九二
レオポルドの皇帝への謁見は予定通り行われた。
三月初めのよく晴れたよい日和であった。
レオポルド一行は正装に身を固めて、神聖帝国皇帝の居城である白亜城へと向かっていた。
一行の先頭を進む茶馬に跨ったレオポルドは、北アーウェンの都市オコロブでフィオリアが選んで買った衣服を着ていた。絹のシャツの上には紅色の細いシルエットの丈の長い上着を着込み、濃灰色のマントを羽織っていた。首元にはリネンのクラヴァット、袖にはフリルを飾っていた。下は濃紺色の長ズボンに濃い茶色の革の短ブーツを履き、腰には見事な銀細工の儀礼用サーベルを提げていた。頭には羽を飾った広いつばの帽子を被っている。
彼の隣にはレイクフューラー辺境伯キレニア・グレーズバッハの姿があった。辺境伯は小柄で細い体躯の年若い女性で、その容貌は未だ十代のようにも見えた。不健康そうな青白い肌、セミロングの茶髪、唇は薄く、目は表情が読めないほど細い。左目には白い眼帯を付けており、交差する赤いサーベルの柄が刺繍されていた。
彼女もまたレオポルドと同じように絹のシャツ、金色の縁取りで飾られた白い上着、羽飾りを付けた純白のマントといった正装に身を包んでいる。
「しかし、今日はとても天気がよいですねぇ。皇帝陛下に拝謁するに絶好の日和でしょう」
白馬の手綱を握ったレイクフューラー辺境伯はそう言って微笑んだ。彼女は常より笑顔を絶やさず、誰に対しても丁重な言葉遣いをする貴族としては異質な人物である。
レイクフューラー辺境伯のご機嫌な言葉に対して、レオポルドは緊張気味に首を縦に振った。
彼の後ろにはジルドレッド家の若い二人の士官が硬い様子で続いている。更にその後ろには幾台もの馬車と荷馬、駱駝の列が連なっている。隊列はムールド風の武装に身を固めたムールド人軽騎兵によって警護されていて、沿道の人々は見慣れない異国風の兵士や初めて目にする駱駝の姿に目を丸くしていた。
「そんな緊張なさらずともよいのですよ。皇帝陛下といえど、人の子です。捕って食いやしませんよ。ただ、神聖帝国皇帝という権威を身に纏った、貴方と同年代の小娘に過ぎません」
「ははは……」
辺境伯の冗談だか何だかよく分からない不敬な言葉にレオポルドは乾いた笑い声を上げた。
「巷では陛下は未だに処女だとの噂ですが、私としては愛人の一人や二人いてもおかしくないと思うのですよ。なんたって、皇帝ですからね。大抵のことなら何でもやりたい放題です。あれくらいの年頃の人間なんて男女問わず恋だの愛だのをやりたがるもんですから、そういうことをしていてもおかしくはないっていうか、やることやってて当然だと思うんですよ。若い男を選び放題で、相手に拒否される心配もないんですから、やってない方がおかしいじゃないですか。ねぇ」
「いや、私にはわかりかねます……」
皇帝に絶対の忠誠を誓う愛国主義者が聞いたら怒りで卒倒しかねないような話題をレオポルドは曖昧な答えで避けた。
「おや、あまりご興味がありませんか。誰もが気になる話題だと思うのですけれども」
興味があるとかないとかそういうことではない。とレオポルドは言いたくなったが、賢明にも口を閉じていた。
「皇帝陛下は若くて、お綺麗でいらっしゃいますからね。白磁のような肌に金細工のような長い髪、綺羅星のような瞳。そんな彼女がベッドの上では誰にその艶姿を見せているか気になるもんですね」
あんたが気になるのは自由だが、その話題を今俺に振るのは何故なんだ。とレオポルドは言いたくなったが、これまた賢明にも黙っていた。
「しかし、あれだけ美人な陛下にも一つ欠点がありますね。というのも、陛下の胸のなさは致命的です。あれは酷い。あるとかないとかいうレベルじゃない。凹んでる感じ」
「あの、閣下。此の度は、私めの為に御尽力を賜り、御礼申し上げます」
放っておくといつまでも不敬なことを一人で話し続けそうな勢いのキレニアに、レオポルドは話題をぶった切るつもりで礼を述べた。
「いや、何、大したことはしていませんよ。武器や金を援助するのも、皇帝陛下との面会の支度をするのも、私にとってはそれほど難しいことではありません」
