七二 「地獄の入り口」の戦い~中
同盟軍の砲兵隊は休みなく砲撃を続けている。
直撃を受けた頭部が高いところから地面に落とした西瓜のように弾け飛び、四肢はバラバラに吹き飛び、肉片や血飛沫が舞い上がる。その度に悲鳴と怒声、呻き声が上がる。
とはいえ、この時代の大砲によって撃ち出されるのは着弾の際に爆発する榴弾ではなく、単なる鉄の塊に過ぎない。死傷するのは直撃を受けた者とその破片を受けた周囲の者程度で、人的被害はその派手さほど大きいものではない。
ちなみに、爆発性を持つ砲弾もなくはないが、不発や暴発が多く、信頼性に欠ける為、広く用いられてはいない。かなり熟練した専門的な砲兵でなければ扱えない代物である。
とはいえ、被害が大きかろうが少なかろうが遠くから一方的に攻撃を受け続けることに変わりはない。一方的に砲撃を受けることは兵の士気などに大きな悪影響を及ぼす。砲撃を受けることに慣れていない軍隊は砲撃を受ければじっとその場に留まっていることなどできるはずもない。
ムールドの王レイナル率いるクラトゥン族軍は先の攻撃で敗退したパレテイ族他の部隊を収容すると休まず次の部隊を繰り出した。
前進を始めたのは五〇〇〇騎ほどの騎兵である。一挙に数を押し出し数の力で押し潰そうという思惑なのだろうか。
五〇〇〇騎もの騎兵は南部諸部族の混成部隊であるが、その中核とみられる一〇〇〇騎の集団があった。
「何だあの黒い装束の連中は」
望遠鏡で敵の動きを見ていたバレッドール准将が訝しげに言った。
「何とも……不気味な連中ですな」
傍らの副官が不快そうに言った。西方教会信徒にとって全身を黒色の装束に身を包んだ一〇〇〇騎もの集団は不気味そのものであった。というのも、西方教会では黒は悪魔の色であり、忌避され、嫌悪されるべき色であると広く教えられているからだ。
「頭の先から足の先まで黒一色ではないか。顔まで黒い布で覆っておる」
准将は望遠鏡を下ろしてから呆れた様子で言った。
「暑くないのか」
黒は光を集め、他の色よりも熱く感じられるということが西方大陸では広く知られていた。
当然、暑い地域に住むムールド人にとっても常識であるはずだ。
「こんな暑い地域であのような黒一色の衣服を纏うなど狂気の沙汰だな」
准将が呆れているとカルマン族のムールド人士官が言った。
「彼らはレイナルの親衛隊だそうです」
黒ずくめの集団の正体を知っているのは帝国語を話せない北東六部族の兵で、彼の話す内容を帝国語を解する士官が訳していた。
「親衛隊だと」
「はい。孤児や親兄弟のいない一人者を集めた精鋭だそうです。レイナル個人に対する忠誠心が非常に厚く、命令とあれば決死の突撃でも玉砕でも行うとのことです」
「何にせよ厄介な敵だということだな」
准将は苦々しげな顔をして鼻を鳴らした。
「敵が何であれ我々がやることは同じだ。敵を十分に引き付けマスケット銃で撃ち殺すのだ。一〇〇年も昔の戦い方をする連中に負けることなど許されんぞ。後世の歴史書に酷い書かれ方をされては堪らん」
確かに大軍相手とはいえ、最新の火器を装備し、大砲まで備えた軍隊が前近代的なマッチロック式のマスケット銃さえ殆ど持っていない蛮族の軍勢相手に敗れたとなれば、後世の歴史書でかなりの低評価をされることは容易く予想できる。
バレッドール准将が遠い未来の心配をしている間にもクラトゥン族の第二波は砲弾で数騎ずつ吹き飛ばされながら三〇〇ヤードの距離まで近付いていた。
