ヴェルエーヌ家跡地にて
『あの日、彼は血塗れで我が家の前で倒れていました』
オード様はポツリと話し出す。
その目は遠く、その時の様子を思い出そうとしているようだ。
俺は黙ったまま、コクリと頷いて、話の先を促した。
『始めは驚いたものの、裏の情報網から事前に匿って欲しい子がいる、と相談を受けていたもので、すぐに保護しました。けれど』
一度、オード様は苦しげに言葉を切った。
アリス様の震えが一段と大きくなる。
暫くの沈黙の後、オード様は「けれど」の後を震える声で続けた。
『けれど、あの子は目を覚ましてからというもの、まるで感情がないようで、虚ろな目で部屋の隅に蹲るばかりでした。そんな折、悲劇が起きました』
『彼は、召使いの一人を……殺したのです』
俺は思わず息をのんだ。
しかし、その話が終わったわけではなく、まだ続きがあった。
全く、悪魔というものは酷く残酷なことばかりしてくれる。
俺は内心ゾッとしながら、話の続きに意識を集中させた。
『それをキッカケに、彼は知らぬうちに外へ出るようになりました。その度、人を殺したのか血塗れで帰ってくる。私たちは彼をなんとか引き止めようと、あらゆる策を講じましたが、結果は全て失敗。けれど、痛々しいほど傷ついた彼を、本来得るべきものを得られなかった彼を私たちはいつの間にか、救いたくなっていたのです。だから、我が家に伝わる禁術を使いました』
『ユーテス家は特殊な魔法を受け継いでいました。それは、記憶を操作する魔法』
『それを使い、彼の過去を書き換え、私たちの子としたのです。無論、大きな魔力を持っていた彼の記憶操作は簡単ではありませんでした。完全に封じ込むには五年を要し、その間に抜け出され殺されてしまった者もいました』
『これが、彼の病とエディという意志を持つようになった理由です。悪魔との契約は何かしら、記憶を媒体としていたようで、悪魔としての意志とは完全に分離してしまいました。今、彼の中にはエディと、悪魔の意志が混同しているのです』
『どうか、彼を助けてください』
オード様とアリス様は俺を縋るように見つめた。
そして、深々と頭を下げた。
俺はあまりに衝撃的な話に呆然としながら、それを受けて、何も反応出来ずにいた。
正直、混乱していた。
彼らの言っていることは多分、嘘ではない。
それは真剣な眼差しや態度を見ればわかる。
けれど、まさかこんな話をきいて、冷静でいられるわけがなかった。
今まで俺が接してきたエディは、一体何者だったのだろう。
記憶をいじられ、悪魔の記憶のない彼は、別意志を持ちながら、悪魔という殺人鬼を隠すためのハリボテでしかなかったのいうのだろうか。
いや、彼らはそうは思ってはいないだろが、結果はそういうことだ。
だから、なのだろう。
俺は思わず聞いていた。
『俺に、どちらを助けて欲しいのですか?』
『えっ?』
『悪魔と、エディの意志。どちらを助けて欲しいのか聞いています。だって、そうでしょう。今、エディと悪魔は別々の存在だ。肉体は一つしかない以上、最終的に助けられるのは片方だけ。言っておきますが、俺は悪魔を助ける気はありませんよ。俺にとって価値があるのはエディだけだ。悪魔には確かに同情の余地はあれど、ただの憎悪の対象でしかありません。ですから、そちらを助けろと言われても無理な話です。もし、そちらを優先するのなら諦めてください。あなたたちに協力出来ません。助けられても、エディと会わせたくないです』
本当は、そんな権限はないのだろうけど。
俺は自分の中で静かに燃える怒りを感じていた。
もし、ここで悪魔の為に……幾ら同情すべき点があったとしても、ただの殺人鬼を助けろとでも言おうものなら、俺は剣を抜いてしまいそうだった。
それに、もしエディと言っても、殺人鬼を匿おうとした罪は重い。
