蘇る怒り
「ううん、一体何だったんだろうな」
僕は遠目にジオスを眺めながら、あの瞳のことを思い出していた。
あの恐ろしく残虐な、まるで背筋が凍るかのような冷たい目。
あれはあれから三日経った今も忘れられないでいた。
頭に残りすぎて、昨晩なんかは夢に出てきたほどである。
この三日間は任務中でも、時折思い出しては震えそうになっていた。
そして、今もその例外ではない。
ふと、思い出して手が震えるのを感じていた。
普通に話している彼は、今そんな目をしていた面影はないというのに。
「エディ、どうした?」
そんな僕をルーンは心配そうに見つめてくる。
そこで僕はようやく今が任務中であることを思い出した。
今日は王子がファボルで最も宝石を取り扱っている商館に訪問する日だった。
本当ならば城に閉じこもってくれる方が護衛としては助かるのだが、王子も政務がある為にそうはいかない。
ということで、今日はファボルの首都、ガウルの街中に出ていた。
今、僕たちは軽い武装で王子のいる建物の周囲を警戒している。
あまり重装備だと王子の居場所が丸わかりなので、今日は殆んど私服に近い装備で任務に就いていた。
まぁ、そうは言ってもいざとなれば衣装替えの魔法ですぐに戦える装備を身につけられるので、特に問題はないのだが。
一応、剣は腰に差してあるので、今の僕たちは多分冒険者かなんかに見えているはずだ。
だから、この街での帯剣はそう珍しいことでもなかった。
冒険者。
それはあくまで戦わず、精霊の加護のない地域のマッピングや未知の素材回収を主とした仕事だ。
致死率は高く、また帰還に成功した時の見返りが多いことで有名な職業だ。
基本は魔物と遭遇しても、逃げることしかしないので、いつでも逃げられるように装備は軽い。
なんたって、魔物の手にかかれば重装備でも大抵は一瞬でグシャリと潰れてしまう。
だから、バックパックを背負い、気休め程度に剣を持つのが、冒険者たちの通常装備だった。
僕はそんな風に冒険者たちを眺めていたのだが、ハッと我に返った。
どうやら、体格の良い冒険者を見ていたところ、その側にジオスがいた為、三日前のことをつい思い出してしまったのだ。
僕は隣にいたルーンに気がつくと、慌てて頷いた。
「あっ、と。うん、平気。なんでもないよ」
「そうか。なら良いが、疲れていないか? ここのところ、生活リズムが不規則だからな。気をつけた方がいい」
「そうだね。確かに少し眠いや」
僕はふわぁ、とあくびをした。
正確には護衛のせいではなく、ジオスのせいなのだが、ルーンは誤解してくれたようだ。
というか、ルーン自身がかなり疲れていることが理由だと思う。
なにせ、彼女は選抜部隊の隊長ということもあり、僕の倍以上は忙しい日々を送っているのだ。
彼女の眠そうな表情には疲れの色が見えた。
「ルーンこそ大丈夫? 顔色があまり良くなさそうだけど」
「ああ、今のところはまだ大丈夫だ。だが、いい加減少し休みたい気分だ。体力的にというか、精神的に少し辛いな」
そう言って、ルーンは弱々しく微笑む。
みんなの前では気丈に振る舞っていた彼女だが、今は二人だけということもあり、やはり少し辛そうにしていた。
街を楽しそうに闊歩する人々を見て、羨むような目線を向けている。
こういう姿を見ると、やっぱり『容疑者』について話してくれないのも、僕の身の安全を考えてくれているのだと思えた。
彼女はさっきのように気にかけてくれるし、いつも一生懸命だ。
清く正しく、そして優しい。
例え、傷ついていても全て背負いこんでしまうような、本当に純粋な心の持ち主なのだ。
ああ、これじゃあ、ジオスの言う通りだ。
と、また嫌なことを思い出しそうになったところで、ふとこちらに向かってくる人物に気がついた。
見覚えのある二人組は、ウェーブした髪の美少女と、銀髪の残念美女という組み合わせだ。
つまり、アリエとユナである。
彼女達は僕たちの元へやってくると、笑顔であいさつした。
「エディ、フィラ団長。任務お疲れ様です」
「今のところ、異常はねぇようだな。至って平和だぞ」
「アリエとユナか。ご苦労」
「アリエ、お疲れ様。……ユナさん、なんだか酒臭くありません?」
労いの言葉を交わす中、僕はユナから漂う臭いに思わず、鼻を塞いだ。
