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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第五章 塩、玉、絹
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七七 南東の隅

 レオポルド率いる同盟軍がムールド南部に入って半月が経った。

 この間、作戦に変更はなく、相変わらず歩兵連隊を中心とした本隊は南下を続け、騎兵部隊は散開して、ムールド諸部族の居留地を捜索した。発見すると、直ちに本隊に報告が為され、もう少し大きな規模の騎兵部隊が派遣された。

 同盟軍の騎兵に囲まれると諸部族の多くは戦わずに降伏した。多くの部族では戦士はレイナルの軍に動員されていて、残されているのは女子供や老人ばかりだったのだ。これでは戦える状態ではない。万が一、戦士が残っていたとしても、一部族単位では互角に戦える相手ではないのだ。

 それと同時に、クラトゥン族の傘下に置かれている部族の中で、レイナルに対して不満を抱いている部族と密かに接触し、内応を促した。

 既にレオポルドに従属しているムールド諸部族の中で血縁関係がある等、親しい関係の部族の者を使者として派遣して説得を行う。元より、レイナルのやり方に反感を持つ者は少なくないし、先の戦いでレイナルが敗れたこともあって、レオポルドの誘いに応じる部族もあった。

 また、レオポルドは降伏する者、寝返った者には寛容な措置を取っていた。多くの戦いでは敗者は財産や女子供を奪われるのが常であるが、レオポルドは降伏する部族の生命や財産を保護した。一部物資の徴発は行ったが、部族の生活に支障の出ない範囲に止めるよう注意して行われた。

 慣行として略奪が許されている兵たちの中には不満を持つ者も少なくなかったが、その分、給金や食糧、酒、水の配給を欠かさぬように努めた。この時代の軍隊では兵への給金は数ヶ月数年単位で遅配されるのは当たり前であったし、時には食糧ですら配給されないことがあった。レオポルドはこれらを充実させることで兵の不満を抑えると共に、兵たちから悪魔と恐れられるキスカに毎週軍人服務規定を読み上げさせ、兵の綱紀粛正に努めた。

 それでも、住民への略奪や暴行、脱走などを完全に根絶することは難しかった。軍紀違反者は容赦なく鞭打ち等の処罰を与えられた。

 そうした活動の結果、五つの部族がレオポルドの側に降伏或いは寝返った。残る部族はクラトゥン族を含め五部族である。

 これはムールド二八部族のうち一八の部族がレオポルドの傘下に入ったことを意味する。傘下の部族はあまり規模の大きくない中小の部族が多い為、単純に大半を支配したとは言い難いが、少なくとも半分以上のムールド人を支配下に置いたと言っても過言ではないだろう。

 レイナルの軍に参加していた兵も、レオポルドに降伏した部族の者は続々と軍を離反し、部族の元に走っているようだった。レイナルは同盟軍の追跡から逃れることに必死で脱走する味方に構っている暇などないようだ。

 新たに傘下に入った部族から同盟軍に参加する兵もあり、同盟軍の軍勢は五〇〇〇近くに膨れ上がった。その多くは何百年も前から変わっていない様子のムールドの伝統的な軽騎兵であり、戦力としては些か心許無いものの、敵であるレイナルの軍勢も似たようなものなので、いないよりはマシとレオポルドは考えていた。ただ、十分に統制することができるか不安もある。

 何はともあれ、多くのムールド諸部族を傘下に収め、ムールドも最南部まで南下したところで、レオポルド率いる同盟軍は歩みを止めた。近場に適当なオアシスがあった為、そのオアシスの畔に宿営し、軍の幹部たちはレオポルドの天幕に集まって、これからの方針について話し合うこととした。

「思いの外、早く、かつ戦闘を行わずに敵方の多くの部族をこちらに引き込めたのは僥倖であったな」

 バレッドール准将の言葉に士官たちは誰もが機嫌良さそうに同意の声を上げた。

「彼らは元よりレイナルに好意的ではなく、従属下にあることに不満を抱いておりましたからな。圧倒的な武力を誇っていたレイナルの軍勢が先の戦いにおいて我が軍に大敗したのを目にして、離反することは必然とも言えましょう」

