レディ・エーレル
「はぁーあ。まさか、こんなことになるなんてなぁ。」
僕は広々とした道の真ん中、大きくため息をついた。
まるでひと気のないここは、貴族の別荘が並ぶ住宅街だ。
今の時期、領地に帰っている貴族が多く、また庶民は貴族とのトラブルを避けるため、この通りを通る人は少ないのだ。
たまに通るのはパトロール中の騎士のみである。
ここが首都とは思えないような静けさの中、僕はたった一人で立ち尽くしていた。
だが、それはパトロールのためではない。
「ルーン、怒ってるだろうなぁ。時間になっても来ないなんて。」
そう、一週間前、ルーンと会う約束をしていたためだった。
ルーンは僕に家に来るように言っていたのだが、今の僕は……。
「この年で迷子、とか。」
になっていた。
というのも、ルーンの家がわからないのだ。
彼女はすぐにわかると言っていたのだが、僕にはどの家も同じ家に見えて、どれがエーレル家なのかまるでわからなかった。
そして、彷徨い歩いているうち、迷子になってしまった……というわけだ。
「取り敢えず、大通りに戻れればいいんだけど。」
何はともあれ、ここでじっとしていても仕方ない。
大通りに戻れることを願って、一歩踏み出した。
その時だった。
「お嬢様!おやめください!」
突如、静かだった大通りに悲鳴が響き渡った。
反射的に声のした方を振り向くと、そこにはルーンがいた。
それも、今まさに三階の窓から飛び降りようとしている彼女が。
そのそばで、メイド服を着た少女が必死にルーンを引きとめようとしていた。
「離せっ!ノルン、危ないだろう。」
「危ないですとも!ですから、そんな血迷ったことなさらないで下さい!」
「俺は大丈夫だ!」
「大丈夫じゃありません!お嬢様はおかしくなっていらっしゃる。」
「生憎だが、至って正常だ。こんなの、何年も前からやってることだぞ。」
ルーンはノルンと呼ばれたメイドをなんとかして引き剥がそうとするものの、メイドは決して離そうとしない。
ルーンのことだから、全力を出せば引き剥がせるのだろうが、ノルンを怪我させるわけにはいかないだろう。
手加減をしつつ、困り顔で説得していた。
「フィラ様、もしも貴女になにかあったら、ご主人様や奥様が悲しまれます。やめてくださ……。」
「おーい、フィラ団長。何していらっしゃるんですかぁ?」
「エディ!」
僕がノルンの手前、「フィラ団長」と呼びかけると、ルーンは僕に気がつき、パッと顔を輝かせた。
ノルンも僕の格好を見て、すぐに騎士とわかったらしい。
視線をこちらに向けると、助けを求めるように叫んできた。
「騎士様、ちょうどいいところに!あなた方の団長が大変なことに……って、あっ!」
しかし、ノルンが僕に気が取られているうちに、ルーンはその腕を振りほどき、窓から飛び出してしまった。
ルーンはクルリと宙で一回転してから、スタッと綺麗に着地する。
まるで猫のように軽い身のこなしであった。
ルーンは満足げに息を吐き出すと、振り返ってノルンを見上げた。
「ほらな、大丈夫だと言っただろう。」
「フィ、フィラ様……。」
ノルンは相当ルーンのことを心配していたのだろう。
ルーンが無事だと知ると、力が抜けたのか、その場にへたり込んでしまった。
当の本人はというと、今までのやりとりに疲れたようにため息をついただけだった。
ノルンを心配してやる素振りもなかった。
「ルーン、ちょっとやりすぎじゃない?わざわざ、窓から飛び降りなくても。」
僕は苦笑いを浮かべて、ルーンに注意する。
ノルンは彼女なりにルーンを心配していたのだ。
労ってやってもいいではないか。
そう思って言ったことだったが、ルーンはムスッとして、僕に歩み寄ってきた。
そして、僕の目の前で二本、指を立てる。
「二時間だ。そして、一時間。なんの時間か分かるか?」
