八六
帝国自由都市カルガーノはイスカンリア地方の中心都市である。
海とプログテン山脈に挟まれ、東西に狭く南北に長いイスカンリア地方の主産業は漁業と交易である。農耕を営む広い耕地は少なく、目ぼしい鉱脈も見当たらないからだ。
当然、港の重要性が高まることは言うまでもない。
イスカンリア地方のちょうど中程にあるカルガーノには嵐や波を避けるのに適した形状の湾があり、しかも、その海底は大型船も停泊できるほど深い。まさに良港といえる条件を備えていた。
故に、古代より港町として栄え、今でも人口は五万を下らない。南都と呼び称されるサーザンエンドの首都ハヴィナにも勝るとも劣らぬ大きな町であり、南部では第二の都市と呼んでもいいだろう。
町の西側は港湾になっており、それ以外の三方は高い城壁で囲まれていた。
レオポルド一行は東側の最も大きな門を通過した。
騎兵二〇騎とマスケット銃を担いだ歩兵五〇名。その他、人夫や馬丁、料理人なども含めると総勢一三〇名以上もの人数になる。ちょっとした小部隊といった規模であり、何の予告もなしに訪れては問答無用で門を閉められてしまうかもしれない。
その為、レンターケットが一足先にカルガーノに入って町の参事会に入城の許可を求めていた。市参事会は武装した騎歩兵の入城に難色を示していたが、レイクフューラー辺境伯との繋がりを示すと渋々ながら入城を許可したという。
城門の内側で待っていたレンターケットはレオポルドに近寄ると、挨拶もそこそこに参事会が入城を許可するまでの経緯を報告した。
「ついでに船の手配も済ませておきました。カルガーノの貿易商が所有する大型のダウです」
有能な事務長である彼はとっくに次の仕事に取り掛かっているようだ。
ダウとは帝国南部や南洋諸島、東方大陸西部で盛んに使用される伝統的な帆船である。一本か二本のマストに一枚ずつの三角帆を持ち、多くは比較的小型だが、中には五〇〇名も乗船できる大型遠洋航海用のものもある。
今回、レンターケットが借り受ける契約を結んだダウはそこまで巨大ではないにしろ、そこそこ大きなものであるらしい。
「しかし、一隻に全員と荷物を全て載せるのは無理そうですな。おそらく、二隻に分乗する形になるかと」
「金がかかるが、しょうがないだろう。もう一隻も手配できているのか」
「いえ、今のところ、借りられたのはそのダウだけです。もう一隻は今探しているところなのですが……」
あまり状況は芳しくないようだ。
「引き続き船を捜してくれ。その前に、まずはこの荷物類をそのダウに積み込んでしまおう」
まだ出帆できる状況ではないものの、倉庫を借りて荷物類をしまっておくのは金の無駄遣いというものだろう。
「早めに出ませんといけませんな。この人数では宿代も馬鹿にならないですし」
カルガーノに留まっていればいるほど、宿賃を払わなければならないのは言うまでもない。ナジカの商人から多額の資金を借り受けているとはいえ、無限にあるわけではないし、帝都に着いたら、そこでも更に多額の出費があることを覚悟しなければならない。
ちょっとした軍勢である一行は市民からの好奇の視線を受けながら、城門から港まで一直線に向かい、借り受けたダウに荷物類を積み込む作業を行った。
荷馬車や荷を積む多くの駱駝は置いて行くが、何頭かの駱駝と騎兵用の騎馬も輸送することとなっていたので、これらも船倉に入れておく。ダウはそれだけで、まだ一三〇名にも及ぶ乗員が乗り込んでいないにも関わらず、既に満載状態であった。
船長はこれ以上の乗り込みには耐えられないと訴えた。
馬と駱駝がひしめき合い、荷物が山と積まれた船倉を見たレオポルドもそれを認めざるを得なかった。
なんとしても、もう一隻船を調達しないことには出発すらできそうにない。