 ルゲイラ兵站監はいつもながら冷静に状況を解説し、他の士官たちも頷く。

「レオポルド様の人徳の賜物でありましょう」

 キスカが無表情に言うと、皆は黙って顔を見合わせた。その様を見て、レオポルドは一人にやにやと笑っていていた。自分みたいな若造に人徳なんてものがあまり備わっていないのは彼自身が一番よく自覚しているのだ。

「何はともあれ、レイナルの軍勢は大いに弱体化しておるでしょう。この機を逃さず彼奴めを降せば、ムールドの地は我が軍の支配下に置かれ、我々は辺境伯位を巡る戦いにおいても安定的に、優位に戦うことができましょう」

 エティー大尉の発言に皆が賛意を表し、場の意気は大いに高まった。

「残るはあと五部族か。待てよ。七長老会議派に北東の六部族。新たに降伏した五部族。合わせると一八。北東八部族を構成していた二部族はレイナルに滅ぼされたとして、それでも数が合わないぞ。ムールドは二八部族じゃなかったか」

 レオポルドが疑問を口にすると、即座にキスカが答えた。

「確かにムールドは二八部族でしたが、ここ数年のうちに三部族がレイナルによって滅ぼされ、仰ったとおり、また二部族が滅びましたので、今は全てで二三部族となっております」

「成る程。では、残る五部族というのは」

「クラトゥンの他、クラトゥンと同盟関係にあるムラト。西部のパレテイと同じく西部の二つの小部族です。パレテイら西部部族の本拠は、ここから遠すぎる為、未だ調略できておりません」

 レオポルドたちがいるのはムールドの南東部であり、パレテイ族ら西部諸部族の本拠からは遠すぎて使者のやりとりができていない状況なのだ。彼らも武力によってレイナルに臣従させられた部族である為、連絡が取れればこちら側に付いてもおかしくはない。

「ムラト族というのはどういう連中なのですか」

 エティー大尉の問いにもキスカは淀みなく答えた。

「ムラトはムールドで最大の部族であるクラトゥンに次ぐ規模の大部族です。クラトゥンとは古くは対立関係にあり、長らく南部の覇権を争ってきた間柄ですが、前の族長の代にクラトゥンと和議を結び、クラトゥンの族長の娘がムラトの族長の息子に嫁ぐという縁組がありました。その娘というのはレイナルの姉であり、当時のムラトの族長の息子は今の族長です。つまり、両部族の当代の族長は義兄弟なのです。その今の族長になってからはクラトゥンとの結びつきをより強め、同盟を結び、レイナルの軍事行動を支えています。先の戦いには参加していないようでしたから、モニス攻略戦の主力はムラトが担っているのではないかと思われます」

「では、使者を送ってこちらに寝返るよう説得するのは難しいかな」

 レオポルドがそう言うとキスカは末席に座っていた北東六部族の一つであるナナイ族の族長に視線を向けた。

 族長は渋い顔でムールドの言葉で何事かを言った。

 言葉を理解できない帝国人たちがキスカに通訳を求める。

「彼はナナイの族長です。ナナイは族長の娘がムラトの有力な家に嫁いでおります。そのナナイからムラトにも使者を送ったそうです」

「それで。結果は」

「未だに戻ってこないそうです。もう半月ほどになりますが」

 場を気まずい沈黙が支配する。

 レオポルドは咳払いをしてから口を開く。

「では、クラトゥンとムラトに対する調略はこれ以上は不要としよう。残る西部の三部族には機を見て、降伏するよう説得するように」

「承知いたしました」

 レオポルドの指示にキスカはいつものように従順に応じた。

「その間に我々は軍を率いてレイナルを追いつめたいところだが。彼の行きそうなところといえば、何処だろうか」

 意見を求められた士官たちは顔を見合わせ、腕を組み、思案する。

「荒野の果てに姿を晦ませているか、或いはモニス攻囲軍に合流しているのではないでしょうか」

 ケッペン中佐が意見を述べた。

「確かに、その可能性は高いだろう。モニスを包囲する軍勢は一万近いと聞く。それだけの軍勢があれば、再起できるとレイナルが考えてもおかしくはない。荒野を当てもなく走り回って、逃げ隠れするよりそちらの方が可能性としては高いのではないか」

