七三 「地獄の入り口」の戦い~後
「騎兵連隊が敵騎兵を破ったようですっ」
前線の模様を視察してきた伝令がレオポルドに告げた。
レオポルドたちは本陣に戻らず、歩兵連隊中央の背後に陣取って騎兵連隊の戦いの模様を見ていた。
「やはり、アルトゥール卿の言った通り、騎兵連隊の投入は正解だったのかもしれませんな」
歩兵連隊副長のケッペン中佐が言うとキスカが鋭い視線を向けた。
「レオポルド様も騎兵連隊の投入を検討なさっておられました。アルトゥールはその前に勝手に連隊を動かしたのです。これは明確な軍令違反であり、死刑にも相当する重罪ですっ」
「や、確かに結果はどうあれ、軍令違反は問題ですな。勿論」
日頃から苛烈な言動が多い副官に睨まれた中佐は慌てた様子で取り繕うように言った。
「キスカ」
レオポルドが窘めるように言うとキスカは不満そうに口を閉じた。
代わってバレッドール准将が口を開く。
「まずは騎兵の突撃は成功したと言ってよいでしょう」
彼の感想に他の士官たちも同意する。
「しかし、敵はこれで退くほど脆弱ではありますまい。また、まだ予備の軍勢も残っておりますから、反撃に出てくるのではないでしょうか」
「では、騎兵連隊を退かせよう」
レオポルドの言葉に他の士官たちも頷き、直ちに伝令を走らせる。
駆けて行く伝令の背を見送りながらキスカが不機嫌そうに呟く。
「あの野郎が大人しく言うことを聞きますかね」
「キスカ」
再び注意されて、彼女は拗ねたように顔を背けた。
キスカは疑念を抱いていたが、アルトゥールはレオポルドの命令を伝令から聞くと、素直に退却のラッパを吹かせた。彼自身も引き際を弁えていたようだ。
訓練の甲斐もあってか、退却のラッパの音を聞くと騎兵連隊の将兵は直ぐに馬首を返し、自軍陣地に向かって退却していく。
クラトゥン族軍は打ち破られ、潰走してきた騎兵を収容しつつ、予備として手許に置いていた兵力でもって逃げるアルトゥールの騎兵連隊を追撃してきた。
逃げる敵の背に矢を放ち、射抜かれて馬から転げ落ちた兵を馬蹄にかけていく。
しかし、その背に剣先は届かず、騎兵連隊は無事に同盟軍陣地に駆け込む。騎兵連隊が正面から除かれると、途端に数百のマスケット銃と二門のカルバリン砲が火を噴いた。
騎兵連隊に追い縋っていたムールド騎兵が一気に数百騎ばかり撃ち倒され、人馬の悲鳴が沸き起こる。歩兵連隊の第二列が止めとばかりに一斉射撃を食らわせると、ムールド騎兵たちは堪らず馬首を返して退却していった。後には人馬の屍の山が残された。その数は数千にも及ぼうかという有様である。
レイナルは数度に及ぶ攻勢の結果、全軍の半数にも迫る勢いの死傷者を出して、マスケット銃と大砲を備えた堅陣に軽騎兵で何度突撃を敢行しても、これを破ることができないとようやく理解したらしい。
撤退してきた騎兵を収容すると兵をまとめて南に下がっていった。
「レイナルは兵を退いたようです」
敵の様子を眺めていたキスカは隣で望遠鏡を覗いているレオポルドに言った。
「攻撃を諦めて撤退したのか。或いは軍勢を再編する為か」
レオポルドは望遠鏡を下ろしながら呟く。
「敵方の損失は少なくとも半数近くに上っています。これは壊滅的打撃を受けたといって間違いないでしょう」
ケッペン中佐が意見を述べると複数の帝国人士官が頷いた。
「直ちに追撃し、敵に止めを刺すべきですっ」
「再度、騎兵連隊を出撃させ、歩兵連隊も陣を出て敵を追い詰めましょうっ」
士官たちからは積極的な意見が相次いだ。
確かに西方各国の軍隊であれば半数近い損害は軍を維持できないほどの深刻なダメージといえる。反撃するならばこの機をおいて他にない。ここで敵を逃がせば、敵軍は本拠地に逃げ込み、軍を再編し、再び向かってくるだろう。今日逃がした敵は明日向かってくる敵になる。攻撃できるときには徹底的に攻撃を加えておくことは兵法の鉄則と云える。