「第一列、構えぇっ」
号令に従い第一列の兵がマスケット銃を構える。
「よく狙うのだぞ。外せば貴様が殺されるのだぞ。しっかりと狙え」
抜き身のサーベルを肩に担いだ下士官が戦列の後ろをぶらぶらと歩きながら兵たちに語りかける。
とはいえ、敵は五〇〇〇もの人馬が密集して向かってくるのだ。何もない空や地面に向かって撃ったりするような間抜けをしでかさなければ、何かには当たるだろう。
五〇〇〇騎ものムールド騎兵は硝煙と血の臭いが漂う中、一直線に馬を走らせる。前方には先に攻撃を仕掛けた自軍の兵馬の屍や負傷者が転がっているが、迷うことなく突撃を敢行する。
バレッドール准将が、そろそろ発砲を命じる頃合か。と考え始めた矢先、クラトゥン族軍の第一列の騎兵数百騎が一斉に短弓を構え、素早く矢を放った。数百もの矢が雨霰と同盟軍の陣地に降り注ぐ。矢を放った騎兵は素早く左右に分かれて後続に道を譲る。後続は黒ずくめの親衛隊を先頭に突進してくる。
同盟軍陣地では矢に貫かれた兵が悲鳴を上げながらバタバタと倒れ込んでいく。拍子に何発かの銃弾が見当違いの方向に放たれたが他の兵は辛抱強く命令を待った。
「クソッタレめっ。死傷者を下げろっ。敵が来るぞっ。第一列、撃てぇっ」
第二列の兵が死傷者を後方へ引き摺っていく中、第一列の無事だった兵が一斉にマスケット銃の引き金を引いた。連続した発砲音が鳴り響き、白煙が立ち込める。
再び多くの騎兵が落馬し、馬が悲鳴を上げながら転倒する。かなりの死傷者を出しながらも、レイナルの親衛隊は怯むことなく向かってくる。さすがは精鋭といわれるだけある。
「第二列っ。撃てっ」
同盟軍が再び一斉射撃を食らわせると更に一〇〇騎以上のムールド騎兵が鉛玉に貫かれて倒れていった。
クラトゥン族軍は大きな犠牲を出し、仲間の屍を踏み越えながら突き進み、先頭は空濠まで辿り着いていた。
しかし、空濠を馬で飛び越えても、或いは馬ごと空濠に入っても、その先には馬防柵が聳えている。高さは三ヤードといったものだが、空濠の深さが二ヤードある為、どんな名馬であろうとも、これを飛び越えることはできないだろう。丸太の間隔は半ヤードしかなく、人は通れても馬で通り抜けることは不可能だ。
ムールド騎兵たちは次々と空濠に馬を乗り入れ、或いは空濠を飛び越えさせていく。そうするしかないのだ。その過程で突撃の勢いは殆ど殺されてしまっている。
しかも、空濠を越えても、馬防柵が騎兵たちの進路を阻む。憎き敵どもはその向こうに控え、銃剣を揃えて待ち受けている。
「第一列は銃剣を構えよっ。敵に馬防柵を越えさせるなっ。第二列は各自発砲せよっ」
バレッドール准将がピストルで敵を撃ちながら指示を飛ばす。
准将の指示通り第一列の兵たちは銃剣を装備したマスケット銃をパイクのように構えて、馬防柵に取りつく敵を、下馬して馬防柵の隙間を通り抜けてきた敵を突いていく。横列に並んだ銃剣の槍衾の前に次々とムールド兵が倒されていく。
第二列の兵はまだ下馬していない騎兵に狙いを絞って、次々と撃ち落とす。発砲の後は直ちに再装填に移る。
時折、空から矢が降ってきて幾人かが矢に貫かれると、すかさず他の兵が後方へ引き摺っていった。
四半刻も経たぬうちに馬防柵の前には人馬の屍が堆く積み重なった。流れ出た血は滝のように空濠の底に流れていく。その底にも人馬の死体が重なり合っている。
