七六 レオポルドの料理人
レオポルド率いる同盟軍二〇〇〇余は「地獄の入り口」の戦いに勝利した一週間後に、再び塩の町を出た。目指すはムールド南部である。
レオポルドの目的はムールド南部を攻略し、ムールド諸部族を支配下に置き、クラトゥン族の族長レイナルを捕捉或いは殺害することである。
しかしながら、彼の地はムールド北部よりも更に暑く乾いた地勢で、オアシスの数もより少ないという。町といえるものは一つしかなく、村のようなものがいくつか点在するのみである。
というのも、多くのムールド諸部族は昔ながらの遊牧生活を営んでいるのだ。彼らは定住する町や村を持たず、広大な荒野や草原を多くの家畜を連れて移動する生活を送っている。
攻略すべき町や村、城がないのは攻城戦という非常に力や時間を使う戦いをしなくてもよい一方で、目標を定め難いという問題がある。
また、先の戦いに敗れたレイナルは同盟軍に捕捉されることを恐れ、その追跡から逃れようと町も村もほとんどないムールド南部の広大な荒野を移動し続けているだろう。彼らの軍勢は動きが早く、その足跡を追い、捕えることは非常に難しい。
とはいえ、クラトゥン族やそれに味方する諸部族の構成員全員が移動し続けることなど不可能である。部族の中には女子供、老人など、体力が少ない者も多い。彼らを休まず延々と移動させ続けるのは不可能だ。大量の家畜、荷物などを抱えたまま動き回ることも非常に難しい。
その為、多くの場合、彼らは避難先とも言うべき地を確保しているものだ。男たちが戦士として戦いに出ている間、ある程度の期間、一ヵ所に留まり、戦禍から逃れようとする。
レオポルドら同盟軍はその残された者たちの避難先を目標に据えていた。
常に移動を続ける連中を追い回すより効率的であり、発見できる確率が高い。
また、戦士たちの家族や財産を捕えれば、彼らの士気を挫き、内応や離反を誘い、交渉においても家族や財産の安全を有力な条件として提示できる。
要するに、レオポルドの目論見は逃げ回るレイナルに従う将兵の家族と財産を人質に取って、彼らの離反や裏切りを誘うというものであった。
当初、レオポルドがこの計画を軍議の場で発案したとき、キスカや他のムールド人士官たち、北東六部族の有力者たちは躊躇いを見せた。あまりにも卑怯で姑息な手段を取ることは砂漠の戦士としての矜持が許さないのだろう。
そこで、レオポルドは詭弁を弄した。
「この目的はムールドの無垢の民を人質に取ろうというのではない。我々は彼らをレイナルの支配から救い出さんとしているのだ。彼らが解放されれば、レイナルに渋々と従っている者もその隷下から脱し易くなるだろう」
ものは言いようである。このように言えば、卑怯で姑息な手段ではないと強弁できないこともない。世の中の大抵の事柄は見方によってどうとでも解釈できるものだ。
とにかく、レオポルドの唱えた屁理屈をムールド人たちは受け入れ、同盟軍は南へと進軍した。
軍は大きく二つの異なる役割を与えられた部隊に分割されていた。
一つはレオポルドの近衛部隊や歩兵連隊、砲兵隊、輜重隊を含む本隊。こちらには数百頭もの家畜を帯同し、大量の糧秣、水を輸送していた。その為、進軍速度は極めて遅かった。この隊は塩の町から真っ直ぐ真南に進路を取り、夜には野営を張りながら進んでいく。
もう一つは騎兵連隊である。彼らは十数騎の小部隊に分散され、周辺を捜索する任務が与えられていた。探し求めるものはレイナルの軍勢の痕跡やムールド諸部族の避難先である。
騎兵たちは本隊から離れて数マイル、数十マイルという距離を、時には数日に渡って移動した。この間に本隊も移動を続けているので、下手をすると合流できず遭難してしまう危険性がある。
その為に本隊は進路を固定しているのだ。常に同じ方向に向かって進軍していれば、見つけることは容易い。
ムールドの荒野で生まれ育った砂漠の戦士たちは太陽や月、星などの高さや位置、向きから自身の現在地や方角を知ることができ、平坦で視界を遮るものが殆どない地勢である為、遠方からも軍勢を見つけることは比較的容易なのである。
本隊から離れた騎兵部隊は周辺に散開して、敵対するムールド諸部族を探し求めた。
同時にレオポルドはクラトゥン族に臣従している諸部族を離反させる調略を推し進めていた。
