一つの決意
「フゥー。」
僕は気持ちを落ち着かせようと、大きく息を吐いた。
誰もいない、静かな本部の廊下。
目の前には豪奢な装飾が施された、威圧感のあるドア。
ここは、青きバラの騎士団の本部の団長室前だ。
「ううっ、緊張する…。」
さっきはあんなに怒られたのだ。
気まずくないはずがない。
そして、理由が分かってしまった今は、より一層気まずい。
でも、行かねばならない。
僕は最低の事をした。
それに、エフィ、ロイジ、コールの三人が僕の背を押してくれたのだ。
何としても謝らなくては。
そう意を決して、ノックをするべく、手を胸の前で構えた。
の、だが…。
「誰だ。いつまでそこに立ってる?」
と、ノックする前に、ドアは開いた。
中から覗いたのは、フィラ様の不機嫌そうな顔。
予期せぬ出来事に、僕は慌ててしまった。
「あっ…あの…。」
その先は聞いてくれなさそうだった。
クルリと踵を返して、部屋の奥に置かれた、高価そうな椅子に戻っていってしまう。
「まっ、待ってください!」
慌てて呼び止めると、フィラ様は不満気な目をこちらに向けてきた。
「無礼を謝りに来たのなら、とっとと帰ってくれないか。その点に関しては怒っていない、安心しろ。」
「違います。」
フィラ様は軽く指を振って、魔法でドアを閉めようとする。
僕はその閉まる寸前に、部屋の中に体を滑り込ませた。
それを見て、一瞬驚いた表情をするも、すぐに顔をしかめる。
「では、何だ。お前の答え次第ではタダでは帰さん。人の部屋に無理矢理入って来たのだからな。」
「すみません。その点に関しては先に謝っておきます。」
なるべく平静を保つも、フィラ様が発するオーラはかなりのものだ。
一瞬たりとも気が抜けない。
「だが俺が察する限り、お前は理由にたどり着いていないようだが。」
「じゃあ、こういえばよろしいのでしょう。『ルーン、ゴメン。』と。」
しばらくの沈黙。
フィラ様…否、ルーンはうつむいていた。
そのせいで、表情は伺えない。
僕はひたすらルーンが顔をあげるのを待った。
「フフッ。」
不意に、沈黙は謎の音によって破られた。
笑いを噛み殺したような…いや、実際にルーンは笑いをこらえようと必死であった。
あまりに突然の出来事に、僕はポカンとしてしまう。
「いや、すまない。ようやく気がついてくれたのだな。」
「うっ…うん。」
戸惑いながらも、何とか頷くと、ルーンは顔を引き締めた。
「子供染みていて、身勝手な理由ですまない。」
「そんなことない。僕は最低の事をした。それなのに、自分だけじゃ解決出来なかった。」
「友の助けは使うためにあるのだ。そこは気にしなくていい。」
ルーンはそう言ってくれるが、わだかまりが残る。
これは、自分で知るべきことではなかったのかと。
「で、誰に助けてもらった?」
「コール達。」
「なるほど。つまり、エフィの幻惑魔法だな。」
「うん。」
僕は頭を下げた。
媚を売るようなものではなく、友人にそうするように。
「ゴメン。君の気持ちを知らずに。」
しばらく、そのままでいた。
まだ、許しは得ていないのだ。
「顔をあげろ。」
そう言われて、ようやく顔をあげる。
ルーンは微笑んでいた。
優しき女神の如く、やわらかく。
「許す。それに、俺こそすまない。理不尽な事を散々言ってしまった。」
「気にしてないよ。ありがとう、許してくれて。」
お互いに握手を交わした。
仲直りの印、と言っては少し幼稚だろうか。
僕はそんなことを考えながら、ルーンの手を取っていた。
「そういえば。」
不意に、ルーンが思い返したように聞いてきた。
そこには先ほどまでのやわらかい笑みではなく、どこか悪戯っ子のような笑顔があった。
「ジェイドが、散々俺のことを言っていたようだが。教えてくれると助かる。」
「あー。なんか、『ポーカーフェースの彫刻みたいな方』とか、『鬼のような方』だとか言ってましたよ。」
「ふむ。それは後で制裁を与えなければならないな。」
恐ろしいことだ。
ジェイドには、後で謝っておかねば。
だが、このルーンの何処がポーカーフェースなのだろう。
こんなにも表情豊かなのに、団員たちは皆そう言っている。
僕にはその理由が見当たらなかった。
ということで、思い切って聞いてみる。
「あのさ、どうして皆、ルーンのことをポーカーフェースっていうの?ルーンは表情豊かじゃないか。」
「ああ、それはな。」
ルーンは戸惑ったように、口ごもった。
でも、一拍おいて返事を返してくれる。
「俺は…昔から人付き合いが苦手でな。どうも、無表情になってしまう。」
「えっ…?じゃあ、僕は?もしかして、人間って認識されてない?」
「そうとは言ってないだろ。大体、お前みたいに親しげに話しかけてくれた奴なんていなかった。だから、俺は心の何処かで、お前を許してしまったんだ。」
ルーンはパシリと僕の頭をはたいて、呆れたようにそっぽを向く。
でも、何でも完璧そうに見えるルーンにこんな弱点があるとは思わなかった。
意外な一面を知れて、にやけそうな顔を必死に引き締めようとしていると、ルーンはふと、僕を振り返った。
そして、プッと吹き出した。
「えっ、何?」
「お前のその顔、傑作だ!笑える、笑えるぞ!褒めてやるよ。」
喜ぶべきか、非難するか。
僕はそこまで善人ではない。
後者を選ぶことにし、皮肉たっぷりにこう言ってやった。
「お褒めいただき、光栄でございます。フィラ様。」
してやったり。
そう思って、再びにやけそうになるものの、ルーンに「うむ。」と満足気に頷かれて、アッサリと流されてしまった。
僕は不満げに唇を尖らせると、ルーンはまた笑った。
「お前といると本当に愉快だ。」
「僕も嫌じゃないけど、からかわれるのは勘弁して欲しいな。」
「フッ、俺に勝つには千年早い。」
「なんのその。」
そこでようやくひと段落ついた。
ルーンは窓の外を眺めながら、ふうっと息をつく。
僕も同じように窓の外に視線を向けようとして、ふと思い出す。
この部屋に入る前。
心に決めた、一つの決意を。
「ねぇ…違う。フィラ団長、お話があります。」
「何だ、言ってみろ。」
急にかしこまった僕に、ルーンも何かを感じたのだろう。
ルーンの方も真剣な表情でそうたずねてくれた。
「僕…いえ、私は決意いたしました。この騎士団の…入団試験を受けることを。」
「ほう。だが、ここの入団試験はそう甘いものではないぞ。」
「承知の上です。僕は絶対に、ここの騎士団に入って見せます。」
その時のルーンの表情は逆光でわからなかった。
ただ、彼女は「頑張れ。」と一言。
僕はこう言ったことを絶対に後悔しない。
たとえ、未来が過酷なものであっても。
この瞬間を後悔したことは一度もなかった。
これにて、ルーンとエディの出会い編は終了です。
次は騎士団入団編です。