レイクフューラー辺境伯は微笑を浮かべたまま、堂々と言い切った。
確かに帝国でも有数の勢力を誇る大貴族の一員である彼女にとってはさしたる労苦ではないだろう。
彼女の祖父初代フューラー公ループレヒト一世は帝国中興の祖と名高い第五代皇帝ジギスムントの第四皇子であり、兄帝ゲオルグ三世の死後、甥である幼帝の摂政を務めて絶大な権力を手にして、大きな権勢を振るった。その専横と繁栄から、恨みを買って暗殺の憂き目にあった。
ループレヒト一世の死後、フューラー公を継いだのはキレニアの父ループレヒト二世であったが、その後、皇帝となった伯父カール三世から疎まれ、謀反の疑いをかけられ、フューラー戦争と呼ばれる激しい戦いの末に戦死した。
ループレヒト二世の一〇人の子や一族郎党は尽く処刑されたが、末子のキレニアのみは助命が叶い、旧フューラー公領のうち、フューラー湖周辺の領土を与えられレイクフューラー辺境伯を名乗ることとなった。
片目の眼帯は、この時の戦争で負った傷の為であるという。噂によれば、城内に押し入った帝国軍の騎士に蹴られたときに、眼球が潰れたということだった。
なお、現皇帝ウルスラはフューラー公家を滅ぼしたカール三世の孫である。
以上のような経緯から分かる通り、レイクフューラー辺境伯キレニアは皇帝の曾孫であり、現皇帝のはとこに当たる。
しかも、フューラー公の時代、フューラー地方は帝国の富の半分が集まる地と呼び称されるほどの繁栄を謳歌した地である。フューラー戦争の結果、大変に荒廃したが、懸命な戦後復興の結果、かつての繁栄を取り戻しつつあり、東西貿易の中継点として大いに発展していた。当然、彼女の抱える富は莫大なものである。
また、現在、彼女は帝国政府の保安局長官兼公安局長官という役職にあり、白亜城内と帝都の治安対策を担っている。皇帝と顔を合わせる機会も少なくない為、面会者の融通を利かせることも難しくはないのだろう。
それでも、援助にしろ皇帝との面会にしろ、誰にでも取り計らってやるほど彼女もお人好しではない。レオポルドを援けることには彼女にも利点があることは勿論である。
ただ、今の時点では、まだ彼女はその目的を彼に対して口にすることはなかった。
「貴方の御尊父は私の良き友であり、助言者であり、理解者でした。その御子息である貴方を援けるのは御尊父への恩返しであり、彼を十分に助けることができなかった罪滅ぼしでもあるのです」
確かに、クロス家が破算したとき、レイクフューラー辺境伯からの援助はとりあえずといった程度の微々たるもので、その勢力に見合ったものではなかった。勿論、何の見返りもなく、それほど親しくもない破算した家に無償の援助をするようなお人好しなど世にいるわけがなく、その点において、彼女を責めることはできない。
しかも、今現在、彼女からレオポルドに対して為される援助と投資は莫大な金額に上っており、かつて、破算したときのクロス家の債務額を易々と上回る額となっている。かつてクロス家を見放したときの埋め合わせならば、とうに果たしているといえるだろう。
それでも、彼女が援助を惜しまないのは、彼女にとってレオポルドに利用価値があるからだ。
レオポルドもその点は十分に理解している。
それでも、そのようなことを口に出しはしない。ただ、彼女の無償の援助に心からの感謝を口にして頭を下げるだけだ。今はそれでいいのだ。
レオポルドとキレニアを先頭にした隊列は皇帝の居城である白亜城の門を潜り抜け、春を迎えたばかりというのに見事に色とりどりの花々が咲き誇る前庭に整列した。
レオポルドとキレニア、キルヴィー卿、ジルドレッド家の若い二人の士官、レイクフューラー辺境伯家の騎士たちが馬か下りると同時に、先頭の馬車の扉が開き、二人の美女が降り立った。
いずれも帝都では滅多に見ることのないエキゾチックな褐色の肌で、魅力的な体躯をムールド風の装束で身を包んでいる。