レオポルドはレンターケットと書記のリズク、コンラートには手分けしてもう一隻大型船を調達するよう指示し、自身は港に残って荷の積み込み作業と艤装作業を行う船長からこれからの航海について話を聞いていた。
「旦那様」
そこへ背後から声をかけられる。振り返るとアイラ、フィオリア、ソフィーネの三人がいて、興味深そうに海を眺めていた。
「宿にいた方がいいぞ。街中とはいえ、見知らぬ土地だからな。危険がないとは言い切れん」
そう言うとソフィーネが黙って携えた十字剣を示した。教会軍特有の長大なこの剣を自在に操れる者は非常に少ない。勿論、巨大で重い分だけ威力は絶大で甲冑に身を固めた騎士すら両断できるとも噂されるほどである。
その十字剣を操る彼女が護衛に付いていれば、大抵の危険は避けられるだろう。
「旦那様。これが海なのですね。私、初めて目に致しました」
レオポルドが閉口するとアイラがぴたりと彼と腕を組んで嬉しそうに言った。
「旦那様と結婚せず、ずっとファディで暮らしていたら、ムールドから出ることもなかったでしょうし、この間のように雪を見て触れることも、この光景を見ることもできなかったのですね。そう考えると、それだけでも旦那様と結婚してよかったと思えますわ」
にっこりと微笑んで言う彼女に見つめられて、レオポルドは頬を赤くしながら、照れ臭そうに、
「そうかな」
などというようなことをごにょごにょと言った。
「お熱いことで」
その新婚夫妻を見つめながらソフィーネが冷え切った声で言った。
「ソフィーネ。君も海を見るのは初めてじゃないのか」
レオポルドが誤魔化すようにソフィーネに尋ねると、彼女は無表情で頷き、海に視線をやった。
「確かに海を見るのは初めてですね。ずっと剣の修道院で育ってきましたから。私も貴方のおかげで見ることができたと貴方に感謝すべきですかね。左腕が空いているようですから、そちらに抱き付けばいいんですか」
冗談というよりも皮肉を言われ、レオポルドは引きつった笑みを浮かべて、フィオリアに視線を向けた。
「フィオは海は見たことあったっけ」
「海は見たことあるけど、あんな大きな船に乗るのは初めてね」
フィオリアは新婚夫婦が公然と腕を組む様を注意するより、何か物思いに耽っているようであった。
「逃げるように出てきた帝都に、こんな形で帰るなんて、なんだか感慨深いわ」
彼女の言葉にレオポルドは似たような感慨を覚えた。彼にとって帝都は故郷である。生まれ育った地であり、最も長く住んでいた地である。未だもって彼の性向には強く帝都人としての習性が息づいていて、まだまだ南部人にはなりきれていない。それでいて、帝都は彼の家を破算させ、一家をバラバラに崩し去った地でもある。
彼らにとって帝都はあまりよくない親のようなものだ。愛しくもあり、憎らしくもあり、それでも、哀愁の念を消し難い。未だに彼らにとっては帝都が我が家と言えるだろう。
「レオポルド様」
感慨深く海を、その先にある帝都に思いを馳せていると再び後ろから声を掛けられた。振り返らずとも声で相手がわかった。瞬間、レオポルドは表情を凍らせ、冷や汗を流した。
「キスカか。ど、どうした」
ぎこちなく向き合うと第一夫人は夫の腕にしがみつく第二夫人に一瞬鋭い視線を向けてから、咳払いをした。彼女の傍らには二人の士官が控えている。どうやら、仕事の話のようである。
レオポルドが視線を向けるとアイラはするりと腕を解いた。
「では、私たちは街を観光して参ります。夕食までには宿に戻ります」
そう言って三人娘は楽しげに話しをしながら歩いて行った。あの三人は意外と仲が悪くないようだ。
「それで」
レオポルドはキスカに向き直る。彼女には将兵とその他の人員を合わせて五つの宿に割り当て、勝手にさせないよう指示していた。
「どうした。兵たちは宿に入ったか」
