本当に食べてくれた
秋も深まり、今日は気温は高いが空気が乾燥している。加湿も兼ねて部屋でお湯を沸かしていると、橙乃から電話がかかってきた。
『もしもし、遥ちゃん?』
「瑞希君、こんにちは」
『急なんだけど、明日の午後って何か予定ある?』
「明日は紅野さんたちと夕方パトロールすることになってるよ。」
『そっか……実は明日の午後が急にオフになって、次はいつ休みが取れるか分からないからどこか一緒に行けたらと思ったんだよね。……出来たらさ、』
「うん?」
『…………ちょっと待っててくれる?』
「分かった。」
10分ほど経って、インターホンが鳴った。
「はい」
ドアを開けると、紅野が橙乃の頭を鷲掴みにして立っていた。
「面倒臭ぇから連れてきた」
「……はい?」
「橙乃さんが『遥ちゃんと出かけたいんだけど……』つって電話してきたんだよ。どいつもこいつも、俺の許可取んなくて良いっつーの」
「だって浅葉君、あれだけオープンに」
「うるせぇな良いっつってんだろ!神谷、明日のパトロールは休みにするからな」
「えっ……けど、」
「俺に急用が出来たんだ。和泉さんには俺から伝えとく」
「はあ……」
「ちょっと浅葉君、」
「正直な話、俺と橙乃さんじゃ立場が違い過ぎてフェアじゃねぇだろ。俺はどんなことでもやってみて、その上で選んだことがそいつにとって正しいことだと思うからさ。神谷に沢山の選択肢があるんなら、俺が出来るのは神谷の選択肢を俺の身勝手で潰さないことと、その選択肢の中で俺を選んでもらえるように努力することだからな」
「……浅葉君、」
「何だよ」
「浅葉君って、多分白瀬君より早死にするよね」
「あぁ?何だそれ」
「それくらい優しいってことだよ。……ありがとう、浅葉君」
紅野が珍しく赤くなっている。
「……た、ただし神谷に変なことすんなよ!神谷が泣いて帰ってきたらただじゃおかねぇからな!良いな!」
それだけ言い残して、紅野は帰ってしまった。
「フフ、本当に良い人だよね。……さて、遥ちゃん」
「うん。」
「改めて、明日僕と一緒に出かけ……ううん、デートしてください。」
正面きって「デート」なんて言われて、恥ずかしくて頷くことしか出来なかった。
「良かった。じゃあ明日の午後2時に、少し遠いけど揚羽台の駅に集合で。」
ロビーから2人で出かけるのは流石にまずいんだろう。揚羽台はこことは違う自治体で、便利ながら人で溢れることは無いような穏やかな所だ。
「分かった。楽しみにしてるね」
翌日、約束通り揚羽台へ。華があるというのか、遠くからでも橙乃がいるのはすぐに分かる。そういえば橙乃の私服は宴会以来だが、あの時の服は明るい印象のごく普通のアイテムが多かったのに対し、今日はやや装飾的で嫌味のないゴージャス感が漂っている。
「おはよう、瑞希君」
「おはよう、遥ちゃん。……やっぱり、似合ってないかな?」
あそこまで整った顔立ちで、似合わない服なんてあるんだろうか。
「ううん、とっても良く似合ってるよ。ただ、宴会の時に見た服と雰囲気が違うような気がして」
「そうだよね。元々僕はこういう服が好きなんだけど、青山君に『イメージに合わない』って変えさせられてて。」
「今日は良いの?」
「うん。自治体が違うと自警団の知名度はかなり落ちるし、何より今日は本当の僕で向き合わなきゃって思ったから。遥ちゃんは、こういう服どう?」
「……えっと、」
「今後の為にも正直に言ってよ。」
「…………第一印象で言えば、ヴィジュアル系を卒業したロックバンドのボーカルの人みたいな」
「フフ、面白いこと言うね」
「ううん、そういう服ってやっぱり顔立ちが整ってないと似合わないっていうか…………ごめん」
「ううん、嬉しいよ。じゃあ、行こうか。こっちだよ」
「……北口じゃないの?」
揚羽台は北口方面なら大きな道路に面していてそこそこ開けているが、西口方面はかなり寂れたイメージだ。
「うん。こっちで良いんだ」
橙乃について行くと、遊園地だと思われる所に着いた。ゲートには「スワロウテイル」と施設名らしきものが書いてあるが、ゲートはペンキが剥がれて錆びているし、人が全然いない。
「心霊スポットとかじゃないから安心してね。」
もう70近いだろう係員の女性に入場料を払い、「スワロウテイル」の中へ。殆どの乗り物が動きを止めていて、係員もいたりいなかったりだ。
