遠き日の姉弟
「おーい、起きなさいよ! 起きなさいったら」
僕は浅い微睡みの中、寝返りをうった。
ポカポカと太陽は暖かく、そよぐ風は気持ちがいい。
小鳥は歌を歌い、風に合わせて踊る草の音は僕にとっては最高の子守唄だった。
こんなに気持ちがいい日なんて、今日より他きっとないだろう。
僕は眠気に身を任せ、庭の隅で寝転がっていた。
ああ、眠い。
今日は最高のお昼寝日和だ。
「いい加減にして! あなたが早くしないから、お父様は遠くへ行ってしまわれたじゃない。また、何日も会えないのよ。もう、一体どうしてくれるワケ? ちょっと、ちゃんと話し聞いてる?」
だというのに、耳元では迷惑な声が降ってくる。
今日はこんなにも最高なのに、こんなに騒ぐ意味がわからない。
正直いえば、邪魔臭かった。
とはいえ、いつまでも無視していても、声の主は僕にしつこく呼びかけてくるだけだ。
諦めてくれる気配は一向にない。
長年一緒に居る「はず」の僕にはそれがわかっていた。
僕は彼女を追い払う為に、渋々ながら目を開けた。
「なんなんですか、もう。うるさいなぁ」
すると、目に飛び込んできたのは青く美しい、長い髪だった。
見慣れたその髪に、僕は一瞬で声の主の正体に気がつく。
いや、声を聞いた段階で分かりきっていたことだが、僕はその瞬間、「反射的に」ため息をつかざるを得なかった。
ああ、また面倒くさいことになる。
僕は彼女を目にして、「どうしてか」そう確信していた。
案の定、彼女は長い睫毛に包まれた、サファイアのような青い瞳には怒りの炎を宿し。
控えめな桜色の唇をキュッと引き結び。
白く柔らかそうな頬を紅潮させている。
これがどういうことかなんて、誰が見たって一目瞭然だった。
彼女は怒っている。
「今、うるさいって言ったわね! なんなのよ、悪びれもなく! 本当にムカつくわね。なんなのよ、その偉そうな口調は」
「姉様、いい加減黙ってくれませんかね。何があったか知りませんけど、俺は眠りたいんです。邪魔しないでください」
「あー、言ったわね。弟の分際で! ほんっと、生意気。お父様のお見送り出来なかったの、あなたのせいなのに!」
目の前の少女、つまり僕の姉様「らしい」少女は悔しそうに地団駄を踏んだ。
僕はそれを呆れた顔をして、眺める。
全く、姉様はいつもこれなのだ。
自分の思い通りにことが運ばないとすぐに僕に当たり散らす。
たとえ、僕が関わっていないことでも、僕を勝手に絡めてはお説教してくる。
姉様は「多分」そういう人だった。
だから、こういうことにも慣れてきたとはいえ、それでも時々イライラさせられることもしばしばあった。
そういう時は、こうして今日みたいに生意気な事を言う。
それが「おそらく」僕の常だった。
「もう、じゃあちょっと待ってなさいよ! 今に目にモノを見せてやるんだから!」
「はいはい、せいぜい頑張ってください。まぁ、そんなに期待はしてませんけど」
「キッー、後で後悔したって知らないんだからね!」
姉様はそう大声で叫んだかと思うと、屋敷の中に引っ込んでしまった。
おそらく、練習用の木剣を取りに行ったのだろう。
僕が姉様の背に向けて手を振っていると、屋敷の中からメイドが姉様を叱る声がした。
お嬢様、もう少しお口を慎みください!
それでも、最上級貴族のご令嬢ですか!