結果として、悪魔のせいで今のエディが苦しめられているのだから、彼らが悪いことに変わりはないのだ。
威圧するように、彼らを見つめていると、オード様はジッとこちらを見つめ返してきた。
思いの外、覚悟が伺えるその目に、俺は内心驚く。
『わかっています。私達のしたことは許されない。あの時、貴女がたに彼を突き出し、然るべき処置を受けさせるべきだった』
『でも、どうかお願いさせていただきます。私たちに、このような権利があるとは思えませんが、聞いてください。どうか』
「どうか、か」
俺はアリス様とオード様の話を思い出しながら、呟いた。
彼らの意志は、固く強かった。
本当に「彼」を愛していることを感じられた。
俺は結局、それに頷きかえしてしまったのだ。
もちろん、エディを助けたいと思う気持ちが俺にもある。
だから、後悔はしていないが、何処か納得出来ない。
そもそも、どうして悪魔を助けようなどと思ったのか。
「わからない、わからないが……」
今、考えるべきはそこではない。
今考えるべきは目の前にある、屋敷跡のことだ。
ヴェルエーヌ家の屋敷跡。
ここには相変わらず人がおらず、静まり返っていた。
前回来た時は雨が降っていたが、今日は快晴で、強い日差しが広々としたこの場所に降り注いでいる。
俺はミルネの墓のそばに立つ木の木陰で、人を待っていた。
以前にもここで待ち合わせたことのある人物のことである。
迷うはずはないのだが、彼女は珍しく待ち合わせに遅れていた。
特にこの後急ぐ用もないので、のんびりとしているが、何かあったのだろうか。
「遅い、な」
俺はミルネの墓の前にしゃがみ込んだ。
よくやんちゃばかりしていた俺は、ミルネに何度も怒られていた。
青い髪を揺らし、腰に手を当てる姿は今でも鮮明に覚えている。
ミルネが殺されたあの夜のことも、また。
燃え盛る屋敷。
遠くから聞こえる悲鳴。
シャロンの慟哭。
ああ、まだ目の前に浮かび上がる、耳の奥で悲痛な声が響く。
もう五年も経っているのに、今でも時々思い出すそれは、悪夢のようだった。
ミルネの死体は中に残され、炎と共に灰になった。
あの時、俺はシャロンを助け出すのに必死で、ミルネの死体を引き出すことは出来なかったのだ。
ミルネから離れるのを嫌がるシャロンを昏倒させて、屋敷から出た後はすぐに火は大きくなり、崩れ落ちた。
ミルネの死体は骨さえ見つからなかった。
ただ、殺され方が違ったのは俺とシャロンが見たから、確かなこと。
今途轍もなく、その真相を知りたいが、彼女も悪魔も語れない、語ろうとはしない。
「ミルネ、君は悪魔に愛されてしまったのだな。君たちは、一体どういう関係だったんだい? どうして君がそこにいるのか、俺にはまだわからないよ」
どうして、こうなってしまったのか、と自嘲してみるものの、やはり返答はない。
当たり前だと思う一方で、少し落ち込んでいると、ふと背後に気配を感じた。
素早く振り返ってみると、いつの間にかぼんやりと立ち尽くすエフィの姿があった。
彼女は身体中、傷だらけで何もない宙を眺めている。
どうも、様子がおかしい。
俺は恐る恐る彼女に声をかけてみた。
「エフィ?」
すると、エフィはビクリと華奢な肩を大きく震わせた。
記憶の読めるピンク色の大きな瞳に怯えが走る。
そして、彼女はゆっくりとこちらに顔を向けると、ハッと我に返ったように表情を一変させた。
「ルーン……様?」
「ああ、俺だ。一体どうした? さっきから様子がおかしいぞ」
「あっ、……ああ。そうです。私、確か失敗をしてしまって。ロエル家にっ」
そこで、何かに気がついたように、エフィは俺に飛びついてきた。
俺はそれをなんとか受け止めながら、彼女を落ち着けるように肩に手を置く。
エフィは興奮したように、真剣な表情で叫んだ。
