00_220 PM23:55 アイマン・ファーマン
《魔法使い》は軍事兵器として、国家に管理されるのが世界的な常識。しかし実際には、100%管理されているわけではない。
インフラ整備も満足にされていない発展途上国や、政治・軍事的な要因により情勢不安定な国では、管理どころか把握すらしていないこともままある。
アイマンも、そのような事情で、国に管理されなかった《魔法使い》。
アイマンは、パキスタンのアフガニスタン国境にほど近い村で生まれた。
日本でも知られたイスラム主義運動が活発だった時期に、大国へのテロ行為が行われ、激しい報復攻撃からジリ貧な戦闘が現在にまで続く地域。
彼の家族は軍人でもなく、過激な活動とも関係なかったが、その戦乱に巻き込まれ、幼いアイマンたちを連れて逃げ、各地を転々とすることになったために、彼が《魔法使い》であることが判明しなかった。
近年パキスタンは荒れていた国内情勢も好転しているが、依然としてお世辞にも良いとは言えない。殺人・強盗等の凶悪犯罪発生率は依然高く、誘拐やテロ、麻薬ビジネスといった混乱がはびこっている。
成長した彼は、同世代の若者たちと共に、そのような混乱を自ら作り出す側に回った。
そうなった理由に、特筆すべきものはない。
人が死ぬことが日常茶飯事の場所で、力を持たなければ生きていけないから。
力を持つことで金が入り、それはまた新たな力を手に入れられる。
本物の犯罪組織からすると、若者のお遊びとも言える小さな規模だが、そうした安易な理由から、彼は仲間たちとチームを作って、欲望を満たすために犯罪を犯していた。
犯罪に手を染めた人生が、どんなに悲惨なものになるかなど、想像もしていない軽率な行動だと罵る者もいるだろう。しかしそれは平和な場所からでしか言えない、彼に言わせれば聞くに値しない意見。混乱した場所で平和を叫ぶなど、命を無駄にする愚行でしかない。
とはいえ別に人を殺したいわけではない。やらなければやられるという状況だったというだけ。
そして特別上を目指すわけではない。しかし底辺に甘んじるのも我慢ならない。
人生に目的があるわけではなく、ただその日をそれなりに楽しく暮らせればいい。短絡的かつ享楽的な思考を持つ、日本人的な感覚ではいわゆる『最近の若者』が彼、アイマン・ファーマン。
兄であるグラームは、そんな考えを持ち、そして行動している弟を、必要以上に関わりにならないようにしながらも、取り返しのつかないことにならないかと、日頃から心配していた。
兄の心配は当たった。
彼と仲間たちは、ある抗争に巻き込まれた。
相手は今のように国内が混乱する前よりある、構成人数も段違いで手も広い、本物の犯罪組織。彼らの縄張り内でアイマンたちのやる事が、許せる範囲を超えて目障りとなったのだ。
本物の犯罪組織からすると『子供のお遊び』とも呼べるアイマンたち。まともに衝突、あるいは折衝を誤れば、全員の命すら危うい状況であった。
しかしある日、大国の空軍が『誤爆』したことで、その犯罪組織は本拠地ごと壊滅した。
そしてアイマンに、非営利団体を名乗る者たちが接触して来た。
その者たちはなぜかアイマンが《魔法使い》であることを承知しており、彼をスカウトの話を持って来た。
『誤爆』がただの偶然であり、この非営利団体と無関係とも考えるにはタイミングが良すぎる。あまりにも規模が大きいために荒唐無稽と思えるが、もし関係があるならば、非営利団体などただの隠れ蓑で、潰された一組織とは比較にならない巨大な力が関係していると、アイマンでも理解できた。
どこからか不明だが、それを知った兄は弟に『関わるな』と忠告した。
兄の言うことが正しいのだろうとは、彼もなんとなく理解している。
しかしアイマンは兄を、違う世界に住む人間だと感じていための、反抗した。
復興を始めた国の都で、質素で堅実な選択をし、小さいながらも店を始め、そのうち家庭を持つだろう、そんな兄の生活。
その生き方を悪し様に言う気はアイマンも持っていないが、自分がそんな生活をしたいとも思わない。
そしてなによりも、彼らに渡された《魔法使いの杖》の能力が、なによりも魅力だった。