 バレッドール准将も同じ考えのようで賛意を示す。

「それより、先にクラトゥンの本拠に残っているであろう一族を人質に取り、財産を奪うことを優先すべきではありませんか」

 そこに異議を唱えたのは士官の中でも数少ない女性であるエリー・エティー大尉であった。直属ではないとはいえ、上官相手でも臆せず堂々と反論するのだから、豪胆というか肝が据わっているというか。

「我々の目的はかような野盗が如き真似をすることではありません」

 エティー大尉の意見にキスカが不機嫌そうに言った。

「勿論だとも。我々は野盗ではない。栄えある辺境伯軍、になる予定である」

 そう言って大尉は口端を吊り上げる。

「とはいえ、敵方の家族や財産をこちらの保護下に置くことが交渉を有利に進めることはこれまでの成果からも明らか。クラトゥン族とムラト族にも同様に行うべきではありませんか」

 エティー大尉の意見も道理である。

 しかし、バレッドール准将はあまり乗り気ではないようだった。

「確かに効果のある作戦だ。しかし、クラトゥンとムラトの支配地域は広大で、彼らの家族と財産を見つけ出すのはこれまで以上に困難だろう。勿論、時間をかければ見つけ出すことはできるとは思うが、我々はこれ以上時間を費やすべきではないと思う」

「いくら、モニスが要害でムールドの軍勢では攻め落とすことが困難とはいえ、長期の籠城で守備隊の士気が落ち、降伏してしまう危険性があります。攻城戦の開始からもう一ヶ月近くが過ぎており、なるべく早期にモニスを救援する必要があると思われます」

 准将の意見にルゲイラ兵站監が同調し、レオポルドも同意するように頷く。

 クラトゥン族の別働隊がモニスを攻めている間にレオポルドたちは多くの部族の傘下に収め、単純な人数ではクラトゥン族の軍勢に対抗できるほどの勢力となった。これならば戦いを避ける必要はない。十分な戦力をもってモニスを救援することができる。

 また、レイナルの軍勢を破ったことにより、ムールド諸部族に対するレオポルドの威信と発言力は高まっている。自分たちとは関係ない地域には出兵しないと反対できる者は多くあるまい。

 もう一つ、レオポルドにはこれ以上人質作戦をやりたくない理由があった。

 レオポルドの率いる軍はかなり肥大化し、士官や下士官は慢性的な不足状態にある。

 つまり、統率が行き届かなくなっている。この軍勢でクラトゥン族やムラト族の下へ行けば、略奪や暴行が発生する可能性があり、それを抑止し切れるか甚だ不安であった。しかも、クラトゥン族の支配下に置かれていた部族の中にはレイナルに家族や友人、知人を殺された者も少なくない。復讐に走る可能性が低くないのだ。

 人質は傷つけず、保護下に置いておき、相手の出方次第でどうにでもできるという状況を相手に理解させることが肝要なのだ。交渉の前に傷つけてしまっては相手の憎悪と敵愾心を煽るだけで、交渉にならない。

 一族の結束や家族の絆を重要視するムールド人だ。一族の者を殺されれば激怒し、交渉どころか、使者を派遣することすらできなくなりかねない。

 これらの心配事を口にすればキスカはじめムールド人たちは侮辱されたと感じるだろう。統率の行き届かない野蛮人と見做されていると思い不快感を抱くかもしれない。

 ただ、これはムールド人に限らず、他の民族であろうが帝国人であろうが、どのような軍隊でも起こる得る危険であるとレオポルドは認識していたが、そんなことを言ったところで、言い訳みたいに聞こえるだけだ。よって、レオポルドはその心配事は口にせず、黙っていることにした。黙って、モニスに進路を取るべきと主張するバレッドール准将の意見にうんうんと頷いていた。

