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僕たちの正義へようこそ  作者: 末広 有夏
17/31

またつまらない話を

 昨日は殆ど眠れず、朝になってしまった。食欲も無いので部屋でぼうっとしていると、電話が鳴った。白瀬からだ。

『おはよう、神谷。起きていたか』

「おはようございます、白瀬さん」

活動の誘いだろうか。今日はとてもじゃないが、青山と一緒の電車には乗れない。

『体調不良らしいが、大丈夫か?』

「……はい?」

『俺にも状況がよく分かっていないんだが、和泉に神谷が体調不良のようだから電話しろと言われてな。迷惑なら切るが』

「いえ。体調……風邪とか明らかな体調不良ではありませんし、大したことないですよ。」

『そうか。なら良かった。活動は無理せず、出来る時に参加すれば良いからな』

「ご心配ありがとうございます。」

『ああ。……昨日は青山と食事だったそうだが、』

体が勝手に反応して、携帯を落としてしまった。

『……うに大丈夫か?』

「はい。すみません」

『いや、良いんだ。他のメンバーにも伝えておくから、今日はゆっくり休むと良い。お大事に』

電話を切り、ごろごろしているうちに昼を過ぎてしまった。昼食をどうしようか考えていると、インターホンが鳴った。

「はい」

「あー、紅野です」

ドアを開けると、紅野がビニール袋を持って立っていた。

「悪いな、体調不良の時に。白っさんから風邪とかじゃねぇし大丈夫そうだとは聞いたんだが」

「はい。本当に、大したことないですから」

「そっか、良かった。これ、果物とか栄養ドリンクとか持って来たから、迷惑じゃなければもらってくれ」

「ありがとうございます。あ、お茶でも……」

「いやいや、病人にそりゃあねぇよ。この間みたいに倒れる前に、しっかり休めよ。……それでさ、」

紅野は気まずそうに頭を掻いて、ビニール袋を差し出す手を少し引いた。

「こんな時に言うことじゃねぇとは思うんだが」

「はい?」

「例えば、俺も……俺が神谷と2人で出掛けたいっつったらどうだ。」

「俺も」というのは、青山と出掛けたなら、ということだろうか。

「いや、嫌なら良いんだ。まだ知り合って1か月そこそこの奴にそんなこと言われても気持ち悪いよな。本当、こんな時に悪かった。大事にしろよ」

私にビニール袋を押し付けて、紅野が帰っていく。

「あ、あの、」

「……おう」

「私……嬉しいです」

青山に言われた時と違って、違和感も嫌な感じもしない。

「あー……良いのか?」

「はい!」

「マジで?やっ……あー……い、行きたい所とかあるか?」

「行きたい所……あっ」

「あるのか?」

「あの、変な話なんですけど……お寺に、」

「寺?」

「はい。あの、パンクバンドのジャケットみたいになったっていうお寺です」

「あぁ、なるほど。寺か……まあ、行ってみるか。丁度盆だし、再来週あたりでどうだ」

「はい。楽しみにしてます」


 次の日も休みをもらい……というか、紅野に無理矢理休まされて、ゆっくり過ごした。午後、白瀬から着信があった。

「もしもし」

『神谷、体調はどうだ』

「はい、もうすっかり良くなりました。」

『それは良かった。……今後の活動のことなんだが、』

「はい。」

『そろそろ1人前の団員として、2人1組で行動しても良いんじゃないかと思うんだ。先日は橙乃について活動を出来たようだしな。初めは朝の電車などの、言い方は悪いが「軽い」業務からこなせると良いが』

「嬉しいです。けど……少し不安です」

『無論、もう暫くは我々と組んで活動してもらうから安心してくれ。それと、神谷はまだ「呼び出し」の活動はしていなかったな』

「はい。」

『滅多にあることではないが、次に要請が来たら神谷もついて行けるようにしておく。基本的な流れくらいは覚えておいて損はないだろう。』

「ありがとうございます。」

『ああ。では……明日から、暫く電車に乗ってみるか。』

「あぁ、えっと……」

それでは、青山と2人で活動を行わなければならなくなるかも知れない。

『……こんなことを訊くべきではないんだろうが、青山と何かあったのか?』

「いえ、……あの、」

『まあ、話しにくいならそれで構わない。神谷が良ければ、暫くは俺と2人で電車に乗ろう。青山は新しいポスターの作成で忙しい筈だからな』

「はい、嬉しいです」

『では、そのように。紅野と和泉の活動については、やはり危険だからある程度護身術を身に付けるか、3人で行動するのが無難だろう。うちは2人以上と定めているだけであって、何人いるのかは問題ではないからな』