それまで使っていたは中古の銃火器とは比較にならない、考えるだけでなんでもできるとされる万能の能力。
つい先日までの怯えていた自分を笑いたくなるほどの無敵感。
《魔法》に魅せられ、その力を使うことで金になると言われ、アイマンはスカウトを承諾した。
それを知った兄も一緒に行こうとしたのは、予想外だった。
もう関わる気はない。国で楽しくやってくれ。そんなつもりで最後の挨拶をしたその時に、兄は同行を決断した。
もちろん彼は断ったが、最終的には殴り合いのケンカに発展しても、兄は折れることはなかった。
仕方なく、彼らは兄弟で日本にやって来た。
何故日本なのか、極東の島国になにがあるのか、どのような仕事をやらされるかも知ろうともせずに。
彼はある日突然に立場が変わる一種のシンデレラストーリーの実現を考え、自分が誰にも負けない力を持てるという根拠のない<欲望|ゆめ>に目が眩んでいた。
しかし日本で彼を待っていたのは、地道な教育だった。
母国語しか話せない彼に日本語を覚えさせ、《魔法》の術式作成な物理学の知識と教えられ、どことも知れない施設で戦闘訓練をさせられ、そして公民の内容にあたる《魔法使い》としての常識などを詰め込まされた。
彼は、そんな時間を受け入れられなかった。
発展途上国は教育に国費をかけることができず、識字率も教育水準が低い場合が多い。もちろんそんな場所で生まれ育っても、そうならない人物の方が遥かに多いが、アイマンは教育の重要性を理解せず、努力もせずに手っ取り早い結果だけを求める場当たり的な人間になっていた。
そのような人間が力を持ち、組織内にいるのは危険。
なので責任者たちはスカウトに失敗したとして、《魔法使いの杖》を持つアイマンと、市ヶ谷を戦わせた。
いつ、どこで、どのような戦闘が行われたかは、当事者たちしか知らない。
ただここで言えるのは、実力差がありすぎる勝負であった。正式な戦闘訓練を受けた《魔法使い》である市ヶ谷が、昨日今日《魔法使いの杖》を持ったアイマンに負ける要素はなにもなかった。
そんな彼に、兄は優しく言った。
『国に帰ろう』と。
兄の言うことが全て正しかったのは彼自信も理解している。しかし、自らの否を認めることができるほど、彼は真っ直ぐではなくなってしまった。
ここから先は市ヶ谷本人がコゼットに話した内容に通じる。
《魔法使いの杖》を完全には破壊されなかったアイマンは、場当たり的なATM強盗で資金を得て、修理させることで、万能の力を取り戻そうとした。
それができる技術者は国家的な重要人物であるため、情報公開されていない。ただ1人を除いて、アイマンの知るところになかった。
唯一の例外は、世間的にも顔を出していた技術研究者、コゼット・ドゥ=シャロンジェ。
だから素人ながらに彼女のことを調べさせ、そして誘拐した。
そこまではアイマンの予定通りだった。
しかし、黒いオートバイに乗った青年と学生服姿の少女が現れた時、それが狂った。
「《雷撃》!」
「はい!」
長杖を持つ少女が発生させた超常の落雷を、アイマンは大気をイオン化させて電気の通り道を作って散らした。
彼女とはつい先ほどまで戦っていたので、その実力は彼も理解している。
言うなれば《魔法》が使えるだけの女の子。実戦的な術式もそう多くないらしく、ワンパターンに《雷撃》を使うだけで、大したものではないと思っていた。
「地面に!」
「はい!」
指示通り、地面にエネルギーが与えられ、アイマンが攻撃手段として作り出し、そのまま残っていた《土の槍》の先端から電撃の尾が伸びる。
接地効果で周辺に散らされ、出力は十分ではなかったが、それでも撃たれて痺れて動きが止まる。
「イクセス!」
【人遣い荒いですね……】
言葉をしゃべるオートバイが、無人のままで疾駆する。
しかし《使い魔》を見るのは初めてではないので、アイマンは過度に驚きはしない。
「食らうなよ!」
【誰にものを言ってるんですか】
体が自由に動かないアイマンは、起き上がりながら《氷弾》で迎撃。
しかし彼女は車輪を浮かし、車体を回転させて避け、人が乗っていたら降り落とされる機動で接近する。
そして容赦なく、彼をはね飛ばした。
