八三 ムラト族
レオポルドの前にずらりと生首が並べられた。
まずはエジシュナ族の老いた族長トカイの他、彼の三人の息子、長老ら、部族の主だった者たち合わせて一一名の首である。
七長老会議派の一部族であった彼らは他の七長老会議派部族と共にレオポルドに降伏し、恭順していたが、クラトゥン族の侵攻を前にして、レイナル方に寝返って、彼らに協力するという卑劣な行為を行った。そのお蔭で彼らの町ハリバはクラトゥン族の侵攻から免れた。
しかし、彼らにとって予期せぬことに、その後に行われた二度の戦いはいずれもレオポルド軍の勝利に終わり、敗北したレイナルはムールド南部へと敗走した。
その結果、エジシュナ族は一転して厄介な立場に立たされた。レオポルドは予め裏切りに対しては断固たる態度で臨む姿勢を示していたのだ。一族皆殺しという最悪の事態が招かれたとしても、おかしくはない。
抗戦したとしても勝てる見込みは万に一つもないのだ。となれば、生き延びる道は相手の慈悲に縋るしかない。
とはいえ、レオポルドとしては、何の代償もなく、彼らを赦免するわけにはいかない。先に示した裏切りに対する姿勢と矛盾するばかりか、今後、彼を裏切ろうとする者たちへの警句にならないからだ。裏切っても、何の代償も負わされなければ、誰もが自分に有利な立場を求めて、レオポルドを離れ、都合が変われば舞い戻ってくるというような行動を取りかねない。
その代償がレオポルドの前に並んだ一一個の首である。責任ある立場の者が責任を取るのは至極当然のことである。
彼らは一族の助命を条件に自らの首を差し出したのである。レオポルドはそれを受け入れた。
真紅の軍服に身を包んだレオポルドは顔を顰めてトカイの生首を見つめる。死体を見たのは初めてではないが、以前、会話もした間柄の人間が首だけになって目の前にあるというのは、気分のよいものではない。
エジシュナ族の首の横に並ぶのはムラト族の族長と二人の息子、二人の兄、三人の甥たちの首である。こちらは全部で八個。
ムラト族はクラトゥン族に次ぐ規模を持つ有力な部族で、族長の母はレイナルの姉である。この縁戚関係から両部族は同盟関係にあり、ムールド諸部族の上位二者が同盟を結んだことがレイナルの勢力が急伸した大きな要因の一つでもある。
彼らはモニス攻囲軍の主力を担っており、五〇〇〇近い兵を供出していた。
クラトゥン族との密接な関係から、彼らはレオポルドに恭順することを拒み続け、降伏を勧告する使者を殺害するという暴挙にまで及んだ。
その後、モニス解囲戦に敗れると、彼らは敗走するのだが、敗走中に内紛が起きた。
レイナルはそれまでムールドの民の間で尊重されてきた慣例や風習を無視するような暴虐な戦いを行い、反発する者を容赦なく粛清してきた。これに反感を抱く者はムラト族の中にも多かった。それを抑えてきたのがレイナルの縁戚である族長一族である。レイナルに対する反発はより身近な族長にも向けられた。
そして、今回の敗北である。多くの同胞を失った彼らはそれまでの不満を爆発させ、族長一族に対して反乱を起こして、追撃してきたレオポルド軍に援軍を求めた。騎兵連隊を率いていたアルトゥールはこれに応えることとした。
五〇〇騎ばかりの族長派と三〇〇〇騎以上もの反族長派及びレオポルド軍の二個騎兵連隊はモニスから南に三〇マイルほど離れた地点で戦いとなり、数にも武装にも士気にも勝る反族長派が圧勝した。
族長一族は戦場の中で尽く討死し、生き残った者たちも殺害された。
この戦いの後、ムラト族の主導権を握った反族長派はレオポルドに恭順する意向を示し、その証として、族長一族の首を送ってきたというわけだった。
族長はまだ三十代くらいの髭面の男で、その二人の息子はまだ十代と思われた。下の子などはまだ少年といっても過言ではないほど、幼く見えた。
レオポルドは痛ましい気持ちに苛まれた。
見分が済むと、彼はすぐに視線を逸らして、合わせて一九個もの首を下げるよう指示した。その後、首はそれぞれの胴体と合わせて丁重に葬るように伝えた。