「お逃げください。私、悪魔の調査をしていることがバレてしまい、追われているのです。早く、この場からっ!」
「その必要はありませんよ」
エフィの声を遮ったのは、変声魔法のかけられた中性的な声だった。
途端、エフィが顔色を恐怖に染めた。
俺はどこか聞き覚えのある声に、はじかれたように顔を上げる。
僅かに残っている屋敷の崩れ跡のそばには黒い人影があった。
風に揺れるローブはまるで、死神のように不気味で、俺の向ける視線は自然と鋭くなっていた。
しかし、あちらはそれを意に介した様子は無く、ツカツカとこちらに寄ってくる。
俺はジリッ、と後退しながら、突如現れた謎の人物を警戒し続けた。
残念ながら、怪我のせいで今の俺は戦える状態ではない。
なんとかしなくてはと思うものの、追い詰められた状況には違いなかった。
レベル5で、それなりに経験のあるエフィがここまでボロボロにされているのだ。
相手も一筋縄ではいきそうにない。
取り敢えずは、時間稼ぎの為に俺は剣の柄を握りながら、謎の人物に声をかけた。
「試験の時に、忍び込んできたロエル家の手の者だな?」
「ええ、その通りです。よくぞお分かりになられましたね。流石は最強の騎士ですね、今は手負いのようですが」
「やはり、知っているか」
「当然です。しかし、安心してください。私はあなた達を害すつもりはありません。『幻蝶』の依頼主が『氷姫』だとわかった以上は、ね」
この謎の人物は流石は歴史の裏を暗躍しているロエル家の者と言うべきか、こちらの状況は全て知っているようだった。
手を出さない、とは言っているが、そのままそれを鵜呑みにすることは出来ない。
逆に、俺の警戒心を更に煽るだけだった。
俺は油断無く相手を睨みつけながら、会話を続けた。
「それは、どういう意味だ」
「私は、あなたに全て知られても、構わないと思っているんですよ。ただ、彼女に記憶を見られるわけにはいかなかったのでね。依頼主が貴女という確証もなかった」
「あれだけ悪魔に関わるなと言っておいてか。どうもわからないな」
「状況は変わったのですよ。こちらも、悪魔が処刑されることは望んではいない。しかし、現時点で表舞台に立てる者は貴女以上の適任者はいないのですよ。いざとなれば、さらい出すこともできましょうが、出来れば穏便に済ませたい。協力が得られるとうれしいのですが」
どうします、と相手は手を広げながら、首を傾げた。
剣は持っておらず、魔力媒介となるような物も見当たらない。
一見、その言葉は信用出来そうだったが、まだ何処かに武器を隠し持っている可能性は否定出来なかった。
顔を見せないことも、変声魔法を使い続けていることもその疑いに拍車をかけている。
身じろぎしない俺に、相手もそれを察したのだろう。
僅かに見える口元を緩め、苦笑した。
「信用しては貰えないようですね」
「当然だ。一度殺そうとしてきた相手だぞ。信じろという方が難しい」
「まぁ、それもそうです。でも、考えてみてください。今の状況を。私は貴女を殺そうとしていたのなら、とうに殺しています。今の貴女は戦えないのですよ。簡単なことです」
それもそうだ。
俺も馬鹿ではないし、それくらいはとっくにわかっている。
でも、理性で理解できても、納得は出来ない。
俺は意を決して、エフィをその場に横たえると相手に詰め寄った。
「ああ。でもな、顔を見せてはくれないか? それまで信用出来ない」
「……貴女は自分の立ち位置を理解しているのですか?」
「理解しているさ。お前はフィラ・エーレルに頼みごとをしにきた。その発言力を買ってな。協力を『お願い』される立場だ。俺の方が上だ。それに、お前を巻き込んで死ぬくらいのことはまだ俺にも出来るよ。そうなれば、エディも死ぬ。お前こそ、わかっているのか?」