普通任務中には到底させてはいけない臭いがユナには纏わりついている。
ルーンもそれに気がついて、顔をしかめた。
ユナの背を叩くアリエは呆れ顔だった。
「それが、聞いてくださいよ。ユナさんったら、またお酒飲んで」
「うわぁ、アリエ! バラしてくれるな! 俺がさぼったことがばれたら、酷い目にあうんだか……」
「ほう」
密告しようとするアリエをユナは必死に止めようとするものの、時既に遅し。
それどころか、自分からボロを出すという失態まで起こしてしまう。
低い声で興味深げに頷いたルーンに、ユナはサッと顔を青くした。
ルーンを怒らせると怖いのは過去に経験済みだ。
ユナはタジタジになっていた。
「おっ、お嬢様。俺は、そんなつもりじゃ」
一応ユナはエーレル家の白銀の蝶の副団長であるため、ルーンの家臣に当たる。
それもあってか、ユナの言葉遣いがいつもより少し丁寧だった。
しかし、だからと言ってルーンの機嫌が直るわけではない。
ルーンはユラユラと怒りの気配を漂わせながら、ユナに一歩詰め寄った。
ユナはそれに従って一歩、後ずさる。
かと思いきや、次の瞬間、ルーンの姿が掻き消えた。
「えっ?」
そんな小さな声を最後に、ユナの姿も消えた。
次いで、その背後にあった木箱が弾け飛ぶ。
一体、今の一瞬に何が起こったのだろう?
僕とアリエは何も分からずに、ポカンとすることしか出来なかった。
気がつけば、箱の中に入っていた武器やらなんやらに埋もれているユナと、その前に立つルーンの図が出来上がっていた。
ユナはお腹のあたりを押さえながら苦しげに呻いている。
どうやら、そこにルーンの攻撃を食らったようだった。
「ゴホッ、ゴホ。お嬢様っ! 何も全力で蹴らなくても」
「サボるお前が悪い。これでも、手加減してやったんだ。せいぜい骨が折れていないだけ感謝しろ」
「うっ、うそだ。全然、見えなくっ……」
と、ユナは気を失ってしまった。
どうやら今の会話から察するに、ルーンがユナの腹を蹴り飛ばしたらしい。
あのユナが反応すら出来なかったのに、手加減していたとは。
全く恐ろしい限りである。
僕とアリエは思わず顔を見合わせて、表情を引きつらせてしまった。
それに対し、ルーンはフウとため息を吐くだけで、何事もなかったかのように、こちらへ戻ってくる。
そして、微妙な表情をしている僕たちを見て、不思議そうな顔をした。
無自覚でやっているのが、何よりも彼女の怖いところだった。
「お疲れ様です?」
「エディ、何故疑問系なのだ? 確かに少々疲れたが」
「あは、いや。その」
ちょっと怖かっただけです。
とは、絶対に言えないことだった。
思い返してみれば、盗賊の襲撃でルーンを怒らせたのは「怪物」という言葉だ。
つまり、それに準ずる言葉でも言えば、ルーンをまた不機嫌にさせてしまう可能性が高かった。
よって、僕は曖昧な言葉で誤魔化し、愛想笑いを浮かべることしか出来ない。
幸い、その隣から、アリエからの助け舟も入った。
「あのですね、私たち最近団長がお疲れになっていると思いまして。……ええっと、そう。少し休まれたらいかがかな、という提案をしようと考えてたんです」
「ううん。確かにそれは魅力的な提案ではあるがな。仕事はまだあるし、そういうわけにもいかないのが現状だ。気持ちはうれしいんだが」
ルーンは少し困ったかのような顔をした。
そこには、本当に提案を受け入れたいと思う気持ちが出ている。
どうやら、もう怒ってもいないらしく、言い方も穏やかだ。
アリエはそんなルーンを見て、それから僕をチラリと見て、何か納得したように頷いた。
どうやら、ルーンの心境に気がついたらしい。
そして、何か思いついたかのように、わざとらしく手を打って言った。
「ああ、じゃあ。それをユナさんにやらせちゃえばいいんじゃないかと」
「あっ、アリエ……」
「ふむ、なるほど」
なんという鬼畜さであろうか。
蹴られたのにもかかわらず、さらに仕事を押し付けるとは。
ルーンに負けず劣らずの暴挙に出るアリエに、僕は最早苦笑いしか出てこない。
女性とは本当に怖いものだと、痛感させられた。
もちろん、その「女性」の中にユナはカウントされていない。
あれはもう、見た目が女性であるだけの酔っ払い親父である。
ちなみに、本人がそう言っているので、間違いない。
ルーンはアリエの案に、迷うような素振りを見せた。