「僕、人が沢山いる所が好きって思われがちなんだけど、本当はこういう落ち着いた場所が好きなんだ。スワロウテイルは時間が止まったパラレルワールドにいるような感覚になって、現実を忘れられて凄く癒されるんだよね」
確かに、ここは普段いる所とは別の世界みたいだ。初めは怖かったけど、そう考えると楽しくなってくる。
「アトラクションに乗っても良いんだけど、実はおすすめの場所があるんだ。良ければ先に、そこに案内するよ」
橙乃に連れられて、敷地の奥の建物に向かう。表に「rabbit hutch」と書かれており、赤と黒を基調とした「不思議の国のアリス」に出てきそうなお屋敷だ。中に入ると、80になろうかという男性が出迎えてくれた。中は薄暗く、照明のオレンジが強くて夕方みたいな感じだ。
「……よぉ、橙乃君。……橙乃君は10000ポイント残ってるよ。……コインあげるよ」
男性は数えもせずに大量のコインを袋に詰めて、橙乃に手渡した。
「いつも10000ポイントって言うじゃない。」
「……来てくれるだけで嬉しいんだよ。……ゆっくり遊んでいきな」
屋敷の中には様々なゲームが置いてあった。ビリヤード、ダーツ、カジノみたいなトランプゲーム、スロット、古いアーケードゲーム、よく知らないボードゲームの台。
「ここね、元々は介護施設か何かの跡地で、その施設では利用者が毎月ポイントをもらってこういうゲームで遊んでたんだって。それでその施設が移転する時に、ここのオーナーがこの建物とゲームの道具をそのまま譲ってもらったんだ。良い雰囲気でしょ?」
「うん、何か外国に来たみたい。けど、どれもやったこと無さそうだし……」
「大丈夫、僕が分かることは教えてあげるよ。ルドベキアの皆はこういうのに強くて、よく付き合わされたんだ」
「ああ……以前は遊んでたって言ってたね」
「うん。和泉君はカードゲームとかビリヤードみたいな頭使う系、浅葉君はダーツとかボウリングとか、とにかく体を動かすやつは強かったなぁ。青山君は全部出来るけど大体2番目で、いっつも負け惜しみ言ってたっけ。」
「白瀬さんは参加しなかったの?」
「白瀬君は遠慮して見てるか本気でやらないことが多かったんだけど、ジュース全員分とか賭けてやると白瀬君がボロ勝ちするんだよね。やっぱりああいう人には神様がついてるのかなぁ」
「確かに、そんな気がする。瑞希君は?」
「僕はスポーツ系はまあまあだったけど、頭使う系は全然だし、アーケードゲームもあんまり上手くないかも。頼りない師匠だけど、よろしくね。」
最初に向かったのはダーツの前だ。矢が無造作に置かれていて、隣にはいつのものか分からない「N」という人物の点数が書かれた表がある。
「まずは見てて」
橙乃はウインクすると矢を1本手にした。ひゅっ、と音がして、矢が的の中央付近に刺さる。
「凄い。真ん中だね」
「うーん、けど1番高い得点じゃないな。さ、次は遥ちゃんの番」
矢を持って的の前に立ってみる。思い切って投げると、矢は横向きに飛んで的の外側に当たり、床に落ちた。
「あっ……やっぱり無理かも」
「ううん、僕も初めてはそんな感じだったよ。もう一度矢を持ってみて」
言われた通り矢を持って的の前に立つと、すぐ隣に橙乃が来て私の手を取った。近くに寄ると、白瀬の爽やかな香りと違う、甘くてスパイシーな香りに包まれる。
「矢はこうやって持って、こうして手首を返すように投げるんだ。」
橙乃に手取り足取り指導される。最初はダーツに夢中で意識しなかったけど、ふと橙乃の顔を見てしまって、恥ずかしさに視線が泳ぐ。
「ときめいてくれた?」
「えっ、えっと、……あの、」
「フフ、そういうとこ、本当に可愛いなぁ」
暫く投げていると壁に刺さるようにはなったけど、正直もう、ダーツどころではない。橙乃は悪戯っぽく笑うと、「他もやってみようか」と私の手を引いた。
入口以外誰もいなかった筈なのに、いつの間にかカードゲームの台にディーラーが立っている。ディーラーはウェーブのかかった髪と髭で顔がよく見えず、年齢も分からない。ぱっと見は白シャツにベストでかちっとしているが、ドット柄と思いきや髑髏柄のネクタイで、アクセサリーにも遊び心が見える。
「折角だから、少しやってみる?」
「でも、ルールとか分からないし……」
「大丈夫。カードゲームはルールは簡単で、その代わりに奥が深いものが多いんだ。」
席につくと、ディーラーがカードをきり始めた。まるでカードが手に吸い付いているみたいで、どうやっているのか不思議だ。
