忘れえぬ人
「殿下、護衛のことで少しご相談があるのですが、よろしいでしょうか?」
「……入れ」
僕がノックと共に扉越しに声をかけてみると、少し間を置いた後に返事が返ってきた。
僕はそのことにまず、一安心する。
まずは第一関門、突破だ。
声音からもあれから一時間置いた今なら、そう怒っているわけでもないらしい。
返ってきたのは淡々とした声だった。
僕はそれでもドキドキとしながら、ドアノブを捻った。
「失礼します」
「失礼……します」
因みに隣にはルーンもいる。
彼女は浮かない表情で僕に続いて、部屋に入った。
すると、王子はルーンの姿を目にした途端、僅かに眉を持ち上げた。
しかし、何を言うでもなく、次は僕の方を向く。
王子はゆっくりと僕を眺めた後に、王子が寛いでいたソファの向かい側の席を進めた。
僕は恐縮しながらも、それに従う。
ルーンもまた、無言のまま僕の隣に腰を下ろした。
「見ない顔だな」
それから始まった会話の第一声は、王子の呟きはそれだった。
僕はそれに頭を下げて、答える。
「エディス・ユーテスです。少し前に青バラに入団したばかりの新人騎士ですが、レベル5として、この地に遣わされました」
「ほう、お前が報告にあった七人目のレベル5か。まだ若そうだが、青バラに入るとは中々だ。期待している」
「ありがとうございます」
王子の言葉はそんなに中身のあるものではなかったが、一応興味は持ってもらえたようだ。
王子は僕を見て、面白がるようにすっと目を細めた。
「さて、何の用だ?」
「王子はもう知っていらっしゃると思いますが、一応確認をさせてください。今、ウォルティがどうなっているのか、お判りですか」
「ああ。わかっているとも。あの忌々しい『奴』が現れたのだろう? それくらいは聞いている」
「では、御身が狙われているということは?」
「……そうか」
どうやらここまでは知らなかったらしい。
しかし、王子は妙に納得したように、頷くだけで驚かない。
そこにあるのは、疲れたかのような表情のみ。
伺えるのは生きることに対する諦念だった。
王子は今にも消えてしまいそうなほど、弱りきった雰囲気を纏っていた。
「殿下、我々は貴方を守るためにここへ来ました」
「生憎だが、守ってくれなくとも構わない。そう伝えたはずだ。好きにしろとは言ったが、その思いは変わっていないぞ」
「王子のご様子を見ていれば、それはわかります。僕は守られて下さいと言いに来たわけではありません。ただ、お願いをしに参りました」
「お願い?」
「はい」
王子は不思議そうに首をかしげた。
僕はそれにはっきりと頷いてみせる。
今から伝えるのはルーンの思いだった。
ルーンは先程から無言を貫いているが、背筋をピンと伸ばし、気丈に振る舞っている。
だが、それでもすっかり小さくなってしまった少女のために、僕は勇気を振り絞らなくてはならなかった。
大きく息を吸って、王子の瞳を真正面から見つめた。
この際、無礼だとかはなんでもいい。
王子も特に何も言わずに、話を聞いてくれた。
「その前に一つ、聞きたいことがございます。今、僕の隣にいる『ルーン』のことです」
「ルーン、か」
僕がその名を出した瞬間、王子の顔色が変わった。
今までのどうでも良さそうな感じは消え、代わりに冷たく張り詰めた空気がその場を支配する。
僕がルーンと親しくしていることがわかっただからだろうか。
それとも、ルーンの名前を聞くのが不快なのか。
わからないが、僕はそれに臆することなく、肯定を示した。
「はい。ルーンのことです。彼女は殿下の幼馴染だそうですね」
「ああ。一応は、な。それがどうした」
「どうして、彼女を突き放すのです?」
すると、王子は大きなため息をついた。
ルーンはそれを聞いて、微かに肩を震わせる。
僕は怯えている彼女の手をそっと握りながら、答えを粘り強く待った。
ここまで踏み込んでしまったのだから、今更ノコノコと引くわけにはいかない。
ここは意地でも聞き出すつもりだった。
王子はしばらくの沈黙の後、ようやく口を開いた。