レオポルドの戦略は敵の攻撃路を限定させ、その部分にしっかりとした野戦陣地を築き、敵を消耗させるというものであった。いわば、この戦いは野戦であって野戦ではない。野戦の中に籠城戦を取り入れたものといっていい。敵方は野戦でありながら、ちょっとした砦を攻略するような戦い方を強いられる。
戦列のほぼ全面において敵の攻撃を阻み、大きな打撃を与えている。唯一、同盟軍側が押されている局面があった。中央部の出入り口付近である。これは同盟軍の兵馬や物資を行き来させる為に設けられているもので、その部分だけは馬防柵と空濠が途切れているのだ。
レオポルドやバレッドール准将らもここが弱点であることは認識しており、土嚢を積み上げ、より厚く兵を配置していた。パイクを装備した兵も置き、突破されたときのことも考え、背後には騎兵連隊が控えている。
クラトゥン族の騎兵たちも空濠、馬防柵を攻略するのが難しいと悟ると、兵を出入り口付近に集中させ始めた。何度も騎兵突撃を繰り返し、矢の雨を浴びせる。
既に敵軍は土嚢のすぐ傍に迫っている状況で、なんとか押し並べたパイクで突撃を阻み、マスケット銃で狙撃して、敵を押し止めている状況だった。
「なんとしても敵を突破させるなっ。戦列を破られれば破滅だぞっ」
中央に陣取ったバレッドール准将が兵を叱咤する。
戦列歩兵の戦闘では先に戦列を破られた方が負け。という概念が強かった。実際、戦列が破れ、列の後ろ側に敵が入り込んでいる状態で普段通りの行動を続けられる兵など殆どいない。いつ何時、背後から敵に襲われるかわからないというのでは兵は浮き足立ち、統率は取れなくなる。戦列の崩壊は破滅そのものである。故に指揮官たちは自軍の戦列が破れないことに全力を注ぐ。
しかし、この戦列を維持するのは既に限界が来ている様子だった。いつ、敵の騎兵が土嚢を乗り越え、歩兵を蹂躙しはじめてもおかしくない。
「アルバートっ。歩兵を退かせろっ。騎兵で押し返すっ」
突然、普段呼ばれない名を呼ばれたアルバート・バレッドール准将は顔を顰めて振り返る。
「このままでは戦列が破られるぞ。騎兵を投入するしかないだろ」
准将の傍に馬を駆けさせて来たアルトゥールはそう言って口端を吊り上げた。背後には騎兵連隊七〇〇余騎が続いている。
歩兵連隊が数時間に渡って奮闘している後ろでアルトゥールと騎兵連隊はずっと待機を強いられていたのだ。もう我慢も限界といったところなのだろう。
「勝手なことをされては困るっ。騎兵を押し出しては一斉射撃ができんっ。砲も使えなくなるっ」
騎兵が歩兵戦列の前に出てしまったならば、当然、歩兵や砲兵は発砲ができなくなる。味方を誤射するわけにはいかないのだ。敵味方の騎兵が入り乱れる乱戦の中で敵の騎兵だけを見分けて狙撃するなんて命中力をマスケット銃に期待してはいけない。
「そうは言っても、このままじゃ戦列が破れちまうぜ」
アルトゥールの言に准将は歯噛みする。
そこへキスカが馬を駆けさせて来た。
「何故、騎兵を動かしたっ。軍令違反だぞっ」
キスカは荒い息を吐きながら真っ赤な顔でアルトゥールを怒鳴りつける。
キスカが控えていた同盟軍本陣は騎兵連隊の背後にある。目の前で騎兵が動き出せば何事かと思うのは当然であろう。
「軍令だか何だか知らんが、このままじゃ戦列が破れちまうぞ。見てみろ」
アルトゥールの言葉にキスカは憤怒の表情で歯軋りしつつ、前線の状況に視線を飛ばす。
