00_230 PM23:58 本物
「は゛ぁ……! は゛ぁ……!」
叩きつけられた地面から、アイマンはよろよろと起き上がると、血と涎で濡れて呼吸が苦しくなったか、自ら覆面を剥ぎ取った。
現れたのは、彼らとそう変わらない年頃の、少年の顔。明かりの少ない夜目でも、日本人とは違う雰囲気のする浅黒い肌は、十路たちも見て取れた。
今は瞼も頬も腫れ上がり、切れて血を流して、見るも無残な顔をさらしている。
「まだ立つんですか……」
【その意思だけは評価に値しますね】
相当痛めつけたものの、尚も立ち上がるアイマンに、彼女たちはかすかな驚きを持つ。
十路は逆に冷徹な目で、問う。
「お前さ……なにがしたいんだ?」
《身体強化》があるとはいえ、ここまで傷つけられて、彼がなぜ立ち上がろうとするのか、その理由を。
「《魔法》を使って、なにがしたいんだ?」
「は゛ぁ……! は゛ぁ……?」
アイマンからの返事はない。
肩でする息に答える余裕がないのか、それとも日本語を理解していないのか、十路にはわからないが、構わずに続ける。
「オカルトに出てくる『魔法』は本来、悪魔と契約して欲望を叶えるための術法だそうだ」
人の力では成しえないものを、超自然的ななにかの力にすがる方法。
それも気まぐれな神に祈って奇跡を待つのではなく、必要な時に人為的に、確実にその力をものにするために、それは研究されてきた。
「現実にある《魔法》も、結局のところ、誰かの欲望を叶えるために使われる技術だ」
《魔法使い》が国家に管理されるということは、政治家や官僚、軍人の思惑に左右される。
つまり彼らの欲のために、《魔法》は使用されてしまう。
「犯罪に《魔法》を使おうするなら、それなりの目的があるだろう? 裏社会でのし上がりたいのか? 誰かを殺したいのか? 金稼ぎでもしたいのか?」
その方向が善いものでなくても、力を持とうとする者は、主義主張と、それを実現しようとする意思がある。
「だから、お前はなんのために《魔法》を使うのか、聞かせろ」
だから、強い意志に相応しい理由があるのかと、尋ねた。
「……グラーム……っ!」
「は?」
その名前を十路は知らない。
「グラームの……言う通りデシタ……」
「…………」
彼がなにを言っているのか、十路には理解はできない。
それでも十路は、自分のスイッチが切り替わるのを自覚した。
「……自分が正しいと思ってないなら、もう寝てろ」
ただその場しのぎのために、ただ自分の思い通りにしたいがために、大きすぎる力を好き勝手使い、しかもその責任は取ろうとしない、子供のような人間。
十路はアイマンが、そういう人物だとは知りもしない。目的もなく、ただ今が楽であればいいと享楽的に、その場限りの考えで生きてきたことなど。
そして兄に劣等感を持ち、反抗的に行動し、行き着く先はこんな事態に発展したなど、知るはずもない。
「お前じゃ絶対に俺たちに敵わない。だから投降しろ」
「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁっっ!!」
再度の獣の絶叫と共に、アイマンの周囲が幾何学模様に埋め尽くされた。
アスファルトが筍のように成長し、それが投げ槍となって夜空に放たれる。
【キレましたね……】
その数は100や200ではない。隙間なく尖った天井となって降ってくる。
「来い!」
「ひゃ!?」
強引に細身の体を抱え、近寄ってきたオートバイを停止させることなく飛び乗って、そのまま滑走路を駆け抜ける。
そのすぐ後を、小さな絨毯爆撃のように投げ槍が降り注ぎ、石の砕ける音が連続して、山の崩落のような轟音を響かせた。
「堤さん!? 追い詰められちゃってません……!?」
彼らが向かう先は、空港島の東、滑走路の端。長方形の一角へと突き進む。
背後を振りかえり、石の槍の雨も一時降り止んだのを見て、十路は車体を滑らせながら停車させて。
そしてオートバイを降りた。
《騎士》の最大の強みは《使い魔》と組む事のはずなのに、彼は自らそれを放棄する。
しかしその足取りは、焦ってはいない。むしろ悠然としている。
「木次。空を飛べるなら逃げろ」
「え!?」
【私とあなたはどうしようと?】
すぐ側は海。
滑走路の向こうから、足を引きずりながらでも、アイマンがこちらに近づいてくるのが見て取れる。
そのまま先ほど同じ無差別攻撃を仕掛けられたら、海に逃げ込むくらいしか道はない。
【1発や2発なら私の装甲で防げますが、あの物量ではさすがに無事にはいられないと……】
顔はないのでよくはわからないが、多少なりとも心配そうな声で訊くイクセス。
「じゃ、どーするんですか!」
危険が迫ってるというのに逃げようともせず、樹里は慌てた顔で急かす。
