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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第五章 塩、玉、絹
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七四 エジシュナ族からの書状

 レオポルド率いるクロス卿派、七長老会議派、北東六部族から成る同盟軍は敵が残していった数百頭もの家畜と大量の糧秣、一〇〇〇人以上の捕虜、そして、一万もの敵と真正面から戦って得た勝利を手に塩の町に凱旋した。

 塩の町からすると目前まで迫った侵略者相手に戦って勝ってきた軍であるから、市民は将兵を熱烈に歓迎した。帝国人も他の部族も、誰もが客人としてもてなされ、たっぷりの食事と酒を振る舞われた。レオポルドも兵達が勝利の美酒に酔いしれることを許した為、街中では兵達が帰還した日は勿論、その翌日も宴会騒ぎが繰り広げられた。

 一方、レオポルドはじめとする同盟軍の幹部たち、兵や市民のように喜んでばかりもいられない面々は塩の町を支配するサルザン族の族長ラハリの屋敷に集まっていた。

 町で繰り広げられるお祭り騒ぎとは打って変わって会議の場に集う面々の表情は冴えない。いずれも渋い顔、難しい顔を並べている。

 彼らの視線は机の上に置かれた一通の書状に向けられていた。

 「地獄の入り口」の戦いに勝利し、塩の町に帰還した日の前日に届けられたその書状には勝利に浮き足立つ彼らの気分を一気に谷底まで落とすような内容が綴られていた。

 送り主は七長老会議派の一角であるエジシュナ族からである。その内容は「モニスがクラトゥン族の別働隊に包囲され、攻撃されている」というものであった。

 これは非常に由々しき事態である。否、それどころの話ではない。最悪だ。

 モニスにはレオポルドの義理の姉みたいな存在であるフィオリア、第二夫人候補である婚約者のアイラ、レッケンバルム卿やシュレイダー卿、ジルドレッド一族らといった帝国人貴族諸卿、ネルサイ族やカルマン族の有力者たち。その他、多くの人々が入っていた。人数は五〇〇〇人近い。

 また、モニスは多くの物資の集約地となっており、ムールド北部における同盟軍の最大拠点といえる地である。

 そのモニスが失陥したとなればクロス卿派と七長老会議派にとって非常に大きな損失であると共にレオポルド個人としても大きな痛手である。

 勝利の美酒に酔っている場合ではない。冷や水をぶっかけられたようなものだ。

 レオポルドの他、キスカ、バレッドール准将、レッケンバルム大佐、ルゲイラ兵站監、歩兵連隊副長ケッペン中佐、輜重隊長ライマン少佐、レッケンバルム大佐の副官エティー大尉らは対応策を協議すべく難しい顔を並べていた。アルトゥールも出席する資格はあるのだが、会議嫌いな彼は出席を拒否して何処かへ行ってしまった。おそらくは兵に混じって宴会騒ぎに興じているのだろう。

「レイナルは予め兵を分け、一部を七長老会議派攻略に差し向けていたのか。不戦の約定を交わしていたというのに、なんと卑劣なっ」

 エティー大尉が怒りを露わにして吠えた。

 レオポルドと七長老派はクラトゥン族の勢力圏に近いエジシュナ族を通じてレイナルと不戦の約定を交わしていたのだ。

 その後、レオポルドらは軍勢を東に進め、北東諸部族と結ぶことになり、結果としてレイナルと戦うことになったが、レオポルドの側から戦を仕掛けたわけではない。

 それに対して、レイナルは一方的に攻撃を仕掛けてきている。モニスが攻撃を受け、包囲されているという報が届いたのは前日であるが、実際に攻撃を受けたのは、それよりも何日も前のことだろうし、レイナルの別働隊が動き出したのはそれよりも更に前だ。つまり、レオポルドがレイナルと戦う遥か前、おそらくは北東諸部族と組む以前にはモニスへ軍勢が送られていたはずだ。

「レイナルは我々が東に向かうのを見て、我々と北東諸部族が結び、彼に対抗しようとしていると考えたのかもしれませんな」

 ルゲイラ兵站監が冷静に状況を分析してみせた。

 レオポルドらは東岸部への進出を目指して、北東諸部族の領内を通過するだけのつもりだったが、傍から見ているレイナルにはそうは見えなかったのだろう。両者が接近し、自分に対抗しようとしていると考えたのは不自然なことではない。

