六三 レンターケットの嘘
「ほう。それはどういうわけですかな」
レンターケットは動揺した素振りもなく、愛想のよい微笑を浮かべたまま尋ねる。
「アンザル十字騎士団の名前を出す時点で胡散臭さ満点というものです」
ソフィーネはいくらか呆れたような様子で言った。
「まぁ、南部の田舎者や帝都の世間知らずな貴族様相手なら、経歴を詐称し、いくらか箔を付けるには有用な名前ではありますが」
そう言って彼女はわけがわからないとでも言いたげな顔をしたレオポルドを見やる。
「一体全体、どういうわけなんだ」
話に付いていけないレオポルドが堪らず尋ねた。
「アンザル十字騎士団は実在する騎士団だろう。帝都でも幾度か話題に出たことがある。北方、アクセンブリナの蛮族相手に勇猛に戦ったそうじゃないか。十年前、敵に包囲され、孤軍奮闘の末に壊滅したと聞いているが」
アクセンブリナは西方大陸の北東部に突き出た半島というには大きすぎる地域である。鬱蒼とした森に覆われ、異教を信仰する蛮族が住まう地だという。
大陸東部には帝国以外にはカロン島の銀猫王国しか国がない為、帝国はアクセンブリナも帝国領であるというような顔をしていたが、実際にはサーザンエンドを含む南部と同じかそれ以上に帝国の支配が及ばない地域である。異教徒たちは西方教会の教えを拒み、蛮族は帝国に抗い続けている。
その為、帝国は数年おきに軍勢を北方に派遣して、蛮族の討伐を行っていた。森を開き、反抗者の村を焼き、蛮族の戦士を殺し、異教徒の住民を改宗させる戦いである。帝国建国以来百数十年に渡って、遠征が繰り返されていることから分かる通り、あまり成果は芳しくない。十年前にアンザル十字騎士団が壊滅したように帝国軍にも大きな被害が出る有様であった。
「確かに、アンザル十字騎士団は約百年前に結成されて以来、その赤十字の旗の下、幾多の聖戦に従軍し、十字剣を異教徒の血で染めてきました。まぁ、それはいいのです。異教徒ならば女子供だろうとも悪魔の手先みたいなもんだから殺しても罪にはならぬとさる聖人が仰っていらっしゃるとおりです」
ソフィーネの説明にレオポルドは嫌そうな顔をする。彼は西方教会信徒ではあるが、教会の持つそういった盲信どころか狂信ともいうべき性質を毛嫌いしていた。
勿論、教会の内部でもレオポルド同様にそういった狂信的行為に嫌悪を抱く勢力は少なくない。異教徒は天国に行けないという考えは一般的であったし、異教は害悪であると考える者も多数派ではあったが、異教徒を根絶やしにしろとまで主張する者はそれほど多くはない。
それでも、異教徒を惨殺する狂信的行為を公に非難する者は少ない。非難すれば、異教徒を庇おうとしているように見做され、自分の立場を不利にするからである。非難しても、味方してくれる者は少なく、称賛してくれる者も、また少ない。逆に相手に自分を攻撃する材料をくれてやるようなものである。
レオポルドの父はそれに近いことをして、教会に攻撃され、家は没落したのだ。
「ただ、十二年前の北伐の際のアンザル十字騎士団の行いは、狂信的な高位聖職者から見ても、見逃し難いものでした」
「何だそれは」
「強姦です」
レオポルドの問いにソフィーネは素っ気なく答える。
「……そんなことか」
彼は呆れ顔で言った。
「確かに軽蔑すべき悪行ではあるが、戦ともなれば、いくらでも起きることだ。独身と貞節を貫くべき宗教騎士団の団員が異教徒の娘を強姦したとなればスキャンダルではあるが、その団員を処分すれば事足りる事件ではないか。その気になれば隠蔽だっていくらでもできよう」
「確かにそうかもしれません。それを行ったのが一人二人くらいであれば」
ソフィーネは呆れたような笑みを浮かべた。
「アンザル十字騎士団は、占拠していた村の娘を集めて、騎士団員全員が強姦に及んだのです。さながら、乱交とでもいうべき有様だったとか。その上、男同士の性交もあったとか。彼らがこれを日常的に行っていたのか、たまたま、その時だけだったのかはわかりません。ただ、この時は運悪く、巡察を行っていた教会軍の上級監督官にその模様が露見したのです」
「それは確かに大きなスキャンダルだな。だが、そんな話は聞いたことがないぞ。教会が隠蔽したのか」
「その通りです。教会はこれを隠蔽することにしました。ただ、アンザル十字騎士団にとっては運悪いことに、事を発見した上級監督官の上司は日頃から宗教騎士団の狂信的行為に嫌悪感を抱いていた人物だったのです。彼はこの事件を宗教騎士団の綱紀粛正と残虐行為の抑制に生かそうと思いました」
