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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第六章 ムールド伯
95/249

九〇

 レオポルドは山のような借金をつくりはじめた。

 レイクフューラー辺境伯が必要な経費を立て替えてくれるのを良いことに莫大な浪費を始めたのだ。

 一行が出立の準備を整えている間にアルヴィナの街を巡り、まず、武器商では一〇〇〇挺ものマスケット銃、カノン砲五門、それに大量の弾薬を買い付けた。

 その他にも大量の刀剣、胸甲や兜などの甲冑、立派な体躯の馬などを買い込んだ。

 これらの荷物はダウに満載して、ムールドに送らせることとした。レオポルドたちが帝都にいる間、船を遊ばせておくのは勿体ないと考えたのだ。

 訪れたのは武器商だけではなく、女性陣を引き連れて仕立て屋や装飾品店を巡り、フィオリアやアイラが良い評価を下した婦人服やら装飾品やらを何着も購入した。

「このようなヒラヒラしたリボンやフリルばかりの衣服に何の意味があるのですか。資金はレイクフューラー辺境伯からの借金なのですよ」

 武器弾薬は必要であるから苦い顔をしつつも口出ししなかったキスカもさすがに贅沢品とも言うべき衣服、装飾品の類には苦言せずにはいられず、渋い顔でレオポルドを咎めた。

「君は西方の貴族の社会というのを分かってないな」

 装飾品店の店主に「代金はレイクフューラー辺境伯にツケろ」と言い放ってから、レオポルドは彼女を見つめて言った。

「帝国に限らず、西方諸国の王侯貴族というものは外見を極めて重視する。良い身なり、品のよい振る舞い、流暢な言葉遣いは貴族社会では不可欠のものだ。例え、どれだけ優れた気質、能力を持っていても、こういったものが欠けていては相手にされないものだ。馬鹿馬鹿しいと思う気持ちも理解できるがね」

 こう言われては帝国の貴族社会を知らないキスカは黙るしかない。

 一方、好きなものを好きなだけ買うようにと指示されたフィオリアとアイラは水を得た魚のように生き生きとしていた。

 フィオリアはクロス家にいたときは当主アルベルトと嫡男であるレオポルドの衣服全般の管理を任され、レイクフューラー辺境伯の屋敷に仕えていた間も衣装係として働いでいたので、衣服、装飾に関しては非常に詳しい知識を持っていた。

 これまでムールドから出たことのなかったアイラの方は勿論帝国の衣装には詳しくなかったが、衣服の仕立て、織物の質、装飾品の出来等の良し悪しはデザインが変わっても共通する部分は多い。衣服の良し悪しの見立てに不足はないだろう。

 レオポルドの指示により彼女たちが選んだ衣服や装飾品はいずれも上等で良質なものであった。

 勿論、それだけ値は張る。一般庶民は古着を買って繕って着る時代である。新品の衣服というだけでも非常に高価であり、尚且つ上等で良質なものともなれば、その値は庶民には一生手も届かず、貴族であってもそれなりに手の出し難いものとなる。

 レオポルドはそんなものを十数着も買い込ませた。

 それだけ浪費してもまだ飽き足らないようで、漁港に近い市場に出向くと、とりわけ生きのよい新鮮な魚介類を大量に生きたまま買い付け、海水を入れた生簀に入れて運ぶよう命じた。

 更にはレイクフューラー辺境伯の部下たちに多額の現金を用意するよう指示した。

 レオポルド曰くには、これもまた帝都に赴き、ムールド伯位を手に入れるのに必要な経費なのだ。

 そう言われては彼らも拒むことはできない。そもそも、彼らは主君からできるだけレオポルドに協力し、惜しみなく金を貸すように指示されているのだ。その為の権限も彼らには与えられていた。

 彼らはレイクフューラー辺境伯と懇意であるアルヴィナの銀行家から現金を引き出し、それをレオポルドに与えた。

 その額はセリン銀貨三〇万枚という金額であった。セリン銀貨は一枚あれば一日暮らしていけるほどの価値があり、一庶民が一生に稼ぐ金額は五万セリンに及ばないという世において、三〇万セリンという額が途方もない大金であることは言うまでもないだろう。