「あの……護身術とか、習った方が良いんでしょうか」

『別に強制はしない。そもそもの能力や体格によって差が出るし、そのようなことをしないで自警団をやっている人間も沢山いるからな。ただまあ、今後覚えておいて損はない技術だ。和泉や紅野はそういうものに慣れているから、教えてもらうと良い。』

「分かりました。」

『ああ。では明日の朝、ロビーで待っている』


 翌朝、白瀬はいつものように、約束よりだいぶ早い時間に来ていた。近くに寄ると、いつもの良い香りがする。

「おはようございます、白瀬さん」

「おはよう、神谷。体調はどうだ」

「もう大丈夫です。ご心配おかけしました。」

「そうか、良かった。今日は西螟蛉駅に行くからな」

「はい。よろしくお願いします」

 西螟蛉駅で入場証をもらい、電車にのる。1時間ほど乗り続けたが、今日は事件などは無かった。

「これで終了だ。お疲れ様」

「ありがとうございます。」

 入場証を返して帰ろうとしていると、帽子を目深に被った男性とすれ違った。男性はエンブレムを見ると、すぐに引き返した。

「彼、この辺では有名人なんですよねぇ」

駅員が苦笑いしながら言った。

「スリを繰り返して、刑務所にも出たり入ったりしてるみたいです。自警団が出来てからは犯行も減ったみたいですけど」

 帰り道、白瀬が冷たい飲み物を買ってくれた。

「さっきの男は、『人差し指のジュン』とか呼ばれているようだ。なんでも、人差し指1本でスリを出来るらしい」

「反省、出来ないんでしょうか。」

「……神谷、俺は物事には具体的解決と抽象的解決があると思っているんだが、」

重要そうなので、メモを取り出す。白瀬はそれを見て、少し安心したような顔をした。

「例えば、太っていてそのせいで病気になり、何回も病気と回復を繰り返している男がいたとする」

「はい」

「その男に出来る具体的解決は、医者で薬を貰うこと、ジムで運動すること、食事制限をすることだ。しかし、俺はそれでは不十分だと思うんだ」

「駄目なんですか?」

「いや、現代においてまずやるべき解決だとは思う。ただ、それだけでは足りないんだ。俺が思うに、その男は体調が戻った途端に、今までの不摂生な生活に戻ってしまう。これでは目先の解決は出来ても本当の解決にはなっていない。彼を救うには、併せて抽象的解決を行うことが必要だ。それは、彼に命の尊さを教えること、あるいは彼に憑いている悪霊を退治して彼の生活を正すことだ」

「悪霊……?」

「俺は霊が存在するかどうかは分からないし証明も出来ないが、実際どんなに薬を飲んでも治らなかった病が宗教儀礼を受けたら途端に治ってしまった、なんて話も聞いたことがある。こうして彼の生活を脅かすほどの心の歪みを治すのが抽象的解決だ。ただし、これはあくまで具体的解決を終えた上で、必要がある場合に行う」

「へぇ……」

「『人差し指のジュン』にも、抽象的解決が必要なのかも知れないな。俺は人間は生きている限り学び続けるべきものだと考えているが、そう思わない人間も世の中にはいるんだろう」

「学校だけでは駄目だということですか?」

「無論、学校教育は絶対に必要なものだし、学校で全てが教えられることが理想だ。だが、だからといって学校以外の教育を蔑ろ(ないがしろ)にして良いという訳ではない。教育にも様々な種類のものがあって、俺の感覚で言えば、学校でするような各教科や道徳の授業は具体的解決、哲学や宗教は抽象的解決だ」

「道徳は抽象的解決じゃないんですか?」

「あくまで個人的な感想を言えば、『貴方の善は何か?』と問う哲学や宗教と違い、道徳は基本的に『社会通念上善とはこういうものである』ということを学ぶ学問だと思う。だからこそ重要だとも言えるしかなり内面的に働きかける力が強いが、法律を学ぶのと変わらないところもあるのではないだろうか」

