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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第一章 サーザンエンドへ
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 帝都を出て東へ三日歩くと、ミハという比較的大きな都市に至る。

 ミハは三つの大学を抱える帝国屈指の学術都市で、巷には学生が溢れていた。

 勉強家であるレオポルドは大学や図書館にかなり興味を惹かれているようだったが、

「学問なんてもんは金持ちのやることよ。あたしたちには無駄に使えるお金なんてこれっぽっちもないんだからねっ」

 と、フィオリアに一喝され、一泊すると翌朝にはミハを発った。

 旅路は順調で、雨は降っても小降り程度と天候にも恵まれた為、一行は当初の予定である一月よりも大幅に早い、出発から三週間ほどで南北の街道が交わる交通の要衝である帝国自由都市エレスサンクロスに到着した。

 帝国自由都市とは神聖帝国皇帝より勅許を受けて、独立した自治権を持つ都市のことである。他の諸侯に支配されることなく、上級の市民たちによる市参事会による自治が行われている。

 そのエレスサンクロスに到着したのは昼前であった為、とりあえず、一行は適当な宿に部屋を借り、そこに荷物を預けると広場に出た。

 南北の街道が交差する交通の要衝であるエレスサンクロスには帝国は元より国外からも多くの人や物が集まる。当然、それを相手にした商売も盛んで、市の中心部にある聖オイゲン像広場には各地からやってきた旅人と彼らを相手にした屋台が集まっていて、大変な賑わいであった。

 一行は焼いた鶏肉を甘辛いソースで味付け、パンに挟んだ軽食を出している店で昼食を摂っていた。

「今のところ、旅は順調だな」

 レオポルドは痛む足首と疲れを感じる脚を気にしつつも上機嫌で言った。最初に宿泊した安宿でダニやノミに食われて、未だに体のあちこちが痒いことを除けば、今のところ、大きな問題のない旅であった。

 それどころか、予定より随分と早くに進めている。元々かなり余裕を持った旅行日程ではあったが、何にしろ早めに着けたのは僥倖というものだろう。

 レオポルドの言葉にキスカは黙って頷き、二人の貴族育ちは安堵する。

 ほとんど帝都から出たことのない二人にとってこの旅はほとんどキスカ頼みなのだ。当然のことながら、彼らは旅に関してはキスカの意見を第一として行動していた。

 キスカが問題ないと言えば、残りの二人は安心なのであった。

「そこのお若い方々」

 三人がのんびりと昼食後のお茶を啜っていると恰幅の良い中年男が声をかけてきた。見かけは商人風で悪い身なりではない。

「お時間に余裕があれば、是非、あの方のお話を聞くべきです」

 男の言葉にキスカは顔を俯かせ、フィオリアは黙ってレオポルドを見た。仕方なくレオポルドが口を開く。

「あの方とはどなたのことでしょうか」

 その問いかけに男はある説教師について説明した。

「ボートゥリッヒ博士はフューラー公の大学で神学を学ばれ、大変博識で正しい見識を持った御方です。博士の話というのは今の教会についてです」

 彼の言葉に三人は顔を見合わせる。教会の話など、本当ならば三人とも勘弁願いたいところだった。クロス家は教会が原因で破産したのだ。レオポルドは教会に対して良い感情を持っていないし、フィオリアは家族をバラバラにした教会を心底憎んでいた。そして、キスカは正教徒ですらない。ムールド人で西方教会を信仰している者は非常に少ないのだ。

「今の教会は創始当初の慈愛と寛容に満ちた姿から変容してしまい、今や欲望に塗れて堕落しているのです。知っていますか。エレスサンクロスの聖オイゲン教会の主任司祭には三人の愛人がいる上、男色の趣味まであるとか。そのような堕落した教会の指導の下で正しい信仰をすることができるでしょうか。不可能に決まっています。今こそ、退廃した教会を捨て、聖典に基づいた正しい信仰を取り戻す時なのです。ボートゥリッヒ博士はそのように仰っているのです」

 男は丁寧な口調ながら熱っぽく語り、それを聞いた三人は一様に驚いた。

 西方教会は帝国をはじめとする大陸の多くの国々で信仰されており、大陸国家全ての国教であると言っても過言ではない。その教会を批判することなど、本来許されるはずがない。

 教会を批判した者の多くは不信仰者或いは異端のレッテルを貼られ、信仰の敵として弾劾されることになる。まさにクロス家のようにである。これがもっと酷い場合には破門されることも有り得る。帝国はじめ西方各国で破門は社会的な死刑を意味していた。破門された者と付き合うことは禁じられ、社会のあらゆる行事や付き合いから疎外、除去されてしまう。教会の権威は一時期に比べれば随分と凋落したものだが、未だに皇帝や王侯と比肩し得る存在なのである。

 ところが、この町では悪くない身なりの真っ当そうな大人が往来の盛んな広場であからさまな教会批判を口にするのだ。心の底で思ってはいても通常他人の耳がある所で口にできるものではない。

 しかも、周りの人々はその言葉を聞いても気にする素振りもなく、批判や諫言をする者もいないどころか、同意するように頷く者すらいる。

 その様に三人は驚きを隠せないでいた。

「ボートゥリッヒ博士はいつも今くらいの時間に、あちらにある聖オイゲン像の前に立って説教をしているのです。あぁ、ほら、ちょうど、お見えになりました」

 そう言って彼が指し示す先には痩せぎすな初老の男の姿が見えた。着ているものは襤褸とまではいかないが、粗末で質素な衣服だった。手には長い枝を切ってきたような杖を持ち、脚が悪いのか引き摺るようにして歩いている。

