鬼さんこちら
怒っている。そう、私は怒っているの。
違う。機嫌が悪いんじゃないの。そんな簡単な言葉で片付けないで欲しいわ。
機嫌が悪いだけなのは、もう昨日で終わりにしたんだから。
「もしかして怒っているのですか? 意味もなく不機嫌になるのはいつもの事ですが、
今日は一段と眉間の皺が深いですよ。何かあったのなら、言ってください」
誰の所為だと思ってるの!! 私が怒ってるのは、アンタの所為なのよ!!
そんなノホホンっとした顔で聞かないでよね。
隣を歩くアイツの顔を、下から見上げるように睨め付ける。
こういう時、自分がチビなのが腹立たしい。どんなに怒っていても、傍からは駄々を
捏ねている子供にしか見えないんだもん。
私が怒っている理由。ううん。私が怒るのなんて、お門違いだって事は判ってる。
だからアイツだって、訳が判らないって顔してるんだもん。
そもそもの発端は、今週初めに聞いたアイツの事情。住んでいる家を、老朽化が理由で、
立ち退かないといけないらしい。その期限が今月末。それって、もう来週じゃない。
私が聞いたのは今週よ、今週。店子にだって都合ってもんがあるでしょ。大家からの
説明が、そんなギリギリだなんて、あるわけないじゃない。アイツはずっと前から
知ってたんだ。知っていて、私には黙っていたのよ。もう、意味が判らないわ。
「失礼ね。いつもいつも不機嫌みたいな言い方、しないでくれる。滅多にないでしょ。
あぁ、そんな事より、どうなってるのよ。新しい家は、もう決まったの?」
鬼ヶ島出身で生粋の鬼の血筋でもある年下の彼は、箱入り息子特有のお坊ちゃん体質。
こういう事態になっているのに、不動産屋へ行く事も、住宅情報誌を買う事もせず、
まるで重い腰をあげようともしない。こんな切羽詰まった時期になっても、引越し先
すら決まってないんだもん。いったい何を考えてるのよ。
……違う。考える必要なんてない。アイツには、ちゃんと帰る処があるんだもん。
いつだったか、私がアイツを誂った時、もう鬼ヶ島へ帰りたい、って言ってた事がある。
このまま実家へ戻るつもりなんじゃないのかな。
だからね、私が怒るのはお門違いな話でしょ。ただの私の我侭。私がただ、アイツに
実家へ帰って欲しくないだけ。私の傍からいなくなるのが、……嫌なだけなんだから。
あぁ、何で私がこんな思い、しなきゃいけないのよ。ホント、ムカつく。
「それは……まだです。何処か良い処があれば、すぐにでも決めるのですけどね」
「そんな事言って、ちゃんと探してないでしょ。どうするのよ、時間切れになったら」
「判っていますから、怒らないでください。僕だって、ちゃんと考えているのですよ。
モモちゃんは、何も知らなんだ、何も。……僕の気持ちなど、全然」
私の気迫に飲まれたのか、微かに聞こえるくらい小さな声で呟く。
何よ、それ。私が何を知らないって言うの? 気持ちって何? やっぱり実家に帰り
たい、なんて言うわけ? ねぇ、そうなの? 私と一緒にいるのはもう嫌だって、
そういう事じゃないわよね? ううん、そんなの、絶対に許さないんだから。
「ねぇ、良い処があれば、そこに決めるのよね?」
私の住むマンションの前まで送ってもらう。建物を見上げながら、アイツが住むのに
絶好の場所を思い付いた。アイツを繋ぎ止めておく、これはとっておきの秘策。
繋いでいた手を離すと、正面玄関へと続く短い階段を駆け上がった。
振り向くと、アイツと同じ背の高さになる。アイツの目を真っ直ぐに見つめて、
高らかに宣言する。
「鬼さんこちら、一緒に暮らしましょ?」
そうだ、そうしよう。アイツがいなくなる事に怯えるなんて、まるで私らしくない。
ずっと私の傍に居させてあげるんだから。まさか嫌だなんて言わないわよね。
ううん、言わせるもんですか。もう離さないから、覚悟しておきなさい。
ただね、一つだけ気になったことがあるのよ。あれは見間違いだったのかな。
私が秘策を告げた時、アイツは一瞬『してやったり』という表情を浮かべたような
気がしたの。まさかね。私がアイツに踊らされるなんて、あってたまるもんですか。
完(2014.09.07)
*****
お題:
『鬼さんこちら、一緒に暮らしましょ?』or
『何も知らないんだ、何も 』【チビ】