銀色の短い髪に真珠を飾ったキスカと、栗色の長い髪に銀細工の髪飾りを付けたアイラは、共に揃いの白絹の衣を身に纏っていた。手や首、耳に飾った装飾品もいずれも真珠や銀などの白に近い色合いに揃えている。顔の前に垂れ下がる面紗も純白である。
この装いを考えたのはレオポルドであり、実際に服や装飾品を揃えたのはフィオリアである。彼女は衣服を選んだり考えたり、縫ったり作ったりする才能に恵まれており、レオポルドの要望に沿って見事な衣装を揃えて、二人に着せてくれた。
「あの、本当に、私たちが陛下の面前に出てよいものでしょうか……」
慣れない盛装に身を硬くしたキスカが緊張した面持ちで言った。
神聖帝国は、西方教会の総本山を抱え、その教えを国教に定めている。宗教国家とまでは言えないが、聖職者が大きな力を持っており、その影響力は無視できない。西方教会の守護者にして異教徒の断罪者である皇帝に、異民族かつ異教徒であるキスカやアイラが顔を合わせていいものか。と、彼女は心配しているようであった。アイラも心細そうな面持ちで周囲を見回している。
「大丈夫だ。問題ない」
レオポルドは理由も言わずに「大丈夫」を繰り返す。
二人が話している間にも、馬車からは次々と荷物が運び出され、荷馬の背から荷物が下ろされる。多くは遥々ムールドの地から運んできたものである。荷解きされて、輿に乗せられる。輿を担ぐのは馬から下りたムールド人軽騎兵たちである。
「では、参りましょう」
全て準備が整うとキレニアが言い、彼女を先頭にして、隊伍を組んで城内へと足を踏み入れた。
皇帝が住む白亜城はその名の通り、壁から床から屋根から塔から全てが白磁の如く輝くほどに磨き立てられた白亜の大理石で作られた宮殿である。
白は西方教会の教えによれば最も尊き神聖なる色であるそうだ。故に、高位聖職者は純白の聖衣に身を包んでいる。白亜城が白ずくめなのもそういった理由からのようである。
長い毛並みのふかふかとした絨毯が敷かれた長い長い廊下を真っ直ぐ進むと、だだっ広い広間に出る。床に敷かれた大理石は鏡のようにものを映すほど磨き立てられ、純白の壁に幾本もの大きな柱が並ぶ。天井は非常に高く、この広間にクロス家の屋敷が入りそうな広さであった。
壁にはいくつもの絵画が飾られ、多くの彫刻が並べられているが、最も目を惹くのは巨大な天井いっぱいに描かれた天井画だ。禍々しく凶悪で醜い黒い竜に向かって、白く輝く騎士が剣を振りかざしている。
以前、聞いた話によれば、初代皇帝ゲオルグ一世の祖父と云われる聖ゲオルグの竜退治を描いたものだという。竜の中でも最も恐ろしく凶悪な黒竜と呼ばれ、五人の王と一〇人の司教、二〇人の姫、三〇人の騎士を飲み込み、幾多もの村を踏み潰し、多くの町を焼き、国すらも滅ぼした竜だという。その竜が今の帝都がある地にかつて存在した国を襲ったとき、王は白姫と呼ばれる絶世の美女と名高き娘を竜に差し出すことで難を逃れようとした。そこに現れたのが聖ゲオルグである。彼は白姫との結婚を条件に、竜退治を買って出て、見事黒竜を討ち果たす。
帝国のみならず、西方大陸全域で広く知られる昔話である。真偽の程はさておき、皇帝の箔付にはいくらか役立っているようだ。
ところで、その物語のヒロインである白姫の名はウルスラといい、現皇帝も同名であった。同じ名であるばかりか、容姿も瓜二つと評されている。
金糸のように輝く長い金髪、肌はミルクのような純白で微かに桃色が混じった魅惑的な色合い。長い睫毛に黄金色の大きな瞳、小ぶりで可愛らしい鼻。まるで人形のように整った麗しき美貌であった。
金細工の如き髪を流行の髪型に結い上げ、フリルとリボンがたっぷりと飾られた黄金色のドレスを着込み、白い宝石を飾った金塗りの杖を手にしていて、広間の上座にある玉座に座っていた。両脇には赤と金の軍服を着込んだ背の高い近衛騎士が立ち、周囲には皇帝の側近である貴族たちが控えていた。その中にはレオポルドの伯父である式部長官ベルゲン伯の姿もあった。
レオポルド一行は広間の入り口辺りで止まり、レオポルドとレイクフューラー辺境伯キレニアの二人のみ広間の中ほどまで進んで膝を突き、帽子を取って、頭を垂れた。