 そのボートゥリッヒの後ろを多くの人々が付いて歩いていた。老若男女、都市貴族と思しき高貴な身なりの者、貴婦人、裕福そうな商人、工房の親方、女将さん、槍を手にした兵士、農民、学生、徒弟や雇われ人、浮浪者まで、ありとあらゆる人間が一緒になってボートゥリッヒの後ろを歩く。

 ボートゥリッヒは聖オイゲン像の前に立つと大衆に向き合って、声を張り上げた。

 その語り口調は穏やかで丁寧であった。だが、その穏やかな口調とは裏腹に、口にした言葉は腐敗した教会指導者層への痛烈な批判、現在の教会組織の否定という極めて過激なものであった。彼らこそが主によって破門されるべきであり、最期の審判において彼らは断罪されるだろうと博士は断言する。

 そして、人々は腐敗し、堕落した教会と自らを切り離し、不必要に仰々しく華美な式典を催したり、豪奢な聖像や聖画を崇拝するのではなく、聖典をよく読み、主と心を通わせ、勤労と節度を旨とした慎み深い生活を送り、隣人を愛し尊び、弱き者を助けるといった素朴で純粋な真の信仰に回帰すべきであると彼は主張するのだ。

 ボートゥリッヒの主張は民衆から大きな支持を得ているようだった。

 教会の腐敗と堕落は公然の秘密というものであり、教会の幹部に愛人がいるとか、あまつさえ、子供までつくっているという話は珍しくもなかった。特にこの町の主教会である聖オイゲン教会の主任司祭は女たらしとして名高く、若い女は既婚、独身を問わず教会に一人で行ってはならないと噂されるほどであった。

 また、聖職者たちが信者から集めた税や寄付で贅沢三昧に耽っていることも人々の強い怨嗟の的となっていた。

 勿論、全ての聖職者がそのように腐敗しているわけではない。清貧な生活を送り、隣人を愛し、弱者を救け、信仰を日々の糧とする聖職者も少なくない。少なくはないが、多数でもないことは紛れもない事実であった。

 ボートゥリッヒはその不満と批判を見事に言い当て、それを臆せず堂々と口にした。

 そうして、自身は大衆から支持を得ているからといって増長することもなく、少々の食べ物や衣服、生活必需品の施しを受け取るだけで、その他の贈り物や寄付は断固として拒絶していた。その清貧な態度でこれまた多くの支持を受けた。

 このような事態を教会が大人しく看過できるわけがない。ボートゥリッヒの言動は教会の権威を貶め、上級聖職者たちの矜持を著しく傷つけていた。

 教会はエレスサンクロス市参事会に対して、ボートゥリッヒを逮捕するか若しくは市から追放することを強く要請した。

 しかしながら、市参事会員の中にも彼の支持者は多く、結果的に市参事会はボートゥリッヒに対して殆ど何もしなかった。

 業を煮やした教会は自ら手を下すこととした。

 この日、ボートゥリッヒが聖オイゲン像の前で説教を始めてから半時程過ぎた頃、広場の片隅に白い集団が現れたことにキスカは気が付いた。

 純白の甲冑に身を固めた教会騎士団の騎士たちであった。

 神に仕えし純白の騎士たちは民衆を押し退け、怒号を上げながらボートゥリッヒの許へ向かっていく。

 民衆は突如現れた教会の剣を持つ神の下僕の暴挙に当初は混乱し、怯えたが、聴衆の中にいた何人かの貴族や法律家、商人などが教会の暴挙に抵抗すべきだと民衆に訴えた。その号令の下、市民は怒りの声を上げ、教会騎士団の騎士たちを押し返し始めた。

「これはまずいな。厄介なことになるぞ」

 その一部始終を広場の外れで見ていたレオポルドが渋い顔で呟く。

「この場を離れた方が良いと思われます」

 キスカの助言に彼は頷く。

 教会騎士たちと民衆の衝突から逃げるように一行はその場を離れて宿に戻った。

「エレスサンクロスの情勢は先に見たとおり非常に不安定のようだ」

 レオポルドが確認するように言って二人を見つめた。

「このままこの町に留まるのは賢明とは思えん。さっさと出立しよう」

 彼の言葉に二人は同意し、彼らは手早く荷物を纏めて宿を出た。

 エレスサンクロスは別名を「十字の町」と言われる通り、街道が東西南北の十字に交差している。

 ここから北へ行けば、北部の商業都市アポクリスに着き、東へ進むと大陸東岸部フューラー地方に至る。西に戻れば帝都があり、南下した先が南部である。

 一行は門が閉鎖される前に急ぎ南の門へ向かった。

 町に有事があるときは門が閉鎖されることが常だからである。その目的は外敵が市内に侵入することを防ぐ為と逃亡者や内部に潜んでいたスパイの脱出を防止する為である。

 彼らは面倒な騒乱に巻き込まれることなく、無事に門を通り抜け、南への街道を進むことができた。

『西方教会』

 西方大陸全土において広く信仰されている一神教の宗教組織。神聖帝国はじめ西方各国の実質的な国教となっている。

 その歴史は一〇〇〇年に及び、高い権威を誇り、大きな影響力を持っている。かつては皇帝や王侯をも凌駕する絶大な権力を握っていたが、教会内部の腐敗や紛争、改革とその反動によってその威信は大きく傷つき、帝国や西方各国が君主権を強化していく過程で、その力を弱めつつある。

 とはいえ、未だに大きな影響力を持っており、教会を批判することや聖典の教えに反することは社会的な孤立を招く。異教徒や異端、不信仰者は異端審問によって糾弾され、処刑されることも少なくない。

 総本山は帝都にある聖マリウス大聖堂であり、その長は神の地上における代理人である総大司教。現在の総大司教はローベルト五世。

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