「『ポーカー』って知ってる?」
「聞いたことはあるけど……」
「ルールは単純なんだよ。5枚カードを引いて、カードを何回か交換して役を揃えるんだ。僕が皆とやった時のルールでは、カードを交換する時にゲームを続けるか下りるか選べて、その時に掛け金も決めるんだけど、今回はコインを賭けるのはやめておこうね。役とか詳しいやり方は机の下にルールブックがあるから見てみてよ」
机の下には古そうな「ルールブック」が置いてある。確かに、ポーカーのやり方も書いてあるようだ。ディーラーが橙乃と私の前にカードを配る。手札は……幸い3と6が2枚ずつある。
「うーん、僕の手札、良くないなぁ。」
ルールブックを見ながら進めていくが、あの人間離れした2人を見ているとこれは現実なのかと疑いたくなってくる。
「フフ、遥ちゃんかなり顔に出てるよね。今回は手札が良かったんだ」
「えっ?」
「それに、僕やディーラーさんを怖がってるみたい。ちなみに、僕もディーラーさんは怖いけどね。」
ディーラーは無言のまま一瞬だけ笑い、すぐに元に戻った。ロボット……というより、からくり人形みたいだ。
「私、こういうゲームには向いてないんだね……」
「ううん、僕としては初心者だとどのくらいの手札を良いと思うのか分かりにくくて難しいよ。」
「じゃあ、慣れてきたら負けちゃうのかな?」
「ところが、慣れてくるとどういう顔をすれば相手が騙されるのか分かってきて、さらに難しくなるんだよね。……本当、こういうゲームは良く出来てるよ。例えば誰かを喜ばせようとしても、相手が本当に喜んでるかどうかなんて顔だけじゃ分からないんだよね。相手が嫌いだから『どうも』って嘘ついて笑うこともあるし、相手を大切に思うからこそ嬉しくなくても笑うことだってあるし。どんなに親しい相手でも、こんなゲームひとつ上手く出来ないんだ」
「……でも、全部分かっちゃう人間関係も何かおかしいような気がするけどな」
「遥ちゃんのそういう感性って、本当に凄いなって思うよ。」
何回かやってみたが、全て私が勝ってしまった。
「強いなぁ、遥ちゃん」
「ビギナーズラック……かな」
本当は、ディーラーが時々カードを入れ替えて私に強い手札を渡していたんだと思う。これは橙乃の指示なのか、ディーラーが気を遣ってやったことなのか。ディーラーを見ると、「ヒミツ」と人差し指を立てて笑ってくれた。
「少し早いけど、夕食にしようか。」
橙乃に連れられて、紺と緑に彩られたレストランへ。入ってみると、インテリアは全てアンティークな雰囲気に統一されていて、昔からここを知っているような妙な感覚に襲われる。
「ここも素敵……」
「嬉しいな。僕のおすすめはオムライスなんだけど……」
「じゃあ、オムライスにするよ。」
「うん。あと、ここのラズベリーアイスは絶品なんだ。食べてみて」
橙乃も同じものを頼んだ。料理は来るまで少し時間がかかったが、建物を見るのに夢中であまり気にはならなかった。厨房では小太りの男性が踊るように料理していて、それだけでここのものは美味しいんだろうなぁという気になる。
「お待たせしました」
料理を運んで来たのは先ほどのディーラーに見えるが、今はアクセサリーが外れていてかっちりとした蝶ネクタイだ。オムライスは見るからにふわふわとろとろで、デミグラスソースと白いソースがかかっている。まずは一口食べてみる。
「どう?」
「……美味しい。本当、今まで食べたオムライスで1番かも」
「良かった。僕、時々これを食べる為だけに来るんだ」
夢中で食べていると、いつの間にか橙乃が私の隣に座っていた。
「瑞希君?」
「良いじゃない、誰もいないし。」
橙乃は私の肩に腕を回し、スプーンを手に取ると一掬いした。
「はい、あーん」
「えっ?」
戸惑いながら、橙乃の差し出す一口を食べる。
「あっ、本当に食べてくれた」
「えっ、違った?」
「ううん、嬉しい誤算。はい、あーん」
結局半分くらい食べさせてもらい、橙乃は満足したのか自分の席に戻った。
「ご馳走さま。」
橙乃は食べ終わると音楽プレーヤーを取り出した。
「デザートが来るまで時間がかかるから、いつもこの曲を聴くんだ。」
イヤホンを渡されて耳につけると、スローテンポの曲が流れてきた。かなり激しい曲調なのに、終わると切ない余韻が耳に残る。