その死体が憎き敵のものであろうとも、忌々しい裏切り者のものであろうとも、その死体をいつまでも眺めたり、ましてや、死人を侮辱したり、屍に鞭打ったり、損壊したりするような趣味はレオポルドになかった。逆に、一秒でも早く視線を背けたい方であり、死体などできれば一生見たくないという至極真っ当な精神を持っていた。首を目の前に並べさせたのは敵の死を確認しなければならない義務があったからである。
レオポルドは憂鬱そうに溜息を吐くと、薄暗い天幕を出た。日は暮れつつあり、辺りでは兵たちが夕餉の支度に取り掛かっていた。そこかしこに炊事の煙が立ち上っている。
彼の傍らに立ったキスカが頭を垂れた。
「レイナルを取り逃がしました。まことに申し訳ありません」
キスカもレオポルドの名代として加わっていた二個騎兵連隊はレイナル軍の追撃を担当していたが、急遽ムラト族の内紛に介入した為、レイナル自身の姿を見失ってしまったのだ。
ムラト族の内紛に介入する際、キスカは追撃を優先すべきであり、ムラト族の内紛など数の差から反族長派が勝つに決まっているから放置しておけばいい。と主張したのだが、連隊長であるアルトゥールとラハリは反族長派への援助を主張し、立場が低いキスカが引き下がる恰好となっていた。
一方、歩兵連隊のうち、サーザンエンド・フュージリア連隊はエジシュナ族の町ハリバの占領に向かい、第一ムールド人歩兵連隊は騎兵連隊の支援として南下していたが、歩兵故、その速度は遅く、ムラト族の内紛に関しては介入していない。第二ムールド人歩兵連隊はモニスに駐屯していた。
ムラト族の内紛が反族長派の勝利に終わり、ムラト族がレオポルド方に恭順した後、アルトゥールとキスカはレイナルやその残党の掃討をムールド人軽騎兵連隊と第一ムールド人歩兵連隊に任せて、サーザンエンド騎兵連隊を率いて北上した。一度ハリバに寄って、サーザンエンド・フュージリア連隊と合流した後、モニス近郊に宿営地を設けて、総司令官のレオポルドを迎えていた。
「いや、レイナル如きは大した問題じゃない。ムラト族はこちらに降り、パレテイ族や他の部族も既に降伏の使者を送ってきている。クラトゥン族の中でも降伏する意向を示す者たちが相次いでいる。既に奴の軍勢は瓦解し、最早、我々と雌雄を決す戦いをすることは不可能だろう。となれば、奴を暫く放置したところで、さしたる問題は起きない。レイナル自体はもう何の脅威でもないからな」
レオポルドとしては、警戒すべきはレイナルの率いる軍勢であって、レイナル個人ではない。という認識であった。その軍勢が壊滅した今となっては、レイナル如きは一人の反抗的なムールド人に過ぎない。
レイナルの身柄の確保よりも、彼としては先に済ませておきたいことがいくつもあった。
「まずはファディを回復したい」
「ファディにはブレド男爵の守備隊が駐屯しているはずです」
元々カルマン族の町であったファディはブレド男爵の侵攻軍によって陥落し、レオポルド軍は多くの犠牲者を出した。その後、男爵軍が占領し、二〇〇名ほどの守備隊を置いていた。
男爵軍本隊が去った後、アルトゥールが偵察がてら襲撃すると守備隊は蜘蛛の子を散らすように逃げ去ったらしいが、レオポルドが東に発ち、モニスが攻囲されている間に、再びブレド男爵軍に占領されていた。今は二〇〇名ほどの守備隊が入り、塀や濠がつくられ、城砦化されているという。
レオポルドはこれを取り戻すつもりであった。
「モニスではサーザンエンド中部を窺うには遠すぎるし、交通の便がよくない。モニスはムールド諸部族に対して睨みを利かせる要害として維持するが、本拠はファディに戻したい」
「しかし、ブレド男爵軍と衝突することになるのではありませんか。再びブレド男爵軍の侵攻を招くことに繋がりませんか」
レオポルドの意図に対して、キスカが懸念を述べた。
「確かにブレド男爵が南下してくる可能性も否定できん。しかし、以前ならば、ともかく、今の我々には五〇〇〇余もの軍勢がある。容易に敗れはしないだろう。それに、今のところ、彼はムールドを重要視していないと思う」
