八一 モニス解囲戦~後
レオポルド軍三個歩兵連隊の一斉射撃とカルバリン砲二門による散弾の直撃を受け、クラトゥン族とムラト族の歩兵隊は大きな打撃を受けた。数百名もの戦士が銃弾又は散弾を受け、血を流し、地に伏す。被弾が一発であろうとも、当たったのが手足のような致命傷にならない箇所であっても、それだけの傷を負えば、戦闘の継続は非常に困難である。
先頭を走っていた戦士たちがバタバタと倒れると、後続していたその仲間たちは、思わず、足を止め、突撃の勢いは失われる。
そこへ、三個歩兵連隊は一斉に突撃を敢行した。ずらりと銃剣を押し並べ、喊声を上げながら走り出す。敵に当たると、銃剣で突き刺し、銃床で殴り、蹴飛ばす。倒れ込む負傷兵にも容赦なく銃剣の突きが見舞われる。敵の死骸や動けない負傷者を踏み越え、歩兵戦列は前進した。
一斉射撃と砲撃によって、すっかり士気を喪失していた敵歩兵は、突撃が決定打となって武器を投げ捨て、背を向けて逃げ出した。
「追うなっ。追撃は不要だっ。戦列を組み直せっ」
バレッドール准将は指揮下の兵に鋭く命令を飛ばし、追撃を禁じた。
それよりも、敵の第二波に備えて、戦列を組み直すことが先決と考えた。
騎乗の士官が馬を乗り回し、兵達に戦列を組むように命じ、下士官は兵たちの間を歩き回って、真っ直ぐな横列になるよう整える。
本営の櫓からその様子を見ていたレオポルドは珍しく苛立った表情を露わにした。
「准将は慎重過ぎる。一刻も早く歩兵を前進させろっ」
傍らに控えるキスカは黙って頷くと、即座に伝令を走らせた。
「敵両翼の騎兵が我が軍の騎兵によって引き剥がされている間に、なんとしても、敵の中央を破らないといかん。悠長に戦列を組み直している暇なんかないぞ」
レオポルドはだいぶ離れた東西でそれぞれ舞い上がる土煙に望遠鏡を向けながら、焦りと苛立ちが混ざった口調で呟く。
レオポルド軍の歩兵三個連隊が敵歩兵を待ち受け、これを打ち破っている間に、同軍両翼の騎兵連隊はいずれも四倍近い兵力を誇る敵騎兵を前にして、早々に敗退し、敵に背を向け、南方向へと撤退していた。正確には左翼サーザンエンド騎兵連隊は南西へ。右翼ムールド人軽騎兵連隊は南東へ退却していた。
言うまでもなく、敵騎兵を中央から引き離そうというレオポルドの思惑による意図的な退却である。
騎兵を率いるアルトゥールとラハリは、敵を上手く引き付け、騎兵を歩兵同士が戦う中央の戦場から引き剥がすことに成功しつつあった。
レイナルの思惑としては数で優位である騎兵によって、レオポルド軍の両翼を粉砕し、残る中央を挟撃しようという思惑だろう。中央の歩兵を前進させたのは、歩兵による騎兵への支援を妨害する意図があったと思われる。
しかし、現状のように騎兵がずるずると中央から引き剥がされ、主力とも言うべき両翼の騎兵を実質的に失うことは両腕をもがれるようなものだ。
その間に、中央が窮地に陥れば大事である。敵は即座に騎兵を呼び戻そうとするのは間違いない。
しかし、組織的な指揮命令系統を持たぬムールド部族の連合体では、迅速な情報と命令の伝達、部隊の統一した行動は難しいだろう。
レオポルドとしては、その間に敵中央の歩兵を打ち破り、自軍の歩兵を自由に使える状態に置いておきたいのだ。彼からするとバレッドール准将の行動は慎重過ぎると思われた。
「敵を待ち受けてやる必要などなかったのだ。前進し、敵を打ち破り、一マイル向こうまでいけばよかったのだ」
レオポルドは不満げにバレッドール准将の防御的で慎重な戦術を批判した。
キスカは黙って仰る通りといった様子で首肯した。
そこへ伝令が戻ってきた。二人の顔を見て、言い辛そうに躊躇う。
「構いません。准将の返事を聞かせなさい」
キスカが促すと、伝令は「恐れながら」と前置きしてから、准将からの返事を述べた。
「戦列が乱れたまま、勢いに任せて前進するのは愚の骨頂。どんなに急いでいようとも、戦列は乱さずしっかりと組み、敵に当たる方が得策。レオポルド様は、本営からゆるりと戦況を望見されますように。とのことです」
