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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第四章 縁組
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五九 ファディ脱出

「そのような、まるで敵に背を向けて逃げ出すような……。兵を盾とし、義父を見捨てるような真似などできるわけがないだろ」

 キスカの説明を受けたレオポルドは渋い顔で言った。

 部屋には二人しかおらず、説得は彼女に任されていた。

「まるで、ではありません。まさにその通りです」

 対してキスカはいつも通りの無表情で率直に言った。

「かような卑怯な真似などできるものかっ。私は味方の将兵の多大な犠牲を払ってまで生き延びたいなどとは思わぬぞっ」

「レオポルド様が生き延びねば意味がないのですっ。此度の戦は辺境伯の椅子を巡る戦いです。椅子に座る御方がいなくなっては戦の意義が失われます」

 確かに彼女の言う通り、後にサーザンエンド継承戦争と呼び称されるようになるこの戦争の主たる争点は辺境伯位の行方にあり、これを手にできる人間は限られている。言うまでもなくクロス卿派においてその椅子に座る資格を有するのはレオポルドを置いて他にいない。

「なれば、私一人が犠牲となれば戦をする理由はなくなるのだろう。他の数百もの兵の、数千もの民の命が救われるではないか」

「ブレド男爵に真っ向から敵対した我々には最早戦い続けるより他に道はないのです。争う理由がなくなったとしても男爵は我々を許さないでしょう。敗者に与えられる恥辱は死よりも辛く、耐え難きことです。それに何よりも」

 キスカは鋭い瞳でレオポルドを睨みつけて言い放つ。

「貴方はその年でうら若い未亡人を二人もつくる気ですか」

 そう言われてレオポルドは言葉を詰まらせる。

「レオポルド様には何が何でも、どのような状況であれ、どれだけの犠牲を払おうとも生き延びて頂かなければなりません。我々は一兵卒に至るまでそれを願っており、その為には自らの犠牲を厭いません」

 キスカの言葉を聞いたレオポルドは鼻で笑った。さすがにそれは彼女の虚言であると分からない彼ではない。彼の為に命を捨ててもいいなどと思っているのは実際キスカくらいのものであろう。

「しかしだな……」

 レオポルドがなおも渋い顔で言い返そうとしたとき、外で砲声が響く。一拍後には木材を吹き飛ばし、土を舞い上げる音が続き、悲鳴と怒号が聞こえてくる。

 レオポルドは発しようとしていた言葉を飲み込み、窓の外を見つめながら険しい顔で呻くように言った。

「……敵の攻撃が始まったようだが」

「そのようですね」

 キスカは素っ気なく言い、レオポルドの隣に立って窓の外の様子を窺う。暫く観察を続けた後、言った。

「おそらくは砲撃のみでしょう。我々に揺さぶりをかけているのです」

「そうか。本格攻勢の前の準備砲撃ではないのか」

 レオポルドは疑わしげな顔で首を傾げる。

「君のいう作戦は夜間でなければ決行できないのだろう。敵の本格的な攻勢がこれから始まるとすれば君の考えた作戦の前提からして崩れてしまうではないか」

「いいえ、これは牽制の為の砲撃でしょう」

 キスカは平然とした顔で断言した。

「根拠はあるのか」

 レオポルドが問うと彼女は黙っていた。

「では、こうしよう。もしも、この砲撃が牽制の目的だけで、夜になるまで攻勢がなければこの身を君に任せよう。しかし、敵の本格的な攻勢が始まったならば私は即座に敵の前に出て降伏を申し出よう」

 キスカはいつも通りの無表情のまま黙って頷いた。


 ブレド男爵軍の三門の大砲は一定の間隔を置きながら、ファディ中心部に砲撃を加えた。

 クロス卿派の将兵は敵の攻勢を恐れると同時に空から降ってくる鉄の塊にも怯えなければならなかった。砲弾が直撃すれば人でも馬でも吹き飛んでバラバラになってしまう。例え、直撃を免れたとしても砲弾は屋根でも壁でも貫いて砕き、木片はそこら中に四散し、また、巻き上げられた土砂は将兵を傷つけた。