 これほどの大金を手に入れたレオポルドがまずやったことは配下の将兵に金を配ることだった。

 買い物を終えたレオポルドは一度宿に戻って身支度を整えた後、アルヴィナの街の北にある広場へと足を向けた。

 広場には既に配下の将兵、人馬、数十台もの馬車が整列し、出立の準備を整えていた。

 レオポルドはそこで兵達向かって、これまでの労苦をねぎらい、その功を称え、その働きに報いるべく、給与とは別に褒賞を与えることを布告した。

 兵士一人につきセリン銀貨一〇〇枚が臨時の褒賞として与えられた。レオポルドの軍隊では一般兵の給与は月三〇セリンと決められていたから、給与三月分以上のボーナスである。

 下士官はもう少し金額がよく二〇〇セリン。四人いた士官たちには五〇〇セリンずつ与えた。同時に人夫や馬丁などで付き従ってきた者たちにまで五〇セリンの褒賞を配った。

 ついでにキスカやアイラに一〇〇〇セリン、レンターケットには五〇〇セリン、フィオリア、ソフィーネと書記二人に三〇〇セリンずつを与えた。

 そうやって配下の者に配った金の合計は二万セリンにも上った。大盤振る舞いといっていいだろう。

「さて、俺の借金はどれくらいになった」

 いきなり金を配られて大喜びする兵達を眺めながら、レオポルドは会計を務めている書記のコンラートに尋ねた。

「え、えぇっと……ナジカの商人から借り入れた金が一〇万セリン。レイクフューラー辺境伯から借りた現金が三〇万セリン。レイクフューラー辺境伯にツケたものが宿賃、荷馬、馬車の賃貸料、マスケット銃、大砲、火薬、武器甲冑、衣服、装飾品、鮮魚等の購入代金ですから、これらを合わると一二万二〇〇〇セリン。債務の合計は五二万二〇〇〇セリンとなります。ちなみに、今残っている現金はおよそ二五万セリンです」

「ふむ。そんなものか」

 コンラートの報告を聞いたレオポルドは、まるでまだ借金し足りないとでも言いたげな顔で言った。

「しかし、これほどまで借金を重ねて如何なさるおつもりなのですか。いや、どうなさるおつもりなのですか」

 見かねたようにレンターケットが渋い顔で言った。

「レイクフューラー辺境伯の思惑は御理解なさっておられるでしょう。金銭支援によってレオポルド様を借金で縛り、自らの影響下に置くのが辺境伯の意図ですぞ」

「君は辺境伯の部下じゃないのか」

 レンターケットの忠告にレオポルドは苦笑しながら応じた。

「勿論、そのようなことは十分に理解しているとも」

「では、何故、そのような借金を重ねるのですか。武器の購入はともかく、その他の必要のない支出は何です」

 しかめ面のキスカはレオポルドに詰め寄るように顔を寄せて諫言した。

「必要のない支出というわけではないと思うが。上等な衣服、装飾品は帝都では必要不可欠だ。魚も後々必要になる。兵達への褒賞は士気の向上に役立つ」

「それにしても、レオポルド様の最近の出費の仕方は借金の為に金を使っている感じがしますねぇ」

 レオポルドの言葉にもう一人の書記であるリズクが言い、隣に立つコンラートも頷く。

「レオポルド様の目的は借金を増やすことにあるのではありませんか」

 リズクの言葉を聞いて、レオポルドは口端を吊り上げたが、何も言わなかった。

 代わりにジルドレッド大尉に向かって怒鳴る。

「大尉っ。兵たちを鎮めよっ」

 士官や下士官がざわつく兵を抑えている間に、レオポルドやキスカたちはそれぞれの馬に乗り、出立の支度を整えた。

 結局、レオポルド一行がアルヴィナを出たのは昼も迫ろうかという時間であった。


 アルヴィナと帝都の間には非常に大きな街道が通っている。

 今からおよそ一五〇〇年も昔に建設されたもので、全幅は三〇フィートあり、荷を積んだ馬車が行き違うこともできる。道路はほぼ平坦だが、わずかに表面は弓なりになって、雨水や雪解け水が両側に設けられた側溝に流れるよう工夫されている。当然、土剥き出しなどではなく、全てに渡って石畳が敷かれている。