「なるほど、そういう考えもありますね。流石はフィラ・エーレル。最強の騎士だ」
精一杯、強気に出た賭け。
それは、良い方向に転がってくれたようで、最終的には言いくるめることに成功した。
相手は徐にフードに手をかけると、スルスルと頭の後ろへ下ろした。
柔らかにウェーブした茶色く長い髪と、深い瑠璃色の瞳。
凛と涼やかに響く、美しい声音。
俺は思わず、目を見開いた。
まさか、『彼女』がロエル家の者だったとは思いもしなかった。
彼女はにっこりと微笑むと、首を傾げてみせた。
「団長、驚きましたか?」
「ああ。まさか、君だったとはな。アリエ・ウォーネ」
「はい。またそれも偽名ですが、本名もいずれ名乗ることになりましょう。ロエル家では下っ端として動いていただけなので、あまり関わりはないですよ。ただの脅しです」
「そうか。君なのなら、安心した。話を聞かせてもらおうか」
「随分と、こちらの姿は信用されているんですね」
「まあ、同じ騎士団の仲間だしな」
アリエは拍子抜けしたように、俺の言葉を聞いていた。
仲間というだけでここまで警戒を解かれるとは思っていなかったのだろう。
俺は基本的には身内はとことん信用する主義だ。
仲間は守るべき大切なものであり、一度そう決めれば、守り抜く所存である。
それに、アリエこそ今まで何度も殺す機会はあったはずだ。
今更、疑える要素も少ない。
もちろん、ああいうことがあった以上、完全に油断できるわけではないが。
俺がそれを伝えると、アリエは呆れたように再度微笑んだ。
「お人好し、ですね。団長は」
「そうでもない。裏切りには厳しいぞ。今回はこれでかなりギリギリだ」
「でしょうね」
「それに、お前は俺を試していたのだろう? 真実を知るに値する人物かを。初めから姿を見せることも計算にあったはずだ」
「ご明察。一応、ありましたよ。ここまで切り込んでくるとは流石に思いませんでしたがね」
どうやら、俺は彼女の用意した試練に合格出来たようだ。
俺はただ、エディを救いたかっただけなのだが、合格できて何よりである。
にしても、アリエはなんとも回りくどいことをした。
まるで、彼女もエディを守ろうとしているのかのような、徹底ぶりだ。
エディとは普段、仲が良かったし、そのせいかもしれない。
俺は少しそのことに引っかかりを覚えたが、アリエは曖昧な表情をするだけで、何も知ることは出来なかった。
俺の問いかけの視線をサラリと受け流して、こちらに背を向けてしまう。
アリエは先ほどまでいた柱の残る場所に足を向けていた。
俺もその理由がわからないながらも、意味のあることであることはわかっていたから、ついていく。
アリエは瓦礫の中央に立つと、その場にしゃがみ込んで、何やらブツブツと呪文を唱え始めた。
呪文に従い、アリエの足元には魔方陣が広がり、変化を呼び起こしていた。
「これはっ」
地面から現れたのは、暗く埃っぽい、地下へと続く階段だった。
俺は驚きのあまり、声を上げる。
今までの調査で地下があることは、知られていなかった。
それが、目の前に現れたのだから、俺も動揺してしまう。
アリエはそこに視線を向けたまま、真剣な表情で言った。
「さぁ、この先です。この先にエディを救う鍵はあります」
「まさか、こんなところがあったとはな」
「はい。ここは極少数の人間にしか知られていませんでしたから。それも、殆ど悪魔に殺され、今は私以外に知る人はいません」
通りで、見つけられないわけだ。
にしても、アリエはどうして知っているのだろう。
確かにロエル家の者と関わりがあるから、情報源はたくさんあるとは思うが。
アリエはそんな俺の疑問を知って知らずか、階段の一段目に既に足をかけていた。
呆然と立ち尽くしていた俺を振り返って、ヒラヒラと手招く。
「行きましょう。真実は近くにあります」