クラトゥン族に臣従している部族の中には、あまりクラトゥン族や族長のレイナルに好感を抱いていない者も少なくない。それどころか密かに反感を抱いているような者までいる。
それでも、彼らがレイナルに従っているのは、武力によって臣従させられたか。若しくは戦って敗れることを恐れて傘下に入ったからである。状況が変われば、離反したいと思っている者も少なくないのだ。
先の「地獄の入り口」の戦いでのレイナルの敗北は状況の大きな変化といえるだろう。この機を逃すわけにはいかないのだ。
レオポルドはカルマン族や他の北東六部族を通して、幾人もの使者を発して、レイナルからの離反を誘った。
早急に離反し、レオポルド傘下に収まれば今までの反抗行為は全て免罪され、部族の構成員全員の生命と財産を保障するが、これ以上、レイナルに盲従を続け、反抗を続けるならば、部族の安泰はないものと思うように。と、懐柔と脅迫を織り交ぜたような交渉を行い、少なくない数の部族から芳しい反応を得ていた。
同盟軍が塩の町を発して五日が経った日の昼頃。本隊が昼食を兼ねた大休止を取っていると、数多送り出している騎兵小隊のうちの一隊が本営に駆け込んできて、ちょうど、昼食を摂っていたレオポルドに報告を行った。
報告によれば、ここから更に南へ騎兵の脚で二日ほど進んだところにオアシスがあり、そこに小規模な部族が野営しており、その数は百数十人程度。家畜の数は五〇〇余。武装した兵は少数ということであった。
レオポルドは直ちにカルマン族の士官スレイを指揮官とした一個騎兵中隊をそのオアシスへと派遣することとした。抵抗する者は斬り、降伏する者は捕えて、その場に留まるよう命令を下すと、スレイは直ちに騎兵を率いて南へと向かって行った。
「捕えた者たちをどうなさるおつもりですか」
途中であった昼食を再開したレオポルドにキスカが尋ねた。
「どうもこうもないだろう」
羊肉の香草焼きをナイフで切りながらレオポルドは言った。
「君の考えている通りだ」
「大人しくレオポルド様に従うでしょうか」
「どちらでもいい。従うならば丁重に扱い、刃向うならば厳しい態度で臨むだけだ」
前者ならばレオポルドの寛容さを示すことができるだろう。後者ならば今後、刃向う者がどうなるかという見せしめになるだろう。
無表情で沈黙を続けるキスカに視線をやってから、レオポルドは渋い顔で呟く。
「俺とて女子供を害するのは気が進まん」
「レオポルド様のお気持ちは十分に理解しております。他の者に対する示しや見せしめといったものは必要となるものです。幾度かそのような機会がありましたが、私も同じような苦悩を抱いたものです。……何故、首を傾げるのですか」
レオポルドが首を傾げていると、キスカが不満げに言った。
「君はいつも嬉々としてやっているようにも見えたが……」
「失礼な」
キスカは苛立たしげに呟くと、羊肉の香草焼きをナイフで突き刺して、口の中に押し込んだ。
いくらか無作法な食べ方に苦笑しながらレオポルドは羊肉を平らげ、給仕が持ってきた山羊乳のチーズを食べ始める。
「そういえば、行軍中でも中々美味い食事が出るな」
レオポルドがふと気付いたように言う。
勿論、彼は軍の最高指揮官である為、食事は最も上等なものが出され、兵卒が食べているものとは全く違うものだ。
とはいえ、行軍中となれば町に滞在しているときに比べれば、料理の質の低下は避けられない。食材には限りがあり、調理の時間も短いのだ。
限られた食材と時間の中で如何に指揮官の舌を満足させるかは料理人の腕次第であるが、今の料理人は十分にその仕事を果たしているようだ。
「モニスを出てから、塩の町に来る間に食べたものとは味付けが違うな。料理人が代わったのか」
「そうかもしれません。確認致します」
そう言うと、キスカは天幕を出て行った。レオポルドの私生活に関することは副官であるキスカの職分であるが、彼女の職務は非常に幅広く多忙である為、そのうちのいくらの職務は信頼の置ける部下に任せていた。
レオポルドの私生活に関すること、衣食住やスケジュールの管理、手許金の会計事務、私物の管理などはレオポルド付書記が担当している。