とは、随分と聴き慣れている「はず」の言葉だ。
あれで最上級貴族の令嬢としてお茶会ではお淑やかに振舞っている「らしい」のだから、人の裏表とは怖いものである。
僕は一人になると、ふっと我に返った。
そして、驚きとともに自分の手のひらを見下ろす。
そこにある手は僕の知っている自分のものよりは遥かに小さかった。
視線もかなり下で、髪はあの少女と同じ青。
今の僕は知っている己の姿には程遠い姿をしていた。
「一体、なんなんだろう、これ」
それに、変に思う事はさらにあった。
あの少女と共にいた時、自分の行動が制御できなかったのだ。
頭の中には僕が知らない知識まで入っているし、口調も全くもって違う。
まるで、僕は別人に乗り移ってしまった気分だった。
いや、僕がこの姿に取り付いているのか。
よくわからないが、この場所にも見覚えがなかった。
目の前にそびえ立つ大きな屋敷と、美しく広い庭は僕のうちでは到底なさそうだった。
知識の中では僕の家らしいし、あの少女は僕の姉らしい。
あまり詳しい事はこの体が幼いせいか、あまり知識がないため分かり辛いが、そういうことらしい。
それにしても、この子は随分と口調が大人びている。
この体では精々十歳程度なのに、姉らしき少女をあしらっていた。
少女の方は年相応に、無邪気だったのだが、この体の持ち主は相当ひねくれている。
最上級貴族の英才教育の影響、というやつなのだろうか。
などと、呑気なことを考えていたが、僕はすぐにそれどころではないことに気がつく。
そういえば、僕はどうしてここにいるのだろう。
確か、僕はファボルで牙の巨狼と戦っていたはずだ。
そして、勝てたのも覚えている。
その後の記憶は朧げだが、誰かと会っていたような気がする。
あれはそう、確かどこか少し懐かしいようなあの人に。
「さぁ、戦うわよ。私の力を見せてあげる」
そこで、少女の声を聞いて、ハッと我に帰る。
二本の木剣を抱き上げる少女が視界に入ると同時に、体の自由が奪われた。
僕と一心同体となってしまった、体の持ち主が生意気な口調で少女に突っかかっていく。
嫌がりながらも、自分で相手になりにいっているあたり、楽しんでいるようだった。
そこはまだ、年相応といったところだろう。
「いや、本当に持ってきたんですね。わざわざ負けに来るなんて、思いませんでした」
「はぁ? 何言ってんのよ。私が勝つに決まってるじゃない。いつも通り、絶対に泣かせてやるんだから」
少女は自信満々に言って、木剣を僕の前にポイッと投げ出した。
勝手に動くはそれを拾い上げて、軽く振る。
幸い、子供用のモノであるせいか、重さはそこまで感じない。
日頃振っているものらしいので、手にもぴったりと馴染んだ。
剣にかんしては全く、問題はなさそうだ。
顔を上げてみれば、少女は既に剣を正眼に構えていた。
その立ち姿はまだ幼いというのに、全く隙が無い。
まるで達人のような、気迫さえある。
目つきもうって変わって、先ほどまではしゃいでいた少女とは別人にしか見えなかった。
少年も気を引き締めて、剣をスッと構える。
そして、もう一度少女を眺めて、僕はふとある事に気がついた。
あれ、この感じ……誰かに似ている?
しかし、その感覚はすぐに打ち消された。
少女が遂に攻撃を仕掛けてきたのだ。
少年は咄嗟にそれを防いで、一度その場を離れる。
今の攻撃は凄かった。
体の持ち主の方にはまだ余裕を保っていたが、僕の方は内心息をまく。
今の攻撃はおそらく、青バラの新人騎士を軽く凌駕したものだった。
それくらい、精度といい、素早さといい、素晴らしかった。
僕……いや、この体の少年もちょっと驚いた様子で言う。
「姉様、また腕を上げましたね」
「何よ、その上から目線。気に入らないわね。まだ余裕だって言うの?」
「まさか。姉様にまるで、勝てる気がしません」
「その割には、随分とお喋りねっ!」
今度は少女が大きく剣を振りかぶって襲い掛かってきた。
休む間もない苛烈な連撃。
少年はそれらを難なくかわしていく。
少女の攻撃は少しもかすらない。
それで、僕は納得した。
なるほど、少年の実力はそれなりのもののようだ。
まだ剣は振っていないが、足取りでそれが分かる。
身体能力がかなり高そうだ。
いや、でもこれは。
「あなた、また身体強化魔法使っているわね」
「当然ですよ。純粋な剣術だけじゃ、姉様の方が強いですから」
「……お父様ね。あなたにそんなこと、教えたの」
「正解です。では、これから反撃しましょうか」
少女は少年の答えに浮かない顔をした。
それはまるで少年の身を案じているようにも、悔しそうにも見える。
おそらく前者だ、と僕は思う。
身体強化魔法は体に相当な負担がかかる。