キスカが首を傾げると、レオポルドは解説を続けた。
「ファディに置いた兵が少なすぎる。以前、二〇〇の兵を置いて蹴散らされたのを忘れたわけではないだろう。本気で占領する気がないんじゃないかと思う。一時的に空白になっていたから掠め取っておいただけで、それほど維持する気はないように思える。維持したいならば、少なくとも五〇〇。できれば、一〇〇〇ぐらいの兵を置いて要塞化すべきだ」
「なるほど。確かにその通りかもしれません」
キスカは一度頷いた。
「しかし、これが男爵の罠だったとしたらどうでしょう。モニスに籠る我々を引き摺り出す餌に使っているのかもしれません」
彼女の指摘にレオポルドは頬を緩ませた。
「君の言う通りだ。あえて、ファディの守備を手薄くして、取りに来た我々をブレド男爵軍本隊が叩く。有り得るな。その可能性も否定できない。だが、今、男爵は我々を相手にしている場合ではないのだ」
「北ですか」
キスカが言うと彼は頷いた。
「以前述べたとおり、サーザンエンド北部のドルベルン男爵とガナトス男爵が南を睨んでいる。ブレド男爵が中部を空ければ、彼らは南下するだろう。両男爵の兵力を合わせると一万近い。我々よりもずっと脅威となる勢力だ」
帝国系のドルベルン男爵とアーウェン人系のガナトス男爵は、ブレド男爵がサーザンエンド中部を握ったことに危機感を強めていた。そこで、両者は一度矛を収め、不可侵協定を結んだらしい。その上で、それぞれ南下して、ブレド男爵を攻撃しようとしているという噂が流れているという。
「そのような噂。誰から聞いたのですか」
「レンターケットから聞いた」
キスカが尋ねるとレオポルドはレイクフューラー辺境伯の部下であり、自身の許に送り込まれている男の名を挙げた。
「レンターケット殿は東岸に派遣されていたはずでは」
「東岸には暫く手が出せないようだったから、サーザンエンド中部に行ってもらった。今はナジカに入っているはずだ」
その答えにキスカは不服そうな表情を浮かべた。自身の知らない間に、レオポルドとレンターケットの間で事が進んでいることに不満を感じているようだ。
「レオポルド様。お忘れなきように、今一度申し上げます。レンターケット殿はレイクフューラー辺境伯の手の者です」
「勿論、忘れちゃいないさ。彼はレイクフューラー辺境伯との連絡役兼情報担当だ」
「辺境伯のスパイでもあります」
キスカは釘を刺すように言った。
「我々は辺境伯に過度に依存すべきではありません。彼女は非常に打算的で利己的な謀略家です。油断なく距離を保つべきです」
「わかっているとも。だが、今のところ、辺境伯閣下は我々にとって重要な支援者だ。直にマスケット銃一〇〇〇挺と一〇万発分の弾薬が届けられるはずだ」
「……兵站監が飛んで喜ぶでしょう」
キスカは仏頂面で言った。
「飛んで喜ぶオーラフは想像できないな」
レオポルド軍の兵站部門を総括するオーラフ・ルゲイラ大佐は生真面目が服を着て歩いているような堅物な人物である。軍人というよりも役人か学者のようで、ムールド人の風俗に大きな関心を抱いており、ムールド文化の研究と学習を趣味としている。どう考えても飛んで喜ぶような人柄ではない。
「ところで、レオポルド様。ファディを回復する理由は、本当に戦略的な意味だけですか」
「……どういう意味だ」
キスカの指摘にレオポルドは硬い表情で聞き返す。
「平素のレオポルド様ならば、まずは足場固めを優先するような気が致します」
確かに、レオポルドはどちらかといえば、慎重な方である。好機があれば逃さず、急ぐときは急ぐが、基本姿勢は慎重かつ安全に事を進めたがる。
レイナルの勢力が大きく縮小したとはいえ、不安の種が完全に消え去ったというわけではないのだ。彼らが再び軍勢を集めて挑みかかってくることも無きにしも非ずという状況で、当面は危険性が低いレイナルを放置して、遅かれ早かれ手に入れたいが喫緊に落とさずともいいファディに兵を進めるというのは、いつものレオポルドらしからぬと言われても致し方ないというものだろう。