 砲撃は夕暮れ近くまで続き、クロス卿派は数十名の死傷者を出したが、結局、キスカの読み通り、本格的な攻勢はなかった。

 さて、日も沈み切り、夜もとっぷりと暮れた頃、クロス卿派はキスカの立案した脱出計画を実行すべく密かに準備を進めていた。

 レオポルドは不承不承ながら騎乗の人となり、その周囲をキスカやジルドレッド一族の面々、レッケンバルム大佐らをはじめとする騎乗の士官たちが固めた。その周囲を更に三〇〇名もの兵が囲う。

 ファディにはオンドルらカルマン族の長老数人と彼らに殉しようという数十名の兵、そして、百名以上の傷病兵が残された。彼らの生存は絶望的と見られ、それは本人たちも理解していた。

 傷病兵たちは泣き叫び、嘆きながら自分たちを見捨てないでくれと着々と去り行く準備を整える上官や同僚、司祭らに訴えた。

 脱出作戦に参加する将兵は一様に気まずそうな顔をして傷病兵たちを避け、彼らの姿を視界から外し、その声を聞かないように耳を塞いだ。

 ただ一人、キスカだけは彼らを避けず、彼らを睨みつけて言い放った。

「いい加減、黙らないと敵が貴様らを殺す前に私が貴様らを殺すぞ」

 彼女の言葉を聞いてレオポルドは呆れて呟いた。

「いつか後ろから刺されるか呪われるぞ……」

「では、後ろに気を付けるようにします」

 レオポルドの忠告にキスカは無表情で答えた。

「呪いは……」

「そういうのは信じていません」

「あぁ、そう……」


 時刻も深夜に至った頃、クロス卿派の脱出部隊は隊伍を整え、出発を目前に控えていた。

 物資の多くはファディに放棄し、携行するのは必要最低限の食糧、水、武器のみである。灯りは持たず、暗闇の中を一塊になって敵中を突破した後は、この時期はほぼ真南に位置している星を目指して突き進む計画である。

 ただ、ここに一つ問題が生じた。

 キスカは夜の間、敵はこちら側の兵の脱走を促す為に包囲を一部緩めるに違いないと予測した。

「緩んでいる風には見えぬな」

 敵陣を遠望したジルドレッド将軍が呟いた。周囲の士官たちは一様に沈み切った表情を浮かべる。

 とはいえ、囲いが緩んでいないからといって今更脱出計画を白紙に戻すわけにもいかない。何故ならば、それ以外に絶望的な現状を打破する方策がないからである。

 クロス卿派の幹部たちの意気は初っ端から落ち込んだが、断行を決意した。

 進む方向は真南である。そちらには目印となる星があり、目的地であるモニスの方角にも近いからである。それに、敵の主力は北側にある為、どちらかといえば南の方がマシであると思われた。

「よいか。戦闘は極力控えよ。目の前に立ち塞がる敵のみを相手とし、逃げる敵は追うな。止めを刺す必要もない。ただ、味方とはぐれず逃げることのみに集中せよ。はぐれたり、遅れた者は容赦なく捨てていく」

 士官たちは一兵卒に至るまでに尽くこう言って聞かせ、実際、彼らはその通りに実行するつもりであった。ただひたすら敵の真ん中を突き破り、突き抜けた後は敵に背を向けて逃げるのみである。

「では、前進」

 ジルドレッド将軍が抜き身のサーベルを真っ直ぐ前に向けて言い、馬腹を蹴った。周囲の士官たちも馬を走らせ、武器を抱えた歩兵たちが無言で走る。

 脱出部隊は無言でただただ歩を進めた。前方にはブレド男爵軍の陣営に灯る火がちらちらと見える。動き回る兵の影も見えた。暫く進むとその動きが激しくなる。微かに怒号が聞こえ始める。

「どうやら見つかったようですな」

 ジルドレッド大佐が苦々しげな顔で呻くように言った。

 初めから見つかることは覚悟の上である。今回のファディ攻防戦では両軍合わせて二度の夜襲を仕掛けているのだ。これが三度目である。さすがに相手も夜だからといって油断はしていない。

 とはいえ、それほど早い発見ではない。発見が遅れた理由は、夜である為、視界が限られているからであろう。若しくはキスカが期待した通り、ブレド男爵軍はクロス卿派は玉砕の覚悟を決め、決死の脱出突撃を敢行するなどとは思いもしていなかったのだろうか。