しかも、自軍の数分の一の数の敵相手に何度も攻撃に失敗したことで、クラトゥン族軍の士気や戦意は大いに落ち込んでいるに違いない。
とはいえ、それは西方各国の軍隊での話であり、十分に組織化されておらず、兵法も文化も違うムールド諸部族の軍では少し事情が違ってくるのかもしれない。
バレッドール准将は黙って議論の行方を見守っている。慎重で防御的な彼はあまり積極的な攻勢について好意的な意見を述べない。慎重な意見を述べようとしないことが間接的に攻勢を行うことへの支持とも思える。少なくとも積極的に反対というわけではないようだ。
キスカは追撃に関して特に賛否を表明せず、
「追撃するならば早くした方がよいでしょう」
と、御尤もな意見を述べた。これも反対ではない。という意思表示とも取れる。
アルトゥールは早く命令を出せ。とばかりに馬上でサーベルをぶんぶん振り回している。
結局、全てはレオポルドの命令待ちということのようだ。
「では、そのように」
レオポルドがなんとも気合の籠っていない決断を下すと、直ちに突撃ラッパが吹き鳴らされた。
弓から放たれた矢のように騎兵連隊が陣地を飛び出す。土煙を巻き上げながら退却していくクラトゥン族軍に向かって突進していく。
続いて歩兵連隊も陣地から出撃する。歩兵の行軍速度では騎兵に付いていくことはできないが、敵の逆襲に遭ったとき、味方の騎兵を支援する為にはより前に出ていた方がよい。
歩兵連隊は狭い出入り口から二列縦隊で出た後、再び二列横隊を形成する。
「れんたーいっ。前へ進めっ」
士官の命令が発せられ、軍楽隊がリズミカルな行進曲を奏で始めた。鼓手が太鼓を打ち鳴らし、吹手が横笛を吹く。
歩兵たちは横に並ぶ同僚と足並みを揃えて歩き出す。下級士官と下士官たちは抜き身のサーベルを肩に担ぎ、兵たちを率いる。時折、振り返って指揮下の兵が、同様に戦列を形成する他の隊の兵よりも遅れていないか、或いは突出していないかと確認する。部下の兵たちにきちんと真っ直ぐとした戦列を形成させるのも士官、下士官たちの重要な役割である。
上級の士官は馬上から兵たちを叱咤し、サーベルの剣先を真っ直ぐ前に向ける。
歩兵連隊に続いて立派な毛並みの白馬に跨ったレオポルドが陣を出た。その傍らには同じく騎乗のキスカがぴったりと寄り添い、後ろには近衛中隊が続く。
ここが攻め時と判断したレオポルドは自身と精鋭の近衛中隊も前に出るべきであると判断した。
大将が前に出れば将兵の士気や戦意が上がることはよく知られている。
しかし、それは大将が将兵に慕われている場合のみ有効だ。兵たちが自身に如何程の忠誠心を抱いているかレオポルドは疑問であった。いくらか複雑な利害関係により渋々と指揮下に入っている部族も多いのだから。
それでも前に出ることに決めたのは、全軍が前に出る中、自身だけ安全な場所に留まっていることについて将兵から批判されることを避ける為であり、精鋭である近衛中隊を予備兵力として生かす為である。
レオポルドの近衛中隊一〇〇は全て騎兵で編成され、帝国人とムールド人が半々で構成されていた。サーベルや半月刀を提げ、ピストルを装備している。帝国人の近衛騎兵は真っ赤な軍服に身を包んでいたが、ムールド人騎兵たちは相も変わらずの服装であった。
金と時間に余裕があれば揃いの軍服を調達したいな。と、レオポルドはぼんやり思いながら、ぴったりと横に並んでいるキスカを見つめた。
「少し近過ぎないか」
二人の距離はかなり近い。馬同士が殆ど接触しそうなほど、馬を挟む互いの脚がたまに当たるくらい近かった。
レオポルドの言葉にキスカはきっぱりと答える。
「これくらい近くなければレオポルド様をお守りできません」
「そんなことはないと思うが……」
