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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第五章 塩、玉、絹
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六六 東岸

 季節は秋に入ったとはいえ、帝国南部でも更に南に位置するムールドの荒野の日中は未だに非常に暑かった。

 雲の一つや風の一吹きでもあれば、まだ暑さも和らぐというものだが、頭上には雲一つない真っ青な空が広がるばかりで、髪の毛一本揺らす風すらない。

 じりじりと肌を焼くような日差しの中、五〇〇騎から成る軍勢が真東に向かって歩を進めていた。

 馬に跨った兵たちはだるような暑さの中、しきりと吹き出す汗を拭いながら馬を進める。鎧兜を脱いでもよいとの許しが出ているだけ、まだマシというものだった。許しがなければ既に何人か脱落していてもおかしくない。

 騎兵の隊列の後には同数程度の駱駝の行列が続いていた。その数百もの背には武器弾薬、一ヶ月程度は優に賄える糧秣。革袋に収められた水と酒が山と積まれている。更に一〇〇頭もの羊の群れ。その駱駝と羊を世話する人夫が二〇〇名余。

 五〇〇の騎兵。五〇〇の駱駝。一〇〇の羊。二〇〇の人夫から成る軍勢はアリのように長い行列を組んで荒野を東へと進んでいく。

 その列の先頭近く。一際鮮やかな青絹の衣を纏ったレオポルドが傍らのキスカを見て言った。

「モニスを発ってもう一週間以上になるが、まだその塩の町には着かないのか」

 彼らが目指す塩の町はムールドの北東部にある。その名の通り、豊富な塩を産出する地である。南部で流通する塩の多くはこの町から産出されたものだという。

 北東部では通称北東八部族と呼ばれる諸部族が連合を組んで、ムールドの大半を支配下に収めるクラトゥン族に対抗していた。彼らは帝国とその名代であるサーザンエンド辺境伯に対して恭順したことはなく、幾度となく争った過去を持つ。

 クロス卿派の軍勢は三日前、この地域に足を踏み入れ、今はその中心部にある塩の町に向かって行軍を続けていた。

「この行軍速度ですと、あと二日といったところでしょうか」

 その言葉に兵たちと同様に暑さに参っていたレオポルドはうんざりとした顔で彼女を睨む。睨まれたキスカは微かに顔を顰めてから、馬を寄せてきた。

「あ、あの、町に着きましても、我々に与えられる宿舎がどのようなものかわかりません」

「それほど大きな町ではないのだろう」

「ええ、人口は三〇〇〇程度と聞いています。それでも、この辺りでは大きな町なのですが」

「では、仕方あるまい。最悪、テントに入れられることとなっても止むを得まい」

「ですから、その、恐らくは、私とレオポルド様は同じ部屋になるとは思われますが、テントでは声などが外に漏れますし、事の後に体を清めるのも難しく……」

 キスカが顔を赤くして、もごもごとそう言うのを聞いて、レオポルドは彼女が言わんとすることを理解した。その瞬間に、彼も彼女と同じように顔を真っ赤にして、思わず声を荒げた。

「なっ。君は何を言ってるんだっ。俺は、別に、そういうことの話をしているわけじゃないっ」

「あ、いえ、その、モニスを出てから、ねやを共にできておりませんので、ご不満なのかと……」

「そんなわけがあるかっ。俺は、ただ、この糞暑い中を、まだ二日も行かねばならんのが不満なのだっ」

「そう、ですか……。モニスでは、毎夜、為されていたので……。それに年頃の殿方は毎夜でも致したいものだと聞いておりましたので……」

 キスカは真っ赤に染めた顔を俯かせ、彼女にしては珍しく口数多く言い訳じみたことをぼそぼそと述べた。

 要するに彼女はレオポルドが欲求不満なのではないかと早とちりしたらしい。

 確かに行軍中はテントでの寝起きを余儀なくされ、警備の関係などもあって、常に身近に兵が付いている環境であった。当然、そういうことができる状況ではない。

「確かに、男というものは、そういう欲求、衝動に晒されるものではある。しかし、数日、数週間程度、我慢することはそれほど難しいことではない」

「そうですか。でも……」

 そう言って、キスカはレオポルドをじっと見つめ、一際、抑えた声で囁くように言った。

「私はあまり我慢できません」

 彼女の告白に、レオポルドは言葉を失う。

「炎天下だというのに、お熱いことですね」

 新婚の二人が真っ赤な顔で見つめ合っていると、真後ろから冷かすような棘のある声が聞こえて、二人は思わず体を震わせてから、振り向いた。

「神が聞いたら、卒倒しそうなお話をなさってましたね」

 白い修道服を身に纏ったソフィーネが冷え冷えとした視線を二人に向けていた。彼女も従軍司祭的な立場で軍勢に加わっているのだ。

 二人は気まずい気分で彼女から視線を外して、黙って前を向く。

「ところで、サルザン族とレイクフューラー辺境伯の取引は上手くいったんでしょうかね」

 サルザン族は北東八部族のうちの一つで塩の町を支配する部族である。八部族の中では唯一定住生活を営む部族である。

「レンターケットから来た手紙によれば閣下は速やかに一〇〇〇挺のマスケット銃を送る準備ができているそうだ。レウォント地方の武器商から陸路で送らせるそうだから、半月くらいの時間がかかるようだが。代金分の岩塩は後払いでもいいとか。剛毅なことだ。まぁ、そのおかげで、我々も物が来る前に彼らの勢力圏を通過できるのだが」

