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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第五章 塩、玉、絹
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六七 塩の町

 塩の町はムールド人の町としては珍しく城壁に囲まれた町だった。城壁に適した大きさの石が手に入り難いのか日干し煉瓦を積み上げた城壁である。形は円形で、町を丸ごとすっぽり取り囲んでいる。城壁の北側には巨大な穴があり、その周囲に小屋や建物がいくつも立ち並んでいた。

 キスカ曰くにはあの穴がこの町を潤す岩塩を掘り出す塩鉱なのだという。周囲の建物や小屋は岩塩の倉庫や加工の工場だろう。掘り出した岩塩には不純物が多く含まれている為、そのまま削って使うというわけにはいかず、一度水に溶かして不純物を取り除いてから、乾燥させ、食用の塩にするのだという。

 町に到着したクロス卿派軍は城壁の傍にいくつもの天幕、陣幕を張った。多くの将兵はここに宿営することになる。

 町を支配するサルザン族が軍隊の入城を拒んだからだ。理由は住民に恐怖感を与え、いらぬトラブルを招く危険性があるという尤もなものであった。

 キスカはこれに憤慨し、サルザン族はレオポルドを誘い込んで暗殺する気なのではないか。と疑念を募らせていたが、基本的には仁義を重んじるムールド人であるから、そのような卑怯な真似はするまいとレオポルドは彼らを信じることにした。そもそも、彼らとレオポルドたちは相互に利益を与え合う取引を行ったばかりなのだ。レオポルドに危害を与えても彼らには大した利益はないように思える。

 そういうわけで、町の中にはレオポルド、キスカ、ソフィーネ、軍勢を率いるバレッドール准将とレッケンバルム大佐、荷駄隊を統括するルゲイラ兵站監と何人かの士官、護衛としてムールド人戦士のうち武勇に優れた者を数名。合わせて十数名が入ることとなった。

 アルトゥールは以前に北東八部族と戦った遺恨がある為、入城を拒否された。

 なお、今回の行軍にジルドレッド一族は参加していない。今回、彼らはモニスの守備に当たることとされていた。フィオリアとアイラ、エリーザベトらも留守番である。

 レオポルドら一行が塩の町に入ると、町の有力者たちが彼らを出迎えた。比較的友好的な表情を浮かべ、ムールド語で何事か言った。レオポルドら帝国人たちはムールド語をいくらか勉学はしているが、まだ完璧ではない。その為、キスカが通訳を務めた。

「我々の来訪を歓迎しています。長旅御苦労と」

「我々を受け入れて頂き感謝します。合わせて、この度の取引が上々に成り立ったことを嬉しく思う。と返答してくれ」

 レオポルドの言葉をキスカが通訳すと、サルザン族の有力者は更に口上を述べた。

「我々を客人として丁重に扱う。部族の誇りにかけて我々に危害は加えず、保護する。と言っています。歓迎の祝宴を執り行いたいので、是非、参加願いたい。とのことですが」

「謹んで参加させて頂く」

 レオポルドの返答をキスカが通訳するとサルザン族の面々は満足そうに頷いて、レオポルドたちを導くように町の中心部に向かって歩き出した。

 数人の士官たちはこのまま付いて行って大丈夫か。と、疑わしげな表情を浮かべたが、レオポルドは素知らぬ顔で歩き出した。キスカもそれに従い、他の面々も黙ってそれに続く。

 町の中に住民の姿はない。殆ど家々の中に閉じ籠っているようだ。代わりに武装した戦士の姿がちらほらと見える。

 どうやら、自分たちは警戒されているのか、嫌われているのか、とにかく、好意的には思われていないらしい。利用価値があるから、関係を持っているだけで、本来はあまり関わり合いたくない相手なのだろう。


 レオポルドたちが通されたのは町の中心部にある族長の屋敷であった。宴席の場は屋敷の大広間に設けられ、ここではサルザン族の族長に出迎えられた。

 族長は三十代後半くらいの、年功序列社会であるムールド人にしては若い方の男だった。大柄でしっかりとした体つき、四角い顔に豊かな黒髭を蓄えている。

 レオポルドたち一行とサルザン族の有力者たちは料理を挟んで向かい合って座った。全員に山羊の乳酒が振る舞われ、この酒が苦手なレオポルドは密かに渋い顔をした。酒は葡萄酒以外飲むことが許されない修道女であるソフィーネもしかめ面をする。