「この度、はからずも御拝謁を賜り、ご芳情の程誠に有難く厚く御礼申し上げます。私めは陛下の従順なる下僕にして、陛下の御恩情により帝国騎士の栄に浴しておりますレオポルド・フェルゲンハイム・クロスと申します。陛下におかれましては、益々御盛栄のこととお慶び申し上げます」
レオポルドの挨拶の言葉に、ウルスラ帝はツンと尖った顎を軽く動かした。どうやら、首肯のようだ。
キレニアが一礼してから口を開いた。
「陛下。貴方の忠実なる家来であるこの者は、故あってグレハンダム山脈を越えて更に一ヶ月も南へ下った地、帝国南部ムールドの地に赴きました。その地は一年を通じて地獄のような灼熱に包まれ、真夏ともなると川や池も尽く干し上がる苛酷な環境であり、西方帝国の時代から、神の教えを拒み続ける異教徒が跋扈しております。野蛮にして愚鈍なる異民族どもは神の教えを受け入れないばかりか、我らが偉大なる皇帝陛下と栄えある帝国に対する忠誠すら拒み続けてきました。レオポルドは彼の地を陛下の御手に戻すべく働き、多くの部族を説得して、陛下への忠誠を誓わせました。それでも、帝国の偉大さを解さぬ愚者には陛下と神に代わって鉄槌を下し、全ての部族を尽く降伏させました」
レイクフューラー辺境伯が述べたレオポルドの功績には、当然ながら多くの脚色がある。とはいえ、大筋としては間違ったものではないし、言葉や文章、言い回しを飾り立て、物事を大袈裟に述べることが常態化している帝国宮廷においては、事績をいくらか装飾して述べることは慣例として認められていた。
ウルスラ帝はその美しい金色の瞳をレオポルドに向け、桃色の唇を開く。
「大儀である。南部の地には未だ余に従わぬ痴れ者が多くおる。愚かにも神の教えを受け入れぬ者も少なくない。ムールドはその中でも特に反抗的と聞いていた。歴代のサーザンエンド辺境伯が為さんとして為せずにきたことを、僅かの期間に為したそなたの功績は真に大である」
レオポルドは顔を深く一礼してから述べた。
「ありがたきお言葉を頂戴し、嬉しゅうございます。全ては神の加護と陛下の偉大さの賜物であります。異民族も今や陛下の忠実なる臣民となり、私としては陛下のご心労の欠片なりとも取り除くことができたならば幸いこの上ございません。願わくば、陛下の一助となれたならば、末代までの栄誉というものです」
その言葉の後、レオポルドは顔を上げ、背後に合図を送った。
広間の入り口の辺りに控えていたキスカとアイラが前に進み、レオポルドの後ろに立った。更にその後ろにムールド人軽騎兵たちが大量の荷物を運び込む。
「こちらに控えるはムールドでも最も大きな部族の姫です。彼らは王の娘を差し出すほど、既に帝国に対して臣従の意を示しています」
褐色の肌をした美女の姿に貴族たちは一様に強い興味を示した。庶民よりも珍奇なものを目にする機会に恵まれる彼らにとっても褐色の肌の異民族は物珍しいものであり、何より、その二人は絶世の美女なのである。ウルスラ帝のような西方風の人形のような美しさとはまた違ったエキゾチックな容貌を体の線がよく見えるムールド風の装束に包んだ姿は魅惑的に見えることだろう。
その二人に聖なる色である白色の装束を着させ、皇帝の前に引き出させることによって、ムールドの服属を視覚的に強く印象付けようというレオポルドの考えである。
「また、ここにあるのは私とムールドの諸部族から陛下への贈り物であります」
レオポルドは羊皮紙に書いた目録を皇帝の侍従に手渡す。
侍従の手を経て皇帝に渡された目録には以下のような品々が列挙されていた。
色鮮やかな東方からの絹織物一〇〇反、陶磁器三〇個、少なくない量の香木、香辛料、翡翠の髪飾りや首飾りなどの装飾品二〇個、ムールド風の刺繍が施された絨毯二〇、半月刀五〇振、駱駝一〇頭などである。
これらのうち、いくらかは諸部族の族長らが献上したものであるが、半分以上はレオポルドが諸部族の有力者たちから買い上げたものである。勿論、手持ちの現金などは微々たる額しかなかったので、金は後払いである。その額は合わせて一〇万セリンにも及んでいる。この支払も、当然、レイクフューラー辺境伯からの援助を当てにしている。