「――ッ!」
無言の気合いと共に、青年が飛び込んでくる。
夕方、車を追いかけて来た時とは服装が変わり、今は学生服に身を包んでいる青年。
「はっ!」
地面に倒れたアイマンの顔面を、遠慮なく蹴り飛ばす。
そして衝撃より一瞬早く実行した《土の槍》を、バックステップで鼻先にかわす。
アイマンが《魔法使い》であろうとも、全く恐れず突っ込んでくる。
彼らが現れたことで、アイマンの計画は狂った。少なくとも彼自身はそう思っている。
傍から見れば、計画の見通しの甘さ、人員の集め方、運用の仕方、この犯行には失敗要素はありすぎた。
そして《魔法》が使える程度で、万能になったつもりになり、少々のアクシデントが起こっても、なんとかなると思っていたのも、大きな間違いだった。
彼の一番の敗因は、情報収集のずさんさ。
《魔法使い》は生きた軍事兵器。故に国家に厳重に管理されている。個人の勝手で《魔法》を使うなど普通ありえない。
しかし自分以外に、自由に《魔法》が扱える《魔法使い》が神戸に存在するなど、日本に来て多少なりとも学んだことと違うから、想定もしなかったから調べていなかった。
更に、敗因と呼ぶには少々酷な、最大の要因は、たまたま修交館学院に招致され、偶然この日に話し合いに来ていた、堤十路が神戸にいたこと。
彼がいなければ、結果は違ったかもしれない。
コゼットを誘拐した時、追跡を受けずにそのまま神戸を離れることができ、今頃《魔法》を取り戻して安全圏で悠々としていたかもしれない。
それが無理であったとして、今と同じ流れになったとしても、追っ手を叩き潰すことができたはず。
だが現実は違った。
鍛えられているとはいえ、《魔法》も使えない青年。
科学技術の集大成とはいえ、無人で動くだけのオートバイ。
そして《魔法使い》とはいえ、戦い慣れていない少女。
3対1になったとはいえ、問題にならない戦力差だと思っていた。
しかし彼らはアイマンの《魔法》を恐れず、連携して狩り立てる。
「はあ゛……っ! っあ゛……っ!」
痛みはもう感じないが、ダメージで体はもう自由に動かない。荒い息で肩を動かし、言葉もまともに出せない。
しかしそれでもアイマンは手足を動かし、槌鉾をなんとか握り締め、必死に立ち上がる。
「まだやる気か?」
怠惰な野良犬は、牙を収めぬままに問う。
「もうやめた方がいいですよ……」
人懐こい猟犬は、尾を立て警戒しながらも哀れむ。
【ここはトコトンボコるのが相手のためでは?】
鋼鉄の魔犬は、冷たく言い放ち地面に爪を立てる。
そんな彼らにアイマンは、今にも砕けそうな足腰を踏ん張り、獣じみた絶叫をした。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁっっ!!」
自分の力が過ちだったと、認められないが故に。
「やる気っぽいですね……」
「仕方ない。木次、イクセス。殺さない程度に徹底的にやるぞ」
【ジュリ、中途半端な手加減は逆効果です】
「はいっ!」
三頭の犬が別方向から、獲物に向けて駆けだした。
「ハ――ッ!」
立っているのもやっとなアイマンの懐に飛びこんで、十路はその鼻っ柱に掌底を叩き込み、仰け反らせる。
「せいっ!」
横合いから樹里が長杖を下段で振り、アイマンの足を払って体勢を崩す。
【はいっ】
傾いたアイマンの斜め後ろからバーゲストが突進して、体をすくい上げる。
あとの時間は悲惨なもの。
宙に浮いた体を、鍛えられた体から繰り出される拳と、身体能力強化されて振るわれる長杖と、防弾処理を施された鋼鉄の体が、3方向から打ち据える。
薄れゆく意識の中、アイマンは疑問に思った。
自分はなにかを間違えたのかと。
《魔法使いの杖》を手にして《魔法》に魅せられたことか。
それが万能の力だと思ってしまったことか。
正体不明の誘いに乗って、日本に来るべきではなかったか。
自分と違って賢かった、兄の言うことに耳を貸さなかったことか。
それとも《魔法使い》として生まれてしまった17年間の人生そのものなのか。
「ラスト!」
落下してくるアイマンに、十路の後ろ回し蹴り。
その衝撃で彼は、答えを出すのをやめた。