「決まっている。立場があるからだ。俺は次期国王で、彼女はエーレル家の令嬢兼、青きバラの騎士団団長だ」
わかるだろう? と王子はこちらを伺う。
だが、僕がそれで納得出来るほど、甘くはなかった。
だって、それはあくまでも建前でしかないからだ。
幾ら立場があるからとはいえ、急に態度を変えるなど、不自然でしかない。
上級貴族や王族の事情はよく知らないが、そんなことくらいで態度を変える理由にはならない。
僕は鋭く王子を睨みつけた。
「それだけ、ではないですよね」
「何が言いたい」
王子は飄々として言うが、僕は視線を緩めない。
更に一歩、もう引き返せないだろう領域に踏み込んだ。
「殿下がルーンを突き放すのは『あの事』を思い出したくはないからではないですか?」
「……ッ!」
王子は一瞬、ハッと大きく目を見開いた。
しかし、その後すぐにたちまち恐ろしい形相に変わる。
整っていた顔は歪み、そこには激しい憎悪が刻まれていた。
王子は彼の傷を抉るような発言をした僕に吐きつけるように言った。
「お前、わかっていながらそれを言うか! 不敬極まりない行為をとっている自覚はあるのだろうな?」
「はい。ですが」
「黙れ。そして、今すぐに帰れ。護衛を許したことも取り消す。さっさとここを去れ」
「エディ、もう良い。戻ろう。これ以上は無駄だ」
ルーンも僕の腕を引いた。
王子から僕を守るような位置をとり、彼からの視線を遮る。
自分が傷ついているというのに、彼女はどこまでも騎士だった。
だが、そんなルーンの言葉に過剰に反応した者がいた。
言わずもがな、王子だ。
「無駄? 俺の物分かりが悪いとでもいうつもりか。そうやって、お前はまた俺を馬鹿にするのだな。忘れたように俺の前に立って、自分が悪くないような物言い。心底イライラする。全てはお前が呼び込んだ災厄の所為だというのに!」
また、あの「災厄」だ。
先程、ルーンを酷く傷つけたその言葉。
僕は咄嗟に立ち上がりかけた。
あなたは何度ルーンを傷つければ気が済むのだと。
しかし、それを止めたのは他ならぬ被害者であるはずのルーンだった。
彼女は僕を制すと、威圧を孕んだ声で言い放った。
「ああ、俺は幾らでもお前を馬鹿にするし、蔑むさ」
ルーンの表情は少し前とはうって変わっていた。
年頃の少女の態度から、今は騎士として、敵に向ける厳しい顔をしている。
その場にいた王子も僕も何も言えずに黙り込んだ。
忘れていた。
彼女は怒らせてはいけない、存在だとあまりに近くにいたため忘れていた。
なんと言ったって、ルーンはこの世における、絶対的な強者だったのだから。
にもかかわらず、王子はドラゴンの尻尾を踏んでしまった。
怒れるドラゴン(ルーン)の前では、どんな権力も震えるウサギ(王子)には行使出来るはずがなかった。
その対象となっていない僕ですら、何も出来なくなってしまうのだから。
「シャロン、俺は今、お前に酷くガッカリしているよ。昔も弱虫だ弱虫だと思っていたが、本当に今も変わっていないとは。むしろ、昔よりも酷くなったんじゃないか?」
「俺は、そんなこと」
「あるだろう」
王子の必死の虚勢も、今のルーンの前ではピシャリと払い落とされてしまった。
ルーンは厳しく、鋭い視線で王子が逃げられないように、射抜いていた。
「今のそうやって逃げようとしているお前を、ミルネが見てみろ。間違いなくお前に失望するだろうな。自分の婚約者だった奴は、こんな腰抜けだったのかと」
「やめ……」
「やめてやるものか。このままではミルネが浮かばれない。そうともさ。お前は臆病の度を越したただの間抜けだ。お前が逃げ続ける限り、俺はお前を一生軽蔑してやる。命令など聞かない。お前の耳につくほど嘲笑ってやる」
「ルーン、それくらいで」
流石に止めておいたほうが、とは声にならなかった。
僕は開きかけていた口をそのままに、固まってしまった。
何故なら、ルーンが泣いていたから。
彼女は王子を必死に睨みつけながら、瞳を潤ませていた。
その痛ましい姿に王子も閉じかけていた目を再び開けて、呆然としていた。
「でも、それも半分以上は俺の所為なのだろう」