 族長が杯を掲げてムールド語で何事か言うと、サルザン族の有力者たちが一斉に杯を手に取った。

「今回の取引の成立と互いの健勝を祝って乾杯をしようということのようです」

 キスカが通訳すると、帝国人士官たちが顔を見合わせる。

「それは、大丈夫なのか」

 バレッドール准将が杯に注がれた乳白色の山羊乳酒を見つめながら呟くように言った。

 この酒に毒でも入っていようものならば、クロス卿派は大打撃を受けることになる。

「先程、振る舞われたときは、相手方もこちらも同じ壺から酒を注いでいましたから酒自体に危害はないのではないかと思われます」

「しかし、事前に杯に毒が塗られているかもしれません」

 ルゲイラ兵站監が言うと、レッケンバルム大佐の副官エティー大尉が険しい表情で言う。

 レオポルドたちが逡巡しているのを見て、サルザン族の面々はやや不機嫌そうな表情を浮かべていた。ムールド人にとっては山羊乳酒を飲み交わすのは相手を信じるという重要な意味合いを持つという。レオポルドたちもそれを理解しているだけに、無碍に断ることもできない。

「彼らが我々を暗殺したところで、彼らにとって得などないのだ。サルザン族を信じよう」

 レオポルドはきっぱりと言って杯を掴む。続いてキスカが杯を持ち、バレッドール准将以下も渋々と杯を手に取った。

 サルザン族の族長が杯を掲げ、ムールド語で「乾杯」を意味する言葉を述べた後、杯に口を付けた。サルザン族の面々も続く。

 彼らが酒を飲み干している間に、キスカは素早くレオポルドの杯を奪い取って中身を全部飲み干し、空の杯をレオポルドの手に押し付けた。

 レオポルドが唖然としている間に、何事もなかったかのように自分の分の山羊乳酒を飲む。

 バレッドール准将たちはキスカの動きに勘付いたが、何事も言わず、黙って自分の杯を空にした。ソフィーネだけは軽く唇を濡らした程度だった。

 その後は羊の焼肉や平焼きのパン、干し果実などの料理が供された。これは一つの皿から自由にそれぞれが取り合う形であり、サルザン族の誰もが口にしていることから、毒などの危険性はないと考え、帝国人たちも失礼にならない程度に取って食べた。

 食事の合間にサルザン族の有力者、キスカ曰くには族長の従兄だという男がレオポルドに向かってムールド語で話しかけてきた。

「東岸まで軍勢を率いて行って何を為そうというのか。と仰っています」

 キスカが通訳すると、レオポルドは渋い表情になった。

 どうやら、サルザン族はレオポルドの思惑については知らないようだ。レオポルドたちが彼らの支配地域を通りたいことは理解しているようだが、何をしに東へ行きたいのかについてはさほど興味がないらしい。今の問いも個人的な好奇心から出た問いのようだ。

 ここで彼らに対して正直に思惑を述べてよいものか。かといって、無用な嘘を言ってもしょうがない。この場を乗り切る為に吐いた嘘が、後々の自分の言動と齟齬が生じてしまう危険性がある。後に嘘だと判明するのは非常にまずい。彼らとの付き合いはこれで終わりではないのだ。帰りもここを通らなければならないのだから、できるだけ友好的な関係を築いておく必要がある。

「スラクのキンケル子爵令嬢ユリア嬢に面会する必要がありまして」

 仕方なく、レオポルドは嘘ではないが、目的の大部分を隠した回答を述べた。

 キスカが通訳すると、族長の従兄は下卑た笑みを浮かべながら何事か呟くように言い、サルザン族の面々が一様に笑い声を上げた。

「今、なんと言ったのだ」

 レオポルドが問うと、キスカは呆れたような醒めたような顔で言った。

「あの豚女か。と言っていました」

「豚女。どういうことだ」

「聞きますか」

「……そうしてくれ」

 キスカが尋ねたところ、サルザン族の有力者たちは機嫌よさげに答えた。

 曰くには、キンケル子爵の一人娘ユリア嬢は大変食に拘りのある娘さんであるようで、日がな、珍しい食材、美味しい食材を求めることに夢中なのだという。

 父親が倒れ、叔父を子爵位に就けようという動きがあっても食への熱中は変わらず、一日に大人三人分の食事を平らげてしまうらしい。それだけ食えば、当然のことながら体重、体格が大きくなるのは当然というもので、まだ十代半ばだというのに、体重は並の大人以上という人物だそうだ。家の大事だというのに食への異常な拘りしか見せないその様子と肥え過ぎた体格から豚女と嘲笑され、近隣で広く噂されているという。