「この曲は『bubble』っていって、ルドベキアのメンバーはこの曲が大好きだったんだ。『Our Justice』は僕や和泉君、紅野君が加入してから暫く『Bubble Justice』っていう団体名だったんだけど、青山君が『泡沫の正義なんて縁起が悪い』って無理矢理変えたんだよ。Bubble、泡、アワ、Our。オヤジギャグだよね。青山君、自分で考えたくせに『押し付けがましい』ってまた変えようとしてるらしいよ」
デザートのラズベリーアイスが運ばれてきた。深い赤のアイスに鮮やかな緑の葉が飾りつけられ、周囲に銀箔が散らしてある。
「クリスマスみたいな色使いだよね。食べてみて」
口に入れると、ラズベリーを生で食べているようなジューシーな香りと甘酸っぱさが広がる。
「これも美味しい!」
「でしょ?実は冬季限定の…………ううん、何でもない」
アイスを食べ終わり、外へ。すっかり夜になり、月明かりが柔らかく辺りに降り注いでいる。橙乃に手を引かれ、アトラクションがある場所に戻る。
……なんて綺麗なんだろう。
電飾にライトアップされたアトラクションたちが動きだし、夢みたいな光景を作り出している。
「幾つかアトラクションに乗ろうよ。」
最初に乗ったのはメリーゴーランドだ。以前別の所で乗った時は何故こんなものに乗るのかと思っていたが、今は非日常を感じてワクワクしている。
「綺麗でしょ?」
「うん、とっても」
「不思議だよね。同じ所をくるくる回るだけなのに、昼と夜、一人と二人、その時の気持ちで綺麗にも汚くもなるんだ。僕の世界もいつかこんな風にライトアップされて、大好きな人と一緒に見つめることが出来るのかな」
その後も幾つかアトラクションに乗ったけど、どれも美しく、心躍るものばかりだった。
「あー、楽しかった。ここ、唯一観覧車が無いことだけが残念なんだよね。遥ちゃん、楽しんでもらえた?」
「うん。凄く楽しかったよ」
「良かった。…………また来ようね」
「……うん。」
帰り道、私が顔を見る度、橙乃は微笑み返してくれた。
部屋に戻り、鞄を片づけていると中から見覚えの無い小さな箱が出てきた。「遥ちゃんへ」……取りあえず開けてみる。
「……綺麗」
中に入っていたのは、小さなクロスのペンダントだった。グリーティングカードが添えられている。
「『遥ちゃんへ ささやかですが今日の思い出に ありがとう』」
見ていると何故だか涙が出てきた。一度泣き出すと止まらなくて、ぽたぽたと涙が落ちていく。
『遥チャン?』
「流星、どうしたんだろう私、嬉しいのに……楽しかったのに、何でこんなに泣いてるんだろう」
流星は何も言わずに、私が泣き止むまで見守ってくれた。
「……流星、橙乃さんに何てお礼言ったら良いのかな」
流星が珍しく答えに迷っている。待っている間に、橙乃からメールが来た。
『今日はありがとう 返信はいいからゆっくり休みなよ』
『……遥チャン、今は何も言わなくて良いのです。今日はその言葉に甘えてゆっくり休むのです』
「けど……このままじゃ」
『急がなくて良いのです。それより、納得出来る言葉を探すのです。プレゼントはもらった日にちよりも、ものの価値よりも、その人がもらってどう思ったかが重要なのです』
次の日、他に誰もいないロビーに橙乃が一人でいるを見かけたので声をかけてみる。
「瑞希君、」
「こんにちは、遥ちゃん」
「昨日はありがとう。プレゼント、凄く嬉しかった」
「喜んでもらえて良かったよ。」
「考えたんだけど……やっぱり、まだすぐに答えは出せないと思う。だから、今はいろんな人に……甘えてみようと思う。私が納得出来ない答えは、誰が聞いても納得出来ないと思うから。だから……また行こうね、スワロウテイル」
「うん。……僕、今まで人の顔を見て裏が無いかビクビクしながら生活してたけど、思い出してみると昨日はそんなこと無かった気がするんだ。僕はまだ表の僕も裏の僕も手離せないけど、……ううん、本当は皆、いろんな顔があって当然なんだよね。けど、だからこそ遥ちゃんとは本当の僕で、本気の僕で向き合いたいんだ。だから、こちらこそありがとう。また絶対行こうね。」
ロビーのドアが開いて、「瑞希君!」と数名の女性が駆け寄ってきた。1人は二ノ宮で、他の女性はエンブレムも上着も着けていない。
「サクラさん、あんまり関係無い人を呼んじゃ駄目だってこの前青山君に怒られてたじゃない。」
「この人たちは入団希望者だから良いの。」
二ノ宮に気づかれないうちに、そっとその場を離れる。後で、ペンダントを着けられる服を探してみようかな。