皇帝は尊大に顎を微かに動かした。
「そなたの忠誠、よく理解した。そなたの働きには然るべき恩賞を以て報いよう」
その言葉に、レオポルドは再び深く一礼した。
「ところで、ムールドの地は、かように苛酷な地であるか」
「はい、非常に厳しい環境の地です。冬でも気温は高く、真夏の暑さたるや蒸し風呂にいるように感じられるほどです。また、一年を通じて水は手に入り難く、小麦や野菜の栽培には適していません。牛や豚の飼育にも向いておらず、大きな都市や町も多くありません」
ウルスラ帝の問いにレオポルドは淀みなく答えた。
「しかしながら、彼の地は東方大陸や南洋諸島からの物産の通り道であり、交易が盛んです。また、岩塩や鉄、銅、翡翠等の宝石等を産する鉱山があります。現状は開発が進んでおりませんが、然るべき資金と技術の提供があれば、帝国に大きな富を齎すでしょう」
レオポルドの言葉に貴族たちは大いに興味を持ったようであった。彼らは有力な投資先を常に探しているのだ。いわば、レオポルドはこの場を借りて宣伝をしたのだ。
しかし、ウルスラ帝は投資先としての魅力よりも、ムールドの地勢やそこに住む人に興味を持ったらしい。いくらかムールドに関する問いをレオポルドにした後、キスカとアイラに視線を向けた。
「そなたら、名はなんという。あぁ、帝国の言葉は解さぬか」
ウルスラ帝の問いに、アイラが緊張気味に応じた。
「陛下。おそれながら、私は名をアイラ・オスライ・オンドルと申します。帝国語も少々話すことができます。御聞き苦しいでしょうが、御容赦下さい」
「帝国語を話せるのか。いや、素晴らしい発音だ。帝国人でもそなたのように上手く帝国語を話す者は少ない」
ウルスラ帝の冗談のような皮肉のような言葉に貴族たちが笑い声を上げる。
「恐れ入ります」
アイラは失礼にならない程度に微笑して一礼した。
「そなたも帝国語は話せるか」
「はい、キスカ・ナイフ・アリと申します。陛下」
ウルスラ帝に声をかけられて、キスカは石のように硬い表情で答えた。
皇帝は暫し二人のムールド人の姫をしげしげと眺めて呟く。
「そなたらも望んで帝国に従い、私の臣下となったわけではあるまいに。遥々帝都まで連れて来られ、降伏の証として、私の面前に引き立てられるとは御苦労なことだな」
ウルスラ帝の言葉に周囲の貴族はぎょっとした顔をして、レオポルドは大いに肝を冷やし、レイクフューラー辺境伯ですら細い目を丸くした。
若き女帝は、帝国の統治下に収まっている、というよりも征服され、膝下に組み敷かれている異民族が口にする帝国への忠誠や従属を信じていなかった。その忠誠と従属は帝国の武力によって為された強制的なものであり、本心から帝国に従っている民族は少ないと理解していた。
彼女たちもレオポルドによって半ば強引に連れて来られたのではないかと気の毒に思ったらしい。
「いえ」
誰もが言葉を失う中、キスカは静かに、しかし、はっきりと否定した。
「私は、帝都に来て、陛下に御拝謁賜ったことには、意味があり、価値があり、誇りあることと理解しています」
「それは、そなたが属する部族の立場をいくらかでも強く、安定したものにする為か」
「いいえ」
ウルスラ帝の問いかけをキスカは再び否定した。
「それがレオポルド様の御望みだからです」
キスカは皇帝を見つめてはっきりと言い切った。
その答えを聞いたウルスラ帝は一瞬呆気に取られた表情を浮かべた後、機嫌よさそうに口端を吊り上げた。
「そう。そなたはレオポルドの為に、遥々帝都まで来たってわけね」
皇帝は楽しげに笑って言い、アイラにも視線を向けた。
アイラも同意を示すように微笑むと、ウルスラ帝は更に楽しげな笑い声を上げた。
「成る程。二人とも、レオポルドの為に、この場にいるということね。ふふふ」
レオポルドはすっかり顔を朱に染めて皇帝から向けられる好奇の視線から逃れるように身を小さくしていた。
「愛する男に尽くすのは女の生き方の一つよね」
ウルスラ帝は上機嫌にそう呟いた。