 レオポルドの動きは意図していなかったものとはいえ、レイナルを大いに刺激してしまうことになっていたのかもしれない。その結果がモニス攻撃というものだった。

 勿論、実際のところどうなのかは推論の域を出ないが、ルゲイラの推理は中々説得力がある。

「レイナルの思惑は何であれ、とにかく、今後、どうするか早急に決めねばなりません」

 キスカは険しい表情で議論を進めるよう促す。

「どうすると言ってもな。これだけでは判断材料が少なすぎる」

 バレッドール准将が書状を摘まみ上げひらひらと振りながら言った。

「まず、第一にこれが真の書状かどうかわからんぞ。レイナルの手の者が我々を攪乱させる為に送ってきた偽書かもしれんぞ」

「しかし、クラトゥン族が書いたとは思えませんな」

 准将の疑念にケッペン中佐が疑問を口にする。

「帝国語もろくに話せる者がいないクラトゥン族が西方文字を書けるわけがない」

 書状は帝国を含む西方各国が使用する西方文字で正確に書かれていた。帝国語が殆ど通じないクラトゥンはじめムールド南部の諸部族が書いたようにはとてもじゃないが思えなかった。

「しかし、連中が帝国語に詳しい者を誘拐なり拉致するなりして、書かせたという可能性も否定できまい」

「書状を持ってきた者を尋問すればよいのではありませんか」

 エティー大尉が尤もなことを言うと、キスカが渋い顔で答えた。

「書状を持ってきたのは西から東へ行く隊商の者で、途中、エジシュナの町ハリバに寄ったときに書状を託されたということです」

 隊商や行商人、旅の者に手紙を託すことは珍しいことではない。ただ、このような重要な内容の文書を隊商に預けて運ばせるのは適切ではないと思われた。

「その隊商の者は」

 レオポルドの問いに彼女はより一層顔を顰める。

「書状をサルザン族に預けた後、東への旅を続けたようです」

 その答えに一同からは不満が噴出する。

「何故、その隊商を行かせたのだ。より状況を詳しく調べる為、尋問すべきだろう」

「サルザン族は情報の重要性というものを理解していないのではないか」

 これは明らかな失敗だった。キスカもそのことを認め、直ちに配下の者を送って、件の隊商を捜索させているという。

「見つけ次第、拷問にかけます」

「いや、尋問するの間違いだろ」

 キスカの物騒な言葉に思わずレオポルドが訂正する。

「失礼。拷問にかけて尋問します」

「それ、訂正になってないぞ……」

 レオポルドは呆れ顔で呟く。

「書状が真実のものか偽書かはさておき、実際にモニスが攻囲されているというのが事実か否か早急に調べねばなるまい。急ぎ、斥候を放つべきだ」

「既に地理に詳しく斥候に慣れた者を数騎送っております。一週間後までには確実な情報を持って参るでしょう」

 バレッドール准将の指摘にキスカが淀みなく答える。彼女は為すべきことは指示される前に為しておく主義なのだ。

「ふむ。それで、実際、モニスが包囲されているというのが事実であった場合、如何されますか」

 准将はそう言ってレオポルドを見る。

 レオポルドは腕を組み、顎を擦りながら呟くように言った。

「何か、おかしくないか」

 彼の呟きに面々は顔を見合わせる。

「おかしいというのは何がでしょうか」

 キスカが尋ねると、レオポルドは書状を見つめながら、思うところを述べた。

「そもそも、この書状がエジシュナ族から発せられたというのがおかしい」

 その指摘にキスカとルゲイラが、その違和感に気付いた。

「確か、エジシュナ族は最もクラトゥン族の勢力圏に近い部族だったな。モニスよりも敵に近い位置にいるにも関わらず、モニスが包囲されている時点で書状を出せるというのはおかしくないか」

 普通ならば真っ先に攻略される対象であるはずだ。クラトゥン族がエジシュナ族の町を素通りしてモニスに直行するというのは考え難い。クラトゥン族の軍隊に兵站という概念はないといっても過言ではなく、いくらかの糧秣を携行し、いくらかの家畜を帯同させているものの、補給の多くは行軍途中にある町や村からの徴発、或いは略奪による。となれば、当然、エジシュナ族も無事で済むはずがない。