と不機嫌そうにきかれても、僕は咄嗟に答えられなかった。
もちろん、冷静に考えることが出来る状況だったならば、答えられたかもしれない。
けれども、ルーンの怒りを前に、そんなことは出来なかった。
彼女の怒気に恐怖を覚え、反射的に首を振ると、ルーンはますます不機嫌になる。
「待ち時間だ。お前を待っていた時間だ。全く、どれほど心配したと思う?それで探しにいこうとしたら、ノルンに一時間も説教される始末。で、窓から逃げ出してやろうと思ったら、これだ。一体、誰のせいだと思う?」
「僕……だよね?」
「だよね?じゃなくて、そうだ!何処をほっつき歩いてたんだ。」
「いや……その。」
流石に理由を堂々と言えずに口ごもってしまう。
十六にもなって、迷子になったなどと誰が言えよう。
僕が何も言えずにいると、ルーンは大きくため息をついた。
そして、僕の頭にカツンと軽く拳をぶつけた。
「もう、いい。これからは気をつけろ。これがジオスだったら、拳骨だけじゃすまなかっただろうからな。」
「はい。すみませんでした。これからは気をつけます。」
「ああ、そうしろ。あとは……ノルン!」
「あっ……はい!なんでしょう?」
今だに呆然としていたノルンは、ようやく立ち直って、ルーンの呼びかけに返事を返した。
そして、彼女はメイドらしく、かしこまって命令を待つ。
「俺はこれから出かけてくる。何かあれば、RMKに来い。少なくとも、俺のことを知っている奴がいるはずだ。」
「承知しました。くれぐれも、お気をつけて。」
「ああ。」
どうやら、ノルンはルーンの外出を止めることを諦めたらしい。
素直に頭を垂れて、主を見送った。
「さぁ、いこうか。」
「いいの?ノルンさんがあれだけ止めたってことは、やらなきゃいけないこととか、あるんじゃ?」
「いや、大丈夫だ。ノルンが俺を止める理由は『エーレル家の跡継ぎなる者が護衛もつけずに外出など考えられません!』というつまらんもんだからな。いつも破ってるし、気にしなくていい。それに、今回はお前もいるから、ノルンも妥協したのだろう。本来ならば、白銀の蝶あたりが理想的なんだろうが。」
「はぁ。」
こういうことを聞くと、やはりルーンも上級貴族なのだと思い知らされる。
こんなの、僕の家では考えられないことだ。
召使いが少数ながらいるにはいるが、僕は何故か彼らに怯えられているので、声すらかけてもらえない。
そういう点では大変そうだと思う反面、僕にとっては少し羨ましくもあった。
「ねぇ、これからどうするの?まだルリア様に会う時間にしては早すぎるし。」
「そうだな。何処かで茶でも飲むか。そこで話をしよう。俺がこの国に従うと決めた理由をな。」
ルーンは複雑に入り組んだ街の中を慣れた様子で歩いていく。
僕はまた迷子にならないよう、ルーンの一歩後ろを離れないように歩いた。
また迷子になるなんて、もうごめんだ。
しばらく、ルーンの背中だけを見て歩いていると、段々人気が多くなってきた。
大通りに近付いているのだろう。
そこで、あることを思い出し、立ち止まった。
ルーンもそれに気がつき、足を止めて僕を振り返った。
「どうした、エディ?」
「ねぇ、ルーン。大通りになんて出て大丈夫なの?騒がれたりしない?」
あの時。
エフィの幻の中でルーンの追体験をした時。
ルーンは一度正体を知られただけで、大騒ぎされてしまったのだ。
あの時、ルーンは望んで有名になどなったわけではないのにと、皮肉に思ったものだ。
もし、ここでそのまま大通りに出たりしたら、同じように騒がれてしまう可能性がある。
それは出来れば避けたかった。
自分自身の為にも、ルーンの為にも。
と、ここまでの考えたことはルーンにも伝わっていたらしい。
言葉にするまでもなく、納得したように頷いた。
「ああ、お前の言いたいことはわかるよ。」