「まさか、とは思いますが」
キスカは疑わしげな眼でレオポルドを睨んで問う。
「ファディ回復を急ぐのは、アイラさんの為ではないでしょうね」
彼女の言葉にレオポルドは口を開けた。開けたまま声が出てこない。言葉の出し方を忘れたかのように、暫く無言で口を開け閉めしてから、なんとか声を振り絞り出した。
「な、何のことだか……」
ぎこちなく短い言葉だったが、ときに態度は長々と語るよりも雄弁である。
「レオポルド様は政治に私情を挟まぬ御方だと思っておりましたが」
キスカは無表情に言った。レオポルドは自分が軽蔑されているような気がして、居心地の悪さを感じた。
ファディはカルマン族の一員であるアイラの生まれ故郷である。アイラはこの時代の多くの都市や町村に住む人間と同じく、生まれてこの方、殆ど町から出たことがなかった。今回のモニスへの避難が最も遠く、最も長い間、郷里から離れた経験である。
そんな彼女が望郷の念を抱くのは当然というものであろう。
しかも、早くに亡くなった親の代わりに自分を育てて来てくれた祖父オンドルが倒れた地であり、その弔いもできていないのだ。
また、長きに渡る籠城戦の果てに心身も弱り切っている。感情が不安定になり、安定した過去に想いを馳せるのは自然の成り行きであろう。
モニスを解放したレオポルドと面会したアイラは、そのような心境であったのだ。
聡く控え目である彼女は自分の想いを吐露することはなかったが、その心身の疲労と望郷の想いはレオポルドですら察することができた。
自分を慕って仕え、尽くしてくれる彼女に何かしてあげたいと思うのは当然の成り行きであろう。
その上、彼には弱味がある。自身の政治的な目的の為に、彼女たちの救援を後回しにして、長きに渡る籠城戦を強いたのだ。
これらの理由からレオポルドはアイラが喜ぶであろうファディ回復を急いだというわけだ。
公と私の別が明確になっていない時代であるから、例え、レオポルドがアイラに「お願い」されてファディ回復を早めたとしても、責められる謂れはないともいえる。
中世の王侯の中には后の歓心を得たいが為に戦争を仕掛け、自身の武勇を誇った者も少なくないのだ。その王侯が戦に出ている間に、新妻は危険な火遊びに現を抜かす。なんてのもお決まりだった。
それらに比べれば、レオポルドのちょっとした公私混同などかわいいものだ。元よりファディは戦略的に重要な地であり、遅かれ早かれ回復はせねばならないのだ。同時に愛しい娘の歓心も得られるとなれば、一石二鳥というものだ。少しばかり優先順位を上げてもさしたる問題はあるまい。
キスカもはっきりと責めるようなことは言わなかった。
ただ、いつも以上に無表情で、機嫌が悪そうに見えるだけである。
「では、私はこれで。エティー大尉と話さなければならないことがありますので」
「怒っているのか」
素っ気なく歩き出したキスカの背にレオポルドが恐る恐る声をかける。
「いいえ。何故、私が怒るというのですか」
なんだか、その回答も険がある感じだ。
「機嫌が悪そうに見えるが……」
「いつも通りですが」
「そうか……」
そこまで強硬に平静であることを強調されては、レオポルドも黙るしかない。
大人しく自分の天幕に戻ろうとしたとき、彼はもう一つ言わねばならないことがあったことを思い出す。
「そうだ。言い忘れていたんだが、最近、カルマン族の長老方がアイラとの婚儀を早くしろと急かしてくる。彼女をいつまでも中途半端な状態に置いておくわけにもいかんから、ファディを回復次第、婚儀を執り行うことになりそうだ」
背後からそう言われたキスカは、ゆっくりと振り向くと、眉間に深々と皺を刻み込んで言った。
「それは……、おめでたいことですね」
そうして、さっさと歩いて行ってしまった。
数日後、アルトゥール率いる騎兵連隊がファディを襲撃すると、以前と同じようにブレド男爵側の兵はほとんど抵抗もなく逃散してしまい、レオポルド軍は無事ファディを回復することに成功した。