00_170 PM23:01 脱出&追跡
西宮市内の、警察に囲まれた小さな工場。
報道陣や野次馬は、封鎖線がより広げられたのか、この周辺からは遠ざけられた。
いつなにが起こるか不明な状況に緊張が漂い、しかし事態が動かないことへ人々の苛立ちがつのり、一帯は屋外でありながら息のつまる空気に満ちていた。
不意に閉鎖して侵入を拒んでいたシャッターが、内側から音を立てて開かれたことで、事件現場に新たな緊張が走る。
中から出て来たのは、サマードレスを着た金髪碧眼の女性――コゼット。
そして彼女を盾にし、警官たちによく見えるよう、こめかみに拳銃を突きつけた、覆面を被った男。
更にサブマシンガンとトランクを持った犯人――グラームと、槌鉾を持つ犯人――アイマンが続く。
投光器や車のライトの光の中、スポットに照らされた役者のように、コゼットは落ち着いた声で警官たちに警告する。
「犯人は銃を持っているだけでなく、破壊的な《魔法》を使用できます。なので刺激しないよう、大人しく要求に従ってください」
彼女は特別大きい声を出しているわけではない。しかしその凛とした声はよく通り、この場にいる全員に届く。
「犯人の要求は車と、追跡しないこと。冗談でも誇張でもなく、彼らはこの場にいる全員を一瞬で殺害することが可能です。私の安全のためではなく、貴方方の身のために、要求を呑んでください」
警官たちが、戸惑いの空気を醸し出す。
そして現場指揮官や、離れた対策本部といった場所からの指示を仰ぐ連絡を入れ始める者も。
ともかく、すぐにはコゼットの言葉通りに、ひいては犯人たちの要求が通るはずはない。警察にとって要求というものは、耳を傾け、しかし簡単には聞き届けないように、疲労させる手段なのだから。
それに軽く苛立ったのか、アイマンが槌鉾の先端を、一台のパトカーに向ける。
車のボディに添うように、光る幾何学模様の線が縦に2本描かれる。
すると自動車が、音もなく三枚に下ろされた。
遅れて重い落下音を響かせて、真ん中部分が地面に落ち、タイヤに支えられていた両サイドの部分が斜めに傾ぐ。
《斬断》などと呼ばれる、金属の分子結合を局所的に引きはがし、形式的に『斬る』術式の行使。
派手さはない。しかし警官たちは初めて直接目にする《魔法》に動揺する。爆発などとは違って地味ながらも別の手段で行使することができない方法だから、恐慌を起こさない程度に、しかし危険性を知らしめることができる。
「――ハハッ」
そして修理前とは比較にならない《魔法》の出力を確認でき、アイマンは満足そうに笑みを漏らす。
「さすが《付与術士》とまで呼ばれた技術者……あの王女様、1時間程度で『杖』を修理するなんて、すごいな」
その様子を十路と樹里は、オートバイに跨ったまま、ヘルメットのシェードとゴーグル越しに見下ろしていた。
警察の包囲の輪が広まる中、犯人たちはコゼットを連れて、1台のパトカーに乗り込んで、ゆっくりと発進する。
どうやら脅しか、それともつばめに頼んだ指示が効いているのか、警察は追いかけようとする様子がない。
しかし用心のためか、犯人たちの乗ったパトカーのパワーウィンドウが開き、槌鉾の先端が突き出された。
発光現象が他のパトカーの下で起こった直後、現場の混乱をかき消す破壊音がいくつも鳴り響く。
《地槍》が本格的に発動され、アスファルトが変形して槍となり、残る警察車両の全てを串刺しにして中途半端に宙に浮かせる。
モズの早贄。あるいは地獄の針山地獄。緊張の現場を一瞬で非常識な光景に作り変えた犯人たちの乗った車は、悠々と走り去っていく。十路からは聞こえはしないが、車内で子供のような笑いが起こっているのが想像できる。
『アイツ、やっぱりやりやがった……』
想像していたことを、改めて十路は確認した。アイマン――十路にとっては名前の知らない誘拐犯の《魔法使い》――は、やはり力を誇示したがるタイプかと。
別に正義漢ぶるつもりはないが、十路にとっては不快なタイプ。《魔法使いの杖》がなければ使えない仮初の力を、自分の力だと勘違いし、無力な存在だと忘れた人間。
ただし持っている力は圧倒的だから、侮ることだけは決してしてはならない。
『木次、追いかけるか』
ヘルメットの無線越しに、樹里に呼びかける。
ちなみに樹里は長杖を抱え、ずっと彼の腰に掴まってガクガクと震えていた。
『つ、堤さん……! 追いかけるって、またさっきの方法で……!?』
『しっかり掴まって口閉じてろよ?』
『飛んで行きましょうよ!? それくらいの出力は出せますから!』
『木次の体重が何kgか知らないけど、10倍近く重いだろ? あまりスピードが出ないだろうし、高出力の《魔法》を使うと、相手に気づかれるかもしれない』