 頷きながら、目の前の机に広げられている地図を眺める。ムールドの地を描いたかなり雑多な地図である。ムールドには帝国人が殆ど足を踏み入れない為、満足な地図にも事欠き、仕方なくレオポルドはムールド人たちから口頭でムールドの地勢を聞き出し、書記のリズクに地図を作らせ、それを使っていた。リズクは字は上手いが、絵は下手糞のようだ。

 地図上には捜索隊として派遣された騎兵小隊が捜索した道筋が赤い線で描き込まれている。ぐにゃぐにゃと曲がりくねった何本もの線が、本隊の進路から外れていっては、また戻ってきて、再び本線から外れてぐにゃぐにゃと捩れている。赤い線はムールド南部の東半分を殆ど隈なく巡っていた。ただ一ヵ所を除いて。

 ムールドの南東の隅。その部分にだけ赤い線が入り込んでいない。あんまりにも隅っこだから捜索を省略したのだろうか。レオポルドは小さな疑問を抱いて、顎を擦る。

「では、我が軍は明日から北西に進み、モニス救援に向かうことと致したい。宜しいですかな」

「え。あ、ああ、はい」

 南東の隅が妙に気になっていたレオポルドはバレッドール准将の進言に間抜けな返答をしてしまった。思いっきり、話を聞いていなかったことが露呈してしまい、レオポルドは気まずさを打ち消すように咳払いをしてから、キスカに視線を向ける。

「この南東の隅だけ捜索されていないのは何故だ」

 レオポルドに言われて、キスカは地図の空白部分を睨みつける。

 短い沈黙の後、キスカはレオポルドを見つめる。無表情だが、目が泳いでいる。動揺しているらしい。

「いや、クラトゥンとムラト以外の部族は全て降伏して、目的は達したのだから、今更、捜索していない地域があっても全く問題ではない。ただ、何故か、ここだけ捜索を避けたような気がして、気になっただけなんだ」

 そう言われて落ち着いたらしいキスカは騎兵隊を率いた士官たちに視線を向ける。

「私は、道案内のムールドの兵から、この辺りで、この先にはオアシスがないので、捜索する必要はない。と聞きました」

 一人の帝国人士官が地図上の赤い線が折れ曲がっている地点を指差して答えると、別の者が怪訝そうな顔をした。

「それはおかしい。私が率いた小隊は途中で水が不足したので、貴君が引き返した地点を更に四半日進んだ地にあるオアシスで水を補給したぞ。うむ。この線だ。ここにオアシスがありました」

 彼が言った通り、その地点にはオアシスの存在を示す書き込みがあった。

「じゃあ。何だ。我が小隊の道案内の者が知らなかっただけか」

「いや、道案内役は付近の地勢に詳しい者が選抜されていたはずだ。それも一個小隊に最低三人は配置されていたぞ。三人ともが知らないというのはおかしい」

「そういえば、我が小隊も南東を避けるような進路を取っているな。今、考えると不自然に南東を避けるよう誘導されていた気がする」

 帝国人騎兵将校たちは口々に違和感や疑問を口にした。彼らの話の一致するところは、どうも、道案内のムールド兵によって南東の隅を避けるように進路を取らされていたということである。

 ムールド人の士官のうち、この辺りに詳しくない七長老会議派出身の者は帝国人士官と同じような疑問を抱いているようであったが、付近に詳しい北東部及び降伏した部族の者たちは動揺を押し隠そうという様子であった。とはいえ、これだけ違和感と疑問が表に出てしまったのだ。いくら表面を取り繕っても、これ以上隠し通せるものでもあるまい。

 騎兵将校たちの証言を聞き、レオポルドの疑念は更に強いものとなり、そして、ある確信に繋がった。

 レオポルドはポケットをまさぐって、緑色に輝く小さな石を地図の上に転がした。いくらか前に東岸の町に送り込まれているレンターケットから届いた手紙に同封されていたものだ。

 その小さな緑の石を見て、ムールド人たちの間に隠しきれない動揺が走った。そして、彼らの多くは諦めたような表情でレオポルドを見つめた。

「それで、南東には何があるんですか」

 レオポルドは帝国語でそう言った後、思い直して、たどたどしいムールドの言葉で同じような意味あいのことを言い、機嫌よく笑みを浮かべた。

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