書記は七長老会議派の一つであるキオ族の若者であった。ムールド人は遊牧民族であるにも関わらず、彼は馬に乗るのが非常に下手糞で、しかも、マスケット銃の扱いも下手であった。体力もないものだから、軍での仕事には全く不向きと言ってよかった。
しかしながら、帝国語とムールドの言葉の読み書きに精通していたことから、書記に抜擢され、キスカの配下で事務仕事に従事していた。
暫くして、キスカは書記の青年ともう一人大柄な男を連れて戻ってきた。その表情は怒り心頭といったものであった。
「何をそんなに怒っているんだ」
レオポルドは尋ねてから、その理由に思い至った。
キスカが連れてきたもう一人の男に見覚えがあった。アクアル・ダレイ・フライマン。かつて、宿営地を抜け出して飲酒をした廉でキスカから鞭打ちの命令を下された人物である。
「塩の町を出てから料理はこやつが担当しておりました」
キスカは憤怒を抑え付けるような様子で呻くように言った。
アクアルはすっかり怯えており、項垂れていた。キスカよりもずっと背が高いはずだが、だいぶ小さく見えた。
「書記のリズクが任命したようです。何を考えておるのかっ。こやつが逆恨みでもして、レオポルド様の食事に毒を入れていたらどうなっていたことかっ」
キスカが怒鳴りつけると、アクアルは大きな体を震わせて目尻に涙を浮かばせた。
「いやいや、キスカ様はそう仰いますが、彼はそんなことはしませんよ」
誰もが恐れるキスカに怒鳴られても、書記のリズクは気にした様子はなく、のんびりとした調子で言った。
リズクは鳶色の髪をした小柄な若者で、目は線のように細く、開けているのか閉じているのかよくわからない。小さな鼻に薄い唇で、だいぶ童顔だった。
「彼はすっかり反省したのです。あの一件は彼の酒癖の悪さが原因だったのですが、あの件以来、彼は酒を断ち、一滴たりとも口にしていません」
「どうだか。盗みを働く者は嘘も吐くものです」
キスカの吐いた悪態にアクアルが顔を上げる。
「ほ、本当ですっ。自分は、もう一滴も、酒は飲みませんっ。誓いますともっ」
アクアルが必死に自身の改心を訴えるが、キスカは冷たい視線で一瞥して無言のうちに黙らせただけだった。
「彼は自身が過ちを犯したにも関わらず、温情をもって恩赦して頂いたことに深く感謝の念を抱いたのです。レオポルド様の寛容さに感銘を受け、敬愛し、お慕いしているのです。逆恨みをすることなどあり得ません」
リズクが説明するとアクアルは必死な面持ちで首を縦に振った。
「また、彼は兵士としてよりも料理人の方が性が合っているようです。以前、屋台をやっていたことや宿屋で料理人として働いていた経験もあるようですから。実際、レオポルド様は食事に満足なさり、健康でいらっしゃるではありませんか。手足の痺れなどありますか」
冗談にならない冗談を言う彼の言葉にキスカが噛みつく。
「まだ毒を入れていないからといって、これから毒を入れないとは限らないでしょう」
「万が一、そのようなことがあろうとも食事はレオポルド様に供される前に私が毒見をしておりますから、大丈夫だと思いますけれどもねぇ」
書記はのんびりとそう言って、レオポルドを見やった。キスカもレオポルドを睨む。
「両名とも、今後も私に仕え、職務に励んでくれるとありがたい」
レオポルドはそう言い渡して、二人を退出させた。実質的な信認であることは言うまでもない。
後にはチーズを齧るレオポルドと不満顔で突っ立ったままのキスカが残された。
「アクアルが私のことを逆恨みして毒を入れるとは思わんな」
「何故、そのように信用なさるのですか」
「私は彼に何も酷いことをしていないからな。どちらかというと、君の方が食事に気を付けるべきではないかね」
レオポルドに言われてキスカは渋い顔をして頷いた。
「確かに……。気を付けます」
「あと、夜は背後に気を付けた方がいい。君を恨んでいる者は山のようにいそうだ」
他人事のような言葉を彼女は無視した。不満そうな顔でそっぽを向く。かなり分かり易く腹を立てている。
レオポルドは席を立ち、キスカの傍らに寄り、銀髪を撫でながら語りかける。
「勿論、君が私の為にわざと恨みを買っているのは分かっている。だからこそ、私の為に買った恨みで君が傷つくのを、俺は見たくない」
「はい。気を付けます」
キスカは素直に応じて、レオポルドの胸に顔を預けた。その背に腕が回され、二人は僅かな間の逢瀬を過ごした。