「あいつを完全に叩きのめす……」
そんな彼女たちに振り向きもせず、十路は無表情に怒った顔で返す。
「《ハチキュウ》解凍」
パンフレットと一緒に渡され、あってはならないはずなのに学校を退学した時にも見過ごされ、そのまま神戸に持ってきた、オートバイの左側面に搭載されたパニアケース。
それに手を当て、指紋と声紋を認証させると、軽い金属音を立てて開き、頑強な機械の腕が握り締めたものを十路に差し出す。
そのケースの大きさには本来入らない、空間圧縮されていた物は――
「アサルトライフルじゃないですか!?」
自衛隊制式装備89式5.56mm小銃。
ただし標準的なそれとは形状が異なり、すでに装着されている銃剣は、通常の倍ほども長いもの。そして被筒と銃床部分に、インタフェースシステムを内包している。
《89式5.56mm小銃・特殊作戦要員型》
それが『杖』と呼ばれるイメージからはかけ離れた、堤十路が手にする《魔法使いの杖》
【あなたは《魔法》が使えないのでしょう!?】
静止に構わず彼は銃把を握る。
外した弾倉に弾丸が詰まっておらず、バッテリーであることを確認し、再度装填して切換レバーを安全装置から単射に変更。
そして意識を接続した。
「――ぅぐっ!?」
途端、恐怖が湧きあがり、十路の全身が鳥肌立って震えた。
頭が軋んで脳髄に電撃が走る。
視界が赤黒く染まって耳鳴りがする。
血の匂いを感じ吐き気がこみ上げる。
手に構えた感触がおぞましいものに錯覚する。
戦場を駆け、いくつも死を作り出してきた光景を思い出し、またそれを作るのは嫌だと、もう一人の自分が悲鳴を上げて拒否をする。
しかし自分を騙して、彼は接続を続ける。
ここでの自分は生きた軍事兵器ではなく、学生。
そしてこれは戦争でも殺し合いでもなく、部活動。
そのために《魔法》を行使する、と。
意識のマウスを操って、ある術式をダブルクリックして解凍。脳内のキーボードを叩いて、習得したデータを元にパラメーターを書き換える。そしてEnterキーを叩きつけるイメージ。
「堤さん! 来ます!」
離れたアイマンの周囲の地面が発光し、そしてまたアスファルトの槍が作られたのが、離れた場所からも見て取れた。
「『風の如く疾き速く駆け……火の粉の如く刹那に消える……』」
それに構わず十路は『呪文』を唱える。
「まさか――!?」
【本気ですか!?】
構えた銃の先に幾何学模様が発生する。
単純形状でも破壊的な威力を発揮するそれが多数連なって、長さ20mにもなる円錐状、根元は球状で多数の針を持つ、光で構成された歪で巨大な騎乗槍になる。
通常の技術では作成不可能な、影響を外部に漏らさない理想的な炉が力学的に構築され、内部で大気の水分を材料に、電気分解で重水素を生成。ナノテクノロジーで構成される仮想の機器で、莫大なエネルギーを使ったレーザー照射を準備し、ヘリウム生成の指示を待っている。
そして実体を持たない槍の穂は、射線外への被害を最小限度にするための各種力学制御が施され、砲身として機能する。
「『いかなる妨げがあろうとも――』」
アイマンからもこの光の槍が見えているからだろう、警戒してかなり離れた位置から、アスファルトの投げ槍がまたも空に放たれた。
当然十路たちに逃げ場はない。豪雨のような石の砲弾に潰されて、ズタズタの血袋と化すだろう。
しかし彼は元より逃げる気などない。
「『吾が道、一を以って之を貫く……!』」
『呪文』が完成し、最終シーケンスに移行。騎乗槍は夜目にも鮮やかな青白い光を放ち、解き放たれるのは今かと暴れる。
現代の《魔法》の行使は脳内での術式実行。呪文や予備動作は存在しない。
しかし例外がある。
《魔法使いの杖》の初期設定として、設定出力上限を超えた術式を実行する場合、考えるだけでは実行できず、安全装置として音声認識パスワードが自動設定される。
それが必要なのは《魔法使い》の全力。生きた軍事兵器の真骨頂。ただ《魔法》が使えるだけのまがい物とは違う、正真正銘の人間兵器の本領発揮。
【ジュリ! 伏せて目をつぶりなさい!】
『騎士』がこれを構えるならば、邪竜の鱗を貫き屠る神の力を宿した槍。
《騎士》がこれを作り上げたのは、何物をも滅して進む意思の具現化。
アドレス:脳内収納フォルダ『戦略級環境操作』内。
種別:対空/対艦/対戦車/対施設_核融合式熱放射砲。
ファイル名:《揺るがざる信念/Unshakeble Faith》
「これが本物の《魔法》だ!!」
引き金を絞り、実行。
光が咆哮し、夜の闇が真昼の白へと変わった。
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