そこまで言えば、アンザル十字騎士団の命運は推察できるというものだ。
「見せしめにされたのか」
ソフィーネはこくりと頷く。
「アンザル十字騎士団の者は従卒に至るまで一人残らず処刑され、塵も残さず消されました。ついでに証拠隠滅を兼ねてその村は焼かれ、村人も一人残らず殺されたそうです。これを知っているのは教会上層部と現場となった北方の教会、教会軍や宗教騎士団。あとは耳聡い帝国政府の上層部や一部の北方の貴族たちだけでしょう。教会の数ある恥部の一つというものですから、あまり口にする者はいません」
同じ教会組織に属していても、北と南ではあまりに距離が離れすぎていて、情報の疎通はかなり難しい。その上、教会があまり広めたいと思っていない情報なのだ。帝国本土とは隔絶されているといっても過言ではない南部まで届くのは難しいというものだろう。
故に、南部にはアンザル十字騎士団のスキャンダルとその自業自得な命運を知る者は殆どいないのだろう。
「しかし、何故、君がそれを知っているのだ」
「それは、アンザル十字騎士団の事件の処置を行ったのが、私を拾った剣の修道院の前の院長であったからです」
剣の修道院は帝国でも屈指の剣士を多く抱える武闘派修道院である。異教徒討伐に応援を頼まれることも少なくはなく、前修道院長は十二年前の北伐にも数十名の優れた剣士でもある修道士を率いて従軍していたらしい。そこで、アンザル十字騎士団の醜聞を聞き及び、処置を行ったという。北部には縁も縁もないので、さぞ思い切った果断なる処置が行えたことだろう。
「しかし、剣の修道院の前修道院長殿がその役回りを演じたとして、何故、君がそれを知っている」
「それは、私が院長様の裏の秘書のような立場だったからです」
「裏の秘書。どういう意味だ」
「公にはできない、表には出したくない文書の整理や手紙の処理をする役回りです」
西方教会では悪魔の色とされる漆黒の髪を持つソフィーネは有力者の庇護がなければ、教会の勢力の及ぶ範囲では生きていけない身である。故に、院長が庇護する限り、裏切ることはなく、修道院から抜け出すことはない。周囲も彼女を魔女か何かのように扱い、嫌悪しているから、会話が成ることもなく、情報が漏れ出す心配もない。万が一、口にしたとしても、誰が魔女の言葉など信じるものか。
「成る程。それは君に適任だな」
レオポルドは納得した。
「ということはだ。アンザル十字騎士団の生き残りがいることなどあり得ない。万が一、いたとしても、自らが騎士団に在籍していたことなど口にするわけがないというわけだな」
ソフィーネは冷笑を浮かべて頷いた。
「それと、フューラー大司教ヨハンス・プリンスベル猊下には個人秘書などいなかったでしょうね」
「何故だ。大司教ともなれば、多くの部下が付くのは当たり前だろう」
レオポルドの疑問に彼女はこれまた呆れたような顔で答える。
「猊下はフューラー大司教に就任した直後に倒れ、一命は取り留めたものの、数年もの間、意識不明の状態だったのです。フューラー地方は教会に対してあまり好意的ではない土地柄です。教会の勢力は少なければ少ないほどよい。意識不明で寝たきりの大司教はフューラーの諸侯にとって都合のよいものでした。また、当地の聖職者たちにとっても利点はあります。大司教の権限を自分たちにとって都合のよいように使えるのですから。彼らは大司教が崩御されるまで病状を隠匿し、寝たきりのまま大司教座に縛り付けていたのです」
「それも前院長の文書か」
「ヨハンス・プリンスベル猊下は院長様の兄上でいらっしゃいます」
レオポルドは納得したように頷く。
「院長様は兄上から届く手紙の筆跡、文面などから、本人が書いたものではないと気付き、フューラーの司教らを問い詰め、その実態を知ったようです。院長様はこれを教会本部に告発はしなかったようです。後任の大司教に院長様の従弟が就任しているのが、その代償なのでしょう」
隠蔽に協力する代わりに、次の大司教には従弟を据えるという取引が為されたのだろう。
大司教を任命するのは教会のトップである総司教であるが、その選任の経過は中々複雑である。総司教の意向もあるが、枢機卿たちの意見もあるし、帝国皇帝の意向も無視できない。それに地元の聖堂座参事会の意見も重要である。地元の意見を無視して、軋轢を生むことは必ずしも教会の本意ではない。
