フィラ・エーレル
「ごめんなさい!」
「許さん。」
「申し訳ありません。」
「許さんと言っておるだろう。」
もう、何度このやりとりが続いただろう。
僕はある騎士団の団長室で豪華なカーペットに額を擦り付けて、ひたすら謝り続けていた。
普段は幾ら低級といえど、貴族である自分がこんなに惨めなことはしないのだが、今回に限っては絶対にこうしなければならない理由があった。
だって、相手は「あの」フィラ様なのだから。
今までのタメ口や、ご飯をおごって頂いたことなどなど…この方にしてしまった無礼は数しれない。
あの時に戻れるものなら、戻って、やり直したい位だった。
だから、こうやって謝っているワケだが、フィラ様の機嫌は悪くなっていく一方。
僕の心も段々、絶望におおわれていく一方だった。
「いい加減、お前も察しろ。俺はとてつもなく、気分が悪い。」
「はっ、はぁ。反省の念が足りませんでしたか。いやはや、とんだ御無礼を。」
「だから、違う。俺はそれが気に入らんのだ。謝るな、そして立て。こら、頭を下げるな。」
言われたとおり、謝らず、立ち、頭をあげると、フィラ様は不機嫌そうにフンッと鼻を鳴らした。
そして、机の上で頬杖をつくと、呆れたような表情で、こちらを睨んできた。
「あーあ。今わかったぞ。自分の名を全て名乗らなかった理由がな。我ながら馬鹿らしくて笑える。」
「それはどういう?」
これは何気なく聞いたつもりだったのに、余計にギンッと睨まれてしまった。
その鋭い眼光に思わず、身をすくめる。
一歩、二歩と下がると、フィラ様は立ち上がって、詰め寄ってきた。
そして、猫でも追い払うように手をシッシッと振る。
「そんなもの、お前が察しろ。いいか、俺はお前がそれを察しるまで、一生口はきかんぞ。わかったか?わかったなら、とっとと去れ!」
ついに部屋の外に追い出されてしまうと、ドアは目の前でバタンッと閉ざされてしまった。
僕は呆然として、しばらくその場に立ち尽くしていた。
一つ、頭の中で理解したのは「ああ、うちの一族終わったな。」ということ。
そして、そのまま十秒ほど過ぎたところで、ふと、笑い声が背後で響いた。
「ハハッ、ああ、可笑しい。」
その無邪気な笑い声に振り向くと、そこに立っていたのは、茶髪の青年だった。
十八歳位だろうか。
僕よりも、少し年上に見える彼は、「青きバラの騎士団」と呼ばれる騎士団の青い薔薇の紋章を額の一角に刻んでいた。
「あなたは?」
突然現れた青年に、家で教えられた「名を名乗る時は己から。」ということも忘れて聞いてしまった。
普通、相手が貴族なら顔をしかめられるところだが、彼は気に留める様子もなく、笑って答えた。
「ああ。僕ですか?僕の名はジェイドと言います。あなた様やフィラ様とは違い、正真正銘の庶民です。以後、お見知り置きを。」
「失礼しました。僕の名はエディス・ユーテスです。ところで、何処でそれを?」
僕の名はそこまで有名ではないし、彼と顔を知り合った覚えもない。
その素直な疑問に、ジェイドは頭を掻いた。
「いやぁ〜。失礼しました。エディス様は今、有名な方でいらっしゃいますから。少なくとも、青きバラの騎士団の中ではね。でも、フィラ様との噂は本当だったようですね。」
「噂…ですか?」
フィラ様と僕。
考えられる噂としては間違いなく一つ。
おそらく、うちの一族の壊滅だろう。
これからは哀れみの目を向けられ、一生、あの方には蔑まれるのだ。
そう考えるとゲンナリとした。
目の前のジェイドもそういう顔をしているのかとチラリと伺いみると、驚くことに、ジェイドは悪戯っ子のように目を輝かせていたのだった。
予想外の反応に、僕がポカーンとしていると、ジェイドは僕の様子を察したのか、励ますようにニッコリ笑った。
「大丈夫ですよ。そんなに気にしなくても、いつかはあの方は許してくださいます。」
「本当ですか!」
ジェイドの嬉しい言葉に、僕は思わず声をあげると、ジェイドは深く頷いた。
「はい。きっと。でも、そうか…。」
不意に、ジェイドは考え込むように俯く。
嬉しい言葉の後に考え込まれてしまうと、何だか不安になる。
気になって、僕は聞かずにはいられなかった。
「あの…どうされたんです?」
「いや、たいしたことではないんですが、フィラ様があそこまでお怒りになるなんて…。フィラ様、相当エディス様の事…ご執心の様ですね。」
「ご執心?僕が?そんなことあり得ませんよ。もし、僕の事をご執心でいらっしゃるのなら、こんなに怒りませんよ。」
ところが、ジェイドは急に真剣そうな顔つきになって、僕の目の前で人差し指を立てた。
「だからこそなんです。いいですか?フィラ様は普段、あんなに笑ったり、怒ったりしないんです。ポーカーフェースの彫刻みたいな方です。それはそれは鬼のような方で…。いや、話は戻りますが、それが今日に限ってはあんなに表情豊かじゃないですか!」
「その原因が僕と…?」
これを本人が聞いたら相当怒りそうなものだが、フィラ様の厳しそうな様子は安易に想像できる。
だが、これは余りにも大袈裟過ぎないかとも思うが、目を輝かせる彼には一大事なのだろう。
僕も水をさす訳にもいかず、相槌を打った。
「そうなんですか。」
「まぁ、そういうことです。で、分かりましたか?あの方が怒っていらした、理由。」
「いえ、全く。」
「ハハッ、まぁ、そのうち分かりますよ。ここでは、うちの連中も噂してますから、彼らに聞いてみるのもいいかもしれません。では、僕は『団長』に用があるので、これで。」
「ありがとうございました。」
僕がお礼を言い終えると、ジェイドは爽やかな笑みを残して、フィラ様の部屋…つまり、「団長室」に入って行ってしまった。
「青きバラの騎士団…か。」
誰もいなくなった「青きバラの騎士団 本部」の廊下で。
僕はポツリと呟いた。
誰もが憧れる騎士団。
そして、この国のRMK(王立魔法騎士団)においてトップに立つ騎士団だ。
でもまさか、自分がその団長であるルーン、否「フィラ・エーレル」に助けられてしまったとは思いもしなかった。
フィラ・エーレル。
その名を知らない者はいない、と言わしめる程の実力を持つ女騎士だ。
青きバラの騎士団を率いる彼女は、それだけでも充分スゴイのだが、彼女の場合はそれだけでない。
なんと、国一つを動かせるほどの権力を持つ「エーレル家」の令嬢でもあるのだ。
うちも貴族ではあるが、エーレル家にはとても歯が立ちそうにない。
それどころか、一溜まりもないだろう。
だから、何とかして、フィラ様の怒る理由を知らねば。
僕はそう決心して、団員達が集まっているという、広間の扉をグッと押し開けた。
だが、中で待っていたのは衝撃の出来事だった。