「じゃあ。」
「でも、大丈夫だ。俺も騒がれるのは好きじゃないからな。ちゃんと対抗策は練ってある。」
ルーンはそう言うと、その場で片足を軸に一回転した。
すると、彼女の姿は光に包まれた。
魔法だ。
それも、見覚えのある……。
「衣装がえの魔法……?」
次の瞬間、ルーンはまるでさっきまでと様子が変わっていた。
肩にかかっていた黒髪は高く結い上げられ。
ただでさえ整っていた顔にはうっすらと化粧がされ。
動きやすさを重視した騎士服は女性らしい薄紫色のドレスに。
そこにいたのはこの国最強の凛々しい騎士ではなく、貴族にふさわしい落ち着いた雰囲気を纏った淑女だった。
「どうだ?似合うだろう。」
唯一、男口調をそのままに、ルーンはクスクスと笑う。
確かにこれだと普段のルーンを知っている者でもわからないだろう。
あまりの変わりように、僕が何も言えずにいると、
「やっぱ、似合わないか。俺、いつもはこんなもの着ないしな。一人で出かけるくらいにしか着ないし……。」
僕の反応を悪いととったのか、表情を暗くするルーン。
そして、もう一度衣装がえの魔法を使おうとする。
その瞬間、僕は思わず叫んでいた。
「そんなことないっ!似合ってるよ。」
叫んでから、ふと気がついた。
周りからいつの間にか注目を集めていた。
ルーンがフィラであることには気がつかれていないようだが、唐突に叫んだ僕に視線が集中していた。
ルーンも目を丸くしてこちらを見つめている。
僕はそんな今の状況に気がついて、顔を真っ赤にした。
たまらなく恥ずかしかった。
そこそこ人通りも多くなりつつある道のど真ん中で叫んでしまったなんて。
「えあっ……うっ。あのっ、そのぉ。」
全身に視線を浴び、たじろいでしまう。
すると、ルーンは僕に一歩近づいてきた。
そして、一言。
「ありがとう。」
それはあまりにも小さい声だった。
聞こうとしていなければ、絶対に聞こえなかっただろう。
しかし、僕にはハッキリと聞こえた。
その一言が嬉しかった。
「ルーン……。」
「さぁ、行こう。聞きたいのだろう?俺がこの国に駒となる選択した理由を。」
「うんっ!」
ルーンはニコリと笑うと、僕の手を引いた。
僕も満面の笑みでそれに答えると、大通りに向かってかけ出した。
大通りはいつも通りの賑わいを見せていた。
だが、ルーンに気付く者は誰もいなかった。
皆、忙しそうにそれぞれの作業に没頭していた。
「うむ。じゃあ、あそこがいいか。」
そんな中、ルーンが指差したのは通りにある、小さなカフェだった。
そのカフェは小さいがオシャレな内装になっており、店内では数名の客がティーカップを片手に話し込んでいた。
あそこなら、腰を落ち着けて話すことができる。
僕たちは入店すると、それぞれ飲み物を注文して、窓際の席をとった。
しばらくは他愛ない話をした。
毎日の訓練のこと。
ルーンの家に対する愚痴。
剣術の師匠、ユナの酒癖が悪いことなど。
しかし、そんな平和な会話も飲み物が運ばれてきたところで途絶えた。
いつまでもそんな雑談に興じていたかった。
だが、決断しなければいけない時は今日に迫っている。
いつまでも避けているわけにはいかない。
僕はそう決心して、自ら話題を切り出した。
「ねぇ、そろそろ聞かせてくれるかな。ルーンが、あの決断をした理由。」
ルーンはすぐには答えなかった。
窓の外をまぶしそうに眺めて、ため息をついた。
きっと過去を思い出していたのだろう。
それから一呼吸おいてから、ルーンは語り出した。
「あの時、俺は生きなければならない理由があった。この手を血で汚してでもな。」
ルーンは両手を机の上で強く握りしめた。
その手はとても華奢だった。
「守りたい人がいた。かつては俺を守ってくれていた人を、俺は守りたかったんだ。だから、死ぬわけにはいかなかった。」