 この立派な道路は大ミロデニア帝国時代に時の執政官クラウニスによって建設された為、クラウニア街道と呼ばれている。街道の各所にクラウニスの偉大な事業を記念した記念碑が設けられている為、後世の人々もこの街道の成り立ちを知ることができるのだ。

 ミロデニア帝国はこのような街道を大陸中に張り巡らせ、常時点検を怠らず、必要に応じて補修を行っていた。

 しかしながら、ミロデニア帝国が内紛と蛮族の侵攻によって壊滅した後、街道は放棄され、補修も行われず朽ち果てるに任された。如何に立派な道路とはいえ、使っていれば石畳が割れたり崩れたり、石が欠けて隙間ができ、そこに土が入り込んで草が生えたり、側溝が埋まったりする為、あっという間に駄目になってしまう。

 およそ一〇〇〇年近くに渡って街道は放置されたが、この街道の重要性に気付いた当時の西方帝国は街道を整備し直して、定期的な点検と補修を行う制度を復活させた。

 その後、神聖帝国の時代になっても街道のメンテナンスの仕事は引き継がれ、今も定期的に点検、補修がなされている。そのおかげで人々や荷は活発な往来が可能となっている。

「国を富ませるのに街道は極めて重要だ。人や物を迅速かつ安全に移動させられることの利益は計り知れないものがある」

 街道を進みながらレオポルドは力説した。

「今より一五〇〇年も前の人間がそのことを理解していたというのは驚きであると同時に、我々の文明の成熟度は未だ古代に及んでいないのではないかと思わせるな。何せ、帝国が使っている街道の多くは大ミロデニア帝国が敷設したものを改修して使っているに過ぎんのだからな」

「はぁ」

 話を聞くキスカは気のない返事をした後、レオポルドの刺すような視線に気づいて気まずそうな顔をした。

「軍事力だけで国は成り立たん。兵を養うには金がいる。重税を課して民から金を絞り取れば民は疲弊し、反乱が起こるだろう。その反乱を抑えるのに更に兵がいる。となると、余計に金がいる。それではいかんのだ」

「勿論です」

「では、どうするか。民を富ませるしかない。民が稼ぐ金が増えれば、自然と税収も増えるからな。民を富ませるには商売を盛んにできるようにするのが一番だ。街道の敷設はその第一である。物や人が迅速に安全に行き来できる状況をつくらなければならん。ムールドでもそれは同じだ」

「仰る通りです」

「それをわかっていたミロデニア人は偉大であるな。エティー大尉から借りた本は非常に有益であった。今度、君にも貸そう」

「はぁ」

 レオポルドが急にミロデニア文明について詳しくなったのは、古代史研究を趣味にしている女性士官エティー大尉の影響らしい。そういえば、旅の合間合間で彼は熱心に本を読んでいた。そういえば、旅の合間合間で彼は熱心に本を読んでいたことをキスカは思い出した。

 正直厄介なことだと思いながら、彼女はレオポルドのミロデニア文明話に付き合った。


 大ミロデニアの偉大な遺産の一つであるクラウニア街道を半月も北上すると帝都に至る。

 帝都はその周囲を巨大な白い城壁で囲まれている。高さ一〇〇フィート。厚さ二〇フィート。四〇〇の塔。二〇の門を備える。帝都の白壁といえば、世界でも有名で、ちょっとした観光名所となっている。帝都当局は壁を白く維持する為に毎年莫大な予算と人員をかけているという。