要するに、准将曰く、あくまで自分のやり方でやる。レオポルドは黙って見てろ。ということらしい。
「なんと、無礼なっ」
その言葉を聞いたキスカは即座に激昂した。伝令は慌てて櫓を下り、あんまりにも慌てていたのか、梯子から足を踏み外して落ちた。
「まぁ、そんなすぐ怒るな」
逆にレオポルドは冷静になったようで、キスカを宥めつつ、下の様子を見る。兵たちが集まってちょっとした騒動になっているが、落ちた伝令の怪我は大したものではないようで、自分の脚で立って歩いていた。
「先程は、ああ言ったが、准将に任せることにしよう。軍を指揮する経験は俺たちよりも彼の方がずっと上なのだ。俺たちが生まれたか生まれないかくらいの頃から、軍隊に入ってるんだからな」
レオポルドは自分に言い聞かせるようにそう言い、再び望遠鏡を覗き込む。両翼の騎兵は相変わらず離れたところで追撃戦を繰り広げ、歩兵連隊は整然と横列を作ると、ゆっくりとした調子で前進を始めた。
テンポよく太鼓が敲かれ、リズミカルに笛が吹き鳴らされる。
弾薬を再装填したマスケット銃を肩に担ぐと、歩兵たちは士官の命令通り歩き出す。繰り返し訓練で教え込まれた歩幅と速度を心掛け、両隣の仲間と合わせるように足を踏み出す。
半マイルも進まないうちに、前方から敵の第二波が向かってきた。
「れんたーいっ。止まれっ」
士官の号令で兵たちは歩みを止めた。
「前列、後列、交互に射撃させよ。射撃し続けながら前進するのだ」
バレッドール准将の指示を受けて、伝令が走る。士官が号令を発す。
「前列、構えーっ」
前列に並ぶ三個歩兵連隊の歩兵が一斉にマスケット銃を構える。
敵勢が一〇〇ヤードの距離まで迫ると、准将は一斉射撃を命じた。
戦列の前面に白煙が舞い上がり、断続的な射撃音が鳴り響く。こちらに迫りつつあったムールド兵がバタバタと倒れ伏す。
「前列、再装填を急げっ」
「後列前へっ」
矢継ぎ早に士官の指示が飛び、射撃を終えた前列は銃身を立て、再装填を行う。その間に後列が前に出て、マスケット銃を構えた。
「狙えーっ。撃てぇっ」
再び白煙が舞い上がり、千以上の鉛玉が空気を切り裂き、ムールド兵の身体を貫く。
二度の一斉射撃を受けて、クラトゥン族及びムラト族の歩兵隊の勢いは一挙に失われる。多くの兵は指揮官の命令を無視して後退を始めていた。
十数秒後に、再装填を終えた前列が再び前に出て、ダメ押しの一斉射撃を食らわせた。
再度、弾薬を装填させると、バレッドール准将は再び前進を命じた。
「レオポルド様。我が軍中央は敵の中央を打ち破りつつあります。まもなく、モニスまで到達するでしょう」
キスカの報告にレオポルドは渋い顔で頷いた。
大量のマスケット銃を有するレオポルド軍が敵に対して優位に戦いを進めるであろうことは当初から予想できていたことだ。
戦闘において、兵の数が重要なことは太古より変わらないことだが、火器の登場により、火力が戦場でものを言う時代になりつつあるのだ。ある程度の兵力差であれば最新式の火器を備える軍隊は火力に乏しい敵の大軍を打ち破ることができる。
「それよりも問題は両翼だ」
その言葉通り、レオポルドの持つ望遠鏡は中央よりも両翼に向けられる時間の方が圧倒的に長かった。
両翼の騎兵部隊はその機動性を如何なく発揮して、かなり遠くまで移動しており、望遠鏡でも姿を探し求めるのが難しくなりつつあった。敵の騎兵にとっては目の前にいる逃げる敵の方が、打ち破られつつある中央の戦況よりも重要なのだろう。例え、中央の味方の支援に行かねばならないと何人かが思ったところで、組織として成立していない部隊に過ぎない為、全力で追撃戦を続ける味方を停止させ、方向転換させるのは容易ではあるまい。
その上、レオポルド軍の騎兵は、追いつくか追いつかないかの微妙な距離と速度を維持して退却を続け、クラトゥン族及びムラト族の騎兵が追撃の手を緩めると、馬首を返して反撃に打って出るのだ。そうして、すぐにまた逃走劇を開始する。