レオポルドはそう言いながら望遠鏡を覗き込んだ。半マイルほど前方ではアルトゥール率いる騎兵連隊が敵の陣地に突入していた。
騎兵連隊はクラトゥン族軍が撤収した後の陣地に入ると張られたままの天幕に火を放った。残された糧秣と家畜の収奪は後から来る歩兵連隊に任せ、アルトゥールは連隊に更なる南下を命じる。
「これ以上の深追いは危険ではありませんか。歩兵と連携ができなくなります」
「敵は深手を負ったとはいえ、まだこちらより多勢なのです。反撃されると危険です」
連隊長の命令に部下の士官たちが口々に慎重論を唱え始めた。
「諸君は敵の陣に火を放ち、いくらかの糧秣と家畜を奪っただけで満足なのかね。まだ敵の背に一太刀も浴びせていないにも関わらずか」
慎重な意見に対し、アルトゥールは部下たちの臆病を責めるような口調で言い放つ。
騎兵は高い矜持と誇りを持つ連中である。自らは戦場の花形であると固く信じ、武勇と勇敢さを誇るものだ。臆病者扱いされては我慢ならない。
騎兵士官たちはむっとした顔で閉口した。
「続くのだっ。諸君っ。敵を逃がすなっ」
アルトゥールが怒鳴り、更に南へと突き進むと騎兵たちも鬨の声を上げながらそれに続く。
「連中。何処まで行く気なんだ」
敵陣を奪っても行軍を続ける騎兵連隊を見送りながらバレッドール准将が呆れ顔で言った。
「アルトゥール卿のことですからね。地の果てまで行くんじゃないですか」
レッケンバルム大佐の副官エティー大尉も呆れたような口調で皮肉った。
周囲の士官たちが笑い声を上げる中、望遠鏡を覗き込んでいたレッケンバルム大佐は渋い顔をしてエティー大尉に望遠鏡を押し付けた。
彼女は直ぐに表情を引き締め、望遠鏡を覗き込むと舌打ちをした。
「糞っ。敵はまだ生きているっ」
その言葉に士官たちは慌てて望遠鏡でかなり先に行ってしまった騎兵連隊の様子を見る。
敵の騎兵は左右に分かれながら反転し、騎兵連隊を包囲しようとしていた。敵に追われながら反転し、部隊を左右に分けて逆に敵を取り囲むというのは言うほど簡単にできるものではない。見事な騎兵機動だと士官たちは感嘆した。
「連隊っ。行軍止めっ。直ちにクロス卿に前線の様子をお伝えしろ」
エティー大尉が矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「敵が退却したのはこちらを陣から釣り出す目的だったようだな」
バレッドール准将は口髭を撫でつけながら独り言のように呟く。
「そして、それに成功したわけだ」
今から陣地に戻ることはできない。既に前に出過ぎている。安全な陣に入る前に敵騎兵に捕捉されるだろう。
後方からすぐにレオポルドとキスカが馬を駆けさせて来た。
「ご覧のとおりの状況です」
准将に言われ、レオポルドは苦笑いを浮かべた。
「あのまま陣に留まっているべきだったかな」
「そうしていたならば敵を取り逃がしたでしょう」
レオポルドが少し後悔するように言うとキスカが言った。
「この場で迎え撃ち、更に打撃を与える好機です」
キスカの強気な発言に士官たちは顔を見合わす。
「君の言う通りだな」
レオポルドはそう言うとバレッドール准将を見た。
「方陣を」
「はっ。方陣を組ませろ」
准将が命じると士官や下士官たちがそれぞれの配下の兵に指示を飛ばした。
軍楽隊の太鼓がドロドロと鳴らされる中、二列横隊だった歩兵が陣形を組み替える。レオポルドたち士官と近衛中隊を取り囲むように四角形の方陣が組まれる。一列目は片膝を突き、後列は立ったまま銃剣付のマスケット銃を構える。兵と兵は肩を触れ合わせるくらいぴったりと寄せ合い、銃剣を突き出す。
歩兵連隊が方陣を組んでいる間に、騎兵連隊は包み込むように襲い掛かってくる敵騎兵を相手に奮闘していたが耐え切れずに反転退却を始めた。
騎兵連隊は歩兵連隊の方陣の左右を素通りし、自陣に戻っていく。