 金の無駄遣いだ。と言う人も少なくない。レオポルドもそう思っている一人であった。

 戦争など遥か辺境の地でしか起きておらず、もう一〇〇年以上も戦火に見舞われたことのない帝都にこれほどまでに巨大な城壁が必要なのか疑問であった。しかも、大砲が普及した昨今では垂直に聳え立つ城壁は大砲の恰好の的で、砲撃を浴びて崩れ去る運命にあることは明らかだ。城壁は既に防御施設として役割を終えつつあるというのに、市域の拡大を阻み、住民の日照権を侵害すること甚だしいという百害あって一利なしというのがレオポルドの認識であった。

 とはいえ、この白壁は帝都を象徴するもので、白い巨大な壁を見ると「帰ってきた」という感慨を覚えるのは帝都人の身に染み付いた習性のようなものであろうか。

「白壁も久しぶりに見ると感慨深いわね」

 入城に関する手続きの為、城門の前に停止していると、いつの間にか傍に寄っていたフィオリアが言った。どうやら彼女もレオポルドと同じことを考えていたようだ。

「帝都にいたときはあんなにも邪魔臭く思えたのにな」

「まったくね」

 レオポルドが馬上から声を掛けると、フィオリアはそう言って頷いた。それから、彼を見上げる。

「帝都にいる間、何処に滞在する気なの」

 どうやら、彼女はそれが聞きたくて、わざわざ、馬車を下りて、レオポルドの近くまで来たようだ。

「とりあえずは、ウェンシュタイン男爵の屋敷に居候させてもらうことになっている。将兵と人夫はいくつかの宿に分けて入れる」

 ウェンシュタイン男爵家はレオポルドの母の実家である。以前はレオポルドの母方の祖父が男爵を務めていたが、数年前に亡くなっている。前男爵には男子がなかった為、その弟、つまり、レオポルドの大叔父が男爵の座に収まっている。元々は修道院に入っていたという人物で、この頃はだいぶ体が衰えているようだ。

「そう……」

 フィオリアは消え入るような声で呟くと視線を城壁の内側に向けた。

「勿論、後で引っ越す予定だ。俺たちの家にな」

 レオポルドは知っていた。彼女の視線の方向に元クロス家のものであった屋敷があることを。

 彼の言葉にフィオリアは驚いたように目を丸くした。

 二人にとってクロス家の屋敷だったあの家はこれまでの生涯のほとんどを過ごしてきたかけがえのないものだ。借金の為に手放さざるを得なかったが、今は金を得る当てがある。自分たちの家を取り戻すことができるのだ。

「そう……」

 フィオリアは視線を背けて、素っ気なく言い、服の袖で目元を拭った。


 後日、レオポルドはフィオリアと交わした言葉通り、元クロス家のものであった屋敷を帝都でも有数の銀行家であるフィゼル家から買い戻した。

 屋敷には既に住人がいた為、その転居費用も出す必要があった。その上、レオポルドはこれを機に屋敷を改築しようと考えた為、その費用と合わせて五万セリンほどの出費になった。

 また、帝都に入るにあたってレオポルドはいくつかの教会に合計一万セリンの献金を行い、帝都参事会に五〇〇〇セリン、商人組合連合会五〇〇〇セリンの寄付をした。

 その他、クロス家が破算したのときの後始末で一万セリンほどの出費をした。

 更に、兵や人夫を宿に入れるのに、どれだけ滞在するか不明であったが、とりあえず、一ヶ月分前払いすることになり、二万セリンの出費があった。

 諸々の出費により手持ちの現金は一五万セリンまで目減りした。

 レオポルドはこれでは心許ないということでレイクフューラー辺境伯から更に二〇万セリンを借り受けることにした上、自分が留守の間のムールドでも防衛線の構築の工事や何やで資金が必要だという理由で更に二〇万セリンを借りて、こちらはファディに送金されることとなった。

 レオポルドがレイクフューラー辺境伯から借りた金の総額は八〇万セリンを超え、キスカたちは頭を抱えた。

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[一言] 思い切りが...思い切りが良すぎる...! 借金を増やしてけ〜!
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