その分、敵騎兵の追撃を受け続け、時機を見て、決死の反撃も試みなければならないレオポルド軍騎兵の損害は大きなものとなろう。
「歩兵はともかく、敵軍の騎兵は侮れません。数で不利な我が軍の騎兵に大きな損失が出る可能性があります。一部の歩兵を支援に向かわせるべきではありませんか」
「いや、それよりは敵中央の打破に全力を注ぐべきだ。騎兵を支援する余裕はない」
キスカの提案をレオポルドは一蹴した。
そもそも、彼には味方の騎兵を救う気などほとんどなかった。敵の騎兵を引き付けさえしてくれれば、味方の騎兵は全滅してもよいと考えていた。戦力としては貴重だが、それ以上にこの戦いでの勝利は優先されるのだ。
この戦いでクラトゥン族とムラト族に打撃を与えれば、レイナルは主力のほとんどを喪失することになる。そうなれば、ムールド全土はほぼレオポルドの支配下に入ると言っても過言ではない。騎兵の犠牲を惜しんで、味方の歩兵が挟撃に遭い、壊滅するようなことになれば、勝利を逃す。それはムールドの支配権を握る絶好の好機をみすみす取り逃がすことと同義である。
また、ここでレイナルの逆転を許せば、一転、レオポルドが追われる身となり、命を落とすことも考えられる。
なんとしても、どのような犠牲を払っても手に入れなければならない勝利なのだ。
しかも、騎兵を率いるのはアルトゥールとサルザン族の族長ラハリである。彼らが戦死するような事態は、むしろ、レオポルドにとって都合がよいともいえる。両者とも優秀な指揮官、指導者ではあるが、レオポルドにはあまり忠実ではなく、反発することもある。
反抗的な有能な者よりも(忠誠故に諫言も厭わぬ者を含まない)、無能でも忠実な者の方が、その上に立つ者にとっては都合のよいこともある。
アルトゥールは非嫡出子の血とはいえ、フェルゲンハイム家の一員であり、後継問題の火種となる可能性があり、その存在は今となってはレオポルドにとってあまり都合のよいものではない。しかし、指揮官が不足している現状では欠き難い人材ともいえる。
ラハリについては、族長としては比較的まだ若い彼が死ねば、後継の族長はムールド人の風習により未だ成人していないラハリの末子となる。勿論、これは原則的な話であるから、サルザン族の内部で話し合って、もっと年長の子を族長に立てる可能性も否定できないが、そこに上手く介入して、できるだけ幼い族長を擁立させれば、当然、サルザン族の影響力は大きく削がれることとなろう。
軍権を掌握するレオポルドの発言力と権威は大いに高まってはいるが、なおも、ムールド各部族はレオポルドに完全に臣従しているわけではない。彼らの協力を取り付けながら、上手く力を削いでいくことが必要なのだ。
レオポルドはこの点をよく理解していたが、キスカに話すべきか否か悩んでいた。彼女がレオポルドの忠臣であることは間違いないが、やはり、ムールド人であり、ムールド諸部族の力を減じようというレオポルドの方針にどのような反応を示すか予想できなかった。
機を見て話そうとは思うが、今はまだその時ではない。と、レオポルドは自らの中で結論づけて、ちょうど、本営に駆け込んできた伝令を見下ろした。
「バレッドール准将より伝令っ。我が軍は敵中央を完全に打ち破り、敵の歩兵は潰走し、現在、第一ムールド人歩兵連隊が追撃を行っておりますっ。第二ムールド人歩兵連隊は敵の糧秣等、物資を抑えると共に、モニスに入城。サーザンエンド・フュージリア連隊は、一度、こちらに戻り、本営の守備と騎兵の支援を行う予定とのことですっ」
「異論はない。准将の指示どおり行動せよ」
レオポルドが返答すると、伝令は馬を駆けさせ、走り去っていった。
未だに敵の両翼の騎兵は温存されているが、現在の戦況を知れば、撤退するか降伏するだろう。中央の歩兵と糧秣等の物資が失われ、モニスの包囲が破られた状況で、これ以上戦闘を続けても得るものなど、彼らにはないのだ。
思惑通り手にした勝利に、レオポルドは安堵の息を吐き、モニスに入城する用意を進めるようキスカに指示した。