闇夜の訪問者
「母様!聞いて!」
赤々と暖炉の中の火が燃える、暖かな部屋の中で。
丸いカーペットの上、一人の少女が母親の首に抱きついていた。
二人とも幸せそうな表情でじゃれ合っている。
「どうしたの、フィラ?」
「私……私ね、騎士になりたい!」
「えっ? でもフィラは女の子じゃない」
「そんなの関係ないの。私は騎士になるんです!」
「あらまぁ。ウフフ……そうね。いいわ、あなたは好きなことをなさい。それが『あの子』の為でもあるから。何も出来なかった『あの子』の分も…あなたは楽しんで」
フッと目を覚ましてみれば、俺がいたのは団長室だった。
どうやら、明日の準備をしていたところ、寝てしまったらしい。
刹那の過去の夢。
それは気分をドッと重くさせた。
「結局、いつも『あの子』か。俺は……やはり」
と、そこまで呟いて、不意にドアがノックされる。
窓の外はもう既に真っ暗。
受験者たちがいるはずの隣の部屋からは、寝てしまう前までは騒ぎが聞こえていたものの、今となっては静まり返っていた。
こんな夜中に誰だろうと思いながらも、返事を返す。
「入れ」
「お邪魔します。ゴメン、こんなに遅くに」
入ってきたのはエディだった。
彼の茶色い髪はまだわずかに濡れていて、風呂に入ってきたばかりだということが予想された。
一体、この夜更けに何の用なのだろうと、俺は首を傾げた。
「こんな遅くに、どうした?」
「あはは……。みんな我先にってお風呂に入っちゃうから、僕が一番最後になっちゃって。もっと早く来るはずがこんなに遅くに。ごめんね、突然訪ねたりして。にしても、風呂がある騎士団なんて凄いなぁ。あっ、ゴメン。無駄話が多かったね」
「まぁ、いい。とりあえず座れ」
「ありがとう」
彼はニコニコと笑って、俺の向かい側の椅子に腰を下ろした。
そして、ようやく話は本題にはいる。
エディは真剣な表情でこちらを見つめていた。
「こんな時間にきたのは、本当にゴメン。ルーンも疲れてるはずなのに。でも、どうしても少し話がしたくって」
「話?」
「うん。あのさ……単刀直入に聞かせてもらうけど、今日の試験、失格になった二人と何かあったの?」
「……本当にストレートに聞くのな」
言葉を濁したりはせず、直球でくるエディに俺は思わず苦笑いを浮かべる。
エディはそんな俺から視線を外さなかった。
「ルーン」
「すまん。あの時は悪かったよ。俺は大丈夫だ。ただ、空間制御に疲れていてな。イライラしていただけだ」
「それだけじゃ……ないよね?」
「何を言う?」
なおも否定し続ける俺を、エディは完全に疑っているようだった。
その表情は怒っているようにも見えて、彼が怒っているところを見たことがない俺にとっては、それが少し怖い。
それでも、表面にはそれを出さずに平静を装った。
「エディ?」
「だって、何もないがずがない。あの時の君、触れたら壊れてしまいそうな程に弱々しかったんだ。人前で弱みを見せるなんて、何時もの君じゃなかった」
エディは鋭い声音で俺の異変を指摘した。
事実、何もなかったワケじゃなかった。
確かに人前で弱みをみせることなど、普段なら絶対にしないことだ。
あの時はそれほど動揺していた。
こういうことにはとっくに慣れていたはずなのに、それでも尚、襲撃者たちがもたらした情報は俺の不安を掻き立てた。
けれども、その時俺が知ったのは彼に触れさせてはいけない『真実』。
それは、裏社会に存在すべき穢れ。
表社会にあってはならないもの。
今の世界の均衡を保っているもの。
そういう類のものだった。
もし、彼が知ればいかにも純粋そうに見える彼は、今のままではきっといられなくなる。
最悪、命を狙われることすらあるのだ。
だから、それを彼が知ってはいけない。
もう、誰も巻き込むわけにはいかないのだ。
「俺もな、お前にも聞きたいことがある」
「ルーン、君はまだ僕の質問に答えてない」
「なら、お前が俺の質問に答えてくれたなら、その代償として答えてやろう。そのほうが、平等だ」
黙り込んだエディ。
それでも、俺は言葉を続ける。
残酷なようだが、彼を守る為とあらば仕方がない。
俺が嫌われるくらいで彼の命が救われるのなら、それでいい。
俺は悪者になるつもりでいた。
「あの日、俺とお前が出会った日のことだ。お前は何故あの森にいた? そして、今日の試合、お前から出たあの魔力は」
「やめて」
感情を押し殺した静かな声が俺の言葉を遮った。
途端、部屋の温度が一気に下がる。
エディは怒っていた。
鋭利で冷たい怒りが彼の背後に立ち上っていた。
幾度となく危ない場面に遭遇してきたが、彼の怒気は凄まじい。
どんな魔物にも匹敵するくらいに厳しく、冷たかった。
「ルーン? 君らしくないよ」
少し間を置いた後、エディがそう言う。
すると、スッとその気配は消えていった。
完全にそれに飲まれていた俺も、ようやく我に返る。
