彼女の独白と意思の涙
「あら、いらっしゃい。一人で来たのね。てっきり、ルーンと一緒に来るものと思っていたけれど」
RMKの職員に案内されて、ルリア様の部屋に入ると、ルリア様はニッコリと微笑んで出迎えてくれた。
手にしていた書類をあろうことかぽいっと放り投げて、彼女は僕を部屋の中へと誘う。
部屋は一週間前と変わらず、相変わらず散らかっていたが、本人も相変わらずそれを気にする様子はなくソファに腰掛けた。
僕はそんなルリア様の様子に内心ため息を吐きながらも、何も言わずにその向かい側のソファに腰を下ろした。
「いえ、違います。ルーンとはここに来る前に約束があったので、一緒に来たんです。ただ、あんまりこういう場にはいて欲しくなくて。今は別室で待ってもらってます」
「そう。理由はなんとなく察するけど……大丈夫?」
「はい。僕の答えはもう決まりましたから。でも、やっぱり少し不安だったので。彼女にはあまり心配はかけたくありません。ただでさえ、彼女には考えなきゃいけないことがたくさんあるのに……」
「優しいのね。あなたは」
「そんなことはありません。ただ、甘いだけです。師匠……ユナさんにはいっつもそれで叱られてしまいます」
そうやって、しばらくは和やかな会話が続いた。
いつまでも、このまま他愛も無い話が続けばいいのに、とも思ってしまうがそうはいかない。
この僅かな時間の猶予はあくまでもルリア様の優しさなのだ。
内容が内容なだけに、ルリア様は僕を気遣ってくれているに過ぎない。
こうもぶっ飛んだ人だが、これでも大きな組織を纏める人なのだ。
時間の余裕もないことだろう。
だから、僕はこの決意を出来るだけ早く、伝えなくてはならない。
一通り会話を終えたところで、僅かな沈黙ができた。
ルリア様は優雅に紅茶を口にして、言葉が途絶えたうちに、僕は話を切り出した。
「あの」
「どうしたの?」
「……もう、大丈夫です。お気遣いありがとうございます。もうそろそろ、僕の決意をお伝えしてもよろしいでしょうか」
「……聞きましょうか」
ルリア様の答えが返ってきた途端、空気は一変した。
いや、正確にいうと、ルリア様は平然としていた。
空気重くなったのは僕の心に重く不安がのしかかってきたせいだった。
遂に、決断しなくてはならない時が来た。
そう思った途端、急に緊張してしまった。
言わなくては。
その焦る思いが余計に不安を増大させる。
僕はギュッと拳を握りしめて、なんとか心を落ち着かせようとした。
もう、答えは決まっていたじゃないか。
それを言うだけじゃないか。
わかってはいるのに「もう戻れない」というプレッシャーが、僕の口を鉛の重りでもつけたかのように固く閉ざしてしまっていた。
「……大丈夫?」
見かねたルリア様は心配そうに声をかけてくる。
ああ、僕は相変わらず甘い。
そして、弱い。
僅か八才という少女でさえこの決断が出来たというのに。
僕はなにも口にすることも出来ないのか。
「すみません、緊張してしまって」
そう言うのが精一杯だった。
その声さえ情けなく震えていたが、なんとか伝わったようだ。
ルリア様はそんな僕を見て、大丈夫よと僕を励ましてくれる。
「いいのよ。私の時なんて、もっと酷かったんだから。当時の最高責任者を丸々三日も引き止めちゃったんだから」
今の私からは考えられないでしょ、と彼女は冗談っぽく笑ったが、今の僕には笑う余裕さえなかった。
我ながら情けない。
いつの間にかルリア様の話にも上の空で、何も考えられなくなっていた。
「少し、思考を変えてみましょうか」
そんな僕をみてか、ルリア様は僕に提案をしてきた。
「とりあえず、君の心は決まっているのね」
コクリ、と首を縦に振る。
「でも、言うのが怖いと?」