次いで零れたのは先程の罵倒からは想像出来ない、弱々しい言葉だった。
ルーンは涙を堪えながら、剣の柄を握りしめていた。
「俺がまた災厄を持ち込んでしまったから。彼女を守る力もなく、あの子の優しさに触れてしまったから、シャロンにも辛い思いをさせてしまったんだよな」
「ルーン、君は」
ルーンの苦しげな思いを聞いたからだろう。
今までお前だの、フィラだのとしか呼ばなかった王子が彼女をルーンと呼んでいた。
その表情は罰が悪そうに変わり、複雑な心境が窺えた。
本当の彼は、そんな酷いことは言わない人だったのかもしれない。
冷酷な雰囲気も、どうでも良さげな弱々しさもなくなった彼は、随分と優しげな人物に見えた。
「君も、まさか。まだミルネのことを」
「ああ、そうさ。だって、忘れられるはずがない。ミルネは俺にとって初めての友達だったのだからな」
ルーンはそう言って、自嘲するように笑った。
こちらも少し申し訳なさそうな顔をしていた。
「結局、シャロンにも今まで謝れないまま、今日まで来てしまった。俺も、お前と一緒で逃げていた」
本当にごめん。
ルーンはソファから立ち上がると、頭を下げた。
深々と、涙を流しながら頭を下げた。
しかし、それはすぐに止められる。
僕がしたのではない。
王子が立ち上がって、それを止めていた。
「止めてくれ。悪かったのは僕のほうなんだ。僕はただ、情けないことに君に嫉妬していて。それで」
「嫉妬って、俺に?」
顔を上げたルーンは怪訝な顔をした。
心当たりがまるで無い、といった様子だ。
それは僕も同じで、僕は今まで王子が「嫉妬」していたとは思いもしなかった。
どちらかというと、僕は王子がルーンのことを憎んでいるのだと思っていた。
予想外の告げられた思いに、不謹慎かもしれないが、僕は拍子抜けした。
王子はそんな僕たちに、ああと頷いて見せる。
そして、申し訳無さそうに言った。
「ああ。僕は正直、ルーンがミルネのことを忘れているのだと思っていたんだ」
「そんなわけ、ないだろう」
「ああ、今ならわかるよ。でも、君はミルネがいなくなった後もどんどん輝いていくばかりだったから。今じゃ青バラの団長にまで登りつめた君は、もう僕たちのことなんて覚えていないんじゃないかと、勝手に思っていた。今日も随分と業務的な話し方しかしないし、余計にそう思っていた」
「あっ、あれは、シャロンが余りにも変わっていたから」
「ああ、そういえば君は人付き合いが苦手だったね。そこは僕の落ち度だ。ごめん」
今度は王子が頭を下げて、謝罪した。
それをルーンが上げさせる。
僕はその様子を眺めながら、ホッと息をついていた。
ああ、良かった。
なんだ、二人は会うまでに時間がかかり過ぎて、戸惑っていただけなんだ。
それが原因でお互いにすれ違ってしまっただけであって、本当は王子も良い人だったじゃないか。
互いのことを語り合う、二人の間に先程までの険悪さは既にない。
「災厄、なんて言ってすまなかった。君を一番傷つけていた言葉なのに」
「いや、もう気にしていない。それも言い得て妙だと、最近は吹っ切れたくらいだからな。あの頃は本当に俺の周りでは不幸が起きたのだ。否定は出来やしない。それに、今は幸せだから、大丈夫だ」
「そう言ってくれるとありがたい」
僕はそのことを安心する一方で、モヤモヤとした気持ちが膨れ上がってくるのを感じていた。
全て上手くいっているようなのに、何かがしっくりこない。
ルーンの隣で笑っている王子が少し気に食わなかった。
この気持ちは、まさか。
「嫉妬、なんてね」
そんなわけがない、とひとりでに首を振っていると、ふと嫌なことを思い出した。
僕は王子に対して、今まで何を言ったっけ。
それを考えると、顔からサッと血の気が引いた。
マズイ、かなり不敬なことを口走っていた気がする。
あのときは感情が高ぶっていたせいで、何も考えられなかったが、冷静になってみれば、あれはかなりマズイ。
普通なら即牢に放り込まれていてもおかしくない言動だった。
そうと気がついた瞬間には僕は床におりて、頭を下げていた。