十六の僕だって覚えて良いと言われたギリギリのラインだったのだから、まだ体の出来ていないこの少年の使用は完全にアウトだった。
しかし、そのデメリットを少年は理解しているのかいないのか、笑顔で姉様に向かって反撃しだす。
そうすれば、少女も対応しないわけにはいかず、その表情を消した。
代わりに必死な顔をして、剣を振るう。
カン、コン、カン。
互いの剣が激しくぶつかり合う。
少年はあらゆる方向から攻撃を仕掛け、少女はそれを紙一重でかわしていく。
少女は凄かった。
少年の身体強化魔法を見てからというものの、ガラリと人が変わったかのように鬼神の如き強さを発揮した。
なんと、身体強化魔法を使っている僕の動きについてくるのだ。
そんなこと、普通の人ではあり得ない。
類稀なる才能を彼女は持っていた。
少年は焦った様子を見せながらも、取り敢えず攻撃を続けた。
一撃入れては防がれ、一歩下がって反撃をかわす。
フェイントを入れて、攻撃してみるも、それは見切られ、急所を狙った突きが返ってくる。
一見、勢いでは少年が押しているように見えるのに、よくよく見れば少女の方が優勢だった。
少女は少年が一度攻撃すれば、二倍で返してくるのだ。
剣の実力は圧倒的に少女が上だった。
それも、例え身体強化魔法があってもその差をカバー出来るくらいに。
回避力では少年が上回っているが、それも時間の問題だった。
少女の実力はどんどん上がっていく。
それに比例するように、少年の身体強化魔法をした体には疲労が蓄積していった。
そして。
「終わりよっ!」
最後の一閃。
少女が振るった剣は少年の手に握られた剣を弾き飛ばした。
少年は慌てて逃げようとするものの、すぐに喉元に剣が突きつけられる。
負け。
少年は両手を上げて、降参した。
僕も見ていて、身体強化魔法を使っても勝てない相手に、これ以上足掻こうと勝てる気がしなかった。
誰が見てももう勝敗は決しているだろう。
「また、負けです。今日は勝算があったんですけど」
「いや、無理ね。あなたのヒットアンドアウェイのスタイルは回避が良いけれど、攻撃力が足りないもの。要するに臆病なのよね、あなたって」
ふふんっ、と少女は得意げに笑う。
僕の顔は一人でに悔しげに歪んだが、それは何処か納得しているようでもあった。
確かに、少女の言うことは的を得ている。
少年の今の感じを見るに、この少女に勝つためには攻めが甘いと感じていた。
また、身体強化魔法にも少しムラがある。
まだ使い慣れていないのか、肝心のところで魔力が伝わっていない場面が見受けられた。
でもまぁ、この年齢でこの実力とは大したものである。
少女が少し規格外なだけで、少年も天才と呼んでも過言じゃなかった。
「ねぇ」
僕がそんなことを考えていると、不意に少女が声をかけてきた。
その表情は真剣そのもので、少年はゴクリと息をのむ。
二人はしばらく見つめあったが、やがて少年が何かを誤魔化すかのように笑った。
「どうしたんです、そんな急に真剣な顔をして」
「さっき、あなたが使った魔法。あれ、使わない方が良いわよ」
「えっ?」
少年はポカンと首を傾げる。
僕もその反応に、少年が身体強化魔法のリスクを知らないことを察した。
それは多分、姉であるこの少女もそうなのだろう。
彼女はツカツカと座り込む少年に歩み寄ると、胸ぐらを掴んで立たせた。
そして、その手をパッと離す。
身体強化魔法を使った副作用からか、少年はなすすべなく、その場に尻餅をついた。
これには少年も驚いた顔をする。
「今、いや……なんで」
「体に力が入らなかったかって? それはその魔法が自分の体に無理をさせていたからよ」
「そんな、でもそんなの父様は」
そこで、少年はハッとしたように俯いた。
何かを察したようだが、それは彼の記憶を持つはず僕にもわからなかった。
どうやら僕が持つ彼の記憶はあまり完全でないらしく、所々欠けているのが、時間が経った今では気がついていた。
「止めなさい。もうあの魔法を使うのは。あれはあなたに良いものじゃない。ただ一時的な夢を見せる、薬みたいなものよ。その代償は大きい」
「でも、それじゃあ俺は」
「大丈夫よ。あなたには才能がある。それも、他じゃ比べ物にならないくらい、素晴らしい才能が。それは、私がよくわかっているから」
そう言って、少女は微笑んだ。
少年はその笑顔に、安心したように頬を緩ませる。
僕もそんな二人の関係を微笑ましく思った。
うん、やっぱりこの子はきちんとお姉さんなんだ。
「姉様」
「でも、簡単には負けないわよ。私はあなたを守ってみせる。だって、私はあなたの姉様なんだもん。だから、あなたの姉様であり続ける為にも」
そして、言った。
『あなたにはまけない! まけられない。ずっと……ずっとね』
そこには花が咲いたような、眩しい笑顔があった。