 糧秣に事欠く長距離の行軍を強いられた騎馬民族の軍勢が、特に意味もなく敵の部族の町を襲撃せずに素通りすることなどあり得るだろうか。

「敵の攻撃から避難した先で書状を出したのではありませんか」

 レオポルドの疑問にライマン少佐が一つの仮説を提示した。

 少佐の唱えた説にレオポルドは反問する。

「避難とは、何処に」

「何処といわれましても……」

「普通はモニスではないか」

 ムールド北部におけるクロス卿派・七長老会議派の最大の拠点は要害の地モニスである。モニスよりも安全な地はないといって過言ではない。追う側のクラトゥン族は騎馬民族であり、避難民が荒野を逃げ回れるような相手ではないことは十分に理解しているはずだ。敵の攻撃を逃れ、逃げ込むとしたら、モニスをおいて他にない。

「では、この書状はモニスから出されたものということか。いや、しかし、それはおかしい。モニスから書状を出すのであれば、差出人の名はレッケンバルム卿なりジルドレッド将軍になるはずだ」

 ケッペン中佐の言葉に皆が頷く。

 モニスから書状を出すのであれば、高位の帝国人貴族であるレッケンバルム卿なり守備責任者であるジルドレッド将軍が出すはずだ。若しくは七長老の連名という体裁を取るだろう。何故、一部族に過ぎないエジシュナ族の名で出されているのか。

 クラトゥン族の襲撃から運良く逃れ、モニス以外の地に落ち延びる途中で、モニス包囲の情報を得て、その知らせを寄越してきた。と考えられなくもないが、そこまでいくと辻褄合わせのようにも思える。

 実際にそうなっている可能性がないわけではないが、それにしても不自然だ。そんな絶体絶命な境遇にある中で、送ってきた書状にはモニスが包囲されているという簡単な一文しか書かれていないのだ。

「では、これはクラトゥン族が我々を攪乱する為に送ってきた偽書なのでしょうか」

「その可能性はある。が、もう一つ可能性がある」

 ルゲイラの言葉に答えた後、レオポルドは珍しく苛立った表情を見せた。

「エジシュナ族は我々を裏切っているのかもしれん」

「そんな馬鹿なっ。エジシュナはレオポルド様に臣従を誓約していますっ。現に我々が率いる兵の中にもエジシュナの者がおりますっ」

 レオポルドの言葉にキスカが叫ぶ。

「しかし、エジシュナ族がクラトゥン族と内通していると考えると合点がいく」

 バレッドール准将は冷静に状況を分析する。

「我々が率いる主力部隊をムールド北東部から引き剥がし、その間に北東部攻略を進める腹づもりだったのではないか。実際には書状は戦の後に届いたが、これが戦の始まる前に届いていたとしたらどうだ。我々は北東部を放棄して、モニスに取って返していたのではないか。我々の助力がなければ、今頃、レイナルは塩の町に入城していたかもしれん」

 准将の言葉に皆が納得したように頷く。

 ただ一人、キスカだけは納得していない様子だった。

「エジシュナ族の長老トカイ殿は我々の為にクラトゥン族との不戦の約定に尽力していたではありませんかっ」

「その不戦の約定も今となっては有効ではないでしょう。それに、モニス包囲が事実ならば、レイナルの方はその約定を守る気など最初からなかったのではありませんか」

「数としては圧倒的にクラトゥン族の方が優勢。しかも、同胞ですからな。異民族である帝国に従っているよりもクラトゥン族の傘下の方が良いと考えてもおかしくはないでしょう。若しくは両者に二股して保身を図っていたのかもしれません。そこにクラトゥン族の軍勢が攻め寄せ、旗色を鮮明にする必要が出てきて、彼らに協力することにしたとも考えられます」

 エティー大尉が冷めた表情で言い、ルゲイラ兵站監は冷静にエジシュナ族の動機について解説した。

 キスカは珍しく動揺した様子でレオポルドを見た。

「勿論、まだエジシュナ族が裏切っていると結論するには早い」

 レオポルドは冷静な口調で淡々と述べた。

「しかし、彼らが裏切っているという可能性は皆無ではない。この点を考慮した上で今後の対策を考えていく必要があるでしょう」

 いつも通りの落ち着いた様子で言った彼の横顔を、キスカは青褪めた顔で黙って見つめていた。


 翌日夕暮れ近くに、エジシュナ族から書状を預かった隊商が塩の町に連れ戻されてきた。

 尋問の責任者はキスカで、隊商の隊長、商人たち、荷物持ち、馬丁、奴隷に至るまで全員を対象に行われた。

 前もってレオポルドより拷問の禁止を指示されていた為、夜通しで厳しい尋問が行われたが、拷問は為されなかった。

 レオポルドが拷問を禁止したのは温情からというわけではない。

 拷問は真実を明るみに出すどころか、逆に真実を曇らせる。或いは歪ませる。と彼は考えていた。拷問を受けた者は苦しみから逃れる為に、尋問官にとって都合の良い供述をする場合が多々ある。