「……すみません。我ながら情けないです」
「それはいいのだけれど……。残酷なことだけど、一つ言わせてもらうわね。……このままじゃ何も終わらないし、始まらないわよ。別に急かしたいわけじゃないんだけれど、このままじゃ何も変わらないわ」
ルリア様の言うことは最もだ。
こんなの、ただズルズルと引きずっているだけに過ぎない。
この時間は全くもって無意味なのだ。
前に進むことも、戻ることもできない、いわば停滞。
傷口に例えるのなら、傷が出来る前に戻ることも出来ず、治療も施せないまま、腐るのを待つだけの状態だ。
僕は今、その傷口から発せられる鈍い痛みを抱えこんでいた。
もし、いまこの傷を治して、もう一度立ち上がったとして、また新しい傷が増えるだけだ。
だから、それを恐れてこの傷を放置して、腐るのをどこかで望んでいた。
そんなことしたって、いつまでも耐えられるはずもないのに。
「だから、もういっそ終わらせてしまいましょう。この意味もない時間を。選びたいものを選んで……いや、違うわね。貴方が歩まなくてはならない道を進んで、その先にあるものを知ってしまいましょう。それは、いいものなのか、悪いものなのか、それは私にはわからないけれど、例え悪かったとしてもその時はその時よ。少なくとも、ここで立ち止まっているよりはよっぽど意味がある。得るものがある」
「そして、失うものも」
「ええ。そうね。それは、もちろん。でもそんなのは案外当たり前のことなのよ。人間、生きてれば何かを失うことは当たり前。それが多いか少ないか、大きいか小さいかの差だけで。……私もわかっているわ。これが簡単な問いじゃないことは。難しいとは思うけれど、失うことの覚悟はしなくちゃならない」
「決めなくちゃいけないことですからね」
「本当に憎むべき運命だけれどね」
ああ。
やっぱりこの問いの答えを声に出すのは、僕には難しい。
でも、ルリア様の僕を思った言葉に、僕の心には変化が現れた。
もうどのみち逃げられない、という諦めが僕の中で生まれた。
だったら、こんなところでうだうだ悩んでたって仕方ないじゃないか。
言ってしまった方が、今は少し楽になれるはずなんじゃないか。
僕は徐々に不安が薄れていくのを感じた。
まだ、完全になくなったわけではないが、少し言う自信がついてきた。
そして、少しだけ時間をおいてから、ようやく答えを口にすべく、口を開いた。
「僕は……」
僕は、弱い。
今もこうやって何も言えなくなってしまった。
僕は、甘い。
こんな残酷な現実を受け入れられない。
僕はどうするべきなのだろう。
その答えは決まっていたはずじゃないか。
僕は、僕は、僕は……。
「僕は……この国の為に……。いえ、はっきり言いましょう。大切な人のために、僕はこの国の駒になりましょう」
結局選んだのはやっぱり綺麗事にしか聞こえないような選択だった。
綺麗事とわかっていても、僕は守りたいなどと戯けた戯言を吐いた。
僕は弱いだろう、甘いだろう。
だけれど、この思いだけは追い詰められたって変わりゃしなかった。
あの天才で高貴な十六歳の一人の少女を思うと、その思いはより一層強くなった。
もう、あの子の涙を見てしまった今では、その思いを捻じ曲げることはこの選択を口にすることより難しかった。
『守りたい人がいた。
かつては俺を守ってくれていた人を、俺は守りたかったんだ。
だから、死ぬわけにはいかなかった。
でも……結果としては彼らは死んでしまった。
八年前、俺を守って。
当時、俺はそのことが悔しくってな。
誰かを守る力が欲しくなった。
でも、みんなを失っていた当時、俺には頼るべき場所がなかった。
ただ路頭に迷って、一人きりになってしまった。
え、俺はエーレル家の令嬢じゃないかって?