「突き進めーっ。突撃っ」

 ジルドレッド将軍が大音声を張り上げ、クロス卿派の将兵は自棄になったような喊声を上げながら突き進む。

 ブレド男爵軍の兵が慌てて陣幕から飛び出てくる。下士官が兵を横一列に並べる。戦列を形成してマスケット銃の一斉射撃を食らわせてクロス卿派の突破を防ごうというわけだ。

「構えぇっ。狙えぇっ。撃てぇっ」

 士官の怒号一下、数百のマスケット銃が火を噴く。クロス卿派脱出部隊の将兵がバタバタと倒れ込む。

 しかし、命中弾はかなり少なかった。夜間で狙いが付け難いのだろう。

「怯むなっ。突き進めっ」

 将軍が怒号を飛ばし、兵たちは歩みを止めることなく前へと進んだ。歩みを止めるか、戻れば死か虜囚の定めなのだ。彼らも必死である。

 ブレド男爵軍の兵は突然始められた戦闘に浮き足立ち、再装填も遅れがちであった。また、クロス卿派脱出部隊の発見が遅れたことも響いた。

 ブレド男爵軍のマスケット銃歩兵の戦列が二回目の斉射を行う前に、クロス卿派軍の脱出部隊が戦列に躍り込んだ。

 騎乗した士官たちは目前の敵兵を馬蹄の餌食とし、サーベルや半月刀で薙ぎ払い、そのまま突き進む。続く歩兵たちも銃剣や槍、剣で敵兵を突き刺し、斬りつけて、そのまま走り去っていく。

 脱出部隊はブレド男爵軍南側陣地が迎撃の準備を整える前にその陣中に侵入を果たす。

「篝火を倒していけっ。陣幕に火を放てっ。進め進めっ。足を止めるなっ」

 ジルドレッド大佐が指示を飛ばす。一部の勇敢な兵が陣営のあちこちに設けられている篝火を蹴飛ばし、その火を陣幕に燃え移らせる。

「素早く突破しませんと敵が迎撃態勢を整えますっ。今頃、北側陣地にいる敵騎兵もこちらに向けて動き始めているでしょうっ」

「そんなことはわかっておるわっ。ぎゃあぎゃあ喚くなっ」

 エティー大尉が金切り声を上げるとジルドレッド大佐の息子が怒鳴り返す。

「うるさいっ。あんたに言ったわけじゃないっ」

「何をっ」

「おいっ。こんなときに口論などするなっ」

 俄かに険悪な展開になった二人の若い士官をジルドレッド大佐が怒鳴りつける。

「しかし、エティー大尉の仰る通りです。一刻も早く敵陣を突破すべきです」

「それは分かっておる。分かってはおるが……」

 キスカの進言にジルドレッド将軍は渋い顔で応じ、目の前を睨みつける。前方には別の新たな戦列が出来上がろうとしていた。ずらりと並んだ銃口がこちらに向けられる。

「撃てぇーっ」

 断続的な発砲音が鳴り響き、兵たちが断末魔の悲鳴を上げながら倒れていく。

「あの戦列を突破しろっ。行くぞっ」

 ジルドレッド将軍がサーベルで敵を指し示し、馬腹を蹴り飛ばす。クロス卿派脱出部隊の将兵が敵に向かって突撃し、強引に敵を蹴散らしていく。

 突然の夜襲に狼狽していたブレド男爵軍もようやく迎撃態勢を整え始めており、陣幕を飛び出して戦闘準備を整えた兵たちが隊伍を組んでレオポルドたちに襲いかかる。

「敵の相手をするなっ。進め進めっ。南だっ。南に行くのだっ」

 クロス卿派脱出部隊はそう叫びながら南に進路を向けて走り出す。背後から、側面から激しい銃撃が加えられ、次々と兵が倒れていく。既に落伍者は一〇〇名を超えようとしていたが、夜襲の衝撃と突破に集中した為、一時間程度をかけてブレド男爵軍の南側陣地を突破することに成功した。

 後はひたすら南に向かって走るだけである。脱出に成功した多くの将兵が僅かに安堵の吐息を漏らす。

 そこにとんでもない声が聞こえてきた。

「右手側から敵騎兵が来るぞっ」

 悲鳴じみたこの警告に将兵の顔色は一挙に青褪めた。

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