「都合の良い答えをその者の口から聞き出したいのならば拷問は有用であるが、真実を知りたい場合には有用であるどころか有害である」

 とは、百数十年前の有名な裁判官が著した本の中にあった一文であり、レオポルドはこれに影響を受けていた。

 実際、帝国では犯罪捜査や裁判における拷問を基本的に禁止していた。ただし、内乱罪、不敬罪等、帝国という国家や皇帝に対する犯罪。若しくは異端や魔女の裁判に関しては、一部許可される場合があった。

 今回の場合、彼らから聞き出したいのは書状が誰からいつ何処でどのように託されたものであるか、そして、ムールド北部の情勢はどうだったかということである。拷問によって事実とは異なる供述をされては困るのだ。

 とはいえ、結構な距離を無理矢理移動させられ、夜から朝まで一睡もさせずに同じ話を何度も何度も聞かれるのは、ある種の拷問のようでもあった。

 その尋問の結果、彼らから聞き出した情報を照合した結果、彼らは二週間前にエジシュナ族の町ハリバに寄った際、長老トカイから隊商の隊長が書状を受け取り、ムールド北東部にいるレオポルドに手渡すか、レオポルドに渡すよう塩の町の者に託すよう指示されたという。

 また、ムールド北部の情勢はというと、クラトゥン族の軍勢が迫りつつあるという緊迫した情勢になっていたという。各地にはクラトゥン族の先遣隊らしい騎兵部隊が出没して、町や村を襲って略奪や破壊を行い、人々はモニスに避難していたそうだ。

「連中の言葉が正しいとするならば、これにより三つのことが明らかになった」

 キスカから尋問の報告を受けたレオポルドが淡々とした口調で述べた。

「一つは書状は確かにエジシュナ族から受け取ったものであり、偽書ではない。もう一つはクラトゥン族はモニスに迫りつつある。最後に、エジシュナ族は我々を欺こうとしている」

 クラトゥン族の軍勢が迫っていることは確かであるが、隊商がハリバの町に寄って、書状を受け取ったとき、まだモニスは包囲されていなかったそうだ。彼らは隊商のルートから外れたモニスには寄っていなかったが、ムールド北部にクラトゥン族の大軍勢が侵入しているということはなかったと断言した。

 彼らは自らの大事な財産となる商品を運ぶ者たちだ。危険には敏感である。盗賊や野獣の出る噂をよく知っているし、軍隊の動きについてもよく調べている。軍隊は町や村からだけでなく、通りがかった隊商からも荷物や家畜を強引に徴発したり、奪い取ったりするものだ。商人にとっては盗賊も軍隊も大して違いなどない。

 当然、クラトゥン族軍の動きにも注目しており、クラトゥン族の軍勢が何千も一万も入っていれば、ムールドに入るのは断念していただろう。ムールドを横断中にクラトゥン族軍の先遣隊が入り込んでいるという情報を得たので道を急いだ。と彼らは言っていた。

 要するにエジシュナ族から送られてきた書状の内容は嘘であった。全てが偽りというわけではないが、筆を誤ったとも考え難い虚偽の内容である。明らかにレオポルドたちを攪乱させる目的があるとしか思えない。

「勿論、今の段階でも未だ確証はないが、疑惑はかなり強まっている。エジシュナ族が我々をたばかっているという可能性を踏まえた上で、今後の対策を練らなければならないでしょう」

 レオポルドがいつも通りの慎重な物言いで締めくくるとその場にいて共にキスカの報告を聞いた幹部たちは一様に頷いた。

 この日の会議では引き続き情報収集に当たり、将兵の訓練を続け、そして、クラトゥン族に従っている諸部族を離反させる調略を進めることを決めて解散となった。

「あの、レオポルド様……」

 幹部たちが出て行った後、キスカが控え目に声を掛けた。

「もしも、エジシュナの裏切りが事実であれば、彼らを如何するおつもりですか」

 彼女の問いにレオポルドは渋い顔で言い切った。

「裏切り者にはそれ相応の懲罰を与えねばなるまい」

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