、ちょっと急用があるからまた後で。分からないことは、隣のサクラに訊いたら良いよ。遥さんより随分先輩だし、一人暮らしも長いから。じゃあ、僕達はこれで。また来るね」
隣に挨拶に行かなければならないが、そういえば手土産を用意していない。……携帯が鳴った。
「もしもし」
『「Tracker Dogs」の黒木と申します。神谷遥さんの携帯でしょうか?』
黒木は「Tracker Dogs」のリーダーだ。まだ何か用があるんだろうか。
『先日は、うちの宮下が失礼を致しました。私の不徳の致す所です』
「はあ……。あの、私もう別の自警団に入っているので」
『……そうですか。私としましては、お詫びも兼ねてお話をさせていただければと思ったのですが』
「いえ、もう結構です。」
『分かりました。もし考え直していただけることがありましたら、この番号で結構ですのでいつでもご連絡ください。』
電話を切ってすぐ、インターホンが鳴った。
「はい」
ドアを開けると女性が1人。こう言ってはなんだが、ありがちな茶色の髪をありがちなパーマで巻いていて、服装も同年代の女性を5人集めたらかぶりそうだ。特別醜い所は無い整った顔立ちだが、アイラインやつけまつげで目の回りが真っ黒で、チークに至ってはクレヨンで塗ったんじゃないかというような色の付き方をしている。
「隣のサクラさんです。初めまして」
「あっ、すみません、私からご挨拶に伺わないといけなかったのに」
「良いの良いの。ってことでお邪魔しま〜す。あれ、荷物これだけ?身軽で良いね〜」
サクラと名乗った女性は、お茶を沸かしている間、あちこちを見て回っていた。
「すみません、お茶菓子無いですけど」
「良いの良いの。しっかし、女子の部屋にしては味気無いな〜。節約もやり過ぎると心が貧乏になっちゃうぞ!」
「……覚えておきます」
「ルドベキアはすぐに帰っちゃったみたいだけど、ここでの過ごし方については聞いてる?」
「ルドベキア……?」
「初めに事務所で紹介されたでしょ?あの5人、ルドベキアって言うの。白瀬さんとか紅野さんは嫌がってるみたいだけどね。まあ、創始者とかリーダーとか、そういうポジションよ。ルドベキア自体は花の名前らしいわよ」
「へぇ……そうなんですか。あ、過ごし方については、何か急用があるとかで後程」
「じゃあサクラさんが説明してあげる!えっと……」
「申し遅れました。神谷 遥といいます。遥で結構です」
「遥ちゃんか。良い名前だね。アタシは二ノ宮 サクラ(にのみや さくら)。気軽にサクラさんって呼んでね。」
「よろしくお願いします、サクラさん」
「よろしい。ここは基本的に生活費はかからないの。食料品とか服、薬なんかも1階で自由に手に入るから、買ったりする必要は無いわよ。後でメンバーズカードが渡されるから、必ず提示してね。」
青山は受け取れば良いと言っていたが、やはり何か引っ掛かる。
「活動は、初めのうちはルドベキアが教えてくれると思うから、しっかり覚えること。活動中に他のメンバーを紹介されたり、中には自分から知らないメンバーに声をかけたりする人もいるけど、そうやって知り合ったメンバーと活動をこなせるようになったら一人前ね。大体こんな所かしら。分からなかったら、このサクラさんに何でも訊いて良いからね。」
「ありがとうございます。頼らせていただきます」
頼るという言葉を聞いて、サクラの目が輝いた。
「まっかせなさ〜い。じゃ、長居もなんだしアタシはこれで。またね〜」
サクラが帰って3時間程で、青山が戻ってきた。
「改めましてこんにちは、遥さん。サクラとは話した?」
「はい。ここでの過ごし方も大体教えていただきました。」
「そう、良かった。あ、これ、メンバーズカードと僕、白瀬、浅葉、和泉、瑞希君の自警団用連絡先です。活動中困った時とか、『責任者を出せ』って言われた時とか、正義について学びたいとか、とにかく何でも好きな時に連絡してください。」
メンバーズカードには、履歴書の写真が使われていた。裏にメモが貼ってある。『写真は仮のものです。メンバーズジャケット着用の写真を撮ったらすぐに取り替えてください』。
「じゃあ、早速明日から活動を覚えてもらうね。まずは朝8時、僕と白瀬でパトロールに行くからついてきてください。集合は7時半、ここの1階ロビーで。」
「よろしくお願いします。」
「うん。ではまた明日。」
青山は帰りかけて、あっと声を上げて戻ってきた。
「そういえば、制服の話をしていなかったよね。」
「あ、はい」
「自警団は団体ごとに決まった服やアイテムを持つと決まっていて、『Our Justice』では上着かエンブレムを着用する決まりになっています。上着のサイズや丈は任意で、購買にもいろんな形があるし、慣れてきたらオーダーメイドも出来ます。活動中は見える所に着用しなければならないので、明日までに受け取っておいてください。良いですか?」
先程カードの裏にあったメモの『メンバーズジャケット』とは、恐らく制服の上着のことだ。
「分かりました。」
「では改めまして、また明日。」