「はい。宿には入りましたが……」
キスカは不機嫌そうに言って、傍らに立つ二人の若い士官を睨む。ジルドレッド家の若い二人の大尉もその場にいた。若いといっても、レオポルドよりもいくらか年上である。
より年長でジルドレッド将軍の子息であるカール・ジギスムントが口を開いた。父親に似て大柄の体格で、一族の特徴である赤毛にもっさりと髭を蓄え、まるで熊のような男だ。
「兵たちに出航までの間の休暇と外出の自由を与えるべきではないでしょうか」
カールは年下ではあるが、主君であるレオポルドに対し、丁重な口調で言った。隣に立つ長身だが、細身の従弟フェルディナント・パウロスは同意するように頷く。
「兵たちは長い旅を終えた後、ようやく町に着いたと思った途端、荷役作業に従事し、宿に押し込められて不満を募らせています」
二人の士官の言葉を黙って聞いている間、キスカは不満そうな表情を崩さなかった。
彼女に言わせれば二人の考えは「甘すぎる」ということなのだろう。彼女は兵を厳格に恐怖によって従わせる主義なのだ。その為、脱走兵は即刻公開処刑に処すし、軍紀を乱した者には躊躇なく厳罰を与える。
対して、レオポルドは是々非々に対応することが多い。兵士を甘やかし、馴れ合うことは指揮官として失格であるが、厳しくしすぎては兵は付いてこない。面倒を見てやり、思いやってやることも必要なのだ。兵士とはいえ、一人一人はただの人間なのだ。
「いいだろう。全員に休暇を与えよう。外出の自由も与える。給金も出そう。キスカ。レンターケットかリズクを呼んでくれ」
今回は甘やかすことにした。特に兵たちにやらせる仕事はないし、宿に閉じ込めておいて不満を溜め込まれるよりは町に繰り出して、気分よく遊ばせておいた方がいいと考えたのだ。
キスカは不満そうな顔をしたが、大人しく頷いた。
「ただし、市民と騒動を起こすことは厳禁である。下士官は毎朝、部下の点呼を取り、士官に報告すること。士官はキスカに報告すること。一人でも欠けている者がいれば、その者は脱走と見做し、ただちに全員の休暇を取り消す」
「勿論です」
「厳守するよう兵たちに厳しく言い付けます」
二人の士官は生真面目な様子で応じた。
「それに出航が決まり次第、直ちに宿に戻り、出立の用意をすること。町に繰り出してもいいが、酒の飲み過ぎは程々にすること。女遊びも多少はいいが、あまり深入りして情を移して、町に住むとか言い出さないように。賭博で借金をつくるようなことはしないように。それから……」
レオポルドが決まり事を延々と並べ出すと、キスカはさりげなく、その場を離れてレンターケットかリズクを探しに行った。残された二人の士官はレオポルドの長々としたルールを聞かされ、それを書面にして、兵たちに読み聞かせる任務を仰せつかる羽目になった。
会計を含む事務一般を司るレンターケットは兵たちに休暇を与えることには文句を言わなかったが、給金を支給することは大いに渋ったものの、結局、兵達には臨時の給金が支給された。
これにより兵たちは町に繰り出し、士官や下士官は点呼の時間までに兵たちを宿に放り込む為、街中を巡回しなければならなかった。
カルガーノに入って二日後の昼過ぎ。
レオポルドがキスカとアイラ、フィオリアと昼食を摂っていると、コンラートが船の手配ができたと報告しに来た。
昼食を終えた後、キスカと共に港へ向かったところ、そこでレンターケットとリズクの出迎えを受けた。
「それで、その船は何処にあるんだ。一〇〇人は乗れる船なんだろうな」
先のダウには荷が満載されている為、船員を除けば乗れる人間は非常に限られてくる。となれば、もう一隻に一〇〇人以上は乗れなければならない。
「勿論ですとも。というよりも、一〇〇人くらいいなければ困ります。いや、実際はもっと多い方がよいのですけれども」