彼らが停止している場所は、工場から少し離れている2階建て民家の屋根。
そこまでどうやってオートバイで登ったかというと――
『30m先! 落差6!』
『実行……!』
電動バイクには必要のない、偽装のためのエンジン音はオフにして、十路はアクセルを開き、前輪を持ち上げてオートバイを急発進する。
そしてそのまま屋根から落ちる気かと思いきや、屋根の縁に樹里の《魔法》で幾何学模様が描かれる。
それを踏んだ途端、2人と1台の体に、空へ向かって荷重が急激にかかる。
『いやあああぁぁぁぁぁぁぁっ!?』
樹里の絶叫が尾を引いて、宙を跳ぶ。
彼女の『空を飛ぶ魔法』――《重力制御》によるマイナス5Gという上方向への力をジャンプ台に、十路はオートバイを跳ばす。
犯人の乗ったパトカーを追いかけて、約30m前方に建つ平屋の民家に、サスペンションの軋む音だけで降り立ち、今度は屋根の傾斜をジャンプ台に更に跳ぶ。
丘陵や斜面を利用し、平坦な土地にも土を盛って難関を作るモトクロスレース。それを彼らは建造物相手に街中で行っている。
時にはアパートのベランダ上の狭い庇を足場に、時にはブロック塀の上を走り、時にはコンビニのポール看板の上を蹴って、急いだ様子もなく逃走するパトカーを、犯人たちに気づかれないよう、上から追跡する。
犯人たちは追跡劇の経験で、オートバイそのものを警戒するだろうと推測し、普通に追うのではなく、全く姿を見られないようにするため、この方法を採用することになった。
『死ぬぅ! 死んじゃうぅぅぅ!?』
『大丈夫だ! 前の学校で慣れてる!』
『私は慣れてないですぅぅぅ!?』
『それより車体に! 下方向1G!』
『実行ぉ……!』
空中で倒した車体そのものが幾何学模様に囲まれ、次の瞬間にビルの壁面に着地。
本来ならば作用反作用の法則に従って落ちるだけだが、重力制御でタイヤを押し付けて、路面を走るのと同じ感覚で6階建てのビルの壁を斜めに駆け上がる。
そして壁面の終わりから、再度空中に車体ごと夜空に身を躍らせる。
傍から見ている者は『凄ワザ』と絶賛するだろうが、同乗している樹里にはたまったものではない。
操作を誤れば壁に激突し、着地点を踏み外せば落下する、ルートによっては電線に絡まって感電しかねない恐怖のライディング。しかもジェットコースターと違って安全バーもコースもない。夜の闇が更に不安をあおり、この世のものとは思えないスリルに絶叫する。
『いやぁぁぁぁぁっ!? いやぁぁぁぁぁっ!?』
『口閉じてろ!』
『そんなこと言――ンがっ!?』
『言わんこっちゃない……!』
着地の衝撃で舌を噛んだらしい。
エンジン音を切って、できるだけ犯人に気づかれないよう追跡してるのに、樹里の絶叫で気づかれたら元も子もない。なのでこれは丁度よかったかも、と十路は少しだけ思ってしまう。
『次のジャンプ! 距離50! 高さ3!』
『実行ぉ……!』
そして樹里は泣き叫びながらも、必要な《魔法》を指示通りに展開しているのだから、意外と冷静でいるのかもしれないとも思ってしまう。
『木次――!』
この方法を説明した時にも言ったことだが、宙に跳んだ瞬間にもう一度警告する。
『いざとなれば降りろ!』
重力制御ができるということは、樹里は《魔法》で空を飛べる。
だからいざとなれば樹里だけは、こんな非常識な追跡から離脱できる。
『いいえ……!』
しかし彼女は拒絶した。今も、説明した時も。
『降りたら……! 堤さんが……!』
この追跡法は、十路の運転技術と、オートバイの性能と、樹里の《魔法》があってこそ。
そして十路は《魔法》を使えない。恐怖心に負けて樹里が離脱すれば、十路は確実に事故を起こす。
だから十路を守るためにも、彼女は半泣きで必死にしがみつき、不格好ながらもパートナーを務めようとする。
(意外と根性ある娘だな……)
使えない《魔法》を補うための、しかし荒事に経験のない女子高生と組む、不安要素満載のぶっつけ本番急造コンビ。
一歩間違えれば大トラブルに繋がる綱渡りな方法を採るのは、確実性がないと動かない十路のポリシーに反するが、今回は贅沢を言っていられなかった。
しかし樹里は、想像以上に役に立っていた。
十路にとっても幾度か危ない場面がありながらも追跡を続けると、犯人たちの乗ったパトカーは神戸市内に戻り、国道2号線を東進する。
日付が変わるまで1時間を切った夜中、交通量が少なくなったので相変わらず路面には降りれない。しかしほぼ直進道路なので、マイナス0.9Gの重力制御で重さを軽減させて、十路は電線の上をひた走る。
(やっぱり犯人の行動は想像通りか……?)