「ああ、なるほど……」

「無論、善悪を扱う以上ある程度の抽象的解決を含んでいるのは間違いないが、それはどのような学問にも言えることだからな。」

「科学にも抽象的解決はあるんですか?」

「『愛とは何か』」

「えっ?」

「科学的にも、『愛とは何か』についての考察はされている。結果、ホルモンや遺伝子の働きなど科学的な考察になる訳だが、その出発点は『愛とは何か』だったことに変わりは無い。似たようなところでは、医学などは命の大切さを直接問われる学問で、最近は代理母や不妊治療など分かりやすく倫理観に訴える問題もある。逆に、好意的かどうかは別にして、宗教儀礼や占いをあえて科学や社会学、心理学、経済学など他の学問の視点で考察しようという動きもある。この間神谷は『神社にいけば神様に会える』と言っていたが、確かに具体的解決と抽象的解決を完全に分けることは難しいし、今はむしろ、両者の必要性を認識した上で互いが尊重しあう時代になっているのではないだろうか」

「『どの神が正しいか、なんて考え方はもう古い』……ということですか」

「ああ。青山の言うように、『なるべく多くの人が、どの神を信じていても同じ場所にいられて、笑いあえる』世の中になれば良いな」

「凄いですね、白瀬さん。こんなこと、私じゃ一生思いつかないと思います」

「別に、全く新しいことを考えた訳ではない。世界には唯物論と唯心論、一元論と二元論あるいは多元論という対立した考え方があるが、俺はそれらを総合し、あるいは共存させて『問題の解決』という分野に応用しようと試みたに過ぎない」

「唯……すみません、全部聞いたこと無いです……」

「無理も無い。ごく簡単にかいつまんで言うと、唯物論は物質こそが世界の本質、実在するものという考え方だ。対して唯心論は、精神やその働きが世界の本質、実在するものという考え方を言う。またこの話で言う一元論とはただ一つのものを世界の本質とする考え方、多元論は物質と精神など二つ以上のものを世界の本質とする考え方だ。二元論は二つのものを世界の本質だとする考え方なので、大雑把に言えば多元論に含まれる。唯物論は唯心論に対立し、一元論は多元論に対立している。無論、厳密に言えば解釈は様々だし、詳しくは辞書や書籍で確認して欲しい。今のところは、俺の話を理解してもらう為に俺が説明を加えたもの、くらいの気持ちでいてくれ」

「物質対精神、一つ対沢山……」

「俺の言う具体的解決とは、唯物論的な考え方から来る解決方法だ。科学的なもの、物質を中心とした、金やモノの投資のことだな。対して抽象的解決は、宗教や精神的なもの、科学では証明出来ない、歴史や民間伝承、文化に根付いているものからの解決方法だ。どちらかを信じているだけなら一元論的、どちらも、あるいは俺が考えつかないような全く別のものを一緒に信じているなら多元論的と言える」

「じゃあ、今の世界は多元論的なんですか?」

「それは人によって違う。科学以外のものを全く認めないという人間、物事の本質は全て宗教に通じているという人間もいれば、科学も占いも信じている人間もいるからな。」

「これも、『どの神が正しいか』なんですね。」

「ああ、対立する考え方のどちらかを否定するだけでは、平和解決は難しいからな。そして俺は、何か問題に直面した際に、それらをどのように用いたら良いか考えた。つまり、問題の周りに唯物論者と唯心論者、一元論者と多元論者がいた場合に、喧嘩せず、スムーズにそれを解決する方法を探したということだ」

「『らぶあんどぴーす』ですね。」

「ああ、全く和泉には頭が下がる。結局俺が辿り着いたのは、問題を解決する方法には具体的解決と抽象的解決があり、どちらかを信じている者、つまり一元論者と、どちらも信じている者、つまり多元論者がいること、そしてスムーズに解決する為にはそれら全ての存在を解決にあたる全員が認めて臨むべきだという、ごく当たり前のことだけだからな。対立するどちらかにもう片方の考え方を理解してもらう方法は何も示していないし、この考え方は結果、ある程度の分類やざっくりとした方向性の提示しか行えていない」

「けど、そうやって改めて言ってもらえると理解もしやすいと思います。」

「いや、まだ青山や和泉には遠く及ばない。……すまない、またつまらない話をしてしまったな。」

「いえ、興味深く聞かせていただきました。」

「…………そのような……は、」

「はい?」

「何でもない。帰るか」

メモを見返すと、急いで書いたせいか読めないくらい字が汚い。

「あの……今度、同じ内容をもう一度お聞きしても良いでしょうか」

「後でメールで概要を送るから、参考にしてくれ。長い上にあまり面白くはないと思うが、メールなら好きな時に見直すことが出来るからな」

「ありがとうございます。」

「俺の方こそ、感謝する。こんな話、真面目に聞いてくれるだけで有り難い」

 部屋に戻ってすぐに、メールで具体的解決と抽象的解決の概要が送られてきた。メールの最後には、また「こんな話を聞いてくれてありがとう」と書いてあった。


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