レンターケットの意味深な言葉を追及する前に彼は実際に船を見た方が分かるとばかりに歩き出した。
停泊している船を見たレオポルドは先のレンターケットの言葉の意味を十分に理解した。
二本マストに三角帆を張り、船楼は低く、船型は非常に細長い。何よりも特徴的なのは両舷に数多く備えられた櫂である。
「あぁ、これは話には読んだことはあるぞ」
レオポルドは渋い顔で唸るように言った。
海や船をあまり知らないどころか、カルガーノに来て初めて海を見たキスカにはピンとこなかったようで、レンターケットに説明を求めるように視線を向けた。
「これはガレー船といいまして。あの三角帆でも帆走できるのですが、あくまで補助的に活用するだけです。この船の動力はあの櫂です」
「つまり……。あの櫂を漕ぐ人間がいりますね」
「その通り。あれだけの本数です。漕ぎ手は少なくとも一〇〇人はいなければお話にならないでしょう」
「一〇〇人で足りるのか」
レンターケットの言葉にレオポルドが疑念を口にする。
「しかし、何でまた。ガレー船なんだ。こんな古臭い船じゃなくて、もっとマシな船はないのか」
「カルガーノは貿易で栄える都市ですからね。漁船やら小さな船はまだしも、遊んでいる大型の船などほとんどありません。どの船も荷を満載してアルヴィナや西方諸国へと荷を運ぶのに大忙しなのです。何人かの旅人を便乗させることはできるでしょうが、一〇〇人以上の人間と大量の荷物を運んでくれる船など、この老朽化したガレー船くらいです」
ガレー船はあまり多くの荷を積み込める船ではなく、乗員が多いことから頻繁に寄港、補給を必要とする。元々商船ではなく、軍船なのだ。
このガレー船は元々海賊掃討の為に建造されたものであるらしいが、この頃は海賊掃討の作戦も展開されず、パトロールなども行っていないようで、ずっと港で遊んでいる状態だったらしい。その為、借りる料金は非常に格安だったが、問題が一つ。
先程述べたとおり、ガレー船は漕ぎ手が人力で櫂を漕いで進む船である。当然、櫂には漕ぎ手が就かなければならず、その人数は大型船だと三〇〇人にも上る。
レオポルドが手に入れたガレー船はそれほど大型のものではないが、櫂は三段あり、漕ぎ手は一五〇人は欲しいところであった。その他、水夫などを合わせると乗員は一七〇人程度にはなりそうだ。
「兵や人夫を漕ぎ手に使うとしても一〇〇人程度だぞ。それに櫂を漕いだことなんか一度たりともない連中だ。それどころか、船に乗るのも初めてなんだぞ。大丈夫か」
「国によっては囚人や奴隷を漕ぎ手に使いますから、大丈夫でしょう。ただ、人数が足りませんなぁ」
人を集めて雇い漕ぎ手にするのは時間も金もかかる。しかも、雇った連中は行きはいいが帰りはどうするんだという問題も生じる。レオポルドが帝都に滞在する期間は何日と決まっているわけではなく、状況如何によっては一ヶ月以上にも及ぶ可能性もある。漕ぎ手として雇った連中をそれまでガレー船に置いておくのか。その間の生活、給金はどうするのか。数人ならばまだしも、数十人も雇い続けるのは難しいし、適当な船に便乗させて帰すにも人数が多すぎる。問題は山積である。
しかし、漕ぎ手の人数を減らせば、当然ガレー船の速度は遅くなり、帆走するダウに付いて行けない可能性が出るし、航海の日数も述びるだろう。
とはいえ、このまま見つからない船を捜して無為に日数を過ごすより、先を急いだ方が結果的に早く着くような気もする。
結局、レオポルドはあまり気乗りしない決断を下した。
その日と翌日の間にガレー船の操船に熟練した数人の水夫を雇い入れ、補給のための寄港をしないでも済むようにダウに大量の食糧と水を積み込んだ。
そうして、カルガーノに着いて四日目の朝。
レオポルド一行はようやく帆を張って、海へと乗り出した。