馬を失った騎兵が方陣の中に入れてくれ。と懇願したが、歩兵は頑として動かない。
「自陣に走っていけっ。そこにいると邪魔だっ。さっさと退かんと撃ち殺すぞっ」
士官が容赦なく怒鳴り散らすと馬を失くした兵は必死に自陣に向かって走って行った。その背に矢が突き刺さり、彼は倒れ込み、二度と起き上がることはなかった。
短弓を持った弓騎兵が五〇〇騎ばかり駆け寄ってくると、次々に矢を放っていく。方陣に矢の雨が降り注ぎ、矢に当たった兵が悲鳴を上げながらバタバタと倒れていく。
「臆するなっ。来るぞっ。構えぇっ」
矢を放った弓騎兵が左右に退くと煌めく半月刀を振りかざした真っ黒な騎兵の一群が突進してきた。レイナルの親衛隊だ。一〇〇〇騎もの騎兵が南から突進してくる。敵は方陣の南の辺に精鋭をぶつけてきた。
「総員っ。撃てぇっ」
士官が怒鳴ると同時に数百の発砲音鳴り響いた。歩兵の前に白煙が現れる。
人馬の悲鳴が沸き上がる。血の泡を吹きながら馬が倒れ込み、血飛沫を上げながら黒衣の兵が落馬していく。
それでも数百騎が鉛玉の雨を潜り抜けた。そのうちの何割かはずらりと並べられた銃剣に臆して、手綱を引いて衝突を避けた。残りはそのままぶつかってきた。
「来るぞっ。突けぇっ」
士官が怒声を上げる。
瞬間。
人馬の塊が歩兵連隊が組んだ方陣の南面に衝突した。突き出された銃剣が馬体に食い込み、突き刺さる。血が吹き出してマスケット銃を握る手まで真っ赤に濡れる。馬体がそのまま崩れ込んできて歩兵が悲鳴を上げながら下敷きにされる。
「突けっ。突くのだっ。敵を追い返せっ」
半月刀を振りかざして踊りかかってくる敵兵に一斉に銃剣を突き出して血祭に挙げていく。
「陣形を維持せよっ。死んでも持ち場を離れるなっ」
士官たちは怒鳴りながらピストルで敵を撃ち殺し、サーベルで戦列を越えてくる敵兵を斬り殺す。
他の面にも敵が殺到していたが、その突撃は一斉射撃とずらりと並んだ銃剣の槍衾によって尽く阻まれていた。
前面の騎兵が尽く倒れ伏すか退くと兵たちは素早く再装填を行い、再度の襲撃に備えた。
クラトゥン族軍の騎兵は四方八方から幾度も方陣に挑みかかってきたが、その度に一斉射撃を食らわされた。この反撃を前にして戦意に乏しい騎兵はすぐに反転して退却してしまう。それでも突撃を断行した騎兵は銃剣の餌食となり、どうにか戦列を越えて方陣の中に入り込んだ兵にはレオポルド直属の近衛中隊が一斉に襲いかかり、多くは数秒もしないうちに斬り捨てられていった。少しは健闘した者もいないではなかったが、結局は一人残らず討ち取られていった。
四半時もしないうちに方陣の周囲は屍で埋め尽くされた。
クラトゥン族軍の騎兵たちは味方の死傷者を足蹴にすることに躊躇などしなかったが、あまりにも多くの人馬が転がっている為、速力を維持して突撃していくことが困難になっていった。味方の屍に脚を取られて転倒する騎兵も続出する有様であった。
そこへ再びアルトゥール率いる騎兵連隊が向かってきた。歩兵連隊が敵を引き付け、殺し合っている間に部隊を再編制し、敵が弱る頃合を待っていたようだ。
数度の攻撃に失敗し、疲労困憊していたクラトゥン族軍は、もはや、騎兵連隊の突撃に耐えられる状態ではなかった。
敵勢は今度こそ潰走し、てんでばらばらの方向に逃げ散っていった。騎兵連隊は逃げる敵を好きなように追いつめ、その背をサーベルで斬りつけ、ピストルを撃ちこんでいく。
「連中、いつもいい所ばかり掻っ攫っていくな」
顔面に浴びた返り血を軍服の袖で拭いながらエティー大尉が不満げに呟いた。その手にあるサーベルは真っ赤に濡れている。
「いつものことだろ」
バレッドール准将はそう言ってから、兵たちを見回して叫んだ。
「諸君っ。我々の勝利だぞっ」
准将の勝利宣言に将兵は喜色を浮かべ、武器を掲げながら勝鬨を挙げた。