休みたいのにその手段を迷わず取らないあたり、ユナの仕事に対する信用度は薄い。
多分、剣においては認めているのだろうが、つくづく彼女は残念なところばかり見せてしまう。
アリエも即座にそれに気がつくと、さらなる論を突っ込んだ。
「では、私も彼女を手伝いますよ。監視も兼ねて。パトロールくらいなら、多分私たちだけでも大丈夫ですから。他のみんなも頼りになりますし。だから、フィラ団長はどうか少しお休みになって下さいよ。そこのエディとも一緒に。彼も最近集中が足りてなさそうですから、最早戦力外ですよ」
「えっと、そこまで言わなくても」
「ふむ。まぁ、確かにそうだな。なら少し甘えさせて貰おうか」
僕の意見は完全に無視され、ルーンは頷いた。
いや、まぁ確かにジオスのことで集中が切れている自覚はあるのであまり強くは言えない。
それに、ルーンが休みに入ってくれるのなら、一安心だった。
アリエもホッとしたように笑って、それを受け入れた。
「では、みんなにもそう伝えておきますね」
「ああ、頼む」
「行ってらっしゃい。楽しんでくださいね」
「すまない。ありがとう」
アリエはルーンの礼を受け取ると、そのままみんなのところへ駆けて行った。
途中、ユナを無理やり起こすのも忘れない。
全ての事情を聞いたユナは不満そうな顔をしていたが、アリエに正論をぶつけられるとしぶしぶ頷いていた。
その光景を見てみれば、どちらが年上かわかったものではない。
ルーンなんかは少し感慨深そうに、
「次期白銀の蝶の団長はアリエがいいかもしれんな」
などと呟いていた。
どうやら、青バラから自家の騎士団に引き抜こうという魂胆らしい。
でも、その気持ちもわからんでもない。
あの自由奔放なユナの手綱を握れるものは早々いなさそうだ。
なんだかんだで面倒見がいいアリエには案外、ピッタリな役職のようにも思えた。
将来、頻繁にため息をつくアリエの姿が目に浮かんでしまった。
「さて、行くか」
そんなことを考えていると、ルーンも軽い準備が整ったらしく、そう言い始めた。
僕はそれに頷いて、ルーンの隣を歩き出す。
本来なら身分の違いからそんなことは中々許されないが、今はプライベートなのだからいいだろうと、特に気にしない。
ルーンもそれが当然であるかのように、何も言わなかった。
それよりも、あのルーンの話を以来の二人でのお出かけだ。
普段は同じ騎士団にいても中々話せないし、最近は特に忙しかったので、本当にこういう機会は珍しい。
ようやく友人らしい付き合いが出来るのだなと思うと、僕の胸は踊った。
隣を見てみれば、ルーンも少し楽しげだ。
「ねぇ、これからどうする?」
「そうだな。何か屋台でも物色しに行くか。この近くには商店街があるらしいからな。色々と珍しいものも見れるかもしれん」
「じゃ、決まりだね。ルーンはそういや、大食いだったよねぇ。初めて会った時は本当にびっくりしたよ」
「ううっ、そんなに食べていないと思うのだが」
ルーンは恥ずかしそうに顔を赤くした。
そのことを一応、女の子として気にしているらしい。
やっぱり、口調こそ騎士らしいけれど、その他は誰よりも女の子らしいルーンだった。
僕にはそんな彼女が眩しく見えてしまう。
同時にギュッと胸が苦しくなるような感覚を覚える。
守りたい。
そんな遥か高いところにある夢が、それを願う思いが、どんどん膨らんでいくような気がした。
「ルーン」
僕はその思いを隠しきれずに、ルーンに呼びかけた。
ルーンは僕の顔を見上げる。
そういえば、彼女は少しだけ僕よりも身長が低かった。
僕が最近伸びているせいかもしれないが、騎士の中ではわりと小柄な方だった。
「なんだ?」
「今日は、さ。いっぱい楽しもうね。絶対に。僕、今日は凄くいい日になると思うんだ。今、すっごく楽しいからさ。ねっ?」
「……当たり前だろう?」
ルーンは柔らかく微笑んだ。
その瞬間、心の中に取り付いていたジオスの瞳が消えていく。
なんだ、そう気にするものでもないじゃないか。
ルーンを傷つけない、そんな当たり前のことを言われていたのに、何もここまで考えるほどでもない。
だって、それは僕にとっては信念であり、当然のことだから。
僕は晴れ晴れとした気持ちでそんなことを思った。
まだ、忍び寄る影には気がつけずに。