フューラー大司教の後任人事では地元の意見は汲み取られ、剣の修道院の院長との取引どおりの人事が為されたらしい。
「確かに意識もなく、寝たきりになっている者に個人秘書は付くまいな」
レオポルドはそう言ってから、まとめるように言った。
「いずれも騎士団の末路やフューラー大司教の実態を知らぬ人間相手に自らの経歴を詐称するには都合がいい。いくらかの知名度があるから、信頼されるし、遠く離れた地のことだから、知っている人間はかなり少ない。架空の経歴をでっちあげるより説得力があり、下手に実在の組織や役職の名前を挙げて、それに関連する人間が現れる心配も少ない」
架空の役職や組織では、当然、誰も知らないわけだから、信用されない恐れがある。かといって実際の組織に属していたと詐称すると、本当にその組織に属していた人間が現れたとき、ボロが出て困る。実在はしていたが、属していた人間は全くいないか、殆どいない経歴が望ましい。二つの経歴はうってつけであった。
つまり、レンターケットの経歴は嘘であった。南部の多くの人々には見破り難く、思わず信用してしまうような経歴である。
「それで、一体、貴方は何者なんだ」
レオポルドがレンターケットに向かって問いかける。ソフィーネも鋭い視線を向けた。片手は腰の十字剣にかけたままだ。
レンターケットは二人が話している間、ずっと愛想のよい微笑を浮かべたまま黙っていたが、ソフィーネの姿勢を見て、降参するように両手を挙げる。
「いやはや、随分と警戒されていますね」
「そりゃあ、偽りの経歴を引っ提げてきた輩が怪しくなければ何なんだって話ですからね」
「全くその通りですな」
彼女の言葉に同意した後、一つ咳払いをしてから、レンターケットは口を開いた。
「私はレイクフューラー辺境伯閣下の御命令で参りました」
「なんと、閣下の配下なのか」
レンターケットの言葉にレオポルドが驚きの声を上げる。
レイクフューラー辺境伯といえば、帝国東岸部の大諸侯であり、帝国公安長官と保安長官を兼ねる有力貴族であり、レオポルドを後援する可能性があるという意向を示している。
「私の役割は現地の情報を収集し、レオポルド閣下らの動向を調査して、辺境伯閣下にご報告することです。いわば、調査役ですな」
レイクフューラー辺境伯もレオポルドから寄越される手紙の内容だけを信用するわけにはいかないのだろう。レオポルドの他に情報源や繋がりがあればよいのだが、それがないとなれば、自前で情報収集役を送り込むしかない。
「成る程。辺境伯が放った間諜ということですか」
ソフィーネの身も蓋もない言葉に他の二人は口を噤む。確かにレンターケットの任務は間諜に他ならない。ただ、そう言ってしまうと、心証が宜しくない。
「あー。その、南部に派遣されている調査役というのは君だけなのか」
「それは私には存ぜぬことでございます」
レオポルドの問いに、レンターケットはいつも通り慇懃な様子で答える。
その答えが真実か嘘かを確認する術はないものの、レオポルドはどちらでもいいと思った。どうせ、辺境伯に隠し立てしなければならないようなことなどないのだ。重要なのは辺境伯が自身を支援してくれるか否かである。調査役を派遣しているということは、いくらかの興味を持って南部とレオポルドを見つめているということだろう。
「辺境伯閣下に私を支援する用意はあるのだろうか」
「さて、どうでしょうなぁ。私は下っ端ですから、御意向は分かりかねますが、支援する用意があったとしても、それを送る経路がなければ難しいのではないでしょうか。さすがに帝国本土から南部の砂漠の真ん中まで支援物資を送り込むのは難儀というものです」
レンターケットの言葉を辺境伯の意向と捉えてはいけないかもしれないが、確かに彼の言う通りかもしれない。支援を受けたければ、その受け入れ口を用意しなければならない。ドアがない店に客は入らない。
「その人の言葉を安易に信用するのは如何かと思いますけどね」
「いやぁ、手厳しいですなぁ」
ソフィーネが刺々しい声を出すと、レンターケットは頭を掻きながら快活に笑う。
「しかし、こんなにも早く素性を看破されるとは思ってもいませんでした」
「随分と見くびられたもんだな」
レオポルドが些か不満げに言うと、ソフィーネがじろりと彼を見て呟いた。
「たぶん、私がいなきゃ、一生わからなかったと思いますよ」
彼女の手厳しい言葉にレオポルドは渋い顔で黙り込む。それを見て、レンターケットは朗らかに笑っていた。