「このままじゃ俺たちは地獄の底に真っ逆さまだぞ。騎兵で敵を押し返すしかないだろ。俺はこんなとこで死にたかねぇな」
レオポルドの忠実な副官は大きく深呼吸をした後、アルトゥールを睨みつける。
「騎兵を動かす時期はレオポルド様がお決めになります。貴殿はその命令を黙って遂行すればよいのです」
キスカは努めて冷静に、しかし、厳しい口調で言い放つ。
「何、悠長なこと言ってんだ。あの優柔不断な坊ちゃんに任せといたら、俺たちは全滅だぞ」
「貴様っ。レオポルド様を愚弄する気かっ」
「キスカっ。待てっ」
キスカが歯を剥いて腰の半月刀に手をかけた瞬間、レオポルドの声が掛かった。
「レオポルド様っ。こちらは危険ですっ。私が様子を見に行くのでお待ち下さい。と申し上げたではありませんか」
「君に任せておいたら味方に死人が出そうだったからな」
馬を駆けさせて来たレオポルドはそう言ってから前線を見た。
「アルトゥール殿。見ての通り我が軍の戦列は崩壊寸前です。騎兵連隊でもって敵を押し返して頂きたい」
レオポルドの言葉にアルトゥールは満足げに笑った。
「准将っ。中央の兵を」
「騎兵突撃だっ。一斉射撃の後、兵は中央から退けっ。急げっ」
レオポルドの指示を受けた准将が怒鳴ると中央の歩兵たちが慌ただしく動き出す。マスケット銃を構えた兵が一斉射撃を食らわせ、一瞬、間近まで迫っていた敵を排除すると慌てて左右に走って行く。
「ラッパ手っ。突撃ラッパだっ」
アルトゥールはそう叫ぶと馬腹に蹴りを食らわせた。サーベルを抜き放ち、兵たちに向かって怒鳴る。
「俺に続けっ。一気に敵を押し返すぞっ」
狂ったように突撃ラッパが鳴り響き、七〇〇余騎の騎兵が地響きを鳴らしながら突進していく。細長い陣形を保ったまま、土嚢を飛び越え、向かってきた敵騎兵に襲い掛かる。
同盟軍騎兵の先頭を進むのは一〇〇騎の帝国人騎兵から成る中隊である。鈍い鉄色の兜と胸甲をしている。これは銃弾から身を守る為ではなく(銃弾は鎧兜を容易に貫通する)、白兵戦での防御の為である。この胸甲により彼らは白兵戦においては敵よりも優位に立つことができる。手にするは分厚い刃のサーベルとピストルである。
まず、一斉にピストルの一斉射撃を食らわせ、相手の機先を制した後、サーベルに持ち替える。帝国製のサーベルはムールドで作られた多くの半月刀よりも質が良く、激しく打ち合えば半月刀を折るほどの強度を持っている。前に突き出したまま突進し、その勢いで敵の人馬を貫く。
また、帝国の馬はムールドの馬よりも体躯が大きかった。持久力など長い間、走る能力や小回りの利きやすさなどではムールド馬の方が優位であるが、突進力となると体が大きく力も強い帝国の馬の方が圧倒的である。
帝国人胸甲騎兵に馬体ごとぶつけられたムールドの軽騎兵は馬ごと転倒する。半月刀の一撃は胸甲に弾かれ、代わりに敵のサーベルが深々と己の胸に刺さっている。或いは馬首を斬りつけられ、馬が嘶きながら倒れ込む。地に伏したが最期。後続の数百もの騎兵の突撃に踏み殺される。
クラトゥン族の軽騎兵は帝国人胸甲騎兵を先頭にした同盟軍騎兵連隊の突撃を阻むことができず、完全に押し返される形になった。
一時間近くに渡って先頭に立った戦ってきたレイナルの親衛隊が同盟軍騎兵の突撃によって止めを刺され、壊滅的な状態に陥ると他の部族の騎兵たちは算を乱して潰走し始めた。