サーカス団員並みの曲芸走行をこなしながら、上からパトカーを見下ろし、十路は考える。
(検証する暇も手段もなかったけど、犯人の仲間が空港島に乗り込んで、ヘリを脱出手段として確保していると見ていいか?)
やがて車は左折し、人工島ポートアイランドに南下する。
地上の交通手段では逃げ場のない島に入るのなれば、神戸空港までの道のりしか考えられない。
ただしこの先は海上道路。交通量もぐんと減り、見通しが良すぎるので身を隠す場所もないので、わずかなスリップ音と共に追跡を止めた。行き先はひとつしかないのだから、ここで後れをとってもなにも問題はない。
「ここまで来たら、犯人の行動は確定だな」
壁を走って登ったポートアイランドの15階建てのビルの屋上。ヘルメットを脱ぎ捨てて十路はパトカーを見送り、樹里に語りかける。
「生きてる……! 私、生きてる……!?」
リアシートの同乗者は、命の重みを実感している最中で、それどころではない様子。十路の体にしがみつき、よく振り落とされなかったものだと、自分を褒めていた。
「ここまでよく頑張った、って言いたいけど……むしろこれからが本番なんだが」
「ふぇーん……」
海の上にかけられた道。その先の島に、人質である王女と共に、犯人たちが集結しているはず。
それも相手は銃を持ち、うち1人は《魔法使い》で、そこに十路たちが乗り込むとなると、本来学生には無縁の戦闘は必至だろう。
十路は慣れている。そんな存在と戦うために訓練し、実際に相対したことも一度や二度ではない。いま足りないのは武装だけ。
樹里は初体験。そんな存在と関わることはなかったが、しかし相対できる《魔法》という能力を持つ。いま足りないのは経験だけ。
そして彼らは自分の意思で、この部活動という名の戦争に、関わることを表明した。
「それじゃ木次、やるか」
「その前に堤さん……前の学校で荒事に慣れてるっていっても、自分の身を大事にしてくださいよ……?」
「ん? どういう意味?」
「や、前の時も、今の追跡方法だってそうじゃないですか……」
「……あぁ、そういうことか」
遅ればせながら十路にも、樹里が心配げな理由が理解できた。
「堤さんがやる事って、無謀すぎますよ……」
「自分ではそんな気ないんだけどな」
その心配が、十路の苦笑を誘う。
「これが昨日までの俺の普通だったからだ」
生きた軍事兵器としての日常は、いかなる状況でも目標を破壊するための訓練の日々。常人の『異常』が彼の『普通』であり、無謀を貫くなど当たり前、危険を危険だと考えていない故に行動しているだけのこと。
しかし樹里は、その説明だけでは納得しなかった。
「他にも理由がありますよね?」
自ら『なぁなぁ主義』と評する彼が、巻き込まれたような形ではあったが、自らこの事態に関わろうとしている。
そして誘拐犯の《魔法使い》が、逃走中に《魔法》を使った際、彼は怒った。
「《魔法》なんて下らない力を、何かもわからずに使う《魔法使い》が嫌いだから」
「……それだけの理由で、こんな無茶できるんですね」
「自分でも意外だ」
誰かはそれを、正義感と呼ぶのかもしれない。
しかし十路は、そんなつもりはないし、樹里もそうは捉えていない。
それは縄張りを侵す者に咆える、自分勝手な野良犬の理屈。人には咆えず、自らと同じ牙を剥く者に、彼は折れた牙で食らいつこうとしている。
「堤さんはもうちょっと、ご自分を大事にしてください……バイクで転んだ時、堤さん全然起きなくて、心配したんですから……」
体をひねって振り返ると、呆れたような言葉とは違い、樹里は眉根を上げて軽く不機嫌そうな顔をしていた。
それを見て、十路は新たに苦笑を作る。
「木次は優しいな」
「ふぇっ!? 突然なんですか!?」
生きた軍事兵器として過ごしてきた十路にとって、樹里のその優しさは、眩しく、不安を誘い、そして心地いい。
「それじゃ、自分の身を守る一環として、防衛部の部長と連絡が取れないか?」
「や、無理です……ケータイに連絡しても、出れないと思いますし」
「だったら戦力として数えない方がいいな……どこにいるかも判らないわけだし」
つばめからは、その人物も事態解決に動くという話だったが、連絡がつかず期待できないとなると、人員として含めない方がいいと判断するしかない。
どうやったらトラブルの大きさを最小限度にできるか、積極的かつ消極的な作戦を考え始めたところで。
「え? 部長でしたら、もう空港島にいるじゃないですか?」
樹里が当然のように教えた。
「は?」
「はい?」
十路は樹里が答える根拠がわからず、樹里は十路の疑問が理解できず、2人でクエスチョンマークの浮かんだ顔を見合わせる。
「連絡つかないのに、居場所を知ってるって……?」
「…………あ! あぁー! そっか! 説明してないんでした!」
素っ頓狂な樹里の声が、ビルの屋上に響いた。
1/21 表現修正
1/28 設定上の矛盾解消 近衛様、ありがとうございました。