 キスカが通訳した話を聞いたレオポルドは苦笑に近い硬い表情をして、キスカを見つめ、その後、バレッドール准将らに視線を向ける。

 レオポルドとユリア嬢の間で婚姻を結んでキンケル子爵位の相続権を獲得し、スラクの町を巡る内紛に介入するというのがレオポルドたちの思惑であることはクロス卿派の幹部たちには周知されていた。

 そして、帝国でも南部でも太った、体重の重すぎる人間はお世辞にも美しいとは思われていない。

 そんな女と婚約しなければならないレオポルドから、バレッドール准将たちは視線を逸らした。


 サルザン族との宴の後、レオポルドたちは塩の町から出て、城外に設けられている陣営に戻った。寝首を掻かれては堪らないし、サルザン族も余所者を町の中に置いておきたくないだろう。

「しかし、あの酒には参りました。飲まないわけにはいかない雰囲気でしたからね」

 城門を通りながらソフィーネがぼやくように言った。

「君は修道院を出たんだから、もう修道女じゃないんじゃないか」

 レオポルドが今更ながらそう言うと、ソフィーネはしかめ面をして言い返す。

「誰のせいで修道院を出る羽目になったと思っているんですか」

「あれは君を助ける為だっただろ」

「……まぁ、それはともかく、今の私は遍歴の修道女なのです。一応、まだ祈りの道を歩んでいるのです」

 彼女の答えにレオポルドは呆れる。その腰の十字剣で一体何人殺したというのか。

「異教徒を誅殺することは祈りの道に反しません」

 視線から彼の考えを読み取ったのか、ソフィーネはきっぱりと言い切った。

 確かに教会騎士団や教会軍という教会の下の軍事組織があるくらいなのだから、異端や異教徒を殺すことを神は許しているのかもしれない。

「で、貴方、婚約の件は如何するつもりなんですか。まさか、相手が豚、おっと失礼。少々肥えた娘だからといって撤回するなんてことはないでしょうね。貴方の目的は美しい娘を手籠めにすることではなく、スラクの町の支配権を得ることなのですから。その為には妻の美醜など関係ないでしょう」

 ソフィーネが嗜虐的な笑みを浮かべながら言い、レオポルドは渋い顔になる。

「勿論だとも」

 そうは言うが、レオポルドの表情は暗かった。

 しかし、容姿はともかくとしても、家の大事だというのに食への情熱しか持ち合わせない女と結婚などできるのだろうか。というか、それ以前にこちらが取引を持ちかけても乗ってくるのだろうか。サルザン族から聞いた噂によれば、相当愚鈍な女だというが。

 レオポルドが渋い顔をしながら陣営に戻るとルゲイラ兵站監を補佐しているライマン少佐がレオポルドの下に駆け寄ってきた。

「先程、レンターケット殿からの使者が参りまして、これを」

 そう言って小さな紙切れのような手紙を手渡す。レンターケットはレオポルドたちに先んじて情報収集と交渉の為に、スラクに向かっているのだ。もうスラクに到着したくらいかもしれない。

「ところで、何故、アルトゥール殿ではなく、貴殿がこれを」

 レオポルドたちが留守中の陣営の責任者はアルトゥールのはずだ。ライマン少佐は次席である。

「アルトゥール様は、数騎を伴って散歩に行かれました。御止めはしたのですが……」

 申し訳なさそうなライマン少佐の言葉に、レオポルドは額に手を当てる。頭痛がした。

 とにかく、レンターケットからの手紙を見ようと、紙切れを開く。中身の文面に視線を走らせ、彼の表情は一際硬いものとなった。

 背後に並んでいたキスカやソフィーネ、他の面々を見つめてレオポルドは口を開く。

「ユリア嬢が死んだらしい」

 突然の知らせに、一同は唖然とする。まだ若く、健康と思われていた娘が突然死ぬのはどういうことか。まず、思いつくのは暗殺など、敵対者からの攻撃だ。

「叔父から攻撃を受けたのでしょうか」

「いや、違うらしい」

 キスカが尋ねると、文面を読みながらレオポルドが答える。

「食中毒だそうだ」

 一同は納得したような、呆れたような表情を浮かべて黙り込んだ。

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