 ソフィーネの問いにレオポルドは機嫌よく答えた。

 クロス卿派の軍勢があまり帝国人とは親密ではない北東八部族の領域を堂々と通過できるのはこの取引のおかげであった。

 東岸部に勢力を伸ばしたいレオポルドにとって、第一の障害となるのはクロス卿派の勢力圏であるムールド北部と半島東岸部の間に横たわる北東八部族の領域であった。ここを自由に通行できる状態にすることは必須である。かといって、それなりの武力を持つ彼らを膝下に収めるべく戦いを仕掛けるとなるとかなりの力と時間を要する。目的である東岸部への勢力進出の前にいらぬ犠牲や時間を浪費しかねない。

 レオポルドは彼らとの交戦を避けた上で、上手くこの地域を通過することができないか思案した。

 ところで、北東八部族はいくらか前からムールド南部を支配するクラトゥン族の攻勢に遭っていた。動員兵力は一万とも二万ともいわれるクラトゥン族の優勢な武力を前にして、北東八部族は苦戦を強いられていた。これに対抗する為、彼らは喉から手が出るほど兵と武器を欲していた。

 キスカからこの情報を聞いたレオポルドは八部族の支配領域と隣接した地域に居住する配下のジッダ族を通じて彼らに接触を図った。用件は「帝国製の最新武器を取り扱う武器商を紹介できる」というものだ。

 北東八部族は帝国に対して反感を抱いてはいるものの、帝国製武器の有能性は認めている。ムールドの地でも小火器は普及しつつあり、効果的な武器であるとの認識はあった。そもそも、クラトゥン族の攻勢を前にしては帝国が嫌だとか何とかいっている場合ではないのだ。部族の独立を守る為に必要な武器を売ってくれるのならば、異民族でも余所者でも構いやしない。

 レオポルドはジッダ族を通じて彼らと交渉すると同時にレンターケットからレイクフューラー辺境伯に連絡を取らせ、武器をムールド北東部に輸送するよう要請した。

 辺境伯は四方を敵対勢力に囲まれているクロス卿派の元に武器を送り込むことはできなかったが、それよりも近く、融通が利く武器商がいるレウォント地方から交易路が伸びているムールド北東部にならば武器を送ることは可能であった。

 辺境伯というよりも、レウォント地方に駐在している辺境伯の代官の動きは素早く、直ちに武器の輸送は可能であるとの回答すると共に、時を置かずに輸送の準備に取り掛かった。

 北東八部族も取引を受け入れ、代金は特産の塩で支払うとした。

 この取引を仲介した、いわば仲介料として、クロス卿派は北東八部族支配下の自由通行権を手に入れたのだ。

 レオポルドにとって更に都合のよいことに、辺境伯は武器の代金を武器商に先払いし、その分の塩の支払いは後払いでよいとした。その代わり、武器が届く前にクロス卿派を通過させることを北東八部族は受け入れた。

 これらの取引と交渉で半月近くの時間を要したが、北東部を攻略するよりはずっと時間も手間もかからずに済んだ。

 これにより、クロス卿派は東岸部に進出することが可能となり、更には念願であったレイクフューラー辺境伯との連絡路を確保することができた。

 辺境伯は北東八部族向けの武器とは別にクロス卿派に対する支援として三〇〇挺のマスケット銃と一万発分の武器弾薬を無償で送ることを約束した。太っ腹なものだが、レイクフューラー辺境伯は帝国諸侯の中でも有数の富裕な大貴族である。これくらいの出費はさほど痛いものではないのだろう。

「レイクフューラー辺境伯は随分と貴方を助けてくれますね」

「まぁ、閣下にとっては他に選択肢がないのだろう」

 ソフィーネの疑問にレオポルドが答えた。

「まず、他の男爵たちとの接点がないし、ガナトス男爵はアーウェン人諸侯が推していて、ドルベルン男爵の背後には帝国本土の教会が付いているという噂だし、ブレド男爵には帝国本土の他の貴族が接触しつつあるという噂も聞く」

「誰に聞いたんですか」

「レンターケットの手紙に書いてあった」

「それって、辺境伯の言葉を鵜呑みにしていることになるんじゃないですか」

 レオポルドの素直な答えに、ソフィーネはしかめ面で言った。

 レンターケットはレイクフューラー辺境伯の手先である。レオポルドと辺境伯との間の連絡役でもあるが、レオポルドを監視する役割や彼を辺境伯の思い通りに操作しようとする役割も持っていると考えるべきだろう。

「寝業師と名高い辺境伯に目も耳も頼り切ったままなのは如何かと思いますけど」

「俺もそうは思うが、今のところは閣下に頼り切るより他に手はないからな。まぁ、俺に利用価値があるうちは情報もくれるし、支援もしてくれるだろう。利用価値がなくなったときは、最期と諦めるしかあるまい」

 レオポルドはあっけらかんと言い放つ。

 そんなんでいいのか。とソフィーネは呆れるが、彼はのんびりと言った。

「閣下に見捨てられんように上手いこと動かんとな」

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