いや、まぁそうなんだけどさ。
色々あったんだよ、色々。
その話は今は置いといていいだろ。
で、話は戻るけれど、その時はただ必死でさ。
彼らが守ってくれたこの命をただ、守るだけで精一杯だった。
それでまぁ、仕方ない部分もいろいろあって……国の駒になったんだけど。
その時はあんまり何も考えられなかったこと、今では時々考えるよ。
俺が今まで選んできた道は正しかったのだろうかって。
俺は随分汚いことも見てきたし、俺自身もしてきたから、何が正しいのか、もうわからないけどな。
でも、こうなってしまったことは後悔はしてない。
私一人の手が汚れるだけで、今ある命を守れるならそれでよかったんだ。
もう二度と、私のように大切な人を失うような人が出ないように、私は戦うんだ。
今の私にはそれが出来るだけの力があるんだから。
もうこんな思いは誰にもさせない、させたくない。
だから、私はこの国の駒であり続ける。
守りたい人を守れるように。
今、こうして国の駒をしてるのはそういう理由かな……って、あれ。
口調がおかしいよな。
ごめんな、気味悪く「私」だなんて。
言葉も支離滅裂で、何言ってるかわかんなかっただろ?
……それはともかく、こんな理屈をお前に押し付ける気はない。
あくまで俺の場合の話だからな。
でも、俺は純粋にお前には死んでほしくないと思ってる。
汚いことをするのだって、自分が生きるためだ、仕方がない。
そう簡単には割りきれないだろうけど、出来れば生きる道を選んでくれ。
お願いだ……俺は……もう。
えっ、なんだって?
泣いてるって?
バカッ、そんなわけ無いだろ!
でも……あれ、おかしいな、止まらない?
……って、こっち見るなよっ!』
彼女は必死で強がっていたけれど、僕には彼女が無理しているようにしか思えなかった。
こんなの、全然説得力がなかった。
泣きながら言う彼女が傷ついていないはずなど、なかった。
過去のルーンに何があったのかは知らない。
けれど、その確信はあった。
僕はそんなルーンを守りたい……いや、そんな大それたことじゃなくてもいい、少しでも彼女の重荷を背負ってあげたかった。
「よく言ってくれたわね」
ルリア様はついに答えをだした僕にそう言って、労った。
ああ、確かに疲れた。
でも、今はそれ以上の達成感があった。
なんだ、あっという間じゃないか。
言ってしまえば、大したもんじゃない。
これから先もそうだという保証は全くないけれど、今は少なくとも楽になれた。
「はい、すみません。意気地なしで」
「本当よねぇ。このお詫びに今度、私と魔法決闘しない?」
「えっ……それは……」
「ふふっ、もちろん嫌とは言わせないわよ。あっ、なんなら貴方が的になってくれても……」
「いえっ、喜んでお相手させていただきます!」
「あら、そう。じゃあお願いね。私も全力で行かせてもらうから」
「おっ……お手柔らかにお願いします」
ルリア様は爽やかな笑みを浮かべたが、その腹の中が黒いのは思い切り見えていた。
だが、逆らうこともできずに、とっさに頷いてしまう。
もちろん、これはルリア様の策略だろう。
しかし、あの強さの魔力を無抵抗なまま浴びるよりはよっぽど戦うことの方がマシに思えた。
とはいえ、どうやら、早々に「悪い出来事」が起こってしまったようである。
「まぁ、とりあえずそれはまたの機会にするとして。ルーンを呼んできなさい。これからのことについて話合わなきゃいけないことがあるから。」
「はい。わかりました。」
こうして、僕は国の駒になったのである。
少し前は下級貴族でしかなかった僕はいつの間にか国直属の騎士になっていた。
そのことは今でも現実味を感じられない。
しかし、これからどんなことが待っていようと、ルーンを守りたいという思いは僕の中ではもう揺るぎないものになっていた。
そう思った本当の理由などは、この時はまだ気がついてはいなかったが……。
その正体に気がつくのはもう少し先のお話し。