しかし、ここで引くことは出来ない。
少し震える声でながらも、俺はどうにか彼を遠ざけようとした。
「あっ、ああ。そうかもしれないな。きっ、きっと、今日の俺はどうかしているんだ。……そうか。実はお前の質問の答えも案外、簡単に出るじゃないか。あの時の俺も、どうかしていたんだ。それなら、これで片付くだろう」
「ふざけないで」
また一瞬、怒気が溢れ出す。
俺はそれを予期していたため、今度は飲まれることなく言い放った。
「ふざけてなどいない。答えはでたし、答えた。もう、満足だろう」
「クッ……」
エディは悔しげに唇を噛んだ。
通せない無理な道理だとわかっているが、強気な姿勢は崩さない。
ここで崩せば、全て無駄になる。
俺は出来るだけボロが出ないよう、エディを追い出すことにした。
「要は済んだだろう。明日も試験だ。お前も休んだ方がいい」
「……ッ!」
彼は傷ついた表情を浮かべた。
そして、次の瞬間には身を翻すと、勢いよく部屋を出て行った。
再び訪れる沈黙。
その中で、俺は小さくため息をついた。
さすがに酷いことをしたという自覚はある。
だが、仕方がなかった。
不器用な俺には、彼を拒絶することでしか、裏社会から引き離すことが出来なかった。
「やって、しまったか」
ふと顔をあげて、壁に立てかかる姿見に目をとめる。
そこに映っていたのは、元は白いワンピースだったであろう、ボロボロの布切れをまとった傷だらけの幼い少女だった。
少女は短い黒髪をフワリと揺らして、感情を失ったアイスブルーの瞳をこちらに向けてくる。
『結局、あなたは何も変わってない。“あの日”から。“昔”から。』
そう。
俺は何も変わってなどいない。
何も……何も。
髪や身長は伸びれど。
まわりの環境が変わろうと。
『私』自身は何も変われていないのだ。
「あーあ。彼、可哀想に」
不意にどこからか声が聞こえた。
俺はそれに驚くことなく振り返る。
声の主の気配には眠りから覚めてから、ずっと気がついていた。
「盗み聞きとは、良い趣味とは言えないな」
「フッ……そう。確かに良いとは言えない」
中性的な声の主は微かに笑う。
「だが、姿を見せて謝るつもりはないか」
窓際。
誰もいないはずの一点を見つめて、俺は言葉を返した。
姿こそは見えないが、確かに何かがそこにいる。
俺はそれを確信して、油断なくそこを見張った。
すると、わずかにカーテンが揺れた。
「姿を見せれば、こちらも動きにくくなるのでね。悪いが姿を晒すことは出来ない。声も魔法で変えさせてもらっている」
「いい判断だ。で、用は何だ? 俺はもう疲れた。」
「なら、手短かに。これ以上、『悪魔』について詮索するのはやめておいた方がいい。これは忠告。あなたの身のため」
「ほう……このフィラ・エーレルに脅しをかけるか。なかなか肝が座ってるじゃないか」
「冗談は程々に」
突然、何も無いはずの空間から、キラリと光る何かが飛んできた。
俺はそれを反射的に避ける。
すると、背後ではそれが突き刺さる音がした。
「不意打ちとは卑怯な手を使うものだ」
「殺すつもりはない。ただ、警告をしただけのこと」
「お前側に不都合が出た場合には殺すと?」
「あなたの実力は認めざるを得ない。そんな有力な人材を失うなんてこと、こちら側も避けたい」
バタンと窓が大きく開け放たれる。
そこからはまだ少し冷たい春の夜風が吹き込んできて、部屋を照らしていたロウソクを消した。
残った光は月の光だけとなった。
「だから、あなたが選ぶべき道を選ぶことを祈っています」
次の瞬間、部屋の中からその気配が消えた。
おそらく、窓から出て行ったのだろう。
俺はそれを確認すると、大きなため息を吐いた。
「ふぅ、このままだと色々と敵をつくることになりそうだな」
ただでさえ、多忙な毎日。
それなのに、その毎日に刺客が送られてくるなんて、面倒くさいことこの上ない。
出来るだけそんなことは避けたいのだが。
「でも」
だが、だからと言って、この件から手を引くことは出来ない。
俺がこの件から手を引いてしまえば、『アイツ』がさっさと片付けてしまう。
疑わしきは殺せ。
それが長年の付き合いである『アイツ』の信条なのだから。
だが、それだけは嫌だった。
振り返ってみると、先ほど投げられたナイフが壁にグサリと突き刺さっていた。
それが貫くのは一枚の紙。
二つの頭を持った蛇が互いに絡み合う印の書かれた紙だった。
この紋章には何度か見憶えがある。
「ロエル家……か。この件はそんなところまで動いているのか。随分と厄介なことになりそうだ」
この時、もうすでに世界は動き出していた。
いや、実はもう何年も前から。
気づかれないほど小さな変化がこの世界には起こっていた。
だが、それに気がついている者はまだいない。
そんな者が現れるのは、もう少し……先の話。
遂に20